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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・52

 王虎ノ月十七日。
 エルナクハの目覚めは強烈な悪寒と共に始まった。彼の場合は同室に他の人間がいる分、まだ救いがあるだろう。慌てたセンノルレが差し出した瓶の中身を飲み干すと、悪寒はどうにか我慢できる程度にまで和らいだ。
 当分は、この手の後遺症と付き合っていかなくてはならないのだ。そう思うと暗鬱な気分になる。
 第三階層は自分にとって鬼門なのか。思えばエトリアでも、自分は第三階層で重傷を負った。そのために、自分達の少し後から追ってきていたライバルギルドに先を越される羽目になったのだが――今となっては、それも神々の思し召しだったのかもしれないと思っていた。あの件がなければ、自分はただ野放図なだけなままだったかもしれない。
 そんな考えに基づくなら、今回の件も、ひょっとしたら神々の導きに分類されるものなのだろうか。
 もしそうだとしたら、その導きに従って手に入れたものは何なのだろう。
 自分達を災厄から救いだし、現状に繋ぎ止めた存在――元『花月』の新米冒険者達、だろうか。
「なあ、ノルよ」
「どうしました?」
 落ち着いた夫の呼びかけに、妻は通常の冷静さを取り戻し、少し冷たくも聞こえる返事をする。だが、困惑したような微妙な表情のエルナクハを目の当たりにし、険の取れた表情で訝しげに首をかしげた。
「どうしました?」
 先程と同じ言葉だが、その声音は驚くほどに柔らかい。
 エルナクハは思い切って言葉を続けた。
「……ルーナだがよ、やっぱり、アイツの親族だったりするのかな」
「それはおかしいです」
 センノルレは、柔らかい言葉だが、しかし即座に否定する。
「親戚だとしたら、そのことについてパラスやドゥアトさんが何か言うと思うのですが」
「……そういや、そうだな」
 今の話をエルナクハが蒸し返したのは、昨晩、戻ってきたゼグタントがルーナを見て、困惑した表情を浮かべていたからだ。
 ――あんた、ひょっとして、兄貴か弟にパラディンがいなかったか?
 その場にいた皆が、そういえば、と感じたようだった。薬泉院でエルナクハが感じたとおり、ルーナはどことなく、エトリアでのライバルギルドのパラディン、パラスのはとこだった少年に似ている。しかし、ルーナが、親兄弟はいないと告げたこと、そして、かのパラディンの親族であるカースメーカー親子が否定したことからすれば、他人の空似というか雰囲気似というか、そんなところなのだろう。
 新しい仲間であるドクトルマグスのことは、ひとまずここで終わり。
 エルナクハとセンノルレは階下の食堂へ足を運んだ。
 既に三名が席を占めていたが、探索班だった者達はまだ誰もいない。体調不良を、いつもより長い眠りで、一刻も早く取り戻そうとしているのだろうか。
「よう、旦那に姉さん」
「おはようございます、義兄あにさん、あねさん」
「あら、エル君、ノルちゃん、おはよう」
 挨拶に軽い返答をして、適当なところの席を占めると、厨房からひょっこり顔を出した者がいる。マルメリであった。
「あ、おはよぉ、エルナっちゃんもねぇちゃんも」
 挨拶返しついでに耳にしたところによると、今朝の食事は昨晩の残りの温め直しが主になるらしい。
 前日の夕方、薬泉院を辞した『ウルスラグナ』探索班は、何事もなく私塾に帰り着いた。そして、帰ってきたフィプト、他ギルドの依頼から戻ってきたゼグタントも含めて、新人達の歓迎会となったのである。探索班達の予後が心配なので、料理の量も酒も控えめで、いつもの夕餉に少しだけ毛が生えた程度でしかなかったが。
 それでも、探索班達の食が細かったことと、新人達が、遠慮したのかあまり食べなかったために、料理が余ってしまった。全員分の朝食に饗するほどの量ではないだろうから、具材を足して調整するのだろう。
 エルナクハが、自分の朝食は軽めでいいと告げると、その理由を察したのだろう、心配げな顔をしたマルメリは、しかし極力明るく答えた。
「まぁ、無理はしないでねぇ。本調子が出ないのに無理したら、生命に関わるからねぇ」
「……そうだ、生命に関わる、って言えばよ」
 エルナクハは起き抜けのことを説明した。撃ち込まれた麻薬の後遺症の発作。度合いによっては、身体を思うように動かせず、薬を飲むこともできないかもしれない。
 ドゥアトが、盲点だったとばかりに深く頷いた。
「それじゃあ、みんなはしばらく、誰かと一緒に寝起きした方がいいかもしれないわね。朝ご飯の時に相談しましょ」
 ところで『誰かと相部屋になる』といえば、ちょっとした小話がある。
 昨晩、結局のところ、追加のベッドは間に合わなかった。だから新入りの二人をどうするかという問題が残留したままとなっていたのだが、ドゥアトとナジクが新人達それぞれと相部屋となることで、ひとまず解決を見た。
 ところがその夜、ナジクの部屋からは口論めいた対話が続いていた。何事かと思ってこっそり扉を開けて――個室の鍵は、よほどのことがなければ皆かけないものなので――部屋を覗くと、ナジクとヴェネスが言い争いをしていた。しかも理由が、『どちらがベッドを占領して眠るか』。奪い合いではない、譲り合いだったのだ。
「一緒に寝りゃいいじゃねぇか。アト母ちゃんとルーナはそうしてるみたいだぞ」
 呆れたエルナクハがそう助言すると、両者とも「その発想はなかった」とばかりに、ぽんと諸手を叩いたものである。
「ナジク君っていえば、今日は珍しく遅いですね」
 言われてみれば、フィプトが口にしたとおりだ。普段なら、ナジクはこの時間に余裕で起きているはず。
「なんかあったのかな」
「起きようとしたら、ヴェネくんがお寝間着の裾を掴んでたとかでぇ、起きるに起きれない、とかだったりしてぇ」
 マルメリは本気でそんなことを言ったわけではないだろうが、ともかく、何かあったとしたら大変だということで、エルナクハは様子を見に行くことにした。探索班達が発作を起こしたりしていないかも、一緒に確認することにする。
 ナジクの部屋は階段のすぐ隣だ。軽くノックした後、返事を待たず、そっと扉を開ける。
 はたして、エルナクハが初めに見たのは、赤ん坊にすがりつかれた犬が見せるような、困惑の表情だった。
「……助けてくれ、エル」
 問題を指し示すように動いたナジクの視線の先を見ると、彼の寝間着の裾を掴む手。その先をさらに辿ると、比較的小柄な少年の、猫のように丸まった寝姿が目に入った。
 冗談のつもりだっただろうマルメリの想像が、面白いほどに大当たりであった。あるいは、冒険者となる前、幼い頃から吟遊詩人として諸国を遍歴していた彼女は、従弟の想像以上に人間観察力を培ってきていて、その経験が正鵠を射たということなのかもしれない。
 そんな話はともかく、
「ヤだね」
 エルナクハはニマニマ笑いながらレンジャーを見捨てた。
 面白がったのは確かである。だが、ひょっとしたら、しばらく彼らを放っておくことで、何かのきっかけになるのではないか、と無意識のうちに思ったのかもしれない――何がなのかは、自分でもはっきりしなかったが。
 ともかく、探索班達の様子を見に行き、ちょうどアベイが発作を起こしていたので薬を飲ませてやった以外には、重篤な事態が起きていないことを確認できた。胸をなで下ろして皆を起こし、食堂に戻ろうとしたエルナクハは、ナジクの部屋から、ガンナーの少年が必死に謝っている声がするのを聞きつけたのであった。ヴェネスは何か悪いことをしたわけではない、わざわざ取りなさずとも平気だろう、そう思ったパラディンは、彼らを無視して、階下に降りたのである。
「やべーやべー、ユースケがまずかった。こういうの『医者メディックの不養生』っていうんだっけか?」
 その慣用句を使うにはいささか不適切な状況かもしれないが。
 軽口を叩きつつ席に着いた頃合いで、起こした者達が次々に食堂にやってくる。
 改めて挨拶を交わし合ったところで、エルナクハは、一つ忘れていたことを思い出した。
「……ルーナ、起こしてねぇや」
 様子を見る対象は、あくまでもナジク達と探索班だったものだから、ルーナがいるはずのドゥアトの部屋には寄らなかったのだった。事実、ドクトルマグスの娘は、降りてくる気配がない。ちなみに、他に現時点で顔を見ていない相手に、オルセルタがいるが、彼女は単に、今日の料理当番のため厨房に籠もって姿を現していないだけである。
 同室だったドゥアトに目をやると、緑髪のカースメーカーは静かに首を振った。
「あの子も疲れてるのよ。眠いなら寝かしておいてあげて」
 そうか、とエルナクハは得心した。疲れが意外な時に吹き出すのは、よくあることだ。
 ちょうど、そんな頃合いで、食事の支度が整ったので、ルーナを除く一同は、朝食を口に運びながら、各種事項の相談を始めるのであった。

