この戦い、ライシュッツにとっても苦戦に違いなかった。ただ殺すより仁義にもとる、と思っていた、快楽の弾丸を使うほどに。
厄介な者は手早く無力化するに限る。しかし、ここまで上り詰めた冒険者相手では、一筋縄ではいかないことはわかっている。実際、秘蔵の弾丸をその身に飲み込んでも、彼らは容易に屈せず、抗ってきたのだ。快楽に身を委ねるような相手なら、その効果が切れる前に、夢心地のまま命を奪ってやれたのだが。
時間を稼げば、何もせずとも、彼らは自動的に苦痛の底に堕ちる。もはや『彼女』を倒すどころではない、二度と戻れぬところへ。その効果こそが、快楽の弾丸が禁じ手である所以。そこまでの苦痛を味わわせるのは、銃士としても本意ではなかった。速やかに生命を断ち切るのが慈悲だ。
だから、ライシュッツにとって、カースメーカーが歩み出てくることは、望んだことではあった。
後列にいる者は狙いにくい。前列の者達をかいくぐらなくてはならないし、距離的な問題による狙いのぶれ、それに起因する破壊力の低下が問題として存在する。結果的に殺しにくい――逆に言えば、苦しめる時間が長くなってしまいやすいことになる。それが自ら狙いやすい位置に歩み出てきたのだ。
ライシュッツは狙いをつける。両目の間より少し上、頭蓋を砕き、脳を裂き、苦しみなく生命を絶てる場所へ。
カースメーカーの娘は、退こうとしない。ならば都合がいい。力祓いの呪の影響なき今は、自分の腕力低下による照準のぶれもない。寸分の狂いもなく、わずかな苦痛もなく、葬れる。
自分が守ってきた巫医達とさほど変わらぬ年頃の少女。その命を絶つに、良心がとがめない、とは言わない。しかし、良心は、これからも巫医達を守り続ける、と決めたときに、凍らせた。
生命の導火線は、ほんの数糎。引き金に掛けた人差し指を、わずかに動かすだけの長さ。
――だが。どうしたことだろう。
その数糎を、ライシュッツは引けなかった。それどころか、一粍)も指が動かない。
ライシュッツは狼狽する。その理由は、すぐにわかった。カースメーカーの少女が進み出てくるとき、呪鈴を鳴らしていなかったか。つまり自分は呪にかかったのだ。とはいえ、呪にかかったと認識できたのなら、目の前に見えるものが何であれ、引き金を引けばいい。そう、頭ではわかっている。
しかし、できなかった。
ライシュッツが見ているものは、すべての冒険者と公国を敵に回してでも守りたかった、『彼女』だったのだから。
冷え切った肌、神がその存在に唾棄したかのごとき異形、そうなってさえ変わることのない、整った顔立ち。親しい者を歓迎するかのように広げられた諸手。一瞬の希望と、底なしの絶望を、『エスバット』に知らしめた、その姿だったら、あるいは、そのような無惨を見せられたことに憤り、呪をふりほどくことができたかもしれない。だが、目の前に見える『彼女』は、巫衣に身を包み、輝く金色の髪を樹海の風になびかせながら、さっそうと皆の前を歩んでいた頃の、生前の姿。
運命が決した瞬間を、ライシュッツは、その原因となった魔物の視点から見ているようだった。
消耗しきった自分と師、そしてアーテリンデ。その三人をかばうように仁王立ち、強固な意志を秘めた瞳でこちらを睨め付ける『彼女』。自身も長い探索と激しい戦いで消耗しきっているだろうに、自分を犠牲にしてでも皆の無事を確保しようとする、まるで聖騎士のような強靱な精神。
「ここは私に任せて、早く逃げて!」
その言葉に、自分達は拒否を示したつもりだ。その身を贄として皆を逃がすのは、前途ある娘達ではなく、老いぼれの為すべきことのはず。しかし彼女は、味方の誰の言葉にも耳を貸さなかった。ライシュッツの請願も、師の理ある言葉も、アーテリンデの懇願も。あるいは、彼女自身、心身共に疲れ切り、ただ『守る』という一点にのみ集中しなければ、立ち続けることすらできなかったのかもしれない。
結局、銃士二人を決意さしめたのは、彼女の言葉だった。
つまるところ、彼女はアーテリンデをこそ守りきりたかった、ただそれだけだったのだ。幼い頃から共に同じ巫医に師事し、血の繋がりはなくとも実の家族のように育った、ただ一人の『妹』を。
その時、銃士達は腹をくくった。彼女の願いを果たすためには、彼女自身を見捨てなくてはならない。
