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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・37

 それから状況の変化を起こすには、数日がかかった。シトト交易所から、十五階に出没する魔物から入手できる素材の入手を依頼されたためである。
 それだけなら、迷宮の探索を先へと進めながら探してもよかったのだが、ひとつ問題があった。所々にある凍った水路の中には、下階に比べて強くなった日光の照射のために、昼間は溶けかけてしまうものがあったのである。それをどうにかしない限りは、先に進めないのだ。今までは、どうせ地図を作らなくてはならないこともあって、迂回していたのだが、ついに、迂回路のない水路に行き当たってしまった。
 実は、夜になれば、再凍結した水路を通ることができるので、対策自体は簡単である。が、探索班は、どうせ塞がれているなら、と、現状で問題なく行き来できるだけの区域で、目的を達成したのだった。先に待ちかまえる何かに備え、鍛錬もできたので、決して無駄ではなかった。
 そうして入手した素材を交易所に持ち込んだとき、一同は、シトトの娘が見覚えのある何かを磨いているのを目の当たりにした。
 それは、金細工の駒だったのである。以前、酒場の親父から半ば押し付けられるようにもらった、戦駒の『衛士』の駒に似ていた。ただ、細工自体は違い、詳しくは判らないが、武人より文人を表しているように思える。
 駒を集める気のない今の『ウルスラグナ』には、必要なものではない。おまけに、世間話ついでに値段を聞いたら、仕入れ値でも二千エンだというのだ。シトトの娘は、欲しければ仕入れ値で譲ってくれるというが、大金を出して要らないものを買うつもりはなかった。
 酒場で依頼の報酬を受け取り、私塾への帰路に就く。
 この日、王虎ノ月十五日は、ちょうど私塾の休暇であったため、静かなものだった。夏の間は、休みでも遊びに来る子供がいたりしたのだが、ここ最近は、家の農作業の手伝いをしたり、もうすぐ開催される収穫祭の準備に駆り出されたりしているのだろうか、学習後に中庭で遊ぶ子供達の姿もない。
 私塾に帰り着いた探索班だったが、すぐに『お風呂セット』を手に、フロースの宿へと足を向けることになる。
 シトト交易所の依頼を解決したら、探索班と鍛錬班の出撃時間を逆転させると、あらかじめ決めていたのだ。前述した理由で、昼間では探索範囲が限定されるために。
 今日この日は、探索班達は昼夜どちらも樹海に潜ることになる。疲れは念入りに取っておかなくてはならない。迷宮の先に待っている何か、恐ろしい魔物か『エスバット』か、どちらに出会っても、遅れを取らないように。

 夜の氷樹海は久しぶりだ、と、仲間達が口々に騒ぐ。
「オレは初めてだよ」
 エルナクハは、若干の不機嫌を声に滲ませたが、実は口ほどには不機嫌ではない。
 よくよく思い出せば、今の探索班は、十二階の氷の花を捜索した面子だった。フィプトがおらず、代わりに自分がいるわけだ。そのおかげで、仲間はずれになった気がしただけのことである。
 今までの階では全く星が見えなかった頭上に、秋の星が広がっている。ところどころの黒い影は、生い茂る世界樹の枝葉のようだ。昼間は茫洋とした大気に遮られ、様子がわからなかったものだが、どうやら、十五階は、世界樹の主幹が終わり、多くの枝が分かれ始めるあたりに位置しているらしい。とすると、十六階はどのような迷宮なのか。まさか枝の上を渡り歩くことになるのだろうか。
 東南の空低くにある南斗六星の傍に、満月になりきらない月が輝いているはずだ。その光が迷宮に差し込み、初めて十五階に足を踏み入れたときに活性化させた磁軸の柱の傍、南側に広がる木々の壁の合間にある獣道をも、淡く照らしていた。反対側から見つけて広げておいたものである。その道を通れば、前途を塞いでいた水路の傍には、三十分もかからずに辿り着ける。
