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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・51

 ドゥアトが元『花月フロレアル』を引き連れて戻ってきた私塾は、不自然にも思える静けさに包まれていた。
 臨時休校になったことがひとつ、滞在者が昨晩の探索で倒れた仲間達を心配するあまりに鬱屈しているのが、もうひとつの理由である。他の『ウルスラグナ』の者なら、まるでパラスのはとこの死を知った時のようだ、と思い返しただろうが、ドゥアトは当時、ハイ・ラガード到着の矢先に事故で昏倒していたので、その様子を知らない。
「お、大きい犬ですね……!」
 中庭の隅の犬小屋に寝そべる獣を、目ざとく見つけたヴェネスが、感嘆の声を上げた。彼としては、静寂に耐えられず、何か気の紛れる対象を見つけたかったのかもしれない。
「ハディードっていうのよ。あとで紹介してあげるわね」
 緩やかに尾を振る獣に軽く手を振りながら、ドゥアトは答える。
 残る一人、巫医のルーナは、ちらりとハディードを見たが、興味なさそうに目をそらした。
 ふと私塾の入り口に目を移すと、扉は開いていて、その奥に、今にも倒れそうな様相で佇む人影がひとつある。
「あらあらあらぁ、ノルちゃん、そんな具合悪そうな顔して、気分悪いなら寝ていなきゃダメじゃない。アナタ一人の身体じゃないのよ」
「ドゥアトさん……」
 その人影、夫がどうなったか心配でいてもたってもいられなくなったセンノルレは、よたよたとドゥアトに近づいてくる。足取りがおぼつかないのは、夫を心配するからというだけではない。彼女の腹部は、すでにはっきりと目立つほど膨らみ、その中にはもう一人が静かに息づいているのである。
「……大丈夫よ。本調子になるまでは少しかかると思うけど、元気そうだったから」
 そうドゥアトが告げると、センノルレは安堵のあまり、膝を落とした。カースメーカーに寄りかかるような形になってしまう。ドゥアトはそれを、嫌な顔どころか嫌な思いすら浮かべずに抱き止めた。
 しばらく涙なき安堵の嗚咽を揚げ、気が落ち着くと、アルケミストは、見知らぬ者達に気が付いたようであった。
「……この方達は?」
「ああ、『ウルスラグナ』入会希望者。エル君の了承済みよ。ついでに言うと、エル君達の恩人でもあるわね」
 元『花月』の二人が、いかにして『ウルスラグナ』探索班と出くわし、助けることになったのか、伝聞の形だがドゥアトが説明すると、当然ながらセンノルレは頭を深々と下げて礼を述べる。恐縮するヴェネスはともかく、薬泉院では傲慢だったルーナも、曖昧な笑みを浮かべつつ、礼をやり過ごすだけだった。ちなみに、この日の夜、薬泉院から戻ってきたエルナクハが、その様を聞いた後に突っ込んだとき、ルーナは、
「あそこまで深々とお礼言われると、逆に調子狂うのよね」
と肩をすくめたものである。
 さておき、私塾内に入ると、玄関先でのやりとりに気が付いていたのだろう、オルセルタやマルメリが駆け寄ってきて、センノルレを引き取った。その際に見知らぬ二人についての説明も交わされる。
 そんなところに背後からナジクが顔を出した。彼も出かけていたらしいが、樹海にでも行ってきたかのような武装をしている。
「かあさん、街中で『エスバット』を見かけなかったか?」
 見つけたら殺す、と言わんばかりの殺気満々である。ドゥアトは眉根をひそめ、ため息と共に言葉を返した。
「もうやめなさい、そういうことは」
 気持ちは判らなくもない。なにしろ街中では「『ウルスラグナ』探索班が『エスバット』に殺された」などという噂が飛び交っている。まだ死んでいないことは判っていたし、現に持ち直したのだが、だからといって噂を何度も耳に入れられて、落ち着けというのは難しい。第一、『エスバット』が『ウルスラグナ』を害したのは事実なのだ。
「それに、『エスバット』なんて見かけなかったわよ。まあ、まずは落ち着くのね」
 ナジクの暴走を止める嘘ではない。薬泉院ではちょうど入れ違いになってしまったため、彼女自身、『エスバット』が『ウルスラグナ』探索班を訪ねてきたことを知らないのである。
 レンジャーの青年は、不承不承の様子で、それでもドゥアトの忠告には従うことにしたようだった。軽鎧の留め金を外しながら階段の方へ歩いていく。見知らぬ二人には興味もないようだ――ったが、ふと振り返った。その表情には驚愕が浮かんでいる。
「……ガンナー……!?」
 ヴェネスの銃は見えない。超長距離射撃に使う銃身を携えてはいるのだが、十重二十重に布でくるんであるからである。もちろん、見る者によっては中身の推測も付けられるだろうが。といっても、ナジクがヴェネスの正体を推測した理由は、ハイ・ラガードに集う多くのガンナーが身につけている、その被服によるものだったようだ。
 ナジクがガンナーに含むものがある――個々人に怨みがあるわけではないにしろ――ということはドゥアトも小耳に挟んでいたが、それは明後日の方向に置いておいて、新入りの紹介を行う。
