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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・21

 しばらくは、特筆することもほとんどなく、『ウルスラグナ』の探索は続く。
 アーテリンデの話を警戒していたのは確かだが、それ以前に、十三階は難所だったのだ。魔物はもちろん、それ以上に厄介だったのは、迷宮の構造そのものである。細い経路が縦横無尽に走り、それだけならまだしも、ところどころにある凍った水路が相変わらず自由な行動を阻む。この階を脱出するのは随分と先になりそうであった。
 さて、特筆することはない、と記したが、それはあくまでも『主たる探索』に限った話である。それ以外のことに目を向ければ、いくつかの出来事が発生していたのであった。

 天牛ノ月も下旬に差し掛かった頃合い、その日の探索を終えて帰還した昼組は、私塾の門前に佇む女性の後ろ姿を目にした。おそらくは肩をやや越えたくらいの長さがあるだろう緑髪を、大きなピンで後頭部に留めて、うなじを露出しているその女性は、旅行に出る時に使いそうな大きめの鞄を、傍らに寄り添わせていた。地味な色だが上質の牛革のコートが、女性の身体のラインを適度に現している。探索班の誰よりも背が低そうだったが、女性としては平均的、おそらくオルセルタと同じくらいの背丈だろう。全体的な印象としては、『小金が貯まった若奥様が短期の旅行にやってきた』という感じであった。
 後ろ姿ゆえに確証は持てなかったが、その女性に覚えがある。
 エルナクハ、焔華、アベイ、ナジク、フィプトの五人は、しばらく顔を見合わせていたが、思い切って声を掛けてみることにした。代表してフィプトが声をあげたのは、彼が私塾の管理人だからである。
「……ナギ・クード・ドゥアトさん?」
「きゃ」
 後背に全く気が向いていなかったのだろう、女性は短い悲鳴を上げると、恐る恐る振り向いた。
 若々しい女であった。娘であるパラスの年齢を考えれば、三十路半ばには到達しているはずなのに、とてもそうは見えない。『ウルスラグナ』の誰よりも年上である印象を受けはするものの、それは全体的な雰囲気がそう見せるものであり、顔の造作の成せるものではないようだった。
 これまで昏睡している姿しか見たことがなかったが、健常な彼女の姿を目の当たりにして、『ウルスラグナ』探索班一同は、等しく同じ印象を抱いた。
 ――やはり、どこかのちょっと裕福な若奥様だ。
 それは奇異な感想だった。彼女が一児の母であるという事実ゆえにではない。彼女は――怨と闇を纏い、恐怖と死をもたらす、カースメーカーであるはずなのだ。だというのに、彼女の娘と同じく、今の姿は、呪術に携わるものとはとても見えなかった。首から下げられ、かすかに音を立てる、カースメーカーの鐘鈴だけが、彼女の正体をつまびらかにしていた。
 だが、カースメーカーは外見だけでは量れない。パラスがその実、優秀な呪術の使い手であるように、この女性もまた――。
「……あら? あらあらあらあら、あらぁ」
 『ウルスラグナ』一同が女性を目踏みしている間に、当人は気を取り直したようであった。自分の背後からやってきた五人に向き直ると、感心したような声を漏らしながら、ゆっくりと眺め回す。そうして視線が五往復ほどした頃合いだろうか、女性は、ふと我に返り、赤面したのだった。
「あら、失礼……声を掛けて頂いたのに、無遠慮に眺め回したりして、ごめんなさいね」
「いや、別に構わねぇケドよ……」
 無遠慮に眺めていたのは自分達も同じである。
 ――カースメーカーは外見では量れない。が、この女性は、やはり外見で量ってしまう。らしくない、と。
「ところで、あなたが……冒険者ギルド『ウルスラグナ』のギルドマスター、エルナクハ君?」
 女は、間違いなくパラディンを指して問いかけた。初対面であるにもかかわらず。とはいっても、『黒い肌の聖騎士』というのは、現時点のハイ・ラガードではエルナクハくらいしかいない。初対面でもまず間違えられないのが、このパラディンの特長でもあった。
「あ、ああ」
