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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・38

 『天の支配者』。
 ハイ・ラガードの伝承に語られる、神のことである。
 フィプトから世間話程度に聞いたこともあるし、大臣からも忠告された。曰く、天空の城には神が御座おわし、勇者を求め、地上で死した者達の魂を天空の城に集めている、と。その性質さがは太古の戦神『オーディン』に由来すると思わしく、その点では黒肌民族バルシリットの戦女神エルナクハとも縁戚関係にあるのかもしれない。
 だが、戦女神と同じ名を持つ聖騎士は、天に唾する勢いで『天の支配者』を嫌悪した。アーテリンデが怖れているらしい『恐ろしいモノ』の話を聞いたときに、『天の支配者』がかつての『オーディン』と同じく、己の戦駒とするために勇者を弑するという性質を持っているのではないかと感じたからだ。
 実在の真偽はわからない。ただ、樹海で行方知れずになった冒険者が、実は『天の支配者』に連れ去られたのだ、と信じている者も多いらしい。
 殺されて魂を抜かれるか、生きたまま連れ去られるか、その違いは、長く伝わってきたための乖離ぶれと考えてもいいだろう。ひょっとしたら、どちらもあり得るのかもしれないが。
 だが、『天の支配者』が今の話にどう関係するのか。アーテリンデが言う『恐ろしいモノ』が『天の支配者』と関係するものかどうかは、確信できるものではなかったが、少なくともアーテリンデがそう信じていたようだ。彼女の姉弟子である巫医を殺したのがその『恐ろしいモノ』だというのだろうか。そうだったとしたら、ここで話題に上るのも不思議ではないが、だが、冒険者達を邪魔する理由とはならない気がする。
 結論。やはり話を聞くしかない。
 『ウルスラグナ』は思考の混乱を収めると、無言のまま、先を促した。
 ライシュッツの話は続く。
「天の城の神の話は、ハイ・ラガードに広く知られている。『いるかもしれない』と思っている者は多いかもしれないが、実在すると固く信じている者は少ない。無論、我らもそうだった。昔の『呪術院』や、それに力を貸した巫医達が、樹海で消息を断ったとき、そして、最近なら、衛士や力添えした者達が帰ってこなかったとき、現実から目を逸らすために口端に上る、慰めの偽神だと――そう、思っていた」
 ……思っていた、である。過去形だ。では、今は違うというのか。ライシュッツに、そしてアーテリンデに、神の実在を信じさせる何かがあったというのだろうか。
「先程、お嬢が語った、巫医だが……彼女は、その死後に、天の支配者に魅入られてしまった」
「魅入られた?」
「この言い方では判らぬか。………奴らのいう、永遠の命を与えられたのだ。支配者の言う永遠の命。それは我らにすれば人であることをやめるに等しい話。――彼女は、支配者の手にかかり、人ではなくなってしまったのだ!」
 その時、『ウルスラグナ』一同には、さしたる衝撃は訪れなかった。
 脳裏に浮かんだのは、エトリア樹海で出会ったフォレスト・セルのこと。
 フォレスト・セルは『死』を怖れ、己を守護するものを望んだ。そのために力を『芽』の形で相手に与え、属する種を超える力と、死んでもいずれ蘇る生命、そのふたつを授けるという。命の長さ自体がどうなるかは聞いていないが、あるいは『永遠の生命』と呼べるものを得られるのかもしれない。
 ということは、『天の支配者』と伝えられているものは、フォレスト・セルと同種の存在なのだろうか?