 エルナクハ了承済み、ということを聞いて、ナジクも感情の落としどころを付けたようである。
「そうか……」
とつぶやいて、他には何も言わず、こつこつと階段を上っていった。
「……ボク、歓迎されてないんでしょうか」
 レンジャーの後ろ姿を見送りながら、ヴェネスが心細げな声を上げる。『ウルスラグナ』個々人を知らない彼としては、そう考えてしまうのも仕方あるまい。実情としては、ナジクは『他の者達がよければどうでもいい』のである。(そうなった理由は詳しく知らないとはいえ)そんなナジクの性格を熟知しているドゥアトとしては、苦笑するほかになかった。
「『エスバット』の件もあったからねぇ、ちょっと警戒してるだけなのよ」
 実情とは違う答を、ドゥアトは口にする。どのような経緯であれ、仲間になった者を無下に扱い続けるナジクではあるまい。それも、かのレンジャーの一面である。
 これで、新たな仲間を紹介していないのは、相変わらず他ギルドの採集作業に駆り出されているゼグタントを除けば、フィプトだけとなった。
 しかし本人は見あたらない。どこに行ったのだろう、と困り果てていると、センノルレを部屋に送り届けてきた女性二人が戻ってきた。フィプトのことを問われて曰く、
「ああ、フィプトさんなら、ほら、例の鉱石の研究を任せてる錬金術師さんのところに行ったわよぉ」
 何か思うところがあったのだろうか、とドゥアトは訝しく思った。うまく制御すれば樹海での戦力になりそうな触媒の研究を、知人の錬金術師に頼んでいる、という話は聞いている。だが、今のところ報告は彼ら任せで、フィプトが出向くことはないはずだったのに。
「本人に聞かないとわからないわねぇ」
 そんな一言で、フィプトの件はひとまず棚上げとなった。
 続いて話題に上ったのは、新入り二人が使う部屋のことである。
 残念ながら、『好きなところを使え』というわけにはいかなかった。
 私塾――元・ラガード市街拡張工事員宿舎の地上部分は、三階建てである。一階は私塾としての機能と食堂が置かれており、冒険者達それぞれの個室は二階になる。三階は二階と同じ間取りだが、現在は大半を倉庫として貸し出している。
 『ウルスラグナ』がハイ・ラガードを訪れたとき、ほぼ空き部屋だった二階の各部屋を、冒険者達は各自好きなように占拠した。残る空き部屋のうち一室を応接室と定め、別の一室は倉庫となった。後にゼグタントやドゥアトがやってきて、その時の空き部屋のうち適当な場所を自分の部屋とした。結果、現在残る空き部屋は、応接室から見て正面と、その右隣の部屋だけとなった。ルーナとヴェネスには、せいぜい、どちらの部屋を使うか程度の選択肢しかないのだ。
 しかも、その選択肢すら、ドゥアトが奪ってしまった。
「じゃ、ルーナちゃんが応接室前の部屋ね」
 ドゥアトの意地悪ではない。並ぶふたつの空き部屋の(応接室から見て)右隣はフィプトの、左隣はドゥアトの部屋である。ドゥアトの決定と逆になるとすれば、ルーナは男性に挟まれ、ヴェネスは女性に挟まれることになる。だから何か問題になる、というわけではないが、加わったばかりの二人である、部屋のどちらか片方だけでも同性なら、少しは安心できるのではないか、と思ったためだった。
 当の新人達としては、その部屋割りに不満はないようである。案内された部屋に荷物を置いて一息吐く。
 空き部屋だった室内には何もない。『ウルスラグナ』がハイ・ラガードにやってきた時は、あらかじめフィプトに連絡をしていたので、私塾の管理人である彼が人数分の家具を用意してくれていた。借用レンタル品だが、貸し手に三階の一部を貸し出すことで、差し引きゼロとしている。三階が倉庫となっているのはそのためだ。ゼグタントやドゥアトがやってきたときも、三階の貸し出し領域を広げることで、家具を借りてきた。今回もそうなるだろう。フィプトには頭が上がらないところである。
 なお、椅子は私塾備品の余裕があるので、ひとまず数脚ずつを新人の部屋に運び込む。
 薬泉院で夜通し探索班の手当をしていた――のは、基本的にルーナだけなのだが、ヴェネスも眠れなかったらしい――彼らのために、せめてベッドが調達できればよかったのだが、フィプトが戻ってこないと何とも言えない。仕方がないので、ルーナにはオルセルタの部屋を、ヴェネスにはナジクの部屋を、一時睡眠用に貸し与えた。
 新人達の正式な紹介は、傷ついた探索班が退院して戻ってくるであろう、夜に行われることになる。それまで、『ウルスラグナ』一同は、睡眠を取るはずの新人達を放っておくことにした。
 ――ドゥアトがルーナの下を訪ねたことを除けば。

「……話があるの、ルーナちゃん」
 そう切り出されたルーナは、意外そうな様子も見せずにドゥアトと対峙した。
「……私は、どう立ち回ればいいのかしら?」
 不適にも見える笑みを、うっすらと浮かべて。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-51

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