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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・44

「……待て」
「……ぬしさんらのことなど知りませんわ」
 ライシュッツの言葉に、焔華はつれなく応える。
「ほんとはそのまま勝手に朽ちてもろうたほうが、後腐れなくていいのんけど、二度とわちらに刃を向けなきゃ、御の字ですわ」
「そういう話ではない」
 自分の予想とは違う返答を得て、思わず焔華は足を止めた。
 ライシュッツは口角をかすかにゆがめ、ゆっくりと手を腰のポーチに掛けた。黒い銃も黄金の銃も彼の手元を離れているにもかかわらず、まだ隠し弾があるのか。警戒し、カタナを持つ手に緊張を奔らせる焔華だったが、幸い、ライシュッツがポーチから取り出したものは、『ウルスラグナ』を傷つけることはできないものだった。弾丸ではあったのだが、弾倉入りのそれが、現状で殺傷力を持つとは思えない。
 ライシュッツは弾倉を焔華の方に差し出すと、招くようにかすかに動かした。
「これを持ってゆけ」
「……ティレンどの、他の皆を頼みますえ」
 ソードマンの背を仲間の方に押すと、焔華は一人、ライシュッツの下へ引き返した。
 さく、さく、さく、と雪原を踏むうちに、ふと気が付いた。耐え難い快楽は、その残滓であるかすかな身の疼きを残し、いつの間にか消えている。内心で安堵の息を吐いた。人前、しかも戦闘中だから必死に抗ったが、もしも私塾へ戻ってからも続いていたら、どうなっていたことか。
 代わりに、体内に残る弾丸が、ずきずきとした痛みを誘発している。痛み自体には耐えられるが、街に戻ったら薬泉院で摘出してもらわなくてはなるまい。
 それにしても、ライシュッツはどうして弾丸などを寄越す気になったのか。
 いぶかしく思いながらも銃士の傍にたどり着き、弾倉に手を伸ばした焔華は、ライシュッツの言葉を聞いた。
「『ウルスラグナ』よ、我らの負けだ。ヌシらを止めることはできぬ。自由に……進むがいい」
「言われませんでも」
「だがその前に!」
 銃士の言葉が、強制力を孕む。
「今すぐ街に戻り、その弾丸を持って薬泉院に赴け。進むのはそれからの話だ」
「ぬしさんに命令などされたくありませんえ」
 焔華は反発の意を露わにした。傷の治療をすることは、今し方自分自身でも考えていたことである。にも関わらず、ライシュッツに行動を規定されると、心の裡にもやもやしたものが溜まる。これまで何度も居丈高に接せられたことが、反発の原因になっているのかもしれない。アーテリンデに言われたのなら、まだ聞き入れられただろうか。
「とりあえずは聞け」
 焔華の内心を読んでいるのか、ライシュッツは、それでもなお有無を言わせずに語る。
「我がヌシらに撃ち込んだのは、その弾……その効果は、今は収まっているやもしれぬが――それでは終わらぬ……」
 続く言葉はなかった。痛みに耐えかねたのだろう、ライシュッツは意識を手放していた。
 焔華は思わず左手を左肩口に伸ばす。彼女はその位置に弾丸を受けていたのだ。鎧の隙間を貫いた弾丸は彼女の美しい着物を朱に染め、かすかな痛みと疼きを残していた。この程度の違和感は冒険者として日常のこと、早めに治療するに越したことはなかろうが、今すぐにというほどではない。ライシュッツへの反発から来る感情が、焔華に我慢を選ばせていた。
 だが、ブシドーの娘は愚かではない。その心の奥底には冷静な判断力を残していた。それがライシュッツの言葉を反芻し、感情で動いている場合ではないと告げる。
 あのような強力な効果を持つ楽なら、時をおかずに反動が来る。
 簡単に言えば、今ここにいる『ウルスラグナ』は全員、強制的に中毒患者にされてしまった。
 苛立ちはある。よくもこんな穢れた手段を攻撃に使ったものだと。しかし、本来、生きるの死ぬのという戦いに、手段を選ぶ余力はない。ブシドーやパラディンの信念はむしろ綺麗事に過ぎないのだ。それによく思い返せば、ライシュッツはアーテリンデが倒れるぎりぎりまで、この魔弾の使用を躊躇っていた。使え使えとわめいていたのは、むしろアーテリンデの方だった。
「……治療などしませんえ。持ち直す前に魔物に食われても、自業自得ですし」
 魔弾の銃士を一瞥すると、焔華は踵を返し、仲間達の方へと歩を進める。
 治療が終わったのか、既にエルナクハは半身を起こしている。若干ぼうっとしているように見えたが、焔華が近づいてくるのを見定めると、軽く手を挙げて応えた。傍にいたパラスやティレンも遅れて反応する。