 だと、したら――。
「……驚きもしないのね、あなたたち」
 今度はアーテリンデが、冥府に引きずり込まれた女神が放つような怨嗟に満ちた、ぞっとする声を上げる。
「衝撃的すぎて実感できない? それとも、他人事だからどうでもいいって思ってるの? ……まあ、どちらでもいいわ」
 黒髪のドクトルマグスは、ゆっくりと冒険者達との間を詰める。その足取りは、幽鬼が人間をひたひたと追いつめるかのよう。
 その様相に若干の恐怖を感じながらも、目線を逸らすことなく、巫医を見つめる冒険者。
 一同を代表して口を開いたのは、焔華であった。
「街は、今、一見は人間の女に見える、ていうん魔物の噂で持ちきりですえ」
「……あら、そうなの。あの時の生き残りが話したのね」
 その会話の裏に含まれた事実に、さすがの『ウルスラグナ』もおののく。
 ひとつは、薬泉院に担ぎ込まれた冒険者を傷つけたのは『エスバット』らしい、という事実。
 それ以上に驚いたのは、噂に上っていた魔物が、人間の成れの果てであるという事実。
 『ウルスラグナ』の予想では、フォレスト・セルから力を得たとしても、姿形まで変わるものではないと思っていたのだ。少なくともナジクの例では、思考に若干の変化はあったが、彼自身の肉体が異形に変じたりはしなかった。ということは、『天の支配者』はフォレスト・セルではないのか? あるいはエトリアの同種とは違うのか? それとも、ナジクの例が特殊だっただけなのか?
「そうか……噂では、魔物って呼ばれてるのね、彼女は。そうよね、そうでしょうね」
 アーテリンデは、ぶつぶつとつぶやくように言葉を紡ぎ続けている。
「でも……、それでも、あたしたちは、彼女を守りたいの」
 ゆらゆらとゆらめく身体が、じわりじわりと彼我の間を詰めてくる。
「このままあなたたちが進めば、変わり果てた彼女と戦うことになってしまう。でも……、どんな姿になろうと、彼女はあたしにとって大切なの。だから……あなた達が彼女を傷つける、わずかな可能性も摘み取る!」
 少女は、何かを決意した目で『ウルスラグナ』一同を睨み付けた。憔悴しきっていることを差し引いたとしても、宿る光が凶相を際だたせる、そんな眼差し。
 手にした杖剣の切っ先が、凶運の女神の指先のように、冒険者達を指し示す。
 背後からは、金属が触れ合うかすかな音。
 呼応するかのように、『ウルスラグナ』一同も、それぞれの武具を構える。
 互いの闘気が張り詰め、滞留し、その場にいる七人全員を凍り付かせた。誰かか行動を起こせば、瞬く間に硬直は解け、人間同士の戦い――否、殺し合いとなるかもしれない、凄惨な闘争が始まるだろう。あるいは、殺し合いを拒む細い一本の琴線が、皆の心の裡に残っていたのかもしれない。
 しかし、そんな状況が長く続くことは不可能だ。
 均衡を打ち破ったのは、憔悴し、追いつめられた、アーテリンデだった。
「ここで冒険を終わらせてもらう、『ウルスラグナ』!」

「右!」
 アーテリンデの言葉が終わるか終わらないかの瞬間、弾かれたようにエルナクハは叫んだ。
 『ウルスラグナ』は、前にアーテリンデ、後ろにライシュッツ、『エスバット』に挟まれた状態にあった。この状態のまま戦闘に入れば、後方からライシュッツの銃撃に遭うだろう。敢えて前方に進み、アーテリンデを相手取るにしても、隊列的に不利であった。巫医に対しては、本来後列であるアベイやパラスが相対しているのだ。
 故にひとまずは離脱。戦場そのものからは逃げ出せないだろうが、距離を取って陣形を整えることを、聖騎士は選択した。
 『ウルスラグナ』は、十字路の西へと延びる『道』に飛び込み、そこで陣形を本来のものに整える。
 視線の彼方から迫ってくるのは、悪鬼のごとき威圧感を放つ『エスバット』の二人。
 『ウルスラグナ』には未だにドクトルマグスもガンナーもいないが、彼らの特徴はよく耳にしている。どちらも、様々な技を有する、いわば万能職といえるものだ。ただ、裏を返せば『器用貧乏』、有限の時間しか持てない人間の身では、樹海でも通用する程に極めることができる技は少ないだろう。
