←テキストページに戻る
ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・25

 ともかく依頼は果たしたのである。一行は酒場に行って、香木と引き替えに報酬をもらう。
 親父は『世界樹の使い』が何者だったかを聞きたがったが、「意外と人間だった」と答えるに留めた。『翼を持つ人』のことを軽々しく語っていいものか、悩んだ末のことである。
 そう、自分達は、彼について何も知らない。
 樹海の先住民だろう、とは思うのだが、それも推測の域を出ない。問う言葉はにべもなく拒絶された。大公宮に保存されている記録に、彼らのことが書かれているかは、まだ不明だ。
 エトリアのモリビトと同様に、先住民だったとしよう。だとしたら、今度は、『侵入者』に対する立ち位置がよく判らない。第二階層(おそらく第一階層も)を活動領域にしていながら、人間達を侵入者として敵視するわけでもない。
 もっとも、モリビトも、人間が第三階層に踏み込むまでは何も言ってこなかった。翼持つ者達も、人間がもっと先へ踏み込んだら、あからさまに敵対的な態度を取るのだろうか。
 それにしても、何故、今になって交流を拒む? 『呪術院』と昔から取り引きを行ってきたのだから、人間という種自体に敵意を持っているわけではないと思われるのだが。やはり、大勢の冒険者達が樹海に踏み込むようになって、事情が変わった、ということなのだろうか。
 翼持つ者の言葉は、書にしたためて厳重な封を施し、香木と共に酒場の親父に託したが、『呪術院』の長は事情を知ってどう思うだろう。
「そういうこともひっくるめてぇ、いろいろ聞きたかったんですよぉ」
 酒場で卓を囲んで雑談する中、仲間達に先んじて酒を口にしたフィプトの言葉遣いは、マルメリのように間延びしている。どうも深酔いしたようだ。酒量自体はまだ大したことはないし、フィプトも酒に弱いわけではないのだが。異なる酒を一緒に飲むと酔いやすい、というのは迷信と聞くものの、ひょっとしたら、『猿酒』の光る成分が酒場の酒の成分の何かと反応して酔いやすくなった、のかもしれない。
「なのに、義兄あにさんてば、止めるものですからぁ」
 オレのせいにすんなよ、とエルナクハは内心で毒づいたが、それほど深刻にむかついたわけではない。
 そもそも、自分は何故フィプトを止めたのか、自分でも判らない。アルケミストの青年が問い質そうとしたことは、おそらく自分も問い質したかったことだ。どちらが何を聞いたとしても、翼持つ者に返答を拒絶されただろうが、当時はそんなことを斟酌するような考えは浮かばなかったはず。だというのに、何故だ。
 そんな考えは、フィプトの続く言葉を耳にしたときに、心の奥底に引っ込んだ。
「義兄さんは、ずるいですぅ」
「……ずるい?」
 何がずるいのか、という疑問込みで返したものの、具体的な事例が錬金術師から出てくることはなかった。
 状況から考えれば、彼含めた後発組を除く『ウルスラグナ』がエトリアで樹海の先住民に遭遇したことを言っているのだろう、と推測できる。ただ、『ウルスラグナ』とて、モリビトにはほとんど関わっていないのだ。彼らに対する驚異も、歓喜も、苦悩も、痛憤も、ライバルギルドが抱え込んでしまったために。
「ずるい、ずるい」と、呪術師の詠唱のようにつぶやき続けるフィプトの様に苦笑しつつ、エルナクハは酒をあおろうとして、やめた。自分だって『猿酒』を飲んだ。ここでフィプト並みに酔ってしまったら帰宅に一苦労だ。
 仲間達も同じように思ったのか、他に酒を口にする者はいなかった。
 代わりにリンゴジュースを飲みながら、フィプトの愚痴を拝聴する。
「小生だって、ずっと昔から、焦がれていたんですぅ。なのに義兄さんは、後から来て、取ってっちゃう。いや、そりゃ、小生が弱虫だったから、って、おっしゃるでしょうよぉ。でもね、仕方ないじゃないですかぁ。誰も彼もが、勇気ある一歩を簡単に踏み出せるわけじゃないんですからぁ……」
