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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・23

「ところで、『使い』がどんな者か訊かないと、話にならなかったですわね」
 ドゥアトがそう口にするのを耳にして、エルナクハは我に返った。確かに、渡す相手が判らなければ、どうにもならない。
 この時エルナクハが思い浮かべていたのは、エトリア樹海に住まうモリビトのことだった。『世界樹の使い』と言われて考えつくのが、彼らのような存在しかなかったのだった。前々から懸念していたように、やはり、ハイ・ラガード樹海にも、先住の民が存在し、それが『世界樹の使い』と呼ばれているのだろうか。幸いなのは、これまで『呪術院』との取り引きが成立していた、つまり多少なりとも話が通じるという事実である。
「交渉を担当していた者は、今、旅に出ちまっててね、それが、冒険者あんたたちに依頼を出した理由のひとつでもあるんだけど」
 つまりは、老婆自身は相手の姿を知らないということか。
「ま、それでも、『会えばすぐに判る』と言っていた。それだけわかりやすい姿ってことだろうね」
「じゃ、渡す相手を間違える、って心配はしなくてよさそうね」
 ……仮に、エトリアのモリビトと似通った姿なら、あの肌や髪の色を考えれば、間違える可能性はかなり低い。
「あと、大体どのあたりで会えるかわかりゃ、助かるんだけれど」
 ドゥアトの問いかけに、老婆は隠すことなく答えた。大抵、第二階層での邂逅、時たま第一階層で出会うことがあったらしい。過去三度の接触に限っても、二度が第二階層。一度だけ第一階層でも見かけられたことがあるという。『世界樹の使い』との接触を鍛錬組に任せても、問題なさそうである。
 依頼に必要な情報を得られれば、もう、このような場所に用はない。ありがたいことに、『使い』から受け取ったものと報酬のやりとりは酒場でやればいいとのことなので、二度と来ることもないだろう。
 繰り返しになるが、他人が見ればいつも通りに見えるエルナクハは、その実、老婆に怯えていた。会話のほとんどをドゥアトに任せていたのも、そのためである。風石を飛ばして壁を傷つけた時には、呪い殺されるとさえ思った――老婆が別段怒っていなかったのはわかっていたにも関わらず、だ。
 『呪術院』を辞すと、エルナクハは肺の中の空気を盛大に入れ替えた。普通の人がその様を見れば、よくこのような場所で深呼吸などできるものだ、と思うかもしれないが、老婆と同席した場所に比べれば、木漏れ日射す森の中で過ごしているようなものだ。
「はい、お疲れ様、エル君」
「……付いてきてありがとよ、アト母ちゃん」
 ぽんぽんと背を叩いてくれるカースメーカーに、パラディンは素直に礼を言う。
 知己を得てからまだ数日なのだが、彼女に対しては、エルナクハも含めて、呼び名として『母』を使う者が多い――というより、そう呼ばないのは、センノルレとゼグタントくらいのものである。驚いたことに、ナジクですら「かあさん、と呼んでいいか?」と申し出たくらいだ。もちろん、『パラスの母』という意味合いで呼ぶものを省略して『母』なのだろうが、ドゥアト自身もパラスのみならず『ウルスラグナ』全員の母であるかのように馴染んでいた。おかげで私塾の雰囲気は『冒険者達にも部屋を貸しています』ではなく『大家族で経営しています』という感じになってしまった。そんな雰囲気は嫌いではない。
 死んでも口には出さないが、『呪術院』でのやり取りの際も、まるで、どうしようもない状況から母親が守ってくれているような気分になっていたのも事実だ。……実母ダユラーガなら、守ってくれるにしても、一段落付いたら「情けない息子だね!」と拳骨一発食らわしてくるだろうが。
 それにしても、あれがカースメーカーの真の力。自分を無理矢理にでも鼓舞するための『言い訳』がなければ、その前ではこれ程までに無力。この世界は、自分達のような武力一辺倒だけではどうしようもないのだと改めて実感した。
「大丈夫よエル君。普段からあれほどの人は、そうそういないから」
 ドゥアトの言葉はあまり慰めにならなかったが、それでもありがたく受け入れた。
 そして、『黄昏の街』を後にして、表の領域に戻ってきた時に、ようやく人心地付いたものである。

 と、依頼を請けた時には(精神的に)散々だったのだが、それと、依頼そのものへの興味深さは別だった。エルナクハは『ギルドマスター権限』をちらつかせ、自ら依頼の遂行をすることを主張した。
 が、言うまでもなく誰もが『世界樹の使い』に興味を持ったので、すったもんだの言い合いになり、結局、以下のように落ち着いた。
 昼の探索班は一度だけ依頼の遂行を試みて、それでも『使い』に会えなければ諦める。
 もともと探索班は、いつも、そうでない者より早く迷宮の先を見ることができているのだ。それを考えればこの落としどころは妥当だろう。
