それからの数日、樹海探索の最先より、『ウルスラグナ』の姿が消えたことを、多くの冒険者達は当然と見なした。
『ウルスラグナ』の数名が殺されたという噂こそ、すぐに立ち消えたが、かなりの痛手を負った、あるいは、『エスバット』に敗れて自信喪失した、という話が、未だにハイ・ラガード内を徘徊し、『ウルスラグナ』脱落の理由を喧伝している。それを退治するのにもっともふさわしい当事者は、放置を決め込んでいた。ただし、先に決めたとおり、大公宮には事情を説明すると決めている。
王虎ノ月十七日、正午を回った頃。鍛錬のために第二階層に出かける前に、元探索班を引き連れたエルナクハは、大公宮に足を運んだ。
『ウルスラグナ』が面会を望んでいる、と聞いて、按察大臣は気が気でなかったようだった。街に流れる噂を鑑みれば、訪ねてきた冒険者達が暇を告げに来たのでは、と思いこんでしまっていても無理はない。それだけに、訳あってしばらくは探索速度を落とす――樹海探索自体を辞める気はないことを冒険者達が告げたときに、あからさまに安堵を見せたのも、当たり前のことだろう。
「時に、エルナクハ殿」
大臣は今までにない真剣な表情で話題を変える。
「『エスバット』の二人が出頭してきおった。後から来るそなた達が邪魔になったから殺そうとしたのだとな」
……あの二人は、罪を償う道を選んだわけか。
それなのに、自分達からは真実を話さなかったようだ。大公宮に件の話を伝えるかは、どうやら『ウルスラグナ』に委ねられたらしい。
大公宮には事情を話しておこうと決めていたのだが、ふと気が変わった。
別にやましいことを考えたわけではない。自分達で『氷姫』のことを確認してから報告した方がいいだろうと思い直したのだ。
人間が魔物に変えられているという話は衝撃的に過ぎる。事実確認のないまま報告しても、眉に唾付けられるだろう。『エスバット』が大公宮に真実を語らなかったのも、似た理由ではないか。
『ウルスラグナ』にしても、彼らの迫真の表情を見て、話が真実だと判断したが、逆に言えば、事情を確認できたのは『エスバット』の話でのみということである。実は謀りだった、という可能性は、無ではない。
彼らが冒険者を殺そうとしたこと自体は事実だ。自分達だけに限らない。薬泉院に、銃で狙撃された冒険者が運び込まれていたはずだ。彼(彼女)の生死は聞いていないが、その仲間達はどうか。
そこまで考えてから、エルナクハは口を開いた。
「大臣サンよ。『エスバット』はどうなる?」
「そうよのう……」
按察大臣の表情は苦い。
「そなたたちに対する殺人未遂も、決して軽い罪ではないが、もし他の冒険者を殺めていたとしたら、樹海探索を主導する大公宮としては許せるものではない。あるいは、極刑ということもあるやもしれぬな……」
衛士達を第三階層に派遣して、そのような事態がないか調査中だという。もしも、銃撃された痕跡のある冒険者の遺体が発見されたら、『エスバット』の運命は最悪の方面に転がるだろう。事情を加味しても、因果応報としか言えないところだが。
「なあ」
再び少し思考した後、エルナクハは、声の調子を少し落として切り出した。
「オレは法に口出しできる立場じゃねぇ。立場じゃねぇんだが……ヤツらを処断するのは、ちぃと待ってくれねぇか」
訝しげに見返す大臣に対して話を続ける。
「気になることがあってな。ヤツら、オレらを襲ってきたときに、妙なこと口走ってやがったんだよ。なんでも……樹海の奥には人間に似た魔物がいる、てなぁ。ソイツを確かめたい。その途中でヤツらに何か聞きたくなることもあるだろうよ。だから、ヤツらの罪が確定しても、刑罰はちいと待ってくれねぇか」
「人間に似た魔物、か……街にもそんな噂が流れているようだがのう……」
大臣にも心当たりがあるようで、考え込む時間は長くなかった。
「……あいわかった。彼らの処罰はしばらく待とう。しかし、大公宮の方で彼らに話を聞いておいた方がよいかもしれぬがの?」
「……いや、ここらへん、冒険者同士じゃなきゃ判らない話になるかもしれねぇ。ここらはオレらに任せてくれないか」
『エスバット』は、現状では大公宮には真実を語るまい。だからといって、強引に自分達への委任を迫るのは、少し苦しいか、と自分でも感じる。
幸いにも、大臣は納得したようだった。何か現時点では話せない事情がある、と看破した上で。
「……わかった、その件はそなたたちに任せる。ただし、納得できる結論が出たら、我らにも報告してもらうぞ、よいな?」
「ああ、そりゃ、もちろん」
エルナクハは破顔した。なんとか『エスバット』のしばしの助命は果たせた。これで、さらなる助命のきっかけを掴める。
彼らの罪をなきことにせよ、というわけではない。魔物に変えられた人間の先、『天の支配者』とやらの実在を確かめ、打倒する、その顛末をしかと『エスバット』に見せるために、だ。
