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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・28

「捜し人は、銃士……だと?」
 『ウルスラグナ』は慄然として、突きつけられた言葉を繰り返した。
 ドゥアトの捜し人が銃士だろうが何だろうが、別に何の引っかかりもないはずだ。しかし、その場に居合わせた者は、嫌なものを等しく感じ取った。言葉を発したときのドゥアトの態度から、無意識で『それ』に勘付いたのだろう。
「まだ見つかっていないのだろうけれど……手がかりくらいはあったの?」
 おそるおそる切り出すオルセルタの問いに、ドゥアトは静かに首を振る。
「名前を知っている人は結構いたけど、やっぱり、それだけでは何も判らないわね」
「結局のところ、何なんですし、その捜し人の名前は?」
 焔華に問われたドゥアトは、しばらくはためらっていたようであった。それでも、隠している意味はないと決断したのだろう。ややあって、唇がはっきりと動き、ひとつの単語を紡いだ。
「『バルタンデル』」
 その刹那、室温が急激に下がったような気がした。
 理由のひとつはドゥアトの態度。その名を口にしたときの彼女からは、まさに『呪詛』としかいえない気配が滲み出て、纏わりついていたのだ。それは、かつて、はとこの死を知ったパラスが纏ったものに酷似していた。
 いまひとつは、その名の意味。古くから伝わる伝承にある、『バルトアンデルス』と呼ばれる魔物の名が、音韻の合体や脱落を起こしたものだろう。魔物の名の意味は『千変万化』。変身を得意とする太古の神の末裔で、先祖同様に変身能力に秀でているという。
 ――だから、『名前だけ知っていても捜しようがない』のか。
 自称他称のどちらかは判らないが、そんな名で認識されているのだ、おそらくは変装に長けているのだろう。
 以上二点から、漠然と導き出された推論が、ひとつ。
「お母さん……」
 震える声で、パラスがその『推論』を問うた。仮に彼女がしなかったとしても、『ウルスラグナ』の誰かが問うてしまったかもしれない。
「そいつが、その『バルタンデル』ってヤツが、あいつを殺したの?」
 かつて『ウルスラグナ』のライバルの一人であった、金髪碧眼の少年騎士は、エトリア執政院を襲った戦いの渦の中で死に至った。そのことについての種々くさぐさは、荒れたパラスが落ち着いたことで、一段落付いたはずだった。続きがあるなら、ハイ・ラガードの世界樹の制覇を為した後で、土産話を携え、エトリアに戻った後のことだと。
 けれど、意外と長引くものなのかもしれない。運命を司る何かが膳立てたのか。否、そのような超常の力を及ぼすまでもない、必然なのだろう。去りし者が心の中に開けていった虚無を埋めるために、手段を求める者がいる限りは。
 『復讐』は、一番わかりやすい手段だ――その果てにあるものは、必ずしも喜ばしいものではないのだろうが。このことについてドゥアトを責めても仕方ないだろう。
 だが、一度は立ち直り、悲嘆の泥沼から這い出た呪術師の少女は、今度は憤怒の業火の中に自らの身をさらそうとしている。
 母たる者は、自分がとてつもない過ちを犯したと、ようやく気が付いたようだ。自らの裡の憎しみに気を取られ、それが娘に飛び火し、消えかけていた熾火おきを煽り立ててしまったと知るのが遅れたと。娘を前にして答えをためらっていたのは、それをどうにか再び収めたかったからだろうか。
 それでも結局は、ドゥアトは答えざるを得なかった。己が腹を痛めて産み落とした娘のことだ、もはや煽り立った火を消すことはできない、と判っていたのかもしれない。
「……ええ、そうよ。その『バルタンデル』が、あの子を撃ち殺した――そう聞いてるわ」
 だから、と、呪術師の女は、息をついて続けた。
「名が知られていても、ほとんどの者が正体を知らない、あの銃士。けれど、『エスバット』の銃士――『魔弾』という通り名を持つ程のガンナーなら、もっと詳しいことを知っているかもしれない。だから、あたしはその男に会いたいわ。街を捜すより、迷宮の先を目指した方が会いやすいっていうなら、あたしは迷宮に潜る。先に進むために相応の修行が必要なら、耐えてみせるわ」
