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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・22

 いまひとつ、停滞した探索の合間に発生した、奇妙な出来事がある。
 それは、酒場でとある依頼を請けたことに端を発するものであった。

 中央市街を取り囲む建物のひとつ、その中を、フードとローブを羽織った二人組が歩を進める。
 ローブ越しでも体格のよさが判る片方と、その肩ほどの背丈しかない、ローブの上から呪鎖も巻き付けた相方。彼らが向かうのは、建物の下方であった。
 中央市街と同じくらいの高さの階より上方は、一般人が暮らし、彼らのための商店が軒を連ねているのだが、階段を下っていくと、雰囲気が変わってくる。
 ハイ・ラガードのような、統治が比較的行き届いている国であっても、暗部は存在するものだが、二人組が歩いている場所はまだ、そのような輩が姿を現すような場所ではない。現在地は、国家の表層を『光』、暗部を『闇』と表現するならば、『黄昏』と言える輩の巣窟であった。ハイ・ラガードが国家の体裁を整える前から、世界樹に寄り添うように生きてきた、まじないを生業とする者ども――カースメーカーやドクトルマグスが、ひっそりと暮らしているのだ。まさに、永遠の黄昏、逢魔が時で停滞しているような雰囲気を漂わせた場所であるといえよう。
「冒険者でもないアンタに、こんなこと頼んじまって悪いな」
 体格のいい片方――エルナクハが、もう片方――ドゥアトに、ばつが悪そうに語りかける。
「いいえいいえ、こういうことはパラスよりあたしの方が適任だと思うわ」
 カースメーカーの女は、無問題と言いたげに笑むと、目を細めて周囲を見回した。
 犯罪に直結するような不穏な空気ではないが、一般人なら足を踏み入れることを躊躇うような雰囲気ではあった。ローブを着込んだ者どもがひそひそと話し合い、『失せもの捜し、呪い返し』と記された看板を掲げた家屋の奥で、何者かが、卓に置いた水晶球を凝視している。反対側の家屋に目をやれば、その軒先に吊されているのは、亀の甲羅やら黒こげの爬虫類やら、一般人にはよくわからないものばかり。
「あら、珍しいもの見たわー」と、ドゥアトが軒先に吊されたもののひとつを指して、問う。
「エル君、あれ何だかわかる?」
「……さぁ?」
 見た目は細長い鞭のようなものだが、植物ではなく、動物由来のものだという直感はする。何というか、一言で言うなら『グロテスク』。巨大化した寄生虫といわれても信じてしまいそうだ。生きている『それ』が迷宮に出てきても違和感がない。
 カースメーカーの女は、ローブにすっぽり収まった手を口元に持ってきて、くすくすと笑いながら正解を明らかにした。連動した鎖が、じゃらりと音を立てる。
「あれはね、『虎鞭』っていうの。ある種の呪いを掛けるのには便利なのよ。めったに手に入らないから、普段は使わないけどね」
 そして、ちろりとエルナクハに視線を流し、おかしそうに忠告を授ける。
「エル君は誠実そうだから平気だと思うけど――奥さん泣かせちゃダメよ? 場合によっちゃ、あたしがあの『虎鞭』買ってきて、その呪い掛けちゃうかもしれないからね?」
 ぞくり、と全身に悪寒が走った。特に、股の間がきゅっと半分くらいに縮んだような気分になる。具体的に言及されなかった『虎鞭』とやらの正体と、それを使う呪いが何なのか、本能的に悟ってしまった気がした。が、深く追及するのはやめておくことにした。
 そのような珍品探訪めいたやり取りをする二人だが、もちろん、それが『黄昏の街』を訪れた主目的ではない。
 外から来た見知らぬ二人組であったが、彼らを排斥する目で見る者はいない。ひとつには、ドゥアトの姿がカースメーカーのものだからということが考えられる。エルナクハとしては、住人の『同胞』を連れてくることで、不審さ(相手側から見ての)を和らげる思惑があったのは確かだ。が、余所者は余所者、動向を気にされているところはあるようで、ふとした瞬間に視線が集まっていることを実感する。
 しばらく歩いた後に、二人は、小さな家の前に立った。家とはいうが、『集合住宅』めいた建物の中に存在する場所なので、ここに至るまでに見てきた家屋同様、いわゆる一軒家の体裁は成していない。見た目には、レンガ組みの中に独特の文様が描かれた扉があるだけである。
