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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・39

 積極的に近付いてきたのは、やはりアーテリンデの方であった。異形と化した姉弟子を守るという望みに突き動かされていることが、理由のひとつではある。同時に、それは彼女が『巫剣』使いであることを意味していた。
 かつて知り合ったドクトルマグスから聞いたことがある。彼ら巫医の術は大別して二つ。祝詞のりとや薬を用いて、自分や仲間の能力を一時的に上昇させたり、傷を癒したりする、『巫術』。いまひとつは、己の霊力オーラを祝詞の助けを借りて武器に乗せ、敵を攻撃する『巫剣』である。
 ――万が一、我らの同胞が君たちに剣を向けることがあったら、注意するべきことがある。
 そんなことは、そうそうあるまいがな、と前置きして、かつて第一階層で知り合ったドクトルマグス、イクティニケは語ったものであった。
 ――状態異常攻撃を使えそうな者が共にいたら、警戒することだ。
 状態異常とは、毒や麻痺、睡眠などを指す。戦闘中の肉体に害を及ぼし、生命を奪いかねない状態である。
 生き物の身体には霊力オーラが宿っている。プネウマ、ルーアハ、プラーナ、または簡単に『気』とも呼ばれるそれは、実は生き物のみならず自然のあらゆる所をめぐる、普段は不可視のエネルギーの流れである。不可視ながらも、知恵のある生き物達はその存在を無意識のうちに利用する。例えば、冒険者達が使う技も、その恩恵を受けていると言えるだろう。到底防御不可能と思える属性攻撃さえ、盾で防ぎきるパラディン然り。いくら摩擦で熱が発生するのが常識とはいっても、人間の腕力で振り下ろした刃に生じる程度の摩擦で炎までを発生させるブシドー然り。薬剤を調合して技とするメディックやアルケミストも、あるいは自然界に流れる霊気を間接的に利用していると言えるかもしれない。
 人体に異常が起これば、霊気も乱れる。否、霊気を基準にして表すなら、霊気が乱れるから人体に異常が起きる、だろうか。
 巫剣の最大の特徴は、霊気の乱れを利用することなのだと、知り合った巫医イクティニケは論じた。
 ――霊気の乱れを突くことで、さらなる乱れを作り、別の効果を引き出す。それが巫剣の力だ。例えば――。
 盲目状態に陥って乱れた霊気の流れを利用し、さらに掻き乱すことで、思考能力に乱れを生じさせ、言葉や思考を使うことが重要な技や、頭そのものを使う技を、封じる。毒状態ならば足を封じる技もある。それどころか、恐慌状態や被呪詛状態に陥った者の霊気を武器を媒介にして奪い、その霊気で自らの体力や精神力を補うという技すらあるというのだ。
 今、アーテリンデが携える杖剣の刃には、紫炎のような光が宿っている。おそらくは霊気がその密度のために可視化されたものだろう。
 ――状態異常に陥っていないとしても、霊力で補強された武器は侮れない威力を持っている。注意するがいい。
 その警告は嘘ではなかった。前衛のみならず、後衛の者達ですら、杖剣の霊気を目の当たりにして、うなじの毛がちりちりと逆立つのを感じた。
 アーテリンデは踊るような動きで距離を詰めてくる。雪原であるために若干のもたりが感じられるとはいえ、それは充分に、軽い足取りと表現できるものだった。憔悴して幽鬼のようだったドクトルマグスの少女だったが、その様はまるで真逆、現世の女神が現世ならざる魔を祓う舞踏のよう。ほんの一瞬、見とれかけたエルナクハは、しかし、その意味なすところを思い出し、慌てて盾を構えた。祓われる魔は、自分達の方なのだ!
