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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・46

 生命の恩人。その言葉の意味するところを、すぐには掴めなかった。
 しかし、記憶の奥底から、じわじわと何かが染み出してくる。それが言葉と触れ合い、融合を果たしたところで、やっと得心がいった。同時に、目にした気がした、死んだはずの聖騎士の正体も。
「……そうか、オマエらが、オレらのことを薬泉院に知らせてくれたのか」
 聖騎士だと思ったのは、彼に似た雰囲気がある、ドクトルマグスの少女だったのだろう。自分の意識も錯乱しかけていて、見間違えたのだ。
「それだけじゃ――」
「それだけじゃないわ」
 ツキモリ医師が口を開くところを、当のドクトルマグスの少女が言葉で遮る。
「あんな麻薬に冒された身体、たった一晩でそこまで健常にできたのは、誰のおかげだと思ってるの? 私が用意した薬草がなかったら、あなた達は今も、苦痛によだれを垂らしながら散々暴れてたはずよ。くすくすくす……――いえ、アベイやパラスなら耐えきれなかったでしょうね。そんなことにならなくてよかったわ」
 ――前言撤回。彼女は聖騎士に似てはいるが、その中身は似ても似つかない傲然たるもの、嗜虐思考すら覗いた気がする。ただ、言葉の後半に、ただ傲然たるだけではない、彼女の内心が、垣間見えたような気がした。
 一方、ツキモリの隣にたたずんでいた少年は、慌ててルーナの隣に並ぶと、少女をたしなめる。
「ルーナさん、何もそんな言い方しなくても……」
 二人がどこのギルド所属かは知らないが、どうやらルーナが尊大に振る舞い、少年がたしなめる、というのが、この二人の間の役割のようだった。
 そんなことを考えていると、少年がくるりとエルナクハに向き直る。精神的に身構えかけるが、何のことはない、ただの自己紹介だった。
「あ、申し遅れました。ボクはヴェネス、ヴェネス・レイヤーと申します。以後、お見知りおきを」
 ぺこり、と頭を下げるその様が、彼の印象を、第一印象よりもさらに年下へ押し下げる。
「あ、ああ、世話になったな、サンキュー」
「いえ、初めて樹海に入ろうとしたら、皆さんが苦しんでいましたので。当たり前のことをしたまでです」
「……初めて? てぇと、オマエら、新人ルーキーか?」
 それはなんというか、第一歩目で躓かせてしまったような気がする。エルナクハは気まずい気分になって、ぽりぽりと頭を掻いた。そんな内心はさておいて、質問に答えたのはルーナの方である。
「ええ、『花月フロレアル』っていうの。よろしく、先輩」
「お、おう」
 『花月フロレアル』とは珍しい単語を聞いた。
 知る限り全世界に広まる現行暦とは別に、世界随所に太古から伝わっているとおぼしき、廃れた旧暦がいくつかあるが、そのひとつ、確か『共和国』の一地方のものに、そんな名前の月を有した旧暦があったはずだ。三十日からなる月を十二と、鬼乎ノ一日のような余日を五日、束ねて一年としたその暦を称して、「我らが先祖のことながら、余日を五日も出すなど合理的ではないものだ」とぼやいたのは、その地方出身の、『百華騎士団』でのエルナクハの同僚であった。この娘も同じ地方の出なのだろうか? それはそれとして、『花』というのは、どことなく彼女にふさわしい気がした。
 そんなことに思いをはせた後、エルナクハは、舌端を制されて所在なげにしていたツキモリに目を移す。
「しっかし、よくココまで治せたもんだ。麻薬の治療ってのは、ほら、タバコ中毒に無理矢理禁煙させるのとおんなじなワケだからよ、時間がかかる上にめちゃくちゃ辛ぇもんだと思ってたぞ」
 ツキモリは寂しげに笑った。
「実を言うと、僕には手の施しようがありませんでしたよ。集中治療室このなかにいて頂いて、あなたたち自身の身体が麻薬の誘惑に打ち勝つまで、ずっとお世話をすることになるかと覚悟していました。でも……」
 羨望に似たまなざしが、ルーナに向く。
 ヤマブキの花の色の髪をした巫医の少女は、えっへん、とでも言うかのように胸を張り、講師の様相で後を引き継いだ。
「頭がっちがちのメディックじゃどうしようもないことでも、私達ドクトルマグスにかかればどうにかなる、ってことはあるわよ」
 メディック達の努力は凄まじい。並々ならぬ情熱で薬を研究し、病を引き起こす『細菌』という微生物を突き止め、いくつもの死病を克服してきた。だが、そんな彼らですら匙を投げるしかない病変を、ドクトルマグスは、時にたやすく癒す。それも、薬草を使うまではともかく、それらを一晩満月の光に当てるだの、薬効があるわけでもない鉱石粉と共に処方するだの、メディックから見れば信じがたい手法でだ。霊気オーラを癒すことで肉体を癒す、というマグスからすれば、理にかなっているのかもしれないが。
「まぁ、でも」
 と、ルーナは、己が最も偉いと言いたげだった表情をゆるめた。
「ヴェネスに感謝しなさい、エルナクハ。この子が、焔華が持っていた弾倉を見て、麻薬の正体を特定しなけりゃ、私が薬を調合するのにも時間がかかったでしょうね」