アリアドネの糸は不注意から失っていた。同じ階とはいえ、樹海磁軸は遠い。アーテリンデを一人で行かせたところで、逃げ切れるとは思えない。銃士のどちらかだけが付き添うにしても、消耗しきっている今では同じ運命をたどる。少しでもアーテリンデを無事に逃がす確率を上げるなら、銃士達両方が共に行かなくてはならないのだ。
ゆえに。銃士達は、せめてもの援護射撃だけを残し、彼女を見捨てた。
そんな残酷な選択を自分達になさしめた、彼女の言葉が、未だに耳に残っている。
「ここは、おねぇちゃんが守るから」
奇しくも、カースメーカーの少女が放った言葉は、『彼女』のそれと同じだった。だからこそ、その言葉は、ライシュッツの思い出を呼び覚まし、鎖とせしめ、腕を縛った。みすみす死なせてしまった者と同じ言葉を放ち、同じ行動をしているカースメーカー。それを殺したとき、ライシュッツは『彼女』を失ったに等しくなるだろう。
――けれど。
ライシュッツは優秀な銃士だった。アーテリンデを守るために、『彼女』を、本人の願いとはいえ切り捨てたことと同様、今もまた冷徹な判断を取り戻そうとしていた。すなわち、
「『彼女』は――死んだ」
ならば、目の前の幻は、紛うことなく幻だ。目の前の『彼女』は、ただの敵、『ウルスラグナ』のカースメーカー。
それが、ライシュッツの破綻となった。
『彼女』は死んだ――。
ならば、自分達『エスバット』が守ろうとしている『彼女』とは、何者になるのか。
ライシュッツにとっても『彼女』は大事な者だったが、銃士の老人はアーテリンデほどには感情的ではなかった。魔物に変じた彼女を見出し、事ここに至った今も、その心の奥底には、実は迷いがあった。
自分達が為していること、死者を守り、生者を葬ることに、大儀があるのか。
迷いながらも、アーテリンデのためには、泥どころか、熱したマグマであろうと、かぶるつもりでいたのだが――。
――少なくとも、『ウルスラグナ』のソードマンとブシドーには、その迷いは『隙』以外の何物でもなかった。
我に返ったライシュッツは、豪炎をまとったカタナの刃が肉薄してくることに気が付き、回避しようとした。
が、わずかに遅かった。
見えざる炎が肌を焼き、ライシュッツをひるませる。畳みかけるように襲い来るのは、赤毛の少年が繰り出す斧。斧の重い刃をまともに受け止めたら、ライシュッツの躰など、簡単に両断されるだろう。幸い、ソードマンが攻撃に使ってきたのは、刃の背の方であったが、それでも肋骨の数本は覚悟する必要があった。
衝撃と苦痛が、ライシュッツの身体を雪原に引き落とした。力を失った手から二丁拳銃を取り落とし、『魔弾』の二つ名を持つ老銃士は、静かに雪の上に身を横たえる。
それは同時に、長らく樹海探索の最先を譲らなかった『エスバット』の敗北と、新鋭たる『ウルスラグナ』の勝利を意味していた。
呆然と天を見つめ続けるライシュッツの側に、焔華とティレンは歩み寄った。
逆手に持ったカタナが、垂直に立ち、ライシュッツの眉間ぎりぎりに突き付けられている。覚悟はできているのだろう、ライシュッツは、冷ややかに刃先を見た。老いによって濁り始めた瞳ゆえ、本当に刃先を見つめているのかは、『ウルスラグナ』には判断しづらかったが。
「……やめましょ」
幾ばくかの間の後に、焔華はあっさりと刃を引く。
「わちらは、殺人者となって大公宮に追われるつもりはありませんし」
ティレンが、いいの? と言いたげに視線を向けるのに構わず、焔華は身を翻す。着物の袂が、ふわりと浮き上がり、ちらちらと舞う雪を孕んで、主人の後を追った。ティレンは、ほんのかすかに憎悪を宿した瞳を、ライシュッツと、焔華の背の間で、交互に動かしていたが、やがて意を決して、焔華に続いた。子犬のようなソードマンの姿に、焔華は笑いを誘われながらも、言い聞かせるかの口調で続ける。
「幸い、エルナクハどのも、持ち直したようですし」
向かう味方の陣営には、膝を突いて荒い息を吐くパラスと、ぐったりと横たわるエルナクハ、彼の治療を安堵の表情で続けるアベイがいる。
「……ほんと?」
ティレンの裡の憎悪は、あっさりと潰えた。
その様に、焔華は再び柔らかい笑いを誘発される。
一方パラスは、緊張の糸が切れたようで、雪原にへたり込み、荒い呼吸を繰り返している。焔華は、パラスの側をすれ違いざまに、彼女の背を労いの意を込めて軽く叩こうとした。
その手が止まったのは、意外な方から声が掛けられたからだった。
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