 ちなみに風石のことはフィプトが知っていた。ハイ・ラガード近郊で稀に発見される鉱石で、予想通り軽くて丈夫な武具を作るために使われるという。ただ、滅多に見つからない代物なので、一般的に風石製の武具を見ることはない。
「たぶん、大公様の鎧は、風石が使われてるんじゃないですかね」とのことだった。
 というわけで、その日の夕方に、本来は昼の探索に出る予定だった者達――その日はエルナクハが依頼の詳細を訊くために『呪術院』に出掛けたので、探索を中止していたのである――が、第二階層に踏み込んだ。
 情報から得られる感触では、『呪術院』と『世界樹の使い』は、別に待ち合わせ場所を決めていたわけではなく、運良く出会えたら取り引きしていた、というような印象を受ける。だとすれば、これまでの接触場所に行っても見つかるとは限らない。
 ただ、取り引きの際の顔合わせが偶然任せということは、逆に言えば、『使い』は別の理由でその場所に来ているということだ。その『理由』が、これまでの接触記録のある場所にある――そう考えれば、会える可能性は低くないはずである。
 一言で言えば、「前歴を参考にするしかない」となるわけだが。
 その『前歴』の中で行きやすいところといえば、六階である。言うまでもなく、入口か樹海磁軸から簡単に踏み込める階だからだ。少なくとも現時点の情報で『遭遇確率』に差がない選択肢なら、別の条件で楽なものを選ぶのは人間として自然であろう。
「確か……西側だった、な」
 冒険者達は足を動かす。第三階層中盤で戦う身には、第二階層入口の魔物などは敵ではない。さすがに、例のカボチャの魔物は例外で、相手にしたくないから、注意深く衝突を避ける。
 そうして、迷宮の西端を歩いていた時のことであった。
 視界の先に、不思議な人影を見いだす。
 正体を見極めるにはまだ遠い。輪郭だけで判る範囲では、少なくとも人間の姿をしていた。背に何か荷物のようなものを背負い、膝丈のやや膨れたズボンを穿いているようだ。冒険者の一人に見えなくもない。だが、現在地が、あるいは、という期待を抱かせる。
「おい、アンタ」
 エルナクハは声を掛けた。人影は応じて、こちらに顔を向けたようだ。しかし、その後が予想と違った。人影は身をかがめると、次の瞬間には高く飛び上がり、姿を消してしまったのである。
 ……『飛び上がった』?
 人影が動きを見せたその瞬間に吹き付けた風に嬲られながら、冒険者達は、呆気にとられて上方を見た。梢は高く、人の手は届かない。いくらレンジャーでも、手か器具の届かないところには飛び上がれない。それを人影は、かがんで跳ねるだけでやってのけたのだ。人間業ではない。
 ……いや、人間じゃない?
 その予想は既に立てていた。エトリアのモリビトに相当する存在かもしれない、と。しかし、予想とは方向性が違った。
 思い出したのは、以前の探索中に遭遇したこと。現在の探索班では、アベイとナジクとフィプトが経験した――。
 まだ第二階層を突破していないある日、炎の魔人の不死性を聞き、『世界樹の芽』の関与を疑ったことがある。そして、第一階層の門番であった百獣の王キマイラにもその不死性が備わっているのかと予測を立て、確認に行った時のことだ。
 運悪く、顔見知りの冒険者がキマイラに挑んで全滅しているところに出くわしてしまったわけだが、その件は今は関係ない。キマイラが臨戦態勢を保ち続けているのを、まだ冒険者に生き残りがいるためだと勘違いした『ウルスラグナ』が、その時に目の当たりにしたものは。
 ティレン曰く、『とりにんげん?』。
 その時は、確認する間もなく飛び上がって消えてしまったから、はっきりとした正体は掴めなかった。おまけに猛ったキマイラと戦わなくてはならなかったのである。ゆえに『ウルスラグナ』が調べられたのは、黒い羽と、人間のものとは思えない足跡。そして、冒険者達は、影が『二足歩行の魔物』だったのだろう、と結論づけていたのだが……。
 その時に見たものが『鳥人間』だったとしたら、『世界樹の使い』も、そうかもしれない。荷物に見えたものが別の何か――翼だったとしたら、上方に姿を消すのも容易だろう。
「ティレンの言い分が大当たり、って感じかな」
 アベイが幻でも見ている調子で声を洩らした。
 もちろん、疑う余地なく、とは言えない。目の当たりにしたのはあくまでも輪郭、『飛び上がった』のも、目の錯覚ではないとは言い切れない。いずれにしても、供物を渡す必要がある以上、また『使い』を捜さなくてはならない。その時に、真実を目の当たりにすることができるだろう。
「さ、次の場所行くぜ次!」
「わちらが『世界樹の使い』を捜すのは一度だけじゃなかったんですかえ?」
「私塾に帰るまでが一探索です、だ」
「わー、ものすごく詭弁ですえー」
 焔華は棒読みで気抜けを表したものだが、エルナクハの言い分を否定しているのかと言えば、そうではない。結局のところ、いち早く未知を体験できる機会を逃す気はないのである。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-23
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