 真っ先に話題に出たのは、西方のアルケミスト・ギルドから預かり、フィプトの知人の錬金術師に研究を委託していた、鉱石のことである。結果については先方の報告を待つことになっていたのに、昨日、フィプトは何故か、わざわざ実験場に赴いたのだ。
 センノルレが口火を切り、弟弟子に問いただすと、フィプトは苦笑気味に肩をすくめ、説明を始めた。
「いえ、皆さんが『エスバット』に重傷を負わされたと聞いて、いてもたってもいられなくて。すいません、頭に血が上ってしまったんですよ」
 つまりは、探索班達が同じ冒険者に襲われたという状況に直面し、もっと力があったら、と焦ったようである。まだ実用の目処が立たないのか、確認しに行ったというのが、真相らしかった。
 しかし、『塔一つ吹き飛ばす』ほどの――そこまで行かないように制御するとはいえ――力、『エスバット』相手に放ったら、洒落にならなかったのではないだろうか。自衛とはいえ、相手を跡形もなく吹き飛ばしてしまったら、さすがに良心の呵責を覚える程度で済む話ではない。
「それにしても、探索を競り合ってるからって、同じ冒険者に手を出すなんて……」
 探索班達は顔を見合わせた。『エスバット』が『ウルスラグナ』を襲ってきたのは、その程度の理由に基づく行動ではない。しかし、当事者でもなければ、そこまで理解できるものでもないか。事実、街では、二つのギルドの激突の理由として、探索の主導権争いであると噂されていた。ついでに言うなら、敗れたのは『ウルスラグナ』で、仕掛けた『エスバット』は『殺人未遂』で大公宮に追われる身となった、と。
 不本意だが、しばらくはその噂を流しておくのがいいだろう。だが大公宮や身内には真相を話しておく必要がある。
 とはいえ、今は鉱石の研究結果の話である。 

High Lagaard "Verethraghna" 3a-52

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