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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・36

 探索を終えた昼組が、いつものように風呂を借りようと、フロースの宿に顔を出したとき。
「ねぇアンタたち、聞いたかい? 十五階のウワサ」
 いそいそと近付いてきた女将が、眉根をひそめて、そんな話を切り出してきた。
「なんでも、手足がぐねぐね何本もある、氷漬けの女が出るって話じゃないか。全く気味が悪いねぇ。アンタたち、大丈夫かい? 十五階探索してるんだろ、そんな女に出くわしたりしてないかい?」
 どこで聞いたのかと思えば、娘の検診のために薬泉院に行ったとき、耳にしたらしい。
 そんな話が出回っているということは、その『氷漬けの女』に出会った者がいるということだ。自分達は出会っていない。おそらくは――自分達同様に十五階を探索していた者達か。
 今までは接触を持たなかった。他者よそは他者、と考えていたこともある。が、最大の理由は、先方が接触を拒んだからだ。最初は、せっかくだから共に飲み交わしながら情報交換しようと考えたのだが、例のギルドは、余程『ウルスラグナ』にライバル心を抱いていたらしい。
 詳しい話を、といっても、女将はさほど知らなかったのだが、少なくとも、件のギルドが薬泉院に担ぎ込まれたことだけは判った。それ以上は、別のところで情報を集める必要があるだろう。
「エル兄、その、『こおりづけのおんな』が、『エスバット』が言ってた『おそろしいもの』なのかな」
「どうかなぁ」
 ティレンの朴訥な問いに答えながらも、エルナクハは考える。
 情報が街に流布しているということは、件のギルドは無事に戻ってきているということだろう――否、どうだろうか、『辛うじて』という接頭詞を付ける必要があるかもしれない。今の時点では、全員が無事かどうかは判らないからだ。
 ……確認してみるか。
 そういう結論になったのは、何らおかしい話ではないだろう。
 一旦、風呂はお預けということにして(焔華とパラスが大層残念がったが)、『ウルスラグナ』は薬泉院に顔を出すことにした。
 ノックをして様子を窺うと、程なくして、薬泉院に務めるメディックの女性が姿を見せる。話を聞くと、朝方までは随分とばたついていたが、今は落ち着いているらしい。ツキモリ医師を呼べるかどうか問うていると、折良く、会いたかった当の本人が奥から姿を現した。
「おや、アベイ君に――『ウルスラグナ』の皆さんでしたか」
「よう、ツキモリセンセイ」
「コウ兄、徹夜っぽかったみたいだけど、大丈夫なのか?」
 ツキモリ医師の、いつもはそれなりに整えてある髪は、統制を失った兵士達の逃走路を形取ったかのようだった。白衣をはじめとする服も、やや崩れているところからすれば、徹夜の治療を終えた後にそのまま仮眠に入り、今やっと目覚めたというあたりだろうか。
 アベイが話を切り出すと、ツキモリ医師は大きく頷き、口を開いた。
「詳しい話はギルド長が聞き取っていかれました。僕の聞いた話は――断片的なものでしかないですが、十五階の奥に、とても恐ろしい魔物がいるとか」
 やはり、第三階層にもいるのか。世界樹の迷宮において、守護者のように先を阻む、大物が。
 キマイラや炎の魔人がそうであったように、環境ががらりと変わる直前に立ちはだかるもの。エトリアにおいては、それらは文字通り樹海の守護者であったことが明らかになったが、ハイ・ラガードではどういう意味合いをもって『そこ』にあるのだろう。その理由は未だにわからない。
 エスバットが言う『恐ろしいモノ』も、その魔物のことだろうか。
「あなた方であれば、大丈夫だと思いますが……、くれぐれも注意して進んで下さいね」
 ツキモリ医師の心配する言葉を耳にしつつ、少しほっとした。どうやら『エスバット』は冒険者達の邪魔をするつもりはなかったようだ。件の冒険者が第三階層の奥まで到達しても、手出ししてこなかったのだから。つまりは、ライシュッツの『十五階が墓場になる』宣言は、単純に魔物の存在を示していただけなのだろう。
 やはり、冒険者同士の反目までならまだしも、殺し合いなどないほうがいい。
 そう思っていた『ウルスラグナ』。
 だが、その安堵は、詳しい話を聞こうとしてギルド長を訪ねた時に、裏切られることとなる。

