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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・33

 数日を掛けて、公王墓探索班は、目的地まであと少し(推定)というところまで探索を進めていた。
 推定、というのは、地図のほとんどが埋まっていたからである。十四階の隠された道から続く区間を埋めた後、奥にあった階段から十三階の未踏区域に踏み込んだのだ。その結果、十三階の地図上で少し空いていた北側が埋まりそうに見えた。完全に埋まったときには墓所も見つかるかもしれない。
「……まあ、十二階にも降りなきゃならない、ってことがあるかもしれませんけどねー」
 昼食後、食堂の卓の上に載せられた地図を、外にいるハディードや不在のゼグタントを除く一同が覗き込んでいる前で、焔華が指摘した。十四階の地図が埋まる直前のぬか喜びを思い出したのである。てっきり同じ階に墓所があると思っていたのに。
 しかも、十二階の地図にも空きがあるのだ。十三階の未踏地域を埋めた果てが墓所ではなく、また階段だったとしても、不思議ではない。
「それでも獣道が見つかった分、苦労は減りますよね」
 そう言いながらフィプトが指したのは、十三階の地図の上、元・未踏区域の途中まで仕上がっているあたりと、迷宮本体の方の北側、その境目に、両区域を繋ぐように引いてある矢印だった。幸運にも見つけられた獣道。それを使えば、また十四階まで登って長い道を辿らなくてもいいし、それに、
「なにより、あのバケモノに会わなくてもいいしな」
 うんうん、とエルナクハは頷いた。
 墓所への道には、懸念していた邪竜こそいなかったが、もっと厄介な輩が現れたのだ。第三階層に進入して間もない頃に出会ったスノーゴースト――にそっくりだと見せかけて、全く異なる何かだ。それが近くにいるときに全身を駆けめぐった、嫌な予感。明らかに邪竜と同等以上の力を感知したそれに従って、正解だった。なにしろ、そいつはそれだけの力を持っていながら、磁軸計に反応がなかったのだ。第二階層のカボチャ――あの魔物とは今や対等に戦えるようになっていたが――のような強敵に違いない。
 事実、逃げを打とうとしたときに遅れたアベイが、その魔物の吹き出す吹雪に巻かれて生命を失いかけた。いくら後衛職で肉体的に脆弱とはいえ、そこらの魔物の一撃二撃でへこたれない彼がだ。久しぶりに、這々の体で逃げたものである。
 獣道を使えば、その魔物に遭遇した場所を通らずに済む――その先にも奴らが登場しない保証はないが。
 そろそろ属性防御系の盾技の強化を視野に入れなければならないか、と考えるが、それはさておき。
「でよ」
 エルナクハは、食後のデザート皿に積んである果物の中から、リンゴを拾い上げ、そのままかぶりつきながら、話を変える。
「そろそろ、十五階の脅威に備えたパーティを決めたいんだがよ」
「なに? お墓見つけたらすぐ十五階に乗り込むの、兄様?」
「その前に、『飛来する黒影』くらいは倒せるか試してぇけどな」
 言葉を切ると、仲間達が一斉に身を乗り出す。ただし、元から留守番のセンノルレと、どう転んでも探索に加わるアベイは、相変わらず落ち着いたものである。
 仲間達の前で、エルナクハは、新たなパーティ編成を口にした。ひとつ名前が挙がる度に、ひとつの歓喜の叫びと、多数の落胆の溜息が、室内を満たす。
 ただし、五人目だけは決められなかった。その席はカースメーカーどちらかのものであるのだが、現段階で決めてしまうのはよくないだろう、と思ったのだ。
 こうして決まった新たな探索班(未完成)が生かされるのは、もう少しだけ先のことになるはずだった。今は、墓所を見つけるのが最優先事項であるから。
 とはいえ、目的は、その翌日に果たされることになるのだが。

 昼組の冒険者達は、前日に見つけた獣道から、墓所への道へと踏み込んだ。
 ソリを一台失敬して持っていっているのは、荷物をそれに載せて楽に進むためでもあるが、凍った水路があるかもしれないことに備えてでもあった。
 曲がりくねった道を東へ進むこと、半時間程。『ウルスラグナ』は、ついに、道の最奥と思われる場所へ辿り着いた。
 目の前に佇むは、大きな扉。しかし、その様子は、他の扉とは大きく異なっていて、真っ白だった。否、扉自体が白いわけではない。表面に、びっしりと霜が張り付いているのだ。
 扉の向こうから、じんわりと漏れ出てくるものは、想像を絶する冷気。
「何だよこれ、センセイの作った壷みたいじゃねぇか!」
 それも、長持ちする方ではなく、『アイスクリーム』を作る方のだ。
 エルナクハは、あの壷をうっかり素手で掴んでしまったことがあるが、その時に掌にかかった負荷たるや、凄まじいものだった。冷たいというより痛いと表現した方がいい状況だったが、壷を落とすわけにもいかず、ゆっくりと元の位置に置くまでの間が永遠の地獄のように感じたものだった。