 言葉が途切れ、錬金術師は無様に卓に倒れ込んだ。「あ、潰れた」とアベイが声を洩らす。
 フィプトの言い分には苦笑するしかない。
 冒険者に彼の主張は通じない。いくら、昔から世界樹を仰いで、その謎に思いを馳せていたとしても、樹海に躊躇なく踏み込む冒険者達に勝てるはずがない。「ぐちぐち言う前に動け」なのである。
 ただ、フィプトは、そうではなかったはずだ。真実を知るためには、率先して動かなくてはならないことを察し、冒険者に加わったはずだ。それを考えると彼の愚痴は何かがおかしい。酔っていて、いろいろな思考が渦巻き混ざってるだけなのだろうが。
 しかし、せっかく異種という驚異に見えたというのに、それ以上の情報を聞き出せなかっただけで、これだ。もし、聞いたところで返答を拒絶されていたら、もっと荒れていただろうな、と思い、エルナクハは再び苦笑いをした。
 そして、自分があの時、何故フィプトを止めようとしたのか、なんとなく判った。
 エトリアのライバルギルド『エリクシール』。彼らは異種に関わり、打ちのめされ、そのショックで探索すら滞り、解散してしまった。だから、フィプトが翼人に拒絶され、『エリクシール』のように憔悴するのを、見たくなかったのかもしれない、と。
 冷静に考えれば、状況の先延ばしにしかならないのかもしれなかったが。

 時は過ぎ、天牛ノ月も一日を残すところとなっていた。
 その日の昼も十三階の探索を根気よく続けていた『ウルスラグナ』は、ようやく、上階へ繋がる階段を見つけ出す。
 思わず安堵の息が漏れた。十三階では、戦闘中を見越して乱入してくる蟹の魔物『水辺の処刑者』に苦労させられたのだ。正直、もう少し力を付けるまでは、またこの階を方々まで歩き回れと言われてもごめん被る。蟹の出現場所が限られているのがせめてもの救いだが。
 とはいえ、その蟹と、『災いの巨神』と呼ばれる象の魔物を除けば、大概の危機には対処できる。上階に昇っても大丈夫だろう。
 意を決して、五人の冒険者は階段に足をかけた。
 段を踏みつつ、益体もない雑談に花が咲く(いつものことだが)。そんな中、ふと、アベイがこんな話を切り出した。
「フィー兄、あの鉱石の研究は、どうなってるんだろうな」
「そうですね……」
 昨日の悪酔いは日を跨いですっかりと消え去り、今日も元気に探索に参加しているフィプトが、思案顔で返す。
 顔見知りのアルケミスト達が研究を続けているが、今のところ、報告はない。ある程度の結果が出てから纏めて報告してほしい、と通達していたので、全然挙がってこないこと自体は気にしていなかったのだが。
 危険な運用実験は、『共和国』のアルケミスト・ギルドで済ませてある。現在行っているのは、主に冒険者達が戦う際に鉱石を運用する時の適量や安全設計の検証なのだが、これがなかなか至難らしい。少しでも間違えれば、敵もろとも冒険者達をも吹き飛ばしかねないのだ。味方を巻き込む危険自体は、一般の術式でもあるとはいえ、(聞いた話では)威力の桁が違う。
「まあ、まだもう少し掛かりそうですね」
 と肩をすくめてフィプトはまとめた。
 続いて話題に上ったのは、街で訊いた話だった。
 ひとつは、大公宮での話。樹海内の情報の報告に参内した際に、大臣から耳に入れられた話である。
「『エスバット』の者たちのこともある、ひとつ、忠告しておこう」
 それは、ハイ・ラガードに伝わる伝承、フィプトやアーテリンデが口にした、『天の城に住む神が地上の魂を集めている』というもの同じではあったが、付随する情報が違った。
 ここのところ、先んじていたギルドがいくつも行方知れずになっているという話は、前々からあったのだが――。
「現実的には魔物に殺された……だけじゃろうが、中には、天空の城へ連れ去られた、と噂する者もある」
