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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・26

 やはり、生きていたのか。
 『ウルスラグナ』は、数メートルほど前方に佇む老人の姿を認め、腹をくくった。
 ガンナー達が愛用する、厚手のコートと、耳あて付きの円筒形の帽子は、雪原の迷宮においても体温を逃がさずにいるようであった。着用者は、どれほどの時間この樹海にいるのかは判らないが、寒気に辟易する様子を一切見せていない。まばゆい黄金の銃と三眼の黒き銃を持つ腕を交差させ、以前一度だけ会った時同様に、殺意をふんだんに混ぜ込んだ威圧を放っている。
 ギルド『エスバット』のガンナー、魔弾の銃士・ライシュッツ。
 まさか以前のような態度で立ち塞がられるとは。初遭遇の時の殺意は、あくまでも大公宮からの依頼で他の冒険者を足止めするためのもの(やり過ぎ)だったはずだ。
 では、またも大公宮からの依頼による足止めか? 可能性は否定できない。だが、だとしたらいい加減にしてほしいと思う。何か先に進むに不都合があるのなら、街で布令でも出しておいてほしいし、樹海内で止めなければならない事情があるなら、せめてこの老人には任せないでほしい。
 ……という、若干現実逃避を含んだ思考を刹那に行った後、『ウルスラグナ』一同は気を引き締め、いつでも戦闘に入っても問題ない体勢を取った。正確に言うなら、ナジクのみ、思考などせずに、既に矢をつがえている。そんな『ウルスラグナ』の態度を前に、強い殺気を放ったまま様子を伺っていた銃士は、十ほど数えた時間の過ぎた後に、ようやく口を開いた。
「久しぶりだな、『ウルスラグナ』の者たちよ」
「久しぶりはお互いサマだぜ、じいさん。アーテリンデには、ついこないだ会ったケドよ」
「うむ、ヌシらは、お嬢様に会った。――にもかかわらず、こんなところまで来おったのだな」
 ライシュッツの言葉からは抑えきれない怒りが滲み出ている。個人的な怒りではなく、『お嬢様』の言うことを聞かない無礼者に対する従者のそれ、という方がふさわしく感じる。事実、この老人は、あの呪医の娘に何らかの形で仕えているのだろうが――。
「お嬢様……アーテリンデ様から、警告は伝えられているはずだ。樹海の奥に進むな! と……」
 確かに、言われた。迷宮の奥には、人の魂を集める天の支配者あるいはその眷属、人の力及ばぬ恐ろしいモノがいるという。その存在に対してアーテリンデは怯えの色を見せていた。だが、彼女と共にソレに会ったはずの、この老人はどうだ。少なくとも目に見えては怯えてはいない。畏怖を心の裡に収めきっているのだとしたら、たいしたものだ。
 逆に言えば、アーテリンデの怖れているモノは、決して人間が及ばないモノではない。少なくとも心の芯を砕ききるモノではない。エルナクハはそう判断した。もちろん、推論を元にして油断をするのは言語道断だ。が、鍛錬を続け、目の前の老人ほどの手練れになれば、そのモノと戦になっても、勝機を見失いはしないだろう。
 では、結局のところアーテリンデは何にあれほどまでに怯え、ライシュッツは心身頑健に立ち続けていられるのか。若い娘と経験豊富な老人の差かもしれない。だが、それ以外の事情があるような気がした。
 エルナクハは挑発してみることにした。
 左腰に佩く剣に手を伸ばす。その様は盾に阻まれ、ライシュッツから見えない動作だが、柄を握っていつでも抜き放てるようにしたことは見当が付くだろう。だが、ライシュッツが判るはずもない動作がひとつだけ付随していた。柄頭ポメルを人差し指の先で三度、仲間達には見えるように叩いたのだ。それは、万が一に備えて決めておいた、「明らかな生命の危険が迫るまでは口も手も出すな」という合図。ナジクが顔を歪める代わりに、弓柄をより強く握ったのを察し、エルナクハは内心で苦笑いをした。
 そうして仲間達の行動を抑制してから、聖騎士は銃士に向き直る。皮肉げに口端を歪め、嘲笑の言葉を発した。この黒肌の聖騎士にはそういった動作がよく似合う。
「そのお嬢様は随分とビビってたぜ? アンタらのやるべきこたぁ、いちいち他冒険者たにんに警告して回ることじゃねぇだろ。勝ち目のない敵に尻尾を巻いて樹海から逃げ出すことじゃねぇのか?」
 ぎり、とライシュッツが歯ぎしりする音が響いたような気がした。やはり――あまり気が進むことではないが――ライシュッツ当人よりアーテリンデを皮肉に絡ませる方が挑発しやすい。
