←テキストページに戻る
ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・27

 エルナクハ及び探索班の、昼間の状況説明が終わると、応接室内は重苦しい空気に支配された。
 ライシュッツの警告は、初対面の頃から、過剰とも取れる脅しによって成り立っていた。ナジクが反撃のために躊躇なく弓を取った程に。焔華が、ただの脅しと知った後も、彼ら『エスバット』との戦いを想定した思考を抱き続けた程に。
 だが、それは、あくまでも脅しであった。
 ならば、今回はどうだ。
「最後通告――宣戦布告かな」
 アベイが怖気をこらえながら、そう口にした。
 あの強硬な態度、あの殺気は、決して冗談ではない。『ウルスラグナ』が探索を諦めることを狙った脅しではあるだろうが、それが聞き入れられなかった時の対応もまた、本気だろう。
 ――氷と雪の広間がヌシらの墓場となる。
 『ウルスラグナ』が探索を続ければ、いつか必ず、『エスバット』は立ち塞がる。その時は、双方、死力を尽くした争いになる。当然ながら、勝者も敗者も等しく傷付くだろう。よもすれば、死人すら出ているかもしれない。彼らを相手に手加減できるとは思えなかった。
 天空の城への道を塞ぐ、強大な障害。自分達は彼らにどう対処するべきか。
「……でも、なんか変よねぇ」
 こんな状況なのに、やけにのんびりした、マルメリの口調が、一同の緊張を弛緩させた。マルメリの名誉のために補足するなら、この吟遊詩人の娘も、決して事態を甘く見ているわけではない。口調がどうしても真面目な話向きではないのだ。「せめて、真面目な歌に仕立てて、弾き語りで語ってくれた方がマシだ」とは、多くの者が思うことである。だが、非常事態に投じる一石に注目させるには、ある意味で非常に効果的だったかもしれない。
「何が変なんですえ?」
 それはマルメリ除く全員の偽らざる内心だったが、口にしたのは焔華である。マルメリは小首を傾げながら、問いに答えた。
「何が、って言われてもねぇ……」
 おいおいそりゃないだろ、と、全員が心の中で突っ込んだ。何かが変だと指摘したのは、マルメリ本人ではないか。とはいえマルメリも突っ込みには勘付いていたようで、せめて言葉にはしようと思っているのだろう、うんうんとうなりながら頭を抱えていた。その様を見ているうちに、他の者達も、何だかマルメリの言い分が判るような気がしてきた。明確な言語化はできない。けれど、もやもやしたものを感じるのだ。
 やがて、マルメリは、ぽんと手を叩くと、これだ、と誇らしげに告げる。
「英雄譚向きじゃない!」
 訳わからない、と、他全員が再び突っ込んだ。
 しかし、言われてみれば確かに、マルメリの指摘もあながち間違いではない。仮に――気恥ずかしいことだが、『ウルスラグナ』中心の英雄譚を作ったとしよう。英雄譚の中の『ウルスラグナ』は、並み居る敵をばたばたなぎ倒し、時には困難に陥りながらも、聴き手の胸のすくような冒険を続けるだろう。しかし、その破竹が、『エスバット』との戦いに及んだところで、ぴたりと止まる。痛快活劇を貫くはずだった英雄譚に、何か別のものがもやもやとかげる。
 英雄譚では、敵や障害がなぜ『悪』としてそこにあるのか、あまり問題にされない。もちろん、敵の事情にも焦点を当てる英雄譚もなくはないが、それは『叙事詩』という大分類に含まれるべきではないか。
 翻って、『エスバット』との戦いを英雄譚の障害として見てみる。『冒険の邪魔をする悪しき冒険者を成敗する』? そう単純に落とし込めるなら、英雄譚にはなるだろう。が、英雄譚の元となる『現実』に直面している身としては、そこに違和感を感じる。
 そうだ、やっと判った。『エスバット』の真意が掴めないのだ。
 ライシュッツは「ヌシらの本音がどうかは知らぬ」と言い放ったが、それはこちらの台詞だ。
 老銃士の表面的な態度だけ取り出すなら、単純に『冒険の邪魔をする相手』と落とし込めなくもない。が、その場合、アーテリンデの態度にどう説明づければいいのだろう。あれが演技か? 直後にも思ったことだが、謀りとはとても思えない。
 そして、アーテリンデの態度が謀りでないとすれば、ライシュッツの態度の意味が分からない。
 先に進むことを止めるのは判る。危険だからだ。しかし、止められなかったら殺すとは過激に過ぎやしないだろうか。
「……話を聞いていると、貴方の考えは短絡です」
 妻の声に、エルナクハは我に返った。
「……短絡だと?」
「ええ」
 センノルレはきっぱりと返す。
「そのライシュッツというご老体は、十五階が墓場となる、と仰っただけなのでしょう」
 つまり、別段『ウルスラグナ』の邪魔をするとは限らない、ということか。あの老人の殺気を知らないから、そんなことを言えるのだ――エルナクハはそう反駁しようとして、気が付いた。
 むしろ、自分達の方が、ライシュッツの殺気に気を取られすぎて、真実を見誤っているのではないか。