 若干うろたえつつも頷くと、女は顔を輝かせた。まるで、評判の吟遊詩人や芝居役者に会えたとでも言わんばかりの笑顔である。あっけにとられるエルナクハの右手を両手で取ると、ぶんぶんと上下に振った。
「あらあらあらあらあらぁ、聞いた話通りなのねー。黒い肌してて、背高くて、強気そうな顔してる」
 腕を勝手気ままに振り回されつつ、エルナクハは面食らう。なんというか、不躾なオバチャンに取り囲まれているような気分である。かといって、不快というほどに悪い気分にはならないのは、女の行動が無邪気な子供のようだからかもしれない。
 やがて女は我に返り、またも赤面して、エルナクハの手を慌てて離した。
「あら、ごめんなさい、また失礼しちゃったわぁ。パラスやファリーツェちゃんから聞いた通りの人だわって思っちゃってね」
 パラスはともかく、亡きエトリア正聖騎士の名を耳にして、一同(フィプト以外)は精神的に身構えた。何かよからぬことを感じたわけではないのだが、さらりと聞き流せるほどには、彼の逝去を聞いた時の衝撃による心の傷は治りきっていなかった。とはいえ、目の前の女性からすれば、単純に親族の名を口にしただけのようだった。女性がパラスの母で、パラスとエトリア正聖騎士がはとこならば、女性と聖騎士も、関係性を簡単に言い表せる単語があるほどに近い血筋ではないが、親戚には間違いないのだ。
 女性は、冒険者達が軽く驚いた(と彼女には見えただろう)のは、そのあたりの関係性がはっきり認知されていないからと思ったのか、軽く微笑んで頭を下げる。
「改めて自己紹介しなきゃね。私はドゥアト。ナギ・クード・ドゥアト。パラスの母で――『エリクシール』のパラディンやカースメーカーの親戚でもあるわ」
 動作に同期して、首から下げた鐘鈴が、からり、と音を立てた。

 外で立ち話も何なので、冒険者達はドゥアトを私塾に招き入れた。
 誰かしらが中庭にいるか、外に気を配っていれば、探索班が戻ってくる前にドゥアトの訪問に気付いたのだろうが、あいにく、昼時だったために全員が食堂に引っ込んでいた。私塾としてもちょうど休暇だったため、早めにやってきた子供達が気付くこともなかった。そしてドゥアト曰く「門に呼び鈴は付いてないみたいだったし、勝手に入口まで入っちゃっていいのか悩んでてねぇ」とのことである。ちなみに、私塾に用があるハイ・ラガードの人間は、門は勝手に通過して、気軽に入口までやってくるのが常であった。
 最近はハディードも、知らない人間が来た程度ではうろたえなくなっていた。犬小屋の外に寝そべり、肉満載の餌皿を抱えながら、一同を一瞥すると、「おや、おかえり」とばかりに尾を一度打ち振っただけである。
「あら、大きいワンちゃんね」とドゥアトが相好をほころばせる。
「大きい?」
 冒険者達はドゥアトの物言いに一瞬違和感を感じ、だが、結局は彼女の言葉が正しいことを受け入れた。
 いつも見慣れているために、「成長早いな」程度にしか感じなかったことだが、ハディードは確かに大きくなっていた。思い起こせば、私塾に来た頃のハディードは、ティレンが覆い被さって守れるほどに小さかった。それが、今はティレンの武具を身体にくくって運べるほどにもなっている。これだけ成長が早ければ、犬小屋の頻繁な建て直しなどで気付いてもよさそうなものだが、あいにく、犬小屋は相当に余裕を持って建ててしまったものだから、これまでに直す機会もなかったのだ。
「おーい、オマエらー。飯食ってるのかー?」
 エルナクハはそんな声をあげながら私塾に上がり、どかどかと廊下を歩く。仲間達とドゥアトは、その後を静かに追った。
 そんな、一部騒々しい帰還者達が、食堂の入口に差し掛かった頃。
「――あーっもう! どっかどっかどっかどっかってうるさいのよバカ兄貴!」
 食堂から飛び出してきたのは、黒い肌のダークハンターの少女であった。
「お休みで授業とかやってないからって、もう少し静かに歩く努力はできないの――って、あれ?」
 琥珀色の瞳が客人に向く。オルセルタもまた、眠っている状態の彼女に会ったことはあるのだが、その女と、今元気に訪問してきた若奥様とが、一足飛びには結びつかないようだった。それでも、どうにか同一人物であることを認めると、兄への抗議はどうしたのやら、食堂に引っ込んだ。慌てて友達を呼ぶ声がする。