ドクトルマグスにしては重装備ではないか、と、見ていた誰もが思った。
彼ら巫医にも様々な流派があるのだろうから、かの少女の一門では標準の装備なのかもしれない。違和感を感じるのは、先に矛を交えた『エスバット』のアーテリンデが、『魔導の徒』の色眼鏡どおりの軽装だったからだろう。
バードでも扱えるとはいえ、それでも似つかわしく見えない吊盾を、ルーナは躊躇うことなく左手に持つ。本来は肩から吊して関節を守るためのものなのだが、持って使えないこともないから、咎めることもないだろう。
続いてルーナは、ねじれた木と輝石と剣を組み合わせた、アーテリンデも持っていたような形の杖に手を伸ばした。だが、ついにその手は杖を掴むことはなかった。肩をすくめたルーナは、誰にともなく独りごちたものである。
「……普通の剣を使った方が、よさそうね」
改めて、武装を待つ仲間達の方に振り返り、声を上げる。
「樹海に行く前に、シトトに寄っていいかしら? 剣を新調したいの」
「その巫剣でもいいんじゃないのぉ?」
ルーナの部屋を覗き込む者のひとり、マルメリが疑問を呈すると、ルーナは苦笑に似た表情を浮かべた。
「これ、実はちょっと使いづらいの。私にはね。普通の剣の方が楽に動けるわ」
冒険者としてはまだ『初心者以前』のルーナは、どう考えても後列にしか配置できない。今の時点で剣を新調してもあまり意味はない。とはいえ、馴らす、という意味では、使うつもりの武器を現時点から手にしていた方がいいだろう。
なお、ヴェネスも『初心者以前』だが、ガンナーはもともと後列に配されるべき者である。
そのヴェネスの方はどうするのだろう、と、ルーナの様子を覗き込んでいた、マルメリ、オルセルタ、ドゥアトの頭に疑問がよぎった。残念ながら二部屋を同時に見ることはできない。右隣のヴェネスの部屋を覗いているのはフィプトである。センノルレは授業中、ゼグタントは既に出かけており、ナジクは新人の装備に興味がないらしい。
と、フィプトが声を上げた。
「その銃を使わないのは、なんでですか?」
どうやら、ヴェネスも持参の武器を使わないらしい。
興味をそそられた女性陣はヴェネスの部屋を覗き込む。ガンナーの少年は、自分の身長近くの長さがある銃に布を巻き直しているところだったが、はにかみながら、自室を覗き込む仲間達に答えた。
「これだけ長い銃身じゃ、森の中で使うには向かないと思うんで」
ヴェネスの銃は、おそらく、ひとつところに腰を据え、目標を一撃で撃ち抜くためのものだ。なるほど確かに、樹海探索に向いているとは思えない。
結局、新人達は二人とも武器を新調する必要があるわけだ。
「まあ、もともと防具も揃えなきゃいけないものね」
とオルセルタが笑んだ。
「あの、ボク、そこまでお金ないです。お貸し頂けるならありがたいですけど……」
恐縮を全身で表してヴェネスが申し出るが、フィプトが笑って言葉を返す。
「きみ達は小生達の仲間なんです。ギルドマスターたる義兄さんも、きみ達の武装の新調に金を惜しむなって言ってましたから、遠慮はいらないですよ」
「ほ……ほんとですか!?」
ヴェネスは年相応の少年らしい――いや、もう少し幼く見えるが――喜びを全身で表した。
「金惜しむなって兄様言ってたけど、そのお金もそんなにないわよ」
オルセルタは頭の痛い思いをしつつ、ルーナの反応を気にする。
「ありがたいことね」
巫医の少女の反応は、至って冷静なものだった。ずうずうしいを通り越して、さっぱりしていて却って胸が空く。
「まあ、今回は思い切って初めから第二階層だから、お金が許す限りでいいものを揃えるしかないわねー」
ギルドの大蔵大臣の面持ちでドゥアトが口を挟んだ。余談になるが、『ウルスラグナ』全体の金銭管理は彼女ではなく、センノルレが担当している。無駄遣いするな、と口うるさいが、それは樹海探索用の出費ではなく、個々人の小遣いとして分配された金に対する忠告であることが常だった。
いずれにしても、今現在の樹海探索費用で、二人分の最新装備を揃えるのは、少しきつい。
今までだって、優先的に探索に駆り出されることが多いエルナクハやアベイの分が真っ先に用意され、特に防具は、他の者は順繰りにお下がりで対応してきたのだ。お下がりが余っていればよかったのだが、あいにく売り払ってしまっていた。
武器はともかくとして、種類の多い防具の中で何を優先させるかというなら、やはり鎧だろう。比較的値が張るが、防御力という恩恵は他の防具の比ではない。
「どうせなら、私は盾をいいものに買い換えてもらった方がいいわ」と曰くルーナ。
あんたはパラディンか、と、女性陣は内心で突っ込んだ。
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