 鈍い音がして、盾に刃が当たった。アーテリンデは生者が死すべき者を侮蔑するような表情を浮かべ、一旦刃を引き、再び斬撃に転じる。舞踏の足取りを利用した、素早い複数斬撃。盾に遮られて動きを乱されたがために、喰らう側には急所を躱す余裕ができたが、それでも前衛達は肉を切り裂かれ、血を吹き出す。
 先手を喰らった。ただし、いい方に考えれば、巫医を自分達の攻撃圏内に招き入れたということである。『ウルスラグナ』は反撃に出た。
「武器補強は巫医マグスの専売特許じゃありませんえ」
 伝統を重んじるブシドーが為すべき『構え』を省略して振り上げた刃には、炎が宿っている。それは味方までもがおののくほどに勢いづいた豪炎であった。いつの間にそのような技を習得していたのか。
「鬼炎斬!」
 己が技を誇るかの如く高らかに宣し、雪上であることが嘘のような軽さでアーテリンデに肉薄した焔華は、炎の刃を、当てる気がないように無造作に振るった。まともに当てればただでは済まず、相手を殺すことが『ウルスラグナ』の本意ではないためだ。ただし、炎は、赤く明るく見える部分よりも、その外側の方が高温なのである。外炎に晒されたアーテリンデの被服が、ぱっと燃えだし、慌てた巫医の少女は、雪原に身を投げ出すことでその炎を消した。わずかな時間ながらも火にさらされた皮膚は赤く腫れ、引きつり、重篤ではないとはいえ、力を削るだろう。
 自分に肉薄したブシドーの娘を睨み付けるアーテリンデだったが、彼女の目の前にはすでに相手はいない。焔華は炎の刃と共に身軽に駆け出し、ライシュッツに突進していたのだ。同じように、刃ではなく炎だけを当てるように、カタナを振るう。
 アーテリンデの目の前には、ブシドーの代わりに、赤毛のソードマンが肉薄していた。
「ごめん」
 朴訥な口調で謝りながらも、やっていることはとんでもない。斧の石突をアーテリンデの頭めがけて振り下ろしているのだから。刃ではないことが不幸中の幸いとはいえ、それが慰めになることはないだろう。アーテリンデはこの攻撃も直撃を避けたが、まともに喰らえば脳震盪ぐらいは起こしかねない。
 一方、アベイは、仲間達が受けた傷を癒すために、医療鞄から薬剤を探し出していた。ここ最近の試行錯誤の結果、現状で手に入る素材で、霧状に噴霧して広範囲に届く薬品の製法を完成させたのである。
 調合を済ませた瓶を雪の上に置くと、反応を起こした薬剤が霧となって吹き上がり、味方のいる範囲程度に広がっていく。ライシュッツに見えざる炎の一撃を食らわせて離脱してきた焔華も含め、『ウルスラグナ』は癒しの霧の恩恵を存分に受けた。皮膚に降りかかった微少な雫は外側から傷を癒し、吸い込んだ霧は内側から自己回復力を引き上げる。
 厳しくなるであろうこの戦い、アベイの治療がなくては、勝てないとは言わずとも、より苦戦を強いられることだろう。
 己の役目を熟知し、だからこその事実を誰よりも理解しているアベイ本人は、少しばかり暗鬱な気分になり、かすかに息を吐いたのだが。
「ユースケ!」
 エルナクハの警告の声に、我に返る。
 焔華の攻撃で被服に移った炎を振り払ったライシュッツが、自分に黄金の銃の銃口を向けているのを見る。
 銃という遠距離攻撃手段を持つ相手が、回復担当かつ防御力に優れていない敵を狙うのは、自明の理。そう理解したなら、次に為すべきは、回避行動である。少なくとも、急所に直撃されるという悲劇を避ける為に。だがアベイは、遠くにあるはずの暗い銃口に呑み込まれたかのように、動けなかった。
 前時代人として当時の『銃』の威力を知っていたからこそ、それが事実、自分に向けられたときに、恐怖に凍ったのだ。
 樹海に響く破裂音と共に、銃口から発射される弾丸。それが炎をまとって向かってくるのを、アベイは悟った。
「――!」
 前衛達が、盾か防具、あるいはせめて、自分の肉体の致命的にならない箇所で銃弾を受け止めようと、動く。しかし間に合わない。前衛の間を縫い、銃弾はアベイの顔――おそらくは眉間を目指して進む。