「……弾、倉?」
 ……そうだった、『エスバット』を下した直後、ライシュッツが寄越してきたものだ。
「あの弾倉の元々の持ち主は」
 後を引き継ぐようにヴェネスが口を開いた。「直接ではないかもしれないけど、ボクが所属しているガンナーギルドと、何かしらの関係があったのかもしれません」
「……ガンナー? ……オマエ、銃士なのか」
 己の正体を明らかにした少年は、その質問には無言でうなずくと、弾丸に関する説明を続けた。
 もともとは少年が所属するガンナーギルドで、敵を攪乱するために使われたものだという。もともと大抵のガンナーギルドに伝えられている、弾丸に薬剤を仕込んで味方に撃ち込み、その状態異常を癒す技――それを応用した技。特に敵が多数で、通常手段ではどうしても対抗できない時の切り札。
 エルナクハは苦々しさを感じ、だが、それを隠し通した。
 少年の語ったことは口数少なかったが、彼の所属するガンナーギルドが、何を狙ってそのような『切り札』を使うのか、わかる気がしたからだ。それはすなわち内部崩壊。麻薬の味を知ってしまった身体は、この世ならざる快楽を再び味わうために、本能を手なずけ理性に苦悶を授ける。そうしてできあがるのは、麻薬のためなら何にでも手を染める輩だ。たとえば、護り固い城塞のなかに、そのような人間が生まれてしまったら、そして、その者の下に、矢文などで、こんな一文が届いたら――貴君の大将の首を取ったなら、貴君の苦しみを和らげる品を進呈しよう。
 敵の内部の裏切りを誘うのは、戦の常套手段ではある。だが、それは手段選ばずしていいものではなかろう。とはいっても、そのようなことを目の前の少年に詰問する意味はないし、彼の所属ギルドに文句を付けたところで聞く耳持たれることもあるまい。
 とにかくも、少年は麻薬の正体を知っており、おかげでルーナが調薬を行う時間も大いに短縮されたということらしい。
「……はは、なるほどな。確かにオマエらは、オレらの生命の恩人だ。礼を言う」
 エルナクハは素直に頭を下げた。体内がぴしぴしと痛みを発するが、このくらいは甘受もしよう。『花月』の二人がいなければ、自分達は『人間』にすら戻れなかったのかもしれないのだ。
 ルーナと名乗った巫医は、エルナクハが頭を下げる様を満足げに見届けると、しかし、それでも足りぬと言いたげに口を開く。
「感謝してるのなら、見返りが欲しいわね」
「ルーナさんっ!?」
 咎める口調で横やりを入れるヴェネスが、ルーナが弾いた指に眉間を攻撃されて呻く。そんな状況を目の当たりにしつつ、エルナクハは苦笑しつつも問い返した。
「カネか?」
「悪くはないわね。でも、それより欲しいものがあるわ。物体モノ()じゃないけど」
「ほう?」
「私達二人を、『ウルスラグナ』に加えてくれないかしら?」
 エルナクハは瞠目した。まさかそんな条件を呈示されるとは思わなかったのだ。
 諾か否かというならば、自分としてはまったく問題ない。ドクトルマグスもガンナーも、今の『ウルスラグナ』にはいない。縁があったら仲間に加えたいと思っていたが、残念ながらその縁にはとんと恵まれなかった。だから最近は特別に探したりもしていなかったのだが、向こうからやってくるなら拒否する理由もなかった。仲間達も、別にかまわないと言うだろう。
 しかし、『花月』はそれでいいのだろうか。ギルド員の進退は彼女達だけで決めていい問題ではないはずだ。現にヴェネスの方は、『一体何を言い出すんですか』と言いたげに、あたふたとしている。
 そんな内心を先読みしたかのように、すました顔でルーナは続けた。
「気にしなくていいわ、どうせ『花月』は私達二人だけだもの」
 そう聞かされてさらに仰天した。
 初めて樹海に挑むギルドには、『自分達の力だけで一階の地図を完成させる』という試験が課せられたはず。様々なギルドから話を聞くに、地図が完成されていなければ決して街に返してもらえなかったという。どうしてもというなら冒険者としての登録を放棄することが条件だということで、数組のギルドが何とか生命を拾ったものの、強情を張ったいくつかのギルドは二度と帰らなかったらしい。入国試験としても、あまりにも厳しすぎるのではないか、と思ったものだが、ハイ・ラガードの市民権が欲しいだけの不届き者を振り落とすには、他にがないのかもしれなかった。
 『花月』の二人、ドクトルマグスとガンナーは、たった二人だけで樹海に挑もうと考えていたのか。不可能ではないかもしれない。だが、あまりに無謀ではないだろうか。
 仮にも自分達の恩人、事情を聞かされては、どうにかしなくては、という気分になる。
 しかし……。
「ギルドマスターとして言わせてもらうんなら」
 わざとしかめっ面を作って、エルナクハは疑問を呈した。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-46

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