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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・47

「一人や二人、新しく加えるくらいは、べつに構わねぇ。仲間達みんなも、別に反対する理由はねぇだろうさ。ただ……」
 何を聞きたいのか、と言いたげな二人に、口調強く続ける。
「オマエらの考えてることがよくわからねぇ。なんでたった二人なのか。冒険者の流入も落ち着いた、って言っても、オマエらくらいなら迎え入れてくれるギルドもあっただろ? ギルド長あたりが余計な世話焼いてくれたりはしなかったのか?」
「それは……」
 言いにくそうに切り出したのは、あわてふためいていたガンナーの少年の方だった。
「ボクがハイ・ラガードに来た本当の目的は、樹海探索じゃないからなんです」
「おい?」
 まさかそんな話になるとは思わなかった。
 ハイ・ラガードに入国する際には――ラガードに限らない話だが、それなりの手続きが存在する。本籍がはっきりしている者はまだいいが、そうでない者はさらに面倒な手続きに晒される。犯罪に関わっている可能性が高くなるからである。ちなみに、まだ冒険者として起つ気がなかったドゥアトが入国審査を行った際には、比較的簡易に済んだが、これは彼女が、本籍である『王国』の旅券を持っていた他に、エトリア執政院長オレルスの署名付きの旅券を携えていた、つまりふたつの国のはっきりとした後ろ盾を持っていたからである。
 現在のハイ・ラガードにおいては、『世界樹の迷宮の探索にやってきた』という理由がある者に限っては、例の入国試験の通過を条件として、手続きが簡略化される。例外はゼグタントのような採集専門活動をするフリーランスの冒険者の場合である。彼の場合は、その活動内容の特殊さと、やはりエトリア執政院長の署名付きの旅券の威力、そして『ウルスラグナ』の知己であることが手伝って、冒険者でありながら入国試験を免除されていた。そんな彼の実績を鑑み、後続の採集専門フリーランスの入国条件も緩和されたわけである。
 どれだけの犯罪を他国で引き起こしたのだとしても、迷宮に挑む冒険者であれば、手続きの簡略化は変わらない。ザル法のようにも見えるが、実際、元犯罪者でも、ハイ・ラガードで犯罪行為を続けるような輩は、まずいない。大概の者は、犯した罪から再起する手段を求めてラガードの地を踏む。ただ己の罪からの逃げ場にするだけというには、迷宮の危険にさらされることは、あまりにも分が悪いのだ。
 さて、このヴェネスという少年は、まずいないはずの、その手合いなのだろうか。何かしらの罪を犯し、それから逃れたくて、ハイ・ラガードを利用しようとしたのか。それゆえに、最低限の『冒険者である』という体裁さえ整えば良し、と思ったのか。
 違うな、と思い直した。少年はそのような輩には見えない。第一、そのような事情があったとしても、隠しておけばいいのだ。「ルーナと二人だけで試練を突破する自信があった」と豪語しても、エルナクハにはその真偽は確認しようがない。
「ヴェネスを誘ったのは、私よ」
 二人のやりとりをどこか面白そうに眺めていた、ドクトルマグスの少女が、助け船とばかりに口を出した。
「なんだか入国手続きに手間取ってたから、教えてあげたの。私が迷宮に挑む助けをしてくれる、って建前なら、もっと簡単に入国できるわよ、って」
 それなら、判らなくもない。では、ルーナの方は、他に仲間を得ようとは思わなかったのか。
「私は一人で樹海なんか踏破できると思ってたわ。だから探索用の仲間なんかいらないって思ってた。ヴェネスを迷宮の下見に誘ったのは……まあ、建前上、樹海探索者として入国したんだから、樹海について少しは知っておいた方がいいかしら、って。でも……」
 そこまで口にすると、ドクトルマグスの少女は、やれやれ、と言いたげに肩をすくめた。
「エトリアの迷宮を踏破したあなた達が苦戦してるなら、考え直した方がよさそう、って思ったのよ。寄らば大樹の陰、ってね」
「……なるほど」
 事情は把握した。何をどうしたら樹海探索を一人で成し遂げられるという大言壮語を吐けるのかとは思ったが、考え直したようで何よりだ。こうして知己を得た仲、しかも生命の恩人、妙な過信と共に自滅するのは見たくもない。エルナクハは一息吐くと、二人の『花月』に頷いてみせた。
「変な奴らじゃないのはわかった。確かに、助けられた恩もある。いいぜ、オマエらを『ウルスラグナ』に加えてやる。ただ、『花月』の名は捨てることになるがよ?」
「成り行きで名乗っただけだから、別に惜しい名前でもないわ」
 あっさりとルーナが言ったので、エルナクハは多少の肩すかしを感じた。まあ、一度も樹海に踏み込んでいない以上、愛着が沸いたギルド名というわけでもないのだろうが。以前、『ベオウルフ』の二人を仲間に加える云々という話をしていた時の、「ギルド名を失うのは惜しい」とフロースガルが語っていたことを思い出し、目の前の少女との差に苦笑した。
 ところで、彼らがハイ・ラガードに来た目的は何なのだろう。
 ルーナは一人ででも樹海踏破を為すつもりだったようだし、ヴェネスの目的は探索ですらないようだ。
 だが、エルナクハはそれについては後でいいかと考えてしまい、結局、後の『ある時』まで聞きそびれた。それを聞かなくても樹海探索自体には何の弊害も出なかったのだが、それでも、『その時』になって、最初から聞いておけばよかったか、と後悔したものだった。