 それが本気か否かを問うのは愚行だろう。そして、樹海探索に耐えられるか否かを問うことさえも。彼女達カースメーカーは、呪術を我がものにするために、遙かに苦しい修行に耐えてきたはずだから。
 とはいえ、カースメーカーはすでにいるのだ。彼女と同じ修行をしてきた、彼女と違って樹海探索経験の豊富な者が。そして、その者――パラスは、言うまでもなくドゥアトよりも猛っていた。
「だったら、母さんは引っ込んでて! 私が! 私が、ライシュッツに、そいつのことを聞いてやる……!」
 もはや熾火は盛大に燃え上がり、触れることすらできない程。消すことは不可能。できることは――。
「……て、わけだ」
 ――うまく取り扱うしかあるまい。
 エルナクハは溜息と共にドゥアトに声を掛けた。
「見ての通り、やる気満々でどうしょうもないのがいるし、しかもアンタより経験豊富と来てらぁ。こいつを差し置いてどうこうしようってのは、骨が折れるぜ、それでもか?」
 というより、是非、『どうしても』と言ってほしい。
 今は娘の方が『樹海探索に慣れている』という優位性を保っているが、同じ条件を整えさえすれば、娘が容易に母に勝てはしないだろう。戦いの実力ではなく、精神的な面での話。母親には、是非、娘の暴走を、最悪の結末を牽制してほしいのだ。いくら復讐に猛っているといっても、母の方にはまだ、周囲を見る余裕があるだろうから。
 案の定、ドゥアトははっきりとした声音で宣する。
「当たり前よ」
 その瞳に、娘より数段上の、現実を映す光を見て取り、エルナクハは安堵した。
 ふと、あることに気が付いて、口にする。
「思えばよ、ライシュッツに話を聞くだけなら、別にアンタらじゃなくてもいいんじゃねぇのか。別にオレとかでも――」
 そして後悔した。こういったものは理屈ではない。
 大気が灼熱に変わって身をじわじわと侵すような感覚から逃れたくて、話を締めた。
「まあいいさ。だけど、どっちかしか連れてけねぇぞ。それだけはギルマスとして譲れねぇからな」
「わかってるわ」
「うん」
 二人のカースメーカーが承諾の意を示したその途端、室内の灼けつく大気は正常に戻った。
 皆、同じように感じていたのか、一斉に安堵の溜息が漏れる。
 「あついあつい、窓あける窓あける」
 ティレンが駆け足で窓際に近付き、ぱっと窓を開け放った。その様を見て、パラスとドゥアトは苦笑している。彼女達に配慮して、他の誰もが口にするのを我慢していたのだが、皆、部屋の空気を(主に精神的な意味で)入れ換えたいと思っていたのは確かだった。そういう意味では、真っ直ぐに、しかし嫌味や含みなく、自らの望みを主張できるティレンは責重なのである。
 だが、次の瞬間、ティレンならぬ者達も、真っ直ぐに自分達の感情を吐き出した。
「寒っ!」
 第三階層程ではないが、急激に吹き込んできた風は、冬の前触れのような寒気を含んでいたのだった。
 既に秋は深く、夜の冷え込みも厳しくなってきていた。シトト交易所には一般人向けに冬に備えた服が並び始め、郊外の畑の多くは刈り入れを終えて閑散たる様となっている。そういえば、素兎ノ一日に収穫祭が行われるという知らせが街のあちこちに張り出されていた。催し物のほとんどは、ひとまず作物を刈り終えて空いている畑で行われるらしい。ただ、街の中を山車が練り歩くとかで、その日に冒険に出るときは道が混雑しているから注意するように、との達しが、冒険者ギルド統轄本部から届いていたか。豊穣を司る大地母神の神官(代理)たるもの、どうせなら探索を休んで収穫祭に参加したい、とは思うのだが、状況がそれを許してくれるかは、まだ判らない。
 そんなことを考えているエルナクハの耳に、ティレンの訝しげな声が届いた。
「ハディード、なんでまだ、おきてる?」
 話し合いが始まる前、窓の下にちょこんと座って応接室を見上げていた獣の子は、それからずっと同じ場所に居続けたらしい。ティレンの言葉に、くぅ、と鼻を鳴らすと、断続的に尾を振った。先だってくわえていた何かを、まだくわえたままでいるが、その正体はやっぱりわからない。
「もう話し合いは終わったぜ、ほら、オマエも寝れ」
 ハディードは、ギルドマスターの言葉を聞くと、再び鼻を鳴らし、とぼとぼと、中庭の隅、犬小屋へと戻っていく。いっぱしに話し合いに加わりたくて待っていたのか。いや、まさか。単に遊びたかっただけだろう。こんな夜中にそんな要求をしてくることは今までなかったことなのだが、それ以外の理由には思い至れなかった。だからエルナクハは、こう声を掛けた。