「相手がなんだか判らねぇがよ、前に言われた言葉もう一回返すぜ。……ソイツをぶっ倒すのはオレらに任せて、大人しく引退でもすればどうだ?」
 その途端、恐ろしい程の殺気が銃士から吹き出した。雪の迷宮の中に巣くう邪竜が本気で自分達を殺しに来るなら、このくらいの殺気を放つだろう。手出し無用の禁を受け入れたにもかかわらず、ナジクがつがえた矢を銃士に放ちそうになった程だった。他の仲間達も自制はしていたが、いずれは耐えきれずに武器に手をかけたかもしれない。
 人の形をした殺気が、二丁の銃を冒険者達に向ける。このまま、戦いになだれ込むのか。
 だが、そうなることはなかった。ライシュッツがぴたりと殺気を収めたからである。どうしたのか、と訝しむ冒険者達を前に、銃士の老人は、銃口を下ろし、思いの外に落ち着いた声を上げた。
「……ヌシらの本音がどうかは知らぬ。だが、このまま進まれては我らが困るのだ」
 その理由を知りたくて挑発したのだが、あいにく、そのには乗らない、ということだろうか。残念に思いつつも表情には出さず、エルナクハは老人に目を向ける。
 何かを言おうとしたのだが、口を封じられた。
 ライシュッツが冒険者達に向ける視線は強く、けして揺るがない信念に満ちている。だが同時に、瞳の中に混ざるものは何なのだろう。例えるならば、固い決意の下に決行した長い旅の途中、星を仰ぎ見る時のものに、それは似ていた。けれど――指し示す感情が、安堵なのか、憧憬なのか、嫉妬なのか、あるいは別の何かなのか、そこまでは判断ができない。ただわかるのは、視線も、その中に混ざるものも、冒険者達の魂をえぐるようだったということだけだった。
「ここで大人しく引き下がればよし……だが、警告を無視して、このまま迷宮の先に進んだときは……」
 ライシュッツは意外にもあっさりと踵を返した。呼び止めることもできたはずだが、その背中は投げかけられる言葉を頑健に拒否していた。口を開くこともできずに、退去を見送る冒険者達に、魔弾の銃士は静かに告げる。
「十五階……氷と雪の広間がヌシらの墓場となる。それだけは覚えておけ!」
 強い口調でそう言い放った老人は、そのまま足早に立ち去っていった。
 しばらくは、銃士が放っていた何かに呪縛されたかのように、『ウルスラグナ』一同は立ちすくんでいた。ようやく動けるようになった――というより動かざるを得なくなったのは、身体に寒さがじんわりと染み通ってきたからである。
 吐息には、身体の中で暖められた暖気の他に、何かこごったようなものが混ざっている気がした。
 本当はもう少し探索を続ける気だったのだが、ライシュッツの出現で、そのような気分ではなくなってしまった。冒険者達は顔を見合わせ、アリアドネの糸を取り出して帰路に就くことにしたのだった。

 その日の夜組は、素材採集のために、ゼグタントも含めたパーティを組んで第三階層に赴く予定だった。しかし、戻ってきたエルナクハに告げられたことは、
「悪ぃケド、素材が集まったら、鍛錬とか抜きですぐ戻ってこい」
 何かしらで夜の探索が中止になることは稀にあることだが、今回のエルナクハや昼組の表情に、皆はただならぬものを感じた。
 なんであれ、ギルドマスターの要請に背くつもりはない。夕方から樹海に出た冒険者達は、素材の採集を済ませ、結局、午後十時を回った頃に戻ってきた。
 小休止を取り、小一時間程経った頃、応接室への招集が掛かる。
 普段、全員が集まるときには、食堂が使われることが多い。応接室は全員が入るには少々狭いからである。まして、総勢十二人。本来は『ウルスラグナ』ではないゼグタント、さらには『冒険者』ではないドゥアトも加わるとなれば。
 さすがにハディードまでを呼んだわけではなかったのだが、なぜだろう、外から吠え声を聞いて窓から確認すると、すっかり大きくなった獣の子は、窓の下にちょこんと座って応接室を見上げていた。
「ハディード、おまえはねる」
 とティレンが命じたものの、一行に退去する様子はない。自分も『ウルスラグナ』の一員でいるつもりなのだろうか。結局、一同は諦めた。いたところで問題があるわけでもなし、眠くなれば勝手に犬小屋に戻るだろうと思ったのだった。
 ところで、そんなハディードが何かをくわえていたのだが、確認できるほどの距離ではなかったので、その時点では、木の枝か何かだろうという結論で片付いた。