 はずだったのだが。
「……ぬう」
 ライシュッツが無念の呻きを上げた。炎をまとった銃弾は、アベイの肩を打ち抜いて後方へ飛び去ったのだ。
 前時代の技術の粋を集めきった銃ならまだしも、現代の銃は、狙いを付けづらく、外しやすいのが欠点である。だからといって、ライシュッツほどの手練れが、恐怖に凍っている敵を打ち抜けないほどの酷い腕前であるはずがなかった。
 では、外したのはなぜか。
 それはパラスの呪詛の存在ゆえであった。戦闘開始直後から、彼女が敵の力を削ぐ為に唱えていた、呪詛の声。力祓いの呪。最も基礎的であるが故に、その声に耳を傾けずに済む者は、呪術師自身を信頼しきった味方以外にはいない。それがライシュッツにも例外を許さずに効果を及ぼしたのだった。
 力の抜けた手では銃を支えきること適わず、わずかに下を向いた銃口が、本来狙っていた眉間ではなく、肩口へと、弾を射出するに至ったのである。
 それでも、アベイにとってはかなりの重傷。しかし、防具の防御力のおかげもあって、致命的ではなく、治療を施して持ち直すことは充分に可能だ。
 さらには、その一撃は、アベイの体力だけでなく、恐怖心までも打ち抜いてしまったようであった。
 そうだ、自分は一人ではない。前時代から一人だけ甦り、唯一の同時代の同胞さえ失った自分だが、仲間達はたくさんいる。皆が自分を何らかの形で守ってくれる。だから自分は、自分の力で皆を守らずにどうするんだ!
 そんな勇気をもたげたアベイではあったが、
「ユースケ、物陰に隠れてろ!」
 そんな忠告をギルドマスターから受けてまで、蛮勇を保持する気は、さらさらなかった。今回は呪詛のおかげで命を拾ったが、治癒能力以外は基本的に無力な自分が、必要以上に敵の銃口に身をさらしているわけにはいかない。何もない場所ならやむを得ないが、今はおあつらえ向きの隠れ場所があるのだ。メディックの青年は素直に、黒い石の建造物の陰に駆け込んだ。もっとも、仲間達を治癒する際は、ある程度戦場に近付く必要があるから、気休めに過ぎないかもしれないが。
「パラスどの、ぬしさんもですえ」
 焔華が同じ忠告をカースメーカーの少女に向けるが、パラスは首を振った。呪術は相手に声が届かなければ意味を成さない。そのためには、極力、戦場にいる必要があるのである。彼女を護るのは前衛の役目であることは変わらないだろう。
 ……さて、敵は、次はどう出てくるだろうか。
 舞踏めいた斬撃で前衛の肝を冷やさせたアーテリンデは、『ウルスラグナ』から一旦距離を置いていたが、もちろんそれで終わるとは思えない。冒険者達は、彼女の唇がかすかに動いているのを見た。
「……奇怪千万、またまた生血が降り候。ただいま見れば壁に二カ所、床板に三カ所、ぺったりと血のしたたりこれあり候……」(*)
 ……なんだ、その言葉は? 要約すれば、『部屋にまた血が降った』。この戦いの中で発するものとは思えない。だがしかし、冒険者達は、アーテリンデの手の甲が、言葉に合わせてぼうっと光るのを見た。正確には、そこに描かれた、目のような文様がだ。被服に覆われた腕も、内側から光を発しているのが判る。
 聞く分にはこの場にそぐわない言葉の連なり、だが、それは、巫医にとっては霊力を思うがままに振るう為の詠唱なのだ。
 ――状態異常に陥っていないとしても、霊力で補強された武器は侮れない威力を持っている。注意するがいい。
「やべぇ!」
 杖剣の刃にまとわりつく霊気、可視化したそれが、先ほどより強く輝いたのを目の当たりにして、エルナクハは背筋に怖気を感じた。

*……佐々木味津三 ・『右門捕物帖 血の降るへや』(青空文庫)より抜粋(一部省略)

High Lagaard "Verethraghna" 3a-39
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