 今は厚手の手袋もはめている。扉を開ける程度ならどうにかなるだろう。が、中はどうなっているのか。なにしろ、樹海は密閉空間ではないのだ。だというのに、これだけの冷気を蓄えているとは、ただ事ではない。
 唐突に、フィプト以外の全員が、原因に思い至り、思わず身を固くした。
 ――まさか、『あいつ』ではあるまいか。
 エトリアの探索が一段落付いた後、遺都シンジュクのさらに下に新たな迷宮が発見された頃のことだ。
 冒険者達が多く集う『金鹿の酒場』の常連客に、片腕のない男がいたのだが、その男が、女将に依頼を出した。曰く、エトリア樹海第三階層『千年ノ蒼樹海』に、蒼き竜が実在するか否か。男は、ひょんなことからその竜と一人で戦う羽目になり、腕を失ったという。
 結論から言えば、竜はいた。蒼い鱗に身を包み、同色の翼を広げた、三つ首の竜。其は冷気の嵐を身にまとい、氷を操って冒険者達を苦しめた。『ウルスラグナ』はその竜を辛うじて倒すことができたが、それは此方に氷属性を無効化する手段があったからだ。
 今感じているほどの冷気を操れるものは、かの竜か、それ以上のものとしか考えられない。
 古文書にも『蒼き竜の御許』と、その存在を匂わせる記述があったではないか。今にして思えば、邪竜などより、かの『氷嵐の支配者』のことを指すと見るべきだった。
「……やっぱり、属性ガード系の技を鍛錬しとくべきだったかなぁ」
 属性攻撃から身を守るには、『ミスト』と呼ばれる霧状の薬剤を利用する、各属性から身を守る特性を持つ鉱石を利用した護符を身につける、等の方法があるが、最も確実なのは、熟練したパラディンの盾技『属性ガード』を使用することである。とはいえ、パラディンが能動的に技を使う必要がある、熟練していなければ完全に防御できない、など、いくらかの欠点もある。
 なにより、どの手段も今は持ち合わせていない。ミストは、第三階層で見つかった水仙人掌から精製できたし、護符も、雷を除けば、第三階層までに見つかった素材から作られていたが、それらを調達してきたとしても、今の『ウルスラグナ』では氷竜の攻撃に耐えきることはできないだろう。そして、属性ガードも、樹海で通用するだけの錬度ではないのである。
 では、このまま尻尾を巻いて逃げ帰るべきか。
 それも一手ではあろう。生命あっての物種だ。大臣には悪いが、依頼を放棄させてもらうのが一番いい。
 だが同時に、せっかくここまで来たのだから、進みたい、という思いもある。
 単なる物珍しさから危険を軽視しているわけではない。古文書に書かれているように、危険な存在が近くにいる、にもかかわらず、当時の関係者は、まさにその近くに『氷王』を葬ったのである。とすれば、墓所は辛うじて竜の縄張り外とも考えられるのだ。エトリアの竜も、縄張りに近付きさえしなければ、襲ってこなかったのだから。
「あ、あの……」
 ただ一人、事情のわかっていないフィプトが、もどかしげに声を上げる。その二の句か継がれる前に、エルナクハは言葉を放った。
「センセイ。ひょっとしたら、これからオレらはとんでもねぇ魔物に出会うかもしれない。ちびるなよ」
「ちびるって……そ、そんなわけあるはずないじゃないですか!」
 珍しく声を荒げたフィプトだったが、他四人が、これまでにもなかったような真剣な眼差しを扉に向けているのに気付き、一度は口をつぐんだ。やがて、おずおずと切り出す。
「……奥へ、行くつもりですか?」
「行かなきゃ、墓所も見つからないからなぁ」と、アベイが、表向きは飄々とした口調で答える。
「フィー兄は、興味ないのか? 墓所があれば歴史の大発見になると思うけど」
「あります! あります……けど、奥にそんなに危険な魔物がいるなら――」
 そう言いかけたところで、フィプトはエルナクハと目が合った。黒い肌の聖騎士は、ニマニマと笑みを浮かべ、錬金術師の次の言葉を待っている。そう認識した瞬間、フィプトは反射的と表現してもいい程の速さで結論を口にした。
「――いえ、行きましょう。引き返すのは、魔物の気配をしっかりと感知してからでも、遅くはない」
 フィプトの言う通り、魔物自体の気配は、今のところ感じられない。彼の言い分は一理あるだろう。
「……決まりだな」
 全員の意志を代弁するように、ナジクが宣し、誰が動くよりも先に扉に手をかけた。慌ててエルナクハもそれに倣う。厚い手袋を通してさえも、ぴりぴりとする、火傷にも近い痛みが、掌に伝わってきた。だが、それが耐え難いものとなるまで、扉に触れている必要はなかった。力を加えられた扉は、これまでのものよりは鈍い速度ではあったが、低い音を立て、左右に分かれていった。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-33
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