←テキストページに戻る
ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・50

「彼女を倒すな、とは言わぬ」
 むしろ無表情を心がけたかのような固い顔立ちで、ライシュッツは言葉を繰り返す。
 予期せぬ発言に呆然としたままの『ウルスラグナ』に向かい、さらなる続きを口にした。
「ただ……頼みたいことがある。今の『彼女』は、天の支配者の所行で、人ならざる身となっている。その苦境から、『彼女』を救うため……我らにはできなかった、天空の城の発見と――そして、城に座する天の支配者の討伐を、だ」
 先だってのものに輪を掛けた衝撃が、『ウルスラグナ』一同を襲う。
 『エスバット』の言い分が確かなら――謀っているとは思えないが――天の支配者は実在する。少なくとも、かつて『エスバット』にいたドクトルマグスを、生死はともかくとして連れ去り、その仲間だった者達が絶望する程におぞましい存在へと作り替えた、正体不明の何者かが。
 それを、倒せというのか。無論、自分達が天の城へ辿り着いたとき、それが敵意を向けてくるなら、否応もなく戦うことになるだろうが。
「オマエらは、どうするんだよ」
 支配者打倒の是非はさておき、エルナクハは別の疑問をライシュッツにぶつけた。彼の言葉をよく咀嚼すれば、『エスバット』は先に進まない、と言っていることが明らかだ。まさか、自分達よりは壮健に見えるその身体は、先の戦いによって深く傷ついているのだろうか。襲いかかってきたのが『エスバット』の方だったからとはいえ、少しばかりの罪悪感を感じる。
 ライシュッツは静かに首を振った。『ウルスラグナ』からすれば、自分達が考えていた彼らの肉体状況に対する否定にも感じられたが、実際にはそうではなかった。
「ヌシらは知らないようだな。今、この国で我らがどう呼ばれているか。……ヌシらと我らの戦い、見届けていた者がおったらしい」
 その後は明確に語られなかったが、大まかな事情を『ウルスラグナ』は推測した。
 自分達の戦いを見ていた者が、どこからどこまでを見ていて、どう判断したのか、現時点では断定できない。だが、深く傷ついた『ウルスラグナ』のことを知ったとしたら、こう判断したのではなかろうか――『エスバット』は、自分達が樹海を制覇するために、邪魔になる冒険者を殺そうとしたのだ、と。開いた口には戸は立たぬ。まして今後の探索の『背後の安全性』にも直結することだ。たった一晩でも噂は飛ぶように広がって、衛士を通じてギルド長や大臣の耳にも届いたに違いない。特にギルド長は、兼ねてから『エスバット』に不審を抱いていた。その懸念が正しかったと思うだろう。そして、『エスバット』が、理由はともかく、『邪魔な冒険者を殺そうとした』という事実は、まったくもって正しく、反論の余地はないのだ。
 探索をするという条件付で、罪人すら受け入れるハイ・ラガードだが、『国民』を害した者を放置するはずもない。
 先のメディック達の騒ぎも、そんな事情によるところがあったのかもしれない。
「アンタら……」
「ヌシらの案ずるところではあるまい」
 そうかもしれない。そもそも『エスバット』の自業自得の面が強い。おまけに被害者は自分達だ。だがそれでも、少なくともエルナクハは、『エスバット』の末路を、もやもやとした行き場のない思いと共に想起するしかなかったのだった。
「我らのことより――」
 ライシュッツは、再び首を横に振り、話を締めた。
「先の頼み、しかと伝えたぞ。ヤツの犠牲になったであろう、多くの者達のためにも……」
 銃士は頭を下げる。そして、一言も言葉を発しなかったアーテリンデの肩に手を置き、
「待ちなさい!」
 張りつめた固い声が、病室を辞しようとした『エスバット』を引き止めた。
 ライシュッツとしては、この期に及んで『ウルスラグナ』から自分達に用があるとは予想していなかったのだろう、半ば不審を表して振り返る。
 声を上げたのは、茶髪のカースメーカー――パラスであった。
「ガンナー! アンタには訊きたいことがあるの!」
 ……そうだった、と、『ウルスラグナ』一同は思い出す。
 パラスのはとこを死に至らしめたという、謎のガンナー。死した者の縁者であるカースメーカー達は、そのガンナーの行方を知る手懸かりを得ようと、ライシュッツと対峙する時を望んでいたのだった。本来なら戦闘後に聞き出すつもりだったのだが、自分達がそれどころではなかった。そして今、ライシュッツを目の前にして、パラスが機会を逃すはずもなかった。