 そして、さらに裏返すなら、彼らがどのような戦い方をするか、わからない。たとえばパラディンなら基本的に仲間を守るように動くとわかる。ソードマンであれば単体攻撃一辺倒と言い切っても間違いではない。だがドクトルマグスやガンナーは、多彩な技を持つ故に、その中のどれを選んで極め、戦法に組み込んでくるのか、判断しづらいのだ。
「……だけど」
 パラスが不敵に笑みを浮かべ、呪鈴を手にする。
「腕が動きにくくなれば、武器を使った技は使えなくなるよね」
 絶対とは言い切れないが、自分達が有利になることは間違いないだろう。
「……頭、ねらう?」
 斧を構えながら、ティレンが問うた。切っ先はアーテリンデを指している。巫医の技にはメディックとは違う系統の回復術がある、と、第一階層を探索していたときに知り合った巫医達から聞いたことを、覚えていたようであった。メディックの思考力が鈍れば治療に支障が出るように、ドクトルマグスも、意識が乱れれば、巫術を使うことがおぼつかなくなるだろう。
 アーテリンデが回復術を使うかどうかは判らないが、思考を鈍らせることは、相手の攻撃を鈍らせることにも繋がる。狙って損はあるまい。
「ふふふ、巫剣というんがどれほどのものか、興味ありますえ」
 すらりとカタナを抜いた焔華が、どことなく嬉しそうに口角を上げる。「刃を使う者同士の戦いですわ」
 明確に表明し合ったわけではないものの、相手に影響を及ぼす技を使う者達は揃って、巫医の少女を攻撃対象と定めたようだった。攻撃方法からして、杖剣使いのアーテリンデが自分達に肉薄し、銃使いであるライシュッツが距離を置くことは、目に見えている。その状況に、『複数の敵は集中攻撃して数を減らすべき』という定石セオリーが組み合わされば、全員がそのような結論に至ることも当然のことだろう。
 エルナクハも、異論はなかった。剣を抜き、戦を指揮する采配のごとく、剣を『エスバット』に向けた。かつてキマイラと戦ったときに、自分含めた味方を鼓舞するために行ったことだった。
 ――が、今は、腹の底からの声を上げるのに躊躇する。
 『エスバット』は本気だ。抗わなければ殺される。抗うためには自分達も相手を殺すつもりで相対峙しなければならない。それはわかっているのだが、不慮にでも人間を殺すかもしれないということに逡巡があるのかもしれない。エトリアでも人間と殺し合いに近い戦いを経験したし、もはや人間ではなくなっていたとはいえ顔見知りを弑したはずなのに。
 むしろ、これは同情なのか? 魔物に変じたとはいえ、自らの仲間を必死に守ろうとしている、彼らへの。
「――殺さないようにしなくちゃいけません。しやけど同情は無用ですえ、エルナクハどの」
 まるで心を読んだかの機で焔華が口を出す。
「これは彼らのためでもあるんですし。わちらが負けたら彼らは、『ハイ・ラガード国民を殺した罪人』になりますえ……ひょっとしたら、もう遅いのかもしれませんですけど……」
「……そうか、そうだよな」
 エルナクハと同じ逡巡を抱いていたのか、顔色が悪かったアベイが、己自身に理解させるかのごとく、何度も相づちを打つ。
 その様を見ていて、エルナクハも腹をくくった。
「ティレン、焔華、できるだけ守ってやるからな」
 その決意を迫り来る『エスバット』にまで表明するように、盾を構えたエルナクハだが、ふと、後方に目をやって首を竦めた。
「パラスとユースケは……まあ、手が回らねぇから、スマン」
 後衛にとっては、前衛自体が盾のようなものである――敵が直接攻撃しかしてこなければ。さらには、後衛に攻撃が届くこと自体は、魔物との戦いでもよくあることだ。しかし、今回の相手は銃だ。必死に攻撃を防ぐ前衛の間を易々とすり抜け、後衛の生命を狙うであろう、金属の弾丸なのだ。
 後衛の二人は「覚悟の上」と答えるつもりだったかもしれないが、すでに時間切れであった。一時離脱した『ウルスラグナ』を追ってきた『エスバット』は、既に、銃撃なら有効射程距離と言えるであろうところまで迫ってきていたのだ。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-38
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