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             「お久しぶりです、ドゥアトさん」 
 ヴェネスは礼儀正しく言葉を返すと、ドゥアトをまぶしそうに見返した。カースメーカーが朝日の中にいるからではない。ガンナーの少年のまなざしには、久しく離れていた母を目の前にしたら浮かべるような、愛惜の色が浮かんでいたのだ。加えて、何に由来するのか見当も付かないが、哀惜の色もほんのひとしずく。 
 まさか実子――それも隠し子だったりするのだろうか。少年に見覚えがありそうではないパラスの様子から、他の『ウルスラグナ』一同は、そんな益体もないことまで考えてしまう。 
 だが、さすがに違うようだった。ドゥアトとヴェネスの間には、ドゥアトとパラスの間には決してない、見えざる帳がある。気が置けない親子ならざる、特にヴェネスの側からの謙抑たる態度が、二人の間に氏族関係がないことを示している。 
 とはいえ血族であろうとなかろうと関係なく、ドゥアトの側からしても、少年との思わぬ再会は、喜悦の域に属するものであるようだった。『ウルスラグナ』と初顔合わせをしたときのような喜色をあらわに、ドゥアトは諸手を広げて笑んだ。 
「あらあらぁ、ヴェネス君、久しぶりだわ。元気だった? こんなところで会うとは思わなかったわ」 
「……はい、ドゥアトさんもお元気そうで。あの……」 
 何かを言いかけたヴェネスを、ドゥアトは、自らの唇の上に人差し指を置くことで制した。 
「思い出話はまた後で、ね。今はこの子達を寝かさなくちゃ」 
「どこで知り合ったの?」 
 単なる興味なのだろう、深刻ではない口ぶりで、パラスが疑問を呈する。母は、いささか曖昧な笑みを浮かべると、実娘の背をぽんぽんと叩いた。 
「そんな話は後よ、後。アナタ達がちゃんと退院してから教えてあげるから、今はちゃんとお休みすること」 
「えー」 
 パラスは不満のうめき声を漏らしたが、不承不承ながら、言いつけられたとおり、気に入った位置のベッドに上がり込んだ。それを合図としたかのように、『ウルスラグナ』の他の者達も、ベッドを適当に選んで潜り込む。その様を眺めながら、ドゥアトは楽しげにヴェネスに話しかけた。 
「今、どこに滞在してるの? よかったら、拠点に遊びに来なさいよ。場所教えてあげるから」 
 まるで自分が拠点の主であるかのように、堂々と告げる。エルナクハをはじめとした一同は苦笑するばかりだったが、ギルドメンバーが知人を招くぐらいのこと、咎めるようなことではない。 
 そもそも、ドゥアトがまだ知らない事情もある。 
「かあちゃん、そいつら、おれ達の仲間になったんだ」 
 というティレンの言葉は、その事情を理解させるには、いささか舌足らずに過ぎたが。きょとんとする緑髪のカースメーカーに、アベイが補足情報を告げた。 
「その二人はさ、『ウルスラグナ』入会希望者なんだよ、母さん」 
「えっ、そうなの? どうしてまた?」 
 ドゥアトの態度は不審に満ちていて、新入りを疎んじる者に似ていたが、予想外の報に驚いたからそうなっただけで、他意はないだろう。 
 『ウルスラグナ』の誰かやヴェネス本人が返答するより早く、答えた者がいた。 
 今まで我関せずとばかりに花を眺めていた巫医、ルーナである。 
「私が要求したのよ。強い者の力添えをもらえれば、天空の城に達するのも簡単になるわ。生命の恩人に対して、それくらいの都合はしてもらってもいいでしょ?」 
 まったくもって傲慢な言い分である。聞いた方のドゥアトは、やれやれとばかりに肩をすくめると、何かに合点がいったのか、軽く頷いた。 
「そっか、メディックさん達が言ってた、いろいろな意味でみんなを助けてくれた人ってのは、アナタ達二人だったのね」 
「ああ、オレらがこんなに早く回復の目処が付いたのも、ソイツらのおかげらしいぜ。そこの巫医が調合した薬で、麻薬もだいぶ抜けたらしい」 
 エルナクハがそう続けたことで、ドゥアトの疑問は完全に解消されたようである。 
「なるほどね。じゃあ、私塾に帰って、早くみんなを安心させた方がいいわね」 
「そういやみんな、どうしてんだ?」 