「パラスちゃん、パラスちゃーん! お母さんが来てるわよ! ほら!」
 その後しばらく、ちょっとした混乱があったわけだが、そのあたりは語らずとも想像が付くだろう。
 結局、留守番組がちょうど昼ご飯を食べていた途中だったこともあり、『ウルスラグナ』(留守のゼグタント除く)とドゥアトで、食事を囲んで話をすることになったのであった。
 ドゥアトは、薬泉院から、「もう問題ない」という診断をもらったので、退院したのだそうだ。私塾を訪れたのは、娘や、娘が世話になっている冒険者ギルドへの挨拶のつもりだったそうである。
「挨拶って、水臭ぇな?」
 そんな話を聞いた時、エルナクハは首を傾げたものだった。その物言いには、ハイ・ラガードに来た目的は、娘に会うためではない、という意志が滲んでいるように思えたのだ。
 そう思われていることを正確に推し量ったのか、ドゥアトは、ころころ、と表現できそうな快活な笑声をあげた。
「あらあらあらあら、お友達と楽しそうにやってるところに、親が顔を出すのは、邪魔でしょ?」
「そんなことないよ、お母さん!」
 パラスが必死に否定するが、ドゥアトが代弁した親の言い分は、判らなくもなかった。実際、自分達の力で一人歩きしているところに、親が首を突っ込んできたら、うざったいと思わなくもない。かといって、それは親を邪険にするというのとは、少し違う。なんとも言葉では表現しづらいものだが……。
「まぁ、でも」と、気を取り直したように、カースメーカーの母は言葉を続けた。
「実はね、今回、ハイ・ラガードに来たのは、パラスに会う目的も、あるにはあったのよ――あの子の件でね」
 『あの子』という言葉が指すものに勘付いて、『ウルスラグナ』全員が押し黙る。
「まあ、でも、その件は、薬泉院に入院してる時に、パラスと話したから、もう済んだんだけどね」
「……やっぱり、本当だった、んだな」
 ドゥアトはそのまま話を流すつもりだったのかもしれない。しかし、エルナクハはせき止めてしまった。そうしてから後悔したものの、いまさら「やっぱ、なし」というわけにもいかない。ドゥアトもそのあたりを酌んでくれたのだろう、簡単に触れてくれた。
「若長からのお手紙に書いてあったかもしれないけど、執政院が襲われたのよ。敵が誰だったのかは、あたしが知っている限りでは全くの不明。あたしはその時、若長に掛けられた呪詛の解除を依頼されて、執政院にいたのだけど――」
「若長の方は大丈夫だったのか?」
「ええ、それは大丈夫。呪いは、呪ってた輩に跳ね返してやったから。誰だか知らないけど、しばらくは高熱で動けなかったでしょうねぇ」
 くつくつくつ、とドゥアトは笑声をあげた。
 今までの『若奥様』然としたものとは、まったく違う態度。煉獄の蓋というものが存在していて、それをこじ開けたとしたら、中から吹き出してきた炎の影が笑い顔を形作り、今のドゥアトのような声を上げるのではないだろうか。改めて、『ウルスラグナ』一同(除パラス)は思い知る。この女性は、紛う事なきカースメーカーなのだということを。
 しかし、笑い終えたドゥアトの表情は、元の『若奥様』の――近しい者を亡くしてうなだれる女のそれに間違いなかった。
「そうして、あたしが呪詛返しに必死になっていた時に、あの子は死んでしまったわ。――残念ながら、遺体は見てないんだけれどね」
「遺体を見てない?」
 それは奇異を感じさせる発言だった。親族ならば埋葬前の最後の対面くらいするものではあるまいか。だが、ドゥアトの様子からすれば、対面したくなくてしなかったわけでもあるまい。とすれば、親族にすら見せられないほどにひどい状態だったのか、あるいは――遺体すら残らなかったのか。
 ドゥアトの様子からは、どちらか判断できない。彼女もどちらなのか知らないのかもしれない。
 どうであれ、これ以上は訊いても、納得できる答は返ってこないだろう。エルナクハはせき止めていた話を流すことにした。
「パラスに会う目的もあるにはあった、って話だったよな。てことは他にも何か目的があったってことか?」