 人間が乗っても割れない程度に再凍結した水路の傍には、昼の探索の時にあらかじめ置いておいたソリがある。そのソリを使って水路を渡った『ウルスラグナ』は、さらに少し歩いたところで、扉に行き着いた。
 普段なら、何のためらいもなく開けるところだった。しかし、今回はできなかった。
 何か嫌な予感がするのだ。経験を重ねた冒険者としての勘が、何かを警告しているのかもしれない。そして、その警告に逆らえば、よくない結果を招くだろう、と感じる。
 仲間達を振り返れば、等しく同じ思いを抱いているようだった。
 けれど、ここで立ち止まっていても、何も始まらない。
「……行くか」
 むしろ己自身を奮い立てるつもりで、エルナクハは声を上げた。仲間達が頷いた気配を確認すると、静かに扉に手を掛け、力を掛ける。
 低い響きと共に、扉が左右に分かれ、その向こう側の光景を冒険者にさらけ出した。
 雪に覆われた大自然の大広間である。
 雪原に反射した月の光で、ほの蒼く照らされた空間に、冒険者達は慎重に足を踏み入れた。
 さく、さく、さく、と、ワカンが雪を踏む音が響く。
 大広間には、不思議な建造物が建ち並んでいた。今この場に至るまでにも、時折見かけたものである。『ローマ』風の柱にもあったものと同じ、組み編んだ紐の文様を施された、短い柱。それが四本集まって、天井のような石板を支えている。柱と天井に囲まれた内部には、艶のある黒い正方形の石が鎮座していた。その意味するところは、現代の人間には理解できない。
 それが、四つある。大広間に見えざる十字路が敷かれていて、分断された区間にひとつずつ設置されているように感じられた。
 冒険者達は、十字路を南から北へ向かって歩く。遠目に見える扉を目指して。建造物を回り込むように進む道もあるのだが、その道は取らなかった。さながら、堂々と凱旋する王者のように、赤い絨毯ならぬ白い道をまっすぐに踏む。
 そして、大広間の中央、四叉の道がひとつに合流するところで、足を止めた。
 謎の建造物に囲まれた空間は充分に広く、そこで戦闘行動を取るとしても、邪魔になるものは何もない。
「――なァ、出てこいよ」
 エルナクハは深緑の目を細め、言葉を放った。
 十字路の中心に足を踏み入れたその瞬間から、これまで感じていた何かがひとつに収束し、強い敵意となって突き刺さってきたのを、『ウルスラグナ』全員が感じていのだ。
 案の定、北東にある建造物の陰から、静かに歩み出してきたのは、
「やっぱりアンタだったか、ライシュッツのジイサン……」
 相手の殺気に呑まれないよう、不敵な笑みを浮かべるよう心していたエルナクハだったが、その一瞬、意外さに目を見開いた。
 さぞ殺す気満々な表情をしているだろうと思っていた銃士ライシュッツは、強烈な殺気を放っていることは間違いないのだが、同時に、憂いを帯びた表情をしていたのだ。
「……とうとう、ここまで来てしまったか」
 告げる声音も、表情が偽りではないことを表している。
 その様は、かつて老銃士が『ウルスラグナ』に警告するために現れたとき、先へ進むことを強い口調で拒絶しながら、その瞳に判断しがたい感情を宿していたことを、思い起こさせた。
 ライシュッツは、静かに雪を踏み歩き、自らの身体で北側の扉を『ウルスラグナ』の視線から隠した。その場で冒険者達に向き直り、鋭い視線で睨み付けてくる。
「我は警告はした。命惜しくば先に進むな! と。その言葉に逆らい、樹海を進むならば、相応の報い、覚悟してもらおう!」
 そう強い言葉を放ち、二丁の銃を構えたときには、ライシュッツの表情には、既に憂いはない。覚悟を決めた男の姿が、そこにあった。
 先に進みたいのなら、ライシュッツを殺すか、その精神を砕くか、どちらかしかあるまい。
 こうならなければよいと願っていたが、覚悟は決めていた。なるべく殺したくはないが、火の粉どころではない大火が降りかかってくるなら、命懸けで振り払わなくてはならない。かつてエトリアの死せる都で、ブシドーとカースメーカーを相手取ったときのように。