 あらかじめ教えられたリズムで、その扉を叩く。
 さほど待つ間もなく、扉は静かに開かれた。
 向こう側にいたのは、まだ五、六歳ほどに見える少年であった。その装束は明らかにカースメーカーのものである。おそらくは家主の弟子兼小間使いというところだろう。ぺこりと頭を下げると、幼子独特の高く拙い声音で案内の口上を述べた。
「ようこそ、いらっしゃいました。長がおまちしております。どうぞ、こちらへ」
 招き入れられて、狭い通路に踏み込む。一般的に冒険者が挑む『遺跡』や『地下迷宮』を彷彿とさせる狭さであった。壁に等間隔に下げられたカンテラの中に灯るロウソクの光は、いささか頼りない。といって、カースメーカー達の家が、太陽燦々降り注ぐ明るい場所、というのも、実際どうかはともかく、想像はしづらい、とエルナクハは思った。――自分の隣を歩く女の一族は例外として。
「どうぞ、お入りください」
 迷宮のごとき廊下を抜けた末に、小部屋へと案内される。黴びた匂いがかすかに鼻腔を突いた。私塾で借りている部屋とどっこいどっこいの大きさの室内に、先程ドゥアトと冷やかした珍品のごときものが、所狭しと並べられている。その中に埋もれるように、カースメーカーのローブと呪鎖を纏った老婆が、ゆったりと座っている。その老婆が口を開き、声を発するまで、エルナクハは彼女を、珍品のひとつだと勘違いしていた。
「あんた達が、依頼を請けてくれたのかい。よう来てくれたね」
「ああ……」
 エルナクハは言葉少なく肯の意を返した。
 らしくないことだが、老婆を意識したその瞬間から彼は怯えていたのである。パラスやドゥアトと付き合い慣れている身は、カースメーカーというものが本来どういう者なのかを忘れかけていた。外に屯していた程度の輩には何も感じないが、さすが目の前の老婆は格が違った。自分達に敵意を持っていないことは分かる。むしろ歓迎してくれているだろう。それでも、何かの拍子に、こちらに呪詛を仕掛けてくるのではないかという、底なしの不気味さを感じさせる。そういう意味では、パラスにしても、はとこの死を知った時に荒れた姿が、カースメーカーとしては正しいものだったのかもしれない。平然としているドゥアトが隣にいなければ、恥も外聞もなく逃げ出しただろう。
 かつてエトリアでツスクルというカースメーカーに相対峙した時も、同じような不気味さを感じたものだが、あの時は自分にも退けない信念があった。今は、変な言い方だが、逃げ場がありすぎるのだ。なにしろ、老婆の下を訪れた理由は、ただの――と言ったら語弊があるが――酒場の依頼ゆえに。
 ともかくも、自分達の簡単な自己紹介の後、エルナクハは話を切り出した。
「この国の『裏』に属する話だから、依頼人から直接聞け、って言われてな」
「ふぁふぁふぁ、『裏』ねぇ。まぁ、市井の連中は、普段はワシらにゃあまり関わりたがらないからねぇ」
 老婆は妙に楽しげに話す。
 確かに、普通に生きていたら、カースメーカーなどに関わり合うことは、まずないだろう。ドクトルマグスの方とは、まだ接点があってもおかしくないだろうが、それでも場所によっては『妙な力を使う連中』として一緒くたに忌避しかねない。ハイ・ラガードにおける彼ら『魔導の輩』は、受け入れられている方なのだ。
「で、まぁ、どんなに我々を怖れ、迫害している連中だって、必要だと思えば我々の力を求めるものさ――おっと、別にハイ・ラガードの者達に迫害されているわけじゃないからね。市井と距離を置いてるのは、我々自身が望んだものでもあるのさ」
「あたし達とは大分違うわねー」
「『ナギの一族ナギ・クース』は変わり者らしいからねぇ」
 ドゥアトの感慨に、老婆はあっさりと返す。若い女呪術師は否定しない。
「……まあ、ワシらも、故郷たるハイ・ラガードの危機に何度も力を貸したものさ。占ったり、呪いを解いたり、とね。そんなわけで、『呪術院』なんて呼ばれているがね、実情はこんなものさ」
 諸手を広げ、狭い室内を指し示しながら、老婆は笑った。
 表情が平静に戻った時には、老婆の手には、いつの間に取り上げたのだろう、奇妙にごつごつした棒のようなものがある。それは何かの木の枝だった。表皮がところどころ剥がされている以外には、何の変哲もなく見える。だが、老婆が目の前にその枝を置くと、今までに嗅いだことがない不思議な、しかし『甘い』と分類できる匂いが、かすかに鼻に届いた。