 確かに、ライシュッツは今回、『十五階が墓場となる』と言った。ただし、ライシュッツが冒険者達を片付けるからそうなる、と明言したわけではない。彼らしいやり方で、『恐ろしいモノ』が十五階にいるから『ウルスラグナ』の墓場になりかねない、ということを警告していただけかもしれないのだ。十階で出会ったときのように。
 とはいえ、そういう『楽観的』な考えを全面的に採用する気になれない理由もある。それはギルド長が『エスバット』から感じたという不審。そして、やはりどうしても無視できない、実際にまみえた際の殺気の凄まじさ。
「……結局、『エスバット』が何考えてやがんのか、さっぱりわかんねぇな」
 自分の考えを披露した後、エルナクハは降参と言わんばかりに肩をすくめてみせた。
「でもまぁ、どっちにしても、行く先に強敵が待っていることは間違いないですね」
「当たり前っちゃあ当たり前ねぇ」
 フィプトの案外強引なまとめに、マルメリが苦笑しながら同意した。
 『エスバット』だろうが、『恐ろしいモノ』だろうが、他の何かだろうが、天空の城への障害になるなら対策を立てなくてはいけないのは当然で、何が相手にしろ共通した対策法は、『もっと鍛錬すること』。弱点だの何だのは、相手が何なのかをもっときちんと把握してからだ。
「……となると、もっと素材を集めて、お金貯めないとだめね」
「どうしてです、オルタさん?」
「だってほら、強敵と当たるなら、武具もいいのがあった方がいいし、なにより薬がもっといるじゃない。ああ、アムリタみたいなの、いつできるのかしら?」
 現状では、戦技や術式を使って疲弊した気力を癒すための薬は、先輩冒険者達が遺したらしいものを偶然に入手する以外にはなかった。そういった偶然で数本のアムリタが手元にあったが、安定した供給源であるべきシトト交易所には、いつも在庫がない。どうやら、材料が決定的に不足しているようだった。
「……何にしても、いろいろと考えるのは、準備ができてからだな」
 そんな言葉で、エルナクハは話を締めた。
 そうして、ゼグタントやドゥアトに顔を向ける。
「そんなわけで、二人とも、万が一ってこともあるからよ、もしも街で――まあ、あんまり街には来ないみたいだけどよ、『エスバット』に出くわしても、相手にすんなよ。もし向こうから『ウルスラグナ』の仲間だから云々ってイチャモン付けられたら、『ウルスラグナ』とは関係ねーから、って逃げてもいい。むしろ逃げろ」
 ゼグタントは私塾に一室を借りているとはいえフリーランスだし、ドゥアトは『ウルスラグナ』の一員の母親ではあるが冒険者ではない。仮に『エスバット』が敵に回るとしたら、巻き込むわけにはいかない。彼らがそういったことをする手合いかどうかは判らないが、用心に越したことはないのである。
「ああ、悪ィけど、そうさせてもらうわ」
 フリーランスのレンジャーは、全く遠慮することなくそう返してきた。一方、緑髪のカースメーカーは、どうしたというのか、難しい顔をして考え込んでいる。
「どうしたの、お母さん?」
 娘であるパラスが声を掛けるも、母は心ここにあらずと言った塩梅で返事をしない。何か考えをまとめたいというなら待つのは造作ないのだが、ドゥアトの表情はあまりにも真剣で、彼女が抱えているものが何なのか、見ている者にさえ不安に思わせたのだ。
 やがて、カースメーカーの女は、現実に戻ってきて、顔を上げた。
「ねえ、エル君、お願いがあるのよ」
 真っ直ぐに見据える真剣な瞳に、エルナクハは内心でたじろいだ。単純に真剣さを感じただけなら、そんなに狼狽したりはしなかっただろうが、彼女の瞳の奥に暗い炎を感じ取ったのだ。彼女の本質のひとつである『呪術師』の象徴としての怨火が、宿ったかのようだった。
 一体彼女は何を考えているのか、あまりいい予感がしない一同の前で、ドゥアトは続きを口にした。
「よかったら、あたしも『ウルスラグナ』に加えてくれないかしら。で、その『エスバット』とやらに会いたいのよ」
「……どういうこった?」
 訝しく思い問いかけるエルナクハに、ドゥアトは理由を秘め隠すことはしなかった。
「……覚えてる? あたしがハイ・ラガードに来た理由が、人捜しだってこと」
「あ、ああ」
 確かに覚えている。ドゥアトの捜し人は二人。一人は名前しか知らず、捜しようがない。いま一人については、見つけてどうするのかという気持ちが先に立っているという。
「実はね、お出かけしたりお買い物をしていたりするついでに、冒険者の人達に、捜し人のことを知らないか聞いていたりしたのよ」
 ドゥアトは最近の『ウルスラグナ』の家事の多くを引き受けてくれるようになっていたが、合間にそのようなことをしていたとは。
「……それで、ひょっとして、捜し人が『エスバット』に関係するとか?」
「そうじゃないんだけどね」
 ドゥアトは苦い笑いを浮かべた。その瞳の中には、いまだに暗い色の炎が燃えさかる。見つめた者を焼き尽くしてしまいそうなその眼差しは、しかしそれでも、『ウルスラグナ』に向けられたものではないのだ。
「あたしの捜し人のひとり、名前しか知らない相手はね、銃士なのよ」

High Lagaard "Verethraghna" 3a-27
NEXT→

←テキストページに戻る