「ここまで来て、いまさら、『イエス』なんて言うと思うか?」
 エルナクハは『ウルスラグナ』の筆頭として、老銃士の殺気を真正面から受け止めた。
「だが腑に落ちねぇ。教えてもらうぞ。オマエら『エスバット』は何を考えてる? 同業者おなかますら手に掛けようとして、そこまでして何をしたいんだ?」
「……そうね、理由は話しておくのが礼儀かしら。『冥土の土産』っていうべきかもね」
 不意に背後から、『ウルスラグナ』に話しかける声が響いた。一瞬、心にぞくりとしたものが走ったが、『エスバット』のもう一人がこの場にいないはずがないのは当然だろう。『ウルスラグナ』は気を取り直して、声の主――巫医アーテリンデに向き直った。そして、今度こそぎょっとした。
 アーテリンデは酷く憔悴していた。小動物めいた愛嬌を宿していた顔は、目の下の隈が目立ち、幽鬼のように変貌している。改めてライシュッツの顔をそっと見ると、もともとが老境だから気が付かなかったのだが、彼もまた、随分と疲れているようだった。
 だが、それには触れずに、
「……ちゃんと最後まで聞かせろよ」
 さりげなく、「話を聞いている隙にズドンは御免だ」と表明すると、『エスバット』の二人は、承知の意を表し、ライシュッツが銃を下ろす。
 その様を見届けると、アーテリンデは小さく息を吐き、静かに語り始めた。
「……それは昔の話。この樹海の存在が、大公宮に知られ始めた頃の話。一人の優れた巫医が、この樹海に挑んだのよ」
 まだ樹海の正面入口が開いておらず、大公宮が外部の冒険者を公募してもいない、数年前のことであった。
 衛士だけでは樹海の脅威に対抗するには力が足りず、大公宮は、ハイ・ラガードやその近辺に存在する、巫医扶助会コヴェンと砲撃士協会に渡りを付け、助力を願った。
 招致に応じた者の中に、アーテリンデの言う巫医がいたという。
「その巫医は、妹弟子と、妹弟子の実家に仕えていた銃士、そして銃士の師匠――四人で、順調に樹海を進んだわ」
 アーテリンデが語るのは、淡々とした言葉。己の頭の中に残る辛い記憶を読み出し、感情に流されないように注意しながら声に出しているよう。それだけで、大方判った。巫医が探索に連れて行った妹弟子とは、アーテリンデ自身のことなのだと。
「巫医はとても腕が立ったから。第一階層、第二階層を越え、この第三階層までたどりついたの。そして……。この氷と雪の樹海で……」
 不意に、アーテリンデの淡々とした語り口が、ぶれた。
「彼女は、命を落とした……。仲間をかばって……たった一人で……っ」
 話が進むごと、次第に震えた声が、何かに耐えるかのように切れる。アーテリンデは、両腕で自らを抱いて、危うく雪原に膝を突きかけた。相手が自分達を害そうとしているのも忘れて、アベイが駆け寄りそうになったが、仲間の誰かが止める前に、背後からの声が動きを止めさせた。
「それだけならば、樹海に挑んだ冒険者の、よくある話だ。お嬢の悲しみはもっともだが――冒険者を害する理由にはならぬ」
 背後からの声――ライシュッツの言う通り、アーテリンデの話だけなら、冒険者に日常茶飯事に降りかかる出来事。不運か、自業自得か、理由はいろいろあるだろうが、少なくとも、自分達以外の冒険者に責をなすりつけることのできないものである。アーテリンデの姉弟子の不幸には同情するが、そんな理由で自分達の前途を遮られるというなら、「ふざけるな」と吐き捨てても責められる謂われはないだろう。
 が、続くライシュッツの話に、『ウルスラグナ』達は、付いていけずに、混乱しかけた。
「だが――『天の支配者』が樹海を支配している、という話は知っているか?」

High Lagaard "Verethraghna" 3a-37
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