「香木……ですね」
「ああ、ワシらの儀式に使うものさ」
 香木と言われれば、それが何かということくらいは判る。燻ることで芳香を放つ木だ(目の前の枝のように燻らなくても香るものもあるが)。カースメーカーやドクトルマグスのような『怪しい者』のみならず、一般的な宗教儀式でも使われることがある。そういう意味では、さして珍しいものではない。
 しかし、老婆の表情と話しぶりからすれば、その手にあるものは、特別製と見える。そうでなくては、わざわざ冒険者に依頼を出したりしないだろう。
「世界樹の迷宮の中で手に入るもの、か……」
「察しがいいね、ボウズ」
 ……そういえば、ふと思い出したことがある。
 あれは、最初のミッションである地図の作製を乗り越えた直後だったか。ギルド長から聞いた話の中に、『呪術院』のことがあったはずだ。あの時聞いた話はどんなものだったか。確か――。
 そうだ。もともと、ハイ・ラガードの迷宮の探索は数年前から始まっていた。大々的に探索者の募集がなされたのは半年程前のことだが、それ以前から、衛士や数少ない冒険者達が、現在の出入り口ではない虚穴から、迷宮に踏み込み、探索を行っていた。それは、人間が通れる程に大きな虚穴が発見されたからこそ、できるようになったことだが……。
「思い出した。アンタら『呪術院』は、ずっと昔から、大公宮に秘密で、虚穴を通ってこっそりと樹海に入ってたらしいな。で、何かをしていた……」
「……『世界樹の使い』との取り引き」
 その言葉は、エルナクハと老婆が同時に口にしたものであった。
「ギルド統轄本部の女騎士から聞いたかい」
 驚く様子も見せず、老婆は話を続けた。
「ああそうさ、この香木は、『世界樹の使い』との取り引きで手に入れてきた特別製。他の方法では手に入らないものさ。だがね、大公宮主導の探索が始まった頃から、『世界樹の使い』は、ワシらの前には姿を見せなくなった。人間がたくさん、ずかずかと入り込むようになったわけだから、気を悪くしたのかもしれないね」
 皮肉を言うように、老婆は顔を歪めると、ふぁふぁふぁ、と笑った。
「まあ、実際は、『使い』に会えなくなったのは、探索の始まりより少しだけ前のことだから、別の理由かもしれないのだがね。どっちにしろ、香木はコイツが最後のひとつでね、ちょいと困ってるわけさ」
「……つまりは、あたし達に、その『世界樹の使い』を探してほしい、と」
「ああ、探索を続けている冒険者なら、どこかで『使い』を見かけることがあるかもしれないと思ってね。そして、この供物と引き替えに香木を受け取ってほしいのさ」
 老婆の腕が再び棚に伸び、何かを取ってきて、冒険者達の目の前に置く。それは、青い色の石だった。掌に載る程度の水晶球に近い大きさの、ごつごつした塊で、何かの鉱石らしいが、正体は分からない。
 それを何気なく手にして、エルナクハは思わず声を上げた。青い石は、あまりにも軽かったのだ。その中身の九割が空気でできているかのように。あまりに驚いたので、石が重いということを前提にして腕に伝えていた力が行き場をなくし、暴投してしまった。
 まずい――しかし、エルナクハの懸念とは裏腹に、軽くて簡単に壊れそうだった石には、ひびひとつ入っていない。むしろ壁の方に傷が付いた。これはこれで別の意味でまずい。慌てて家主に頭を下げると、寛大にも許しの言葉が返ってきたので、内心で安堵の溜息を吐き、石を拾い上げた。
「……なあ、ばっちゃん、この石、なんだよ?」
「風石だよ。ま、知らないかもしれないだろうけどね」
 風石……聞いたその名をつぶやきながら、改めて石を眺め回す。
 軽さに比して、随分と硬い石のようだった。初見の印象通り、鉱石と見ていいのだろうか? ただ、どんな価値があるのかは、さっぱりわからない。精錬して金属を取り出せるなら、鎧を作るのには重宝するかもしれない。軽くて丈夫とは、夢のようではないか。
 ひょっとしたらシトト交易所の者達なら何か知っているかもしれないと思ったが、さしあたって彼らのことは頭の中から追い出した。自分達が考えることは、この石を『世界樹の使い』とやらに渡すこと。風石が何なのかということは、今はどうでもいい。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-22
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