「来ると思っていたよ、『ウルスラグナ』」
 相変わらず鎧に身を包み、素顔を見せないギルド長は、兜越しの性別不詳の声をもって、冒険者達を歓待した。
「第三階層の奥で謎の魔物にやられた冒険者の件、お前たちはそれを訊きに来たのだろう」
 お見通しのようだった。
 というより、よくよく考えれば変なのである。ツキモリ医師が徹夜で治療した程に重傷の冒険者。ギルド長がその者から何かを聴き取ろうとしたなら、院長であるツキモリ医師か、その次くらいに腕の立つメディック、そのうちの誰かが立ち会っていなくてはおかしい。立ち会っていれば、冒険者の話も聞いたであろう。だが、ツキモリ医師は「話はギルド長が聞いていったが、自分は断片的にしか聞いていない」と表明したのである。
 たぶん、ギルド長が口止めしたのだ。心身どちらかに問題を抱えて不安定になっている者も集う、薬泉院という場所で、あまりに衝撃的な話をさせないように。
 とはいえ、既に情報として流布している、人間の女に見えること、氷漬けであること(どういう意味合いかは不明だが)、手足が何本もあるように見えること――それ以外に衝撃的なこととは、何だろう?
「何があったんですし?」
「もう噂が流れているから、あらかた耳にしたことも多いと思うが……」
 そう前置きして、ギルド長は語り始める。
「薬泉院に運ばれた生存者に聞いたが……問題の魔物は、どうやら、かなりの大物らしい。一見した限りでは、人間の女に見えるそうだ。で、近付いた際にいきなり……!」
 ギルド長の強くなった口調に同調して、思わず『ウルスラグナ』一同は唾を飲む。
「たくさんの手足で、と……?」
「……って話さ。何も判らないままギルドは崩壊。生き残ったのは一人だけ、ということだ」
 問題の魔物と直に当たったギルドの生き残りから見れば、これ以上のことを語りようがなかったわけだ。が、そのようなことは全て、噂として流れている。とすれば。
「何を隠してるんだ、ギルド長よぉ?」
「……不思議な点があったのだ」
 ギルド長の表情は見えないが、口調には慎重さを増した印象がある。
「薬泉院に駆けつけ、魔物に襲われた生存者を見たのだが……その背に何故か銃創が残っていた気がするのだ」
「……!」
 隠すわけだ。そんな話が噂として流れたら、どうなるか判らない。
 剣の切り口に似た傷を負わせる魔物はいる。打撲傷を負わせる輩は数知れない。だが、矢や銃を使う魔物は存在しない。それは――紛れもなく人間に襲われたという証だ。
 誤射の可能性もないとは言えない。魔物が武器を使っている可能性も皆無ではない(現に第二階層の『森林の覇王』は剣などを使っていた)。が、何者かが、謎の魔物と戦っている冒険者の背後から、その生命を狙った、と考える方が、しっくり来る。真偽はともかく、そう考えた者が噂を広めてしまったら、冒険者達の間には疑心暗鬼が広がるだろう。
「残っていた気がする、ってことは、弾自体は残ってなかったのか?」
 アベイが問う通り、直撃したなら、体内に弾が残っていてもおかしくはないのだが。
「残っていなかったのだ。だから、まぁ、気のせいかもしれん。あの二人を警戒しすぎて、見間違えた可能性もある。それもあって、院長には内密に願ったわけだが……」
 つまりは、単に魔物から攻撃された傷である可能性もあるのだ。
 とはいえ、ギルド長がそんな話を『ウルスラグナ』にしたということは、『あの二人』の仕業である可能性を捨て切れていないのだろう。それは話を聞いた側の『ウルスラグナ』としても同じこと――いや、『あの二人』すなわち『エスバット』の仕業であると考える度合いは、恐らく自分達の方がギルド長より強い。
 なにしろ、直接に言われたのだ――十五階、氷と雪の広間が自分達の墓場となる、と。
 もしそうだとしたら、『エスバット』の目的は何なのだろう。
 例のギルドの生き残りは、謎の魔物とまみえた際に撃たれたのだ。『エスバット』としては、その魔物を倒して先に進むのは自分達なのだから、手を出すな、ということだろうか。
 それほどまでして、同業者を敵に回してまで、冒険者の栄誉が欲しいのか?
 あの二人は、天空の城に魅入られて人間の心を失ったのだろうか?

 ちりん。

 不意に鐘鈴の音が響く。それが何を意味するかを考えるより先に、心の中の怒りを司る部分に、霧がかかった。『エスバット』に対する怒りが麻痺し、すうっと静まっていくのを感じ、全員が戸惑った。唯一戸惑っていなかったのは、鐘鈴を操って人の心を潰す呪をかけた本人、パラスだけだった。
「みんな、少し落ち着こうか……ま、私がこんなこと言うのも何だけどね」
「でもよ……!」
「『エスバット』が他の冒険者を襲ってた――そう考えたくなる状況だけど、そっちばっかりに気を取られたら、取り返しが付かなくなるかもしれないよ?」
 確かにパラスの言う通りである。今のところ、全ては状況証拠。銃創に見えた傷痕も、本当に、魔物の攻撃によるものかもしれないのだ。それを、しっかりとした検証なくして決めつけては、心がそちらに引きずられ、どんな結果を招くか、想像もできない。
「……ま、一番落ち着きたかったのは、私なんだけどね」
「オマエかよ」
 パラスの告白に突っ込んだところで、呪が晴れ、心が平静を取り戻してくる。
 少なくとも『エスバット』の動向に注意する必要はあるだろう。だが、怒りに任せて対峙するのも、よいことではあるまい。
 なにしろ、まだ最大の謎が残っているのだ。
 十二階で顔を合わせたアーテリンデ、彼女のあの表情は、何を意味するのか。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-36
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