「すごく心配してるわ。ノルちゃんなんか、とても授業できそうになさそうだったから、フィプト君がれ……連絡網、だっけ、それ回して、授業お休みにしたわ」 
 皆で薬泉院に様子を見に来たら収拾がつかなくなりそうだったので、とりあえずドゥアトだけがやってきた、ということのようだ。 
「あんまり長く心配させ続けるのも精神に悪いから、吉報は早いところお知らせ、ね」 
 有言実行、ドゥアトはのんびりと見舞いを続けるつもりはないようであった。朝日差し込む窓にカーテンを引くと、ベッドに潜り込んだ仲間達や軽く身をかわす元『花月』の二人の視線を受けながら、つかつかと病室出口の扉に歩み寄る。一旦外に出ると、頭だけを病室に突っ込んで、声を上げた。右手が人を招く形に動いている。 
「ほら、ヴェネス君、ルーナちゃん。一緒に来るのよ。みんなに紹介してあげるから。それとも、薬泉院でやらなくちゃいけないこと、まだあるの?」 
「え、いえ、ありません。はい」 
「預けた武器を返してもらわなくちゃいけないわね……」 
 ヴェネスはあたふたと、ルーナは悠然と、ドゥアトの招きに応じて病室の外に姿を消した。緑髪のカースメーカーは、その様を視線で追うと、改めて『ウルスラグナ』一同に向き直り、 
「じゃ、今日一日、ちゃんと養生するのよ。ばたばたしちゃダメよ!」 
 にこやかな笑みと、釘を打つように強い忠言を残して、今度こそ本当に病室を辞したのである。 
 ドゥアトはことさら喧しい女性ではないのだが、彼女が辞した直後の静けさは、まるで突風が去った後のそれのようだった。 
 朝を迎えて鳴く小鳥達のさえずりが聞こえるだけの中、暖かく感じられる日の光を浴びていたベッドに潜ることで、改めて気が緩み、疲れが出たのだろうか、『ウルスラグナ』一同は、誰も言葉を発することなく、混濁した意識の中にとろとろと沈んでいく。 
 そのような状況では、気が付くはずもなかった。 
 ドゥアトの発した言葉に、一ヶ所、彼女の状況認知からすれば発言されるはずがないものが混ざっていたという、その事実に。 
 
 ――はい、ちょっとすみません! 患者さんが通ります、道を空けて下さい!  
 薬泉院が俄然慌ただしくなった。今日も、無茶をしたか運が悪すぎたか、生命を失いそうになっている冒険者が出たのだろう。彼ないし彼女が生きて明日の朝日を見られるかは、神のみぞ知る話。 
 喧噪とは次元の違う場所にあるかのように、『ウルスラグナ』の部屋は静かだった。外からの声が通らないわけではない。そもそも一般病室は、患者の急変を聞き逃さないため、声が通るようにできている。しかし、そんな騒がしい声を耳にしても、深い眠りに落ちた『ウルスラグナ』一同が目を覚ますことはなく、部屋自体の時間が止まっているような雰囲気が崩れることはなかった。 
 それでも、実際の時は刻々と確実に動き続けている。安静にしている冒険者達の体内では、損なわれた肉体を元の状態に戻そうと、組織が活発に活動しているのだ。 
 体内組織の活動が一段落し、肉体の修復以外のことに生命活動を振り分ける余裕と必要ができた頃――『ウルスラグナ』達が目を覚ましたのは、そんな頃合いであった。 
 有り体に言えば、空腹に耐えかねたのである。 
 弱った肉体に突然の重い食事は禁物だが、ここは薬泉院、適切な食事を出してくれるだろう。 
 冒険者達は周囲を見回して、それぞれのベッド脇に赤い紐が下がっているのを見つけた。紐は壁の隅を這って、細い穴から外に出ているようだ。エトリア施薬院にも同じ仕組みがあったが、紐を引けばメディック達を呼び出すことができるのだ。 
 エルナクハが赤い紐に手を伸ばした、その時だった。 
 室外が妙に騒がしくなった。急患か、と思ったが、どうも様子が違う。騒ぎの大元は、どうもこの部屋を目指しているようなのである。 
「ちょっと、今は安静にしていますから、面会はご遠慮頂ければと……」 
「こちらにはそうできぬ事情がある。ヌシらの腕だ、話を聞ける程度には回復しておるだろう?」 
 意味の掴める言葉を耳にした瞬間、『ウルスラグナ』一同に緊張が走った。 
             騒ぎの中に聞こえた声は、『エスバット』のガンナー・ライシュッツの声に相違なかったからだ。 
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