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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・34

 隙間ができた瞬間、内側から冷気が凄まじい勢いで流れだしてきた。エルナクハとナジクは悲鳴を上げて扉の前から飛び退き、他の三人はすでに待避していたが、慌てて縮こまり、身を守る。
 しばらくは、冷気を孕んだ暴風が、場を支配した。
 やがて、空気の流れは静かに止まり、雪に音が吸い込まれるために生まれる独特の静寂が戻ってくる。
「……終わった、か?」
 冒険者達は、恐る恐る扉に近付いた。
 全開になった扉の傍で、問題の冷気を感じることは、もはやなかった。その残滓か、若干の気温の低下を感じる程度である。
 緊張しながら扉の向こう側に踏み込むが、これまでと大きく変わることのない光景が広がるだけだった。
 いささか拍子抜けしたものである。だが、それも、ナジクが口を開くまでだった。
「――この区域は、いつも酷い冷気に晒されているようだな」
 レンジャーは近くにあった枯れ木を調べていた。常人には判らないが、彼には何か判断の元となる事象を見つけられたのだろう。どうやら、警戒レベルを平常に戻すのは早いようだ。
 ただ、冷気が緩んでいる今が、進み時とも言える。
 一同は警戒だけは怠らないようにして歩を進めた。間もなく、第三階層のあちこちで冒険者達の行く手を阻んでいる氷の山と、その間に通る細い氷の道を見つける。ソリを持ち出してその凍路を越え、なんとか部屋の奥へ辿り着く。
 そこには、他の場所とさほど変わらない雪原が広がっているだけであった。
 だが、戸惑いながらもさらに歩を進めていたとき、ひょう、と風が吹いた。足下の雪が風に煽られ、渦を作って舞い上がる。やがて風が止み、舞った雪は再び地に降り落ちたが、元あった場所に完璧に戻ったわけではない。
 雪を失った場所に、奇妙なものが顔を覗かせているのを見て取って、『ウルスラグナ』は表情を改めた。
 雪と好対照を見せる、黒御影石(と思われる)で作られた足場であった。
 だが、周囲の雪を払うも、墓石によくあるような鎮魂の言葉の一句も刻まれておらず、本当に墓なのかという疑いが首をもたげる。それでも、さらに雪をどけていくと、あるものが現れた。
 尾をくわえない知識の蛇ウロボロスを想起させる紋章。
 紛れもない、大公宮でも見た、ハイ・ラガード公国の王紋。
 間違いない! この場所こそが話に聞いた『氷王』の墓所なのだ!
 それにしても、本当にあったとは。
 正直な話、こんなところに埋葬するなど、正気の沙汰ではないと思ったものだ。遺言だからとて、死んでしまった後のことなのだから、遺された方がその通りに実行する義理はないはずだ。だというのに、墓は存在した。託された方が律儀だっただけか。あるいは、そうしなくてはならない理由があったのだろうか。
 まあいい、その件は、追々、記録の中から見つかるかもしれない。
 もののついでに、周辺の地図を仕上げることにした。
 その過程でも、何度か魔物と出くわしたが、全てが小物だった。心配していた『氷嵐の支配者』は、影も形もない。逃げたのだろうか? それとも、初めから存在せず、あの極低温は別の要因で引き起こされたものだったのか。
「いないですね、とんでもない魔物とやらは」
 フィプトがつぶやく言葉が、なぜか妙に得意げに聞こえて、エルナクハは眉根をひそめた。だが、よくよく考えれば、いるかどうかも定かではなかった氷竜をダシにしてアルケミストをからかったのは、自分が先である。だから、首をもたげかけた不快感を抑え、無言で肩を竦めるに留めた。
 やがて、付近を回り終え、顕わになった墓石のあたりに差し掛かったときのことである。
「……あら?」
 最初に気が付いたのは焔華だった。
 身をかがめ、雪の上を撫でた彼女が再び立ち上がったとき、一瞬、雪をすくい上げたように見えたのだが、そうではなかった。
 ブシドーの娘の手にあるのは、一輪の花。雪ほどに真っ白な、一輪のアウラツムヤマユリの切り花だったのだ。
 茎葉の部分は、風に飛ばされないようにか、半ば雪に埋もれるようにしてあったらしい。来た時に気が付かなかったのも無理はない。よく踏みつぶさずに済んだものだ。
 それにしても奇妙な花だ。あの冷気の中にどれだけ放置されていたかは知らないが、凍ったような様子もなく、未だ瑞々しく、美しい彩りを保っている。『ウルスラグナ』の前に誰かが来ていて、鎮魂か何かのために、ここに置いたのだろうか?
 ……大公宮の古文書の記述でやっと存在が知られたはずのこの場所に、誰が?
 何か、墓所についてのさらなる事実を知る助けになるかもしれない。そう考えた冒険者達は、アウラツムを大事に持ち帰ることにした。ザックの中では潰れてしまいそうなので、アベイの医療鞄を整理して空きを作り、その中にしまうことにする。
 これで、目的は達成した。後は街に戻り、大公宮から報告受付の委託を得ているはずの、棘魚亭の親父に、墓所発見の報を伝えるだけだ。
 ――その前に、私塾に戻って、暖かいシチューでも食べたい。一同は、いつもにも増してそう感じたのであった。