 その時に頭に浮かんだのは、当然と言うべきか、かの翼持つもののことだった。天の城に住む者の眷属としては、空を自由に駆けめぐる種は、おあつらえ向きだろう。あの男が、冒険者を天の城に連れさらったりするのだろうか。だが変だ。『呪術院』の使者は何度も彼に出会っているのに、連れ去られずに戻ってきている。使者は冒険者ではないからかもしれない。天の城の支配者が、その伝承の大元である(と思われる)太古の戦神オーディンと同じ属性を持っているとしたら、それが求めるのは勇者、すなわち強い者であるはずだから。であれば、最近になってやっと噂が表面化したのも頷ける。天の神様とやらは、第三階層で戦えるくらいの者でなければ勇者と認めてくれないわけだ。
 さて、そこでひとつの違和感が浮き上がる。翼持つものの置き台詞だ。彼が天の支配者の眷属だとしたら、言うべき言葉は「これからは私を求むるな」ではなく「第三階層まで私を追ってこい」とかいうあたりの、さらなる鍛錬を強いるものになってしかるべきだろう。「古き土の民に伝えよ」という枕詞が付いていたから、戦闘向きでない使者を呼び寄せたくないということかもしれない。が、代理である自分達は見るからに戦人なのだ。強者を求めるならお誘いがあってもいいではないだろうか。あったところで容易に乗る気はないが。
 もっとも、あの翼持つものと天空の城を結び付けるのは尚早である。
 というところで、思考が繋がらなくなってしまった。大臣の忠告はありがたく頂くことにして、結論を一旦棚上げした一行は大公宮を辞したのであった。
 いまひとつは、冒険者ギルドで耳にした、ギルド長の忠告。
「といっても、私のカンなのだが」
 相変わらず全身を鎧で固めたギルド長が、前置きして言うには。
「『エスバット』の時折の言動に不審な点がある。樹海の中で彼らに出会ったなら、警戒したほうがよいかもしれんぞ」
 なにしろ『勘』である、『不審』を具体的に指摘することはできないようだった。それでも、短期間ながらも樹海探索経験を持ち、なにより数多の冒険者と毎日顔を合わせているギルド長の話を、冒険者達は笑い飛ばせなかった。
 やがて、階段の出口が見えてくる。冒険者達は、向こう側に見える雪原に、少々うんざりしながら、新たな階に足を踏み入れた。
 フィプトが第三階層に足を踏み入れたときの気持ちが判る気がするようになっていた。雪上での探索・戦闘行動には慣れてきていたが、長く続くと精神的に辛い。雪に対する心躍りは失せ、その大変さだけがのしかかってくる。
「……ああ、でも、ひとつだけ、ありがたいこともありますね」
と、暗鬱さを吹き飛ばそうとしてか、フィプトが冗談めかして言ったものだ。「今年、ハイ・ラガードに大雪が降っても、『今年もまたこの憂鬱が来たか』と思わずに済みそうです。憂鬱は既にここにあるんですからね!」
 降ってくる方がさほどではないのが、救いである。
 この階層を突破したら、依頼を請けて何かを取りに来るときは仕方がないとしても、あとは、夏の猛暑で冬の寒さが恋しくなったときぐらいにしか、足を踏み入れまい。冒険者達はそう思った。今は、『突破したら』ではなく、突破する前に朽ちる方を心配しなくてはならない身なのだが。多くの冒険者が斃れた樹海――気を緩めたら、無事で済むはずがない。
 だから。
 この階に上ってきてから最初に見つけた扉を潜ったとき、不意に強い殺気を感じ取った『ウルスラグナ』は、ついに『それ』が来たのか、と覚悟した。
 単純に補食か侵入者排除の意を持つ魔物達のそれとは違う、生命を奪うも厭わぬ、という明確な意志。
 大臣からの忠告にもあった、『天の支配者の僕』かもしれない存在か。
 あるいは……。
 ゆっくりと殺気の方向に視線を向け、『ウルスラグナ』は息を呑んだ。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-25
NEXT→

←テキストページに戻る