 低い角卓を囲むソファは、十人までならなんとか座れるのだが、現在は人数超過、立ちっぱなしの者が出るのは避けられない。まずは寄ってたかってセンノルレを座らせた後、誰も何も言わないうちに、ナジクが無言で部屋の隅に身体を預けた。続いて、エルナクハが「説明するヤツが立ってた方が、らしいだろ」という名目で席を立った。
 そして、時計が午後十一時を指した頃、『ウルスラグナ』の今後を決める話し合いが始まった。
 さすがに全員、樹海での装備を脱ぎ、平服でいるのだが、まるで完全装備をして樹海に佇んでいるような緊張感。部屋の奥側に立つ聖騎士に、ほとんどの者は真摯な眼差しを向け、座る位置の関係で聖騎士の方を向けない者も、その表情かんばせに真剣な色を浮かべている。
 黒肌の聖騎士は、口を開く前に、側頭部に右手をやり、褪せた赤毛を掻きむしった。
「――ライシュッツが、やっぱり生きてやがった」
 どう切り出せばいいか悩んだ挙げ句に、直球を投げた。
 一同は、応接室の真ん中に、火術の起動符と氷術の起動符を同時に投げ込まれたように感じた。
 生きているというだけなら、喜んでもよかった。初対面の印象が悪かったとはいえ、樹海探索に携わる同士なのだ。ライバルだとしても、その死を喜び、生存の知らせに舌打つような、下衆の思考は持っていないつもりだ。だが、エルナクハを初めとした、昼の探索班の態度が、不都合があったことを雄弁に示している。
「……生きていた、ということは、アーテリンデという人の話にあったという『人の力が及ばぬ恐ろしいモノ』に倒された、というわけではなかったのですね」
 というセンノルレの言葉は、事態から容易に導き出される現実を述べただけである。とはいえ、彼女とて、事がそれだけで済むものではないと判っている。生きていただけで『ウルスラグナ』全員が招集されるような事態になるはずがないのだ。
 ギルドマスターの次の言葉を緊張して待つ一同。しかし、ここで話の屋台骨に一撃が加えられた。
「……あのね、話が見えないから、最初から説明してくれるとありがたいなーって思うのよ」
 ドゥアトである。
 彼女は、『ウルスラグナ』がアーテリンデからの警告を受けた後で、私塾に来た。だから、雑談として、ライバルギルド『エスバット』という者達の存在とその受難を聞いていても、それ以上のことをよく知っているわけではなかった。疑問も当然だろう。
 そもそも冒険者というわけでもないドゥアトが、何故、この対策会議に加わっているのかといえば、エルナクハが呼んだからであった。それなりの理由があるからなのだが、その話は後に回すことにする。
 ともかく、エルナクハは要望に応えた。状況を纏めるためにも、これまでのことを振り返るのは、無駄ではないだろう――というのはセンノルレの受け売りである。
 思い起こせば、ほんの一月ほど前なのだ。『エスバット』と初めてまみえたのは。
 小動物のように闊達なドクトルマグスの少女と、彼女の従者のように振る舞うガンナーの老人、二人だけのギルド。彼らは、執政院の依頼を請け、第二階層の中途を塞いでいた。ガンナーに対する第一印象は最悪だったが、彼の態度も、迷宮の果てにいる魔人に対抗できないような者を通さないため――という説明をされ、いささかやり過ぎを感じつつも、納得した。
 そんな彼らの様子がおかしくなったのは、『ウルスラグナ』が把握している限りでは、つい十日程前のことだ。『エスバット』のドクトルマグス・アーテリンデが、『ウルスラグナ』の前に現れ、警告を発したのだった。彼女は、第二階層で出会ったときの闊達な様子が嘘のように憔悴した顔で、「探索を諦めろ」と告げてきた。迷宮の先には、人智の及ばぬ恐ろしいモノがいるから、と……。
 その際にライシュッツがいなかったから、ひょっとしたら銃士は『恐ろしいモノ』の犠牲になったのかもしれない、という可能性を『ウルスラグナ』は考えた。それはあくまでも可能性だったから、今日この日、ライシュッツの無事を確認できても、意外には感じなかったのだが――。
「生きていたのは、いい。よかったな、って感じだ。ケドな」
 エルナクハは苦虫を噛み潰したような様相で話を続けた。
「みんなのその顔じゃ、だいたい感付いてると思うがよ、あのじいさん、初めて会った時みたいに邪魔してきやがったぜ」

High Lagaard "Verethraghna" 3a-26
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