 呪術を使う少女は、その目を魔眼と為して『エスバット』を呪い殺さんばかりに睨み付けた。
「ガンナーの世界で名の知れた、『バルタンデル』という名のガンナー……私はソイツを探してる。どこにいるのか知ってるなら、教えなさい!」
 返答はない。拒絶というよりは、アーテリンデは何も知らず、ライシュッツは名を記憶の中で反芻しているように見えた。そのあたりはパラスとしても理解していたのだろうが、勢いづいた彼女は、『相手が黙秘している』という前提で用意していた言葉を放ったのであった。
「黙っているなら……この呪鈴の力をもってしてでも、聞き出す! ……あ」
 最後の、間が抜けた声は、呪鈴が手元にないことを思い出したためのものである。
 気まずい空気が、ほんのわずかな間、病室を満たす。
 その空気をそっとぬぐい去るかのような静かな声で、ライシュッツが返事をした。
「答えるに、やぶさかではない。だが、知らぬのだ」
「……知らない、の?」
「数度、会ったことはある。ヌシらに撃ち込んだ例の弾丸も、その際に『バルタンデル』から譲り受けたものだ。だが、会うたびに違う姿をしていた。『バルタンデル』を騙る別人か、と思ってしまうほどに、破綻のない変装であった」
 カースメーカー達の追うガンナーは、その名の由来である、変身を得意とする太古の神の末裔と同様に、変装に長けているという。ここで、ライシュッツが会ったときの相手の姿を聞き出したとしても、捜索の役に立つ可能性は、かなり低いだろう。
「少なくとも、我が出会った姿の者には、二度と会うことはなかった。ヌシが何故、ヤツを探しているかは知らぬが、ヤツが姿をくらますつもりでいるなら、今まで纏った変装を再び使うような愚は冒さぬだろう」
「そうなんだ……」
「役に立てず、すまないな。では、我らは行くぞ」
 ライシュッツは話を締め、アーテリンデを優しく誘導する足取りで、病室を出て行った。
 その様に、『ウルスラグナ』は誰一人として、別れの挨拶をしない。
 『エスバット』に含むところがあるからではない。
 まずは、知人の仇である『バルタンデル』の足取りを掴めなかった、という無念ゆえだった。
 話は振り出しに戻ってしまった。少なくとも現状での『ウルスラグナ』の知識で、かのガンナーを探し当てることは不可能に近いだろう。つまり、復讐を望むにしても、数十発殴るに留めるにしても、その鬱憤を向ける相手には手が届かない。いくら『仕方がない』と思っても、心にはじくじくと淀みが溜まるだろう。その感情とどうやって折り合いを付けるかは、今後の課題となる。
 だが、その無念をひとまず脇に置いた後も、『エスバット』の言う、多くの者達が天の支配者の犠牲になった、という話が、『ウルスラグナ』の心を激しく揺さぶっていた。
 それは、元『エスバット』のドクトルマグスのような末路を辿った者が、他にもいることを示しているのではないか。
 真っ先に思い浮かんだのは、炎の魔人のことだった。第二階層の最奥に座し、自分達含む数多の冒険者を苦しめた、恐るべき魔物。だが、それが、人間に似ているだけではなく――もともとが人間なのだとしたら。
 魔人だけではなく、他にも人間に似たところがあるような魔物、例えばアクタイオンや森林の覇者などが、人間が『変えられた』ものだとしたら。
 真実だとしても、自分達は樹海を探索するために、彼らを打倒し、踏み越えなくてはならない。自分達が降りたとしても、他の誰かがそうするだろう。
 そこで脳裏に浮かんだのは、ある存在のことだった。人の上半身と、鳥の下半身、そして翼を持つ、『世界樹の使い』。彼らも『犠牲者』なのだろうか。しかし、彼らは一線を画した存在だ。魔人や魔物とは違い、確固とした自意識と交流手段、おそらくは文化も持っている。
 結局は、さらに探索を進め、天空の城に到達しなければ、何も判らないだろう。至る途中で『世界樹の使い』と再び会うことがあれば、話を聞けるかもしれない。
 これ以上は考えてもまとまらない。それは、単に情報が足らないためではあるのだが、もうひとつ理由がある。
 ちょうど折良く、二番目の理由を解決するもの――食事を携えたメディックが、病室を訪れた。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-50

NEXT→

←テキストページに戻る