 人間としての尊厳は取り留めたものの、『ウルスラグナ』探索班の身体は完治したというわけではなかった。しばらくは発作に見舞われる可能性もあるため、ルーナが作った薬を飲み続けなくてはならないし、ちょっと身体を動かしただけでぴりぴり痛む今は、ほんのわずかな不調が死に直結するような探索は控えた方が無難であろう。かといって、探索自体を控えていたら身体が鈍る。当分は、第二階層や、第三階層下層で、身体能力を維持する程度の鍛錬に留めておいた方がよさそうだ。
 各々が収容されていた集中治療室から出て、互いに顔を合わせた『ウルスラグナ』探索班一同は、そう結論づけたのであった。
 この時に、ルーナとヴェネスを『ウルスラグナ』に加える旨が、ギルドマスターから通達されたが、反対する者はいなかった。強いて言うなら、アベイがかすかに不安げな表情を浮かべたものである。エルナクハはふと、いつだったかの探索中にガンナーの話題が出たときのことを思い出した。確か前時代のどこかでは、無理矢理さらってきた子供達を大人の代わりに戦わせる、という、神の怒りをも恐れぬ制度があったとか何とか。アベイの不安はそのあたりに基づくものだと思われる。だがエルナクハの見立てが正しければ、ヴェネスは自らの考えをもってガンナーとして起っているようだった。古き時代の忌まわしくも哀れな者どもとは違うだろう。
 さて、集中治療室を出た探索班一同だったが、即退院できるわけではない。念のため、あと一日は薬泉院で療養する必要があった。これから一般病室――五台のベッドがある団体用病室――に移り、安静にしなくてはならない。記憶にないとはいえ、夜通し暴れたためか、疲れが取れていないのは、各自自覚しているところである。ここはおとなしく医者の判断に従うべきだろう。
 一般病室の扉を開けたところで、中にいた人物と目線が合った。思わず声が漏れる。
「おっ」
 ドゥアトである。呪術師であるはずの女は、病室の窓から柔らかく差し込む朝日に包まれて、ともすれば背中に白い羽根が生えているような幻視すら感じさせた。他者に恐怖されなくてはならないカースメーカーとしてどうなのか、と、いつものように思わなくもなかったが、この時ばかりは、彼女の佇まいに安堵を誘われたことも確かだった。
「あらあらあら、みんな、無事なようで何よりね」
「お母さん!」
 完全に『ウルスラグナ』一同すべての母のように笑う女に、実の娘が抱きつく。
「ごめんなさい、お母さん。私、あいつに聞けなかった。『バルタンデル』ってヤツのこと、聞けなかった……」
「いいのよ」
 娘の背をそっと撫でながら、母は優しくささやいた。そうしながら、他一同に目を移したドゥアトだったが、仲間達の後から入室してきた二人を見て瞠目する。その口が、名前を紡ぎ出した。
「ヴェネスちゃん……!?」
 知り合いだったのか。『ウルスラグナ』一同が驚くと共に振り返ると、呼びかけられたガンナーの少年の表情も、驚きに満ちていた。一方、彼の後にいたルーナは、ちらりとドゥアトを見はしたが、自分には関わりのない話と判断してか、そっと離れて調度品を観察し始めた――とはいえ病室だから、せいぜい花が飾ってある程度でしかないのだが。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-47

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