「遊びたきゃ明日の朝だ。メシ食う前にひと運動すっか?」
 実際、朝餉前に軽く鍛錬を行うのは日常行為だ。獣の子と戯れるのもいい運動になるだろう。
 ハディードは、了承の意を示したのか、単なる気まぐれか、尾を大きく一振りすると、中庭の隅の暗がりへと消えていった。
 それを見送りながら、言葉が漏れた。
「復讐、か……」
 『ウルスラグナ』に親を殺されたはずの獣の子。だが、奇妙なことに、ハディードは最初こそ警戒したものの、今となっては『仇』にすっかり懐いてしまった。獣に『復讐』という概念がないからか? 否、獣とて、時には、復讐としか見えない行動を取るという。ひょっとしたらハディードは、『仇』を認識し、その上で『復讐』を捨てているのだろうか。
 だというのに人間は、復讐を捨てられない。
 復讐は何も生み出さない、などという綺麗事を言う気はない。自分だって、『バルタンデル』とやらが目の前にいたら、生命を奪うかどうかはともかく、数十発くらいは殴りたい。しかし――。
 自分達は、復讐に猛って自滅する例を知っている。そのほとんどは伝聞でしかないが、ひとつだけ、身近な例があった。仲間を殺された復讐心に猛り、たった二人で仇に挑み、樹海の露と消えた、赤毛の聖騎士と黒い獣。
 そして、唯一、自滅寸前で救えた例も、身近にある。エルナクハは、その『唯一例』に歩み寄り、他の者には届かない程度の声を掛けた。
「なぁ、ナジクよ」
「……何だ、エル?」
「オマエは――オマエだったら、一族の復讐を、まだ望むか」
 それは、あるとわかっている罠を踏む行為だ。そう判っていて、敢えてエルナクハは踏み込んだ。予想通り、ナジクの瞳の中に、怨嗟の炎が舞い上がる。先程、パラスやドゥアトが抱いたものと同じ、暗い炎。だが、その炎は瞬く間に鎮火した。ナジクは顔を伏せ、静かにつぶやいた。
「今は――己の復讐よりも必要なことが、ある」
「そか」
 エルナクハは応えて頷いた。その答は、一聴した限りでは、喜ばしいもの。だというのに、そういう時なら付随する不敵な笑みは、今回ばかりは浮かばない。ナジクが復讐を諦めたと言い切ったわけではないから、ではない。自らの復讐以上に、狂気のように傾倒する何かがあるような気がしたからだ。
 気のせいかもしれない。答を発する直前、ナジクの瞳から暗い炎は消えていたから。が、顔を伏せた瞬間にも再燃しなかった、とは言い切れない。不条理に一族を奪われたこのレンジャーは、エルナクハの妹が危機に陥ったときに自分の生命すら投げ出す勢いで飛び出した彼は、不条理に親族を奪われたカースメーカー達に同調し、彼女達以上に激しく、金髪の少年騎士の復讐に動くのではないのだろうか。
 気が付けば、部屋にはナジク以外の者がいない。寒さに辟易して個室に戻ったのだろう。レンジャーにも、戻れ、としぐさで伝えながら、ふと、数日前のことを思い出した。
 とある依頼を請けたときのことだ。内容は『樹海で消えた恋人の仇を討つ』。正確に言えば、依頼人である女性は、最初は自ら剣を持って仇を討ちに行こうとしたという。冒険どころか、生活必需品以外の刃物を持ったことさえない女が、だ。端から見れば正気の沙汰ではないが、復讐の念とはそういうものだろう。見かねた親父が依頼の体裁を整えなければ、彼女は恋人と同じように、樹海の彼方に消えてしまっていたに違いない。
 結局、恋人らしい者の遺体(の一部)を確保していた魔物を倒し、報告した『ウルスラグナ』だったが、その時、親父はこうこぼした。
 ――こんな事して仇討ったって、好きな男が帰って来るワケじゃねぇんだ。恨んだって仕返ししたって、どっちにしろ余計に苦しくなるだけなんだ……。
 その言葉には親父の実体験も込められていたのだろうか。そこまでは判らない。ただ、同意の念と共に、思った。
 敵討ちには意味がない。仇討ちに成功しても、大抵は、さらなる感情の泥沼にはまるだけ。論理的に考えれば、そのはずだ。だというのに。
「……それでも」
 開いたままの窓の枠に背を預け、エルナクハは、その時に親父が続けた言葉と同じものをつぶやく。
「忘れて幸せになれねぇのが人間、ってか? はは、辛気くせぇ」

High Lagaard "Verethraghna" 3a-28
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