「無様なところ見せたみてぇだな」
 護り手としての自負を打ち砕かれた様相を苦笑として表し、エルナクハは自嘲混じりの声を上げた。焔華からしてみれば肯定も否定も難しいものだったが、さしあたって手刀を聖騎士の頭頂部に食らわせる。
「てっ」
「そう思うなら、修行、修行、修行! ですえ」
 それは自分自身にも向けた言葉だった。自分の力はまだまだエトリア全盛期に戻っていない。戻っていたら、『エスバット』程度は片手でひねりつぶせただろう。穢れた弾丸の登場など許さずに。焦りは禁物だが、まだまだ鍛錬の必要がある。
 ところで、一人足りないようだが。
 頭を巡らせた焔華は、少し離れたところでアベイがしゃがみ込んでいるのを見た。例の黒い建造物の傍だ。まさかもう彼には麻薬の反動が出始めたのだろうか。心配したが、幸いにもそうではなかった。
 アベイはアーテリンデの治療をしていたのである。そういえば、アーテリンデを倒したとき、焔華は彼女を自陣営の後列に引き込んだのだが、その時に黒い建造物の陰に横たえておいたのだった。
 アベイのことは置いておいて、他の仲間達に手早く説明する。
「……だろうな」
 話を聞き終えたエルナクハは難しい顔をしていた。『エスバット』を打倒したまではいいが、このまま探索を続ける余力はない。それどころか、下手をすれば長期にわたって、ここにいる五人は探索どころか日常生活すら危うくなる恐れがある。それは焔華も覚悟していたことだ。
 そして、ライシュッツが魔弾を寄越してきたのもそのためだ、と気が付いた。ツキモリ医師が薬品を調査すれば、対応する治療薬を特定できるかもしれない。あっという間に治るという奇跡は望めなくとも、長期的に服用することによって、生活に大きな支障が出ないようにするくらいなら。ツキモリ医師の腕なら、探索もこれまでとほとんど変わらずできるようになるかもしれない。それでも、長時間の探索を続けるという無茶は望めないだろうが――これまでもほとんどやらなかったことだが。
 とにかく、急いで帰らなくてはならない。
「ユースケ、そろそろいいだろ?」
 エルナクハの呼ばわる声に、アベイは後ろ髪を引かれているような表情を浮かべながら、しぶしぶと戻ってきた。
 敵となった相手でも、殺さずに済んだからには、ちゃんと治療してやりたいらしい。平常時なら認めてやってもいいのだが、今は他人のことに気を裂いている場合ではない。最低限の治療はしたようだから、程なく目を覚ますだろう。あとは自分達でどうにかしてほしいものだ。
 メディックの青年が荷物の中から磁軸計とアリアドネの糸を取りだし、糸の起動を開始する。繰り出された糸が描く緩やかな円の中に、磁軸の歪みが形成される。揺らぐ空間の向こうに見える光景が、ぐねぐねと踊っていた。
 冒険者達は、歪みの内側に足を踏み入れる。パラスが少し遅れたのは、ライシュッツに聞きたいことがあったのに叶わなかったことが、わずかな未練となって足を止めたからだろうか。
 立ちくらみにも似た感覚を感じた後、見覚えのある石畳が視界に飛び込んできた。世界樹入り口と一階を結ぶ緩やかな階段の途中、踊り場脇の空間である。
 世界樹から外に出ると、思わず吐息が漏れた。呼気は秋深い冷気を孕んだ風に混ざり、吹き散らされていく。冷たく凝り、さらには敵意と殺気に塗りつぶされた、氷樹海の空気に比べれば、なんと爽快な風だろう。
 この風の爽やかたることを感じる余裕がなくなる前に、薬泉院に行かなくては。
 そう考えた焔華は、不意に、何か重量のあるものが倒れる音と、うめき声を聞いた。
 たった今まで、今すぐにでも起こりえるという心構えをしていたというのに、その瞬間、一体何が起こったのか、焔華は理解できなかった。
 どうしたのか、と振り返りざまに口にしようとしたその時、感じたのは、四方八方から斬りつけられたような激痛。脳内が深紅に染まり、背後で起きたことに関する心配も朱に塗りつぶされた。
 無論、爽やかな風を感じる余力などありようはずがない。それどころか、焔華が斬りつけられたと感じたものは、その風が、羽毛が肌を撫でる程度の柔らかさで吹き付けてきたものだったのだ。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-44

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