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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・49

 一体、何をしに来たのか。
 十五階で打倒した意趣返し、と考えなくもなかったが、言葉尻を捉えるに、その可能性は低いようだ。聞く限り、自分達に会いに来たのは間違いなさそうに思える。
 だが、今更何の用なのだろう。
 いくら考えても判らないので、結局、『ウルスラグナ』の誰もが思考を放棄した。実際に聞いてみるのが手っ取り早い。
 メディック達とライシュッツの口論は未だに終わらない。メディック達は通さぬの一点張り、ライシュッツも引き下がる気はないらしい。放っておいても埒があかない。
 やれやれ、と一息吐くと、エルナクハは声を張り上げた。
「通してやってくれ。ソイツはオレらに用があるんだろ?」
 途端に口論は止んだ。メディック達の戸惑う様子が、病室にまで伝わってくるようだった。
「いいから、ほら、いいからよ」
 再三にわたって促すと、気配に変化が生じた。二言三言交わされたらしい会話を最後に、メディック達は不承不承ながら引き下がり、ライシュッツが病室に近づいてくるのが判る。銃士の放つ気配は強力で、やはり意趣返しかと思えなくもなかったが、よくよく感覚を研ぎ澄ませば、敵意や殺気は混ざっていないのが感じ取れた。何かの決意だろうか。
 訝しく思う『ウルスラグナ』一同の前で、病室の扉が静かにノックされた。
「入れよ、ジイサン」
 エルナクハが声を掛けると、程なくして扉が、躊躇いがちに外に開かれた。
 ゆっくりと入室してきてきたのは、思った通り銃士の老人であった。昨晩、殺さないように注意したとはいえ、ずいぶんと痛めつけたはずだったのだが、傷や痛みで動作が鈍っている様子はほとんど見受けられない。こちらはまだ薬の影響が残っているのに、負かした相手の方が元気なのはどういうことだ、と、若干の不公平さも感じる。
 しかし、そんな他愛のない思考も、もう一人が入室してくるまでだった。
 ……ライシュッツ一人ではなかったのだ。考えずとも当然だったかもしれないが。
 新たな入室者、黒色に身を包んだ巫医アーテリンデもまた、昨日の戦いの傷はほとんど癒えているようだった。メディック達の様子から考えるに、薬泉院で世話になっていたわけではなさそうだが、どこで身体を癒したのだろう。ドクトルマグスには回復術があったはずだが、戦闘後のアーテリンデの状態では、それを使うのもままならなかったに違いない。ということは――やはり『黄昏の街』、マグスやカースメーカー達が肩を寄せ合う、ハイ・ラガードの地下浅層に身を寄せていたのだろうか。
 が、どこであれ、『エスバット』達の肉体を癒すことができても、精神こころまでは癒せなかったようだった。
 始めて顔を合わせた時には小動物めいた愛嬌を浮かべていた顔は、すっかりと憔悴していた。十五階の氷雪の中で顔を合わせたときのような鬼気は削げ落ちていたが。『ウルスラグナ』達に顔を向けることもなく、ライシュッツがいなければ立っているのさえ危うい様子に見えた。
「見舞いに来てくれたのか、殺そうとした相手をよ」
 エルナクハの言葉には若干の皮肉が混ぜ込まれていた。そのぐらいの意趣返しは許されてもいいだろうと思ったのだ。だが、アーテリンデが身をすくめ、不安げにカートルワンピースを掴むのを見て、少し後悔した。
 一方、ライシュッツは表情を変えない。今の皮肉に何かしらの反発があると思っていたのに。
 これまでは出会うたびに敵意や殺意を向けられていたので、今の静謐さには、却って身構えそうになる。
 先方からは返事もなく、『ウルスラグナ』も若干の困惑と警戒から声を上げなかったから、しばらくは沈黙だけが場を支配した。
 とはいえ、用があるからこそ『エスバット』は来たのだ。ゆっくりとした口調で話を続けたのはライシュッツであった。
「ヌシらに一つ、頼みがあって来た」
「……頼み、だと?」
 想定外の切り出しであった。もともと、『エスバット』の来訪の理由を掴めなかったのだが、あらゆる可能性をあげたとしても、最も予想外の言葉である。仲間を失ってなお、他者の力を借りず、二人だけで探索を続けた強者達、そんな彼らが、何を求めるというのか。
 ともかくも先を聞かなければ何も判らない。エルナクハは無言で先を促した。
「……ヌシらはこれしきで歩みを止める気はあるまい? 明日にでも、揚々と樹海の先を目指すであろうな」
 ライシュッツは、薬泉院のメディックが麻薬に冒された身体を完全に癒した、と思っているようだった。実際には、肉体は完調ではないし、発作の出る可能性もある。当分は、樹海の先を目指すのは、この場にいる五人以外の者達になるだろう。しかし、そんなことをつまびらかにしても、話がややこしくなるだけなので、黙っていることにする。
 ゆえに、銃士の話は邪魔するものなく続いた。
「先に進めば、ヌシらは必ず氷姫に出会うであろう――冷たく凍ったあの階層の奥に座する者にな」
 その瞬間、アーテリンデが、びくりと身体を震わせた。
 それで判ってしまった。氷姫とは、人間の女に似て異なる魔物、『氷漬けの女』――すなわち、かつて『エスバット』が失った巫医の娘であることに。
 居所は未だにわからない。が、ライシュッツが『必ず』と言ったからには、天の城を目指すには避けられぬ場所にいるのだろう。樹海の先を目指すなら、戦いは避けられない。
 ……この期に及んで、『彼女』に手を出すな、というのだろうか。
 『ウルスラグナ』は、どちらかといえば、降りかかる火の粉を払うつもりで『エスバット』と戦ったところがあるから、その先をしっかりと考えていたわけではなかった。まして、道の先に、元人間の魔物が存在することさえ、『エスバット』との戦いに至るまで知らなかったのである。
 樹海の制覇を望むなら、『彼女』を制圧しなくてはならないだろう。話の通じる相手ならよかったのだが、そうだったら『エスバット』の悲劇は起こらなかったはずだ。仮に、『ウルスラグナ』が『エスバット』の言い分を聞き入れて、探索をやめたとしても、別の冒険者が取って代わり、『彼女』と対峙するだけのこと。あるいは、衛士隊も加わるかもしれない。なにしろ、大公の病を癒すためには、諸王の聖杯が必要だ。一介のドクトルマグスと大公と、どちらが選ばれるかといったら、話は明白――。
「彼女を倒すな、とは、今更言わぬ」
「……は?」
 ライシュッツの、想像とは真逆の言葉に、『ウルスラグナ』一同は、しばしの思考の空白を味わった。
 いいのか、それで。
 誰もがそう思った。もちろん、いいはずがない。『エスバット』からすれば。ライシュッツとて、その言葉を、決して安楽に口にしたわけではなかった。苦渋の決断を思い切って口にし、その想像以上の苦さに涙をこぼしそうになっている――ライシュッツはそんな表情を浮かべていたのだった。
 ましてアーテリンデは、言葉を聞きたくないとばかりに身を縮めている。もしも『ウルスラグナ』が、「いいのか」と口にすれば、「いいわけないでしょう!」と爆発しかねないように見えた。
 ゆえに『ウルスラグナ』は、腫れ物を放置するような気持ちで、余計な言動は慎み、目線でライシュッツの真意を問う。そのころには、銃士の表情は、元に戻っていた。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-49

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