 そうして、一旦私塾に戻り、人心地付いた探索班一同は、酒場に顔を出し、親父に一部始終を報告する。
 親父はどうやら、『氷王』本人を探しに行ったと思っていたらしい。正しい探索対象は墓所だったと聞いて、あからさまにつまらなさそうな表情を見せる。七代前という遠い過去の王が、樹海の中で未だに生きているとでも思っていたのだろうか。
 が、そんな親父も、話が進むに連れて、興味津々の体を見せる。
「……ってこたぁ何だ、お前らより先に、何代か前の王様は、世界樹の中に入ってたってことか?」
 ハイ・ラガード国民のほとんどにとって、樹海の入口は、数年前にその存在が明らかになったものである。さらに対外的には、樹海発見は数ヶ月前のことでしかない。
 酒場の親父含む多くの者は、『呪術院』が、はるか昔から樹海を出入りしていたことを、知らないのだろうか。
 そう考えたとき、果たして誰が『氷王』の遺言を果たしたのか、ふと判った気がした。だとしたら、花を供えたのも――。
「なぁ親父、報告すんのに、コイツいるかな?」
「あン?」
 エルナクハが差し出したアウラツムの花を、親父は訝しげに眺めた。新種か、とでも思ったのだろうが、残念ながら、真っ白いこと以外は、ただのヤマユリである。興味を失い、肩を竦めて曰く。
「あー、要らねぇよそんなモン。何のために必要なんだ?」
「何のためって、墓があった証拠、とか?」
 と答えるエルナクハにしても、自信なさげである。墓所に供えてあったとはいえ、究極的にはただの花。証拠なら、もっとそれらしいものを持ってくるべきだったのだ。持って帰れるようなものはなかったし、墓石を砕くわけにもいかなかったわけだが。
 そんな聖騎士の肩を、親父はポンポンと叩き、慰めるように口を開く。
「なに、どうせ大公宮が衛士隊を送るんだ、王様の墓ってヤツがそこにあれば、誰でも信じるさ。別にウソ報告してるわけでもねぇんだろ?」
「当たり前だろう」と不機嫌にナジクが返す。
 ともかくも、報告はすべて終えて、報酬も受け取った。これで、七代前の『氷王』の墓所に関することは、ひとまず終わりである。あとは大公宮から調査団が派遣される。隣国の侵略から母国を守りきった英雄の足跡だ。調査の時間が必要だろうが、余程秘する必要がある事柄以外は、いずれ公表されるだろう。
 しかし、エルナクハにはやることがある。必要なことではない、だが興味に駆られたことだ。
 そのためには、もう二度と行くことがないと思っていた『あそこ』に赴く必要がある。

 相変わらず、並べられている珍品のひとつと間違えそうに枯れている老婆が、エルナクハを出迎えた。
 案内してくれた少年も、室内の黴びた匂いも、以前と全く変わらないが、違うところがひとつある。
「おや、今日はひとりで来たのかい」
 老婆の指摘通り、エルナクハがひとりで、この『呪術院』に足を運んだ、という事実だ。
 対面する老婆に怯えを感じるのも、以前と同じであった。二度目の対面だからとて、容易く改善されないだろう、というのも予想していた。にもかかわらず、ドゥアトの同行も求めなかったのは、簡単に言えば『男の子の矜持』というものだろうか。本来なら調べる必要がない、しかし、己の好奇心に引っかかることだから、他人の手は借りられないというものだ。
 しかして、老婆に「二度目なのに、まだお母さんの助けが必要なのかい?」と鼻で笑われるかもしれない、という想像に我慢ならなかったというのが、実情である。
 虚勢の甲斐あってか、取り越し苦労だったのか、ひとりで来たことについてはそれ以上触れられずに、話は進む。
 エルナクハが老婆に差し出したアウラツム。
「おやおや、花だなんて、あんたには奥方がいるのだろうに、浮気かい?」
「アホ」
 老婆のからかいに、思わずエルナクハは反駁してしまった。相手の冗談に、一瞬、気が緩んでしまったのだ。慌てて気を取り直し、呪術師の老婆に改めて問い質す。
「この花を樹海内に置いてきたのは、アンタの同胞じゃねぇのか」
「おや、どうしてそう思うんだい?」
 老婆の様子からは、とぼけているのか、どうしてそう思われたのか本当に判らないのか、判断できなかった。しかし、他にはいないのだ。公王を樹海に葬るという真似ができた者――公王家とそれなりの繋がりがあり、かつ、当時すでに樹海迷宮の存在を知っていた者。おおよそ二百年前の『呪術院』。
 大公宮が墓所のことを忘れてしまっていたのなら、他にその存在を知る可能性を持つのは、『呪術院』を継ぐ彼女達以外に、誰を考えられるというのだろう。
「ふむ……確かに、『氷王』の遺言を受けて、かの王を樹海に葬ったのは、当時の『呪術院』さ」
 事情を聞いて、『呪術院』の長は、しかと頷いた。その瞳には昔を懐かしむような輝きが宿っていたが、さすがに当時、彼女が生まれていたとも思えない、おそらくは想像しているだけだろう。だが、感情移入ができるという点を考えても、ある程度の記録が残されており、現在の長である彼女がしかと目を通したのは間違いあるまい。しかし、老女は静かに首を振った。
「でも、その花を供えたのは、ワシらではないよ。ワシらに伝わっていたのは、『氷王』に頼まれて、かのお方を樹海に葬った、という、それだけだからね」

High Lagaard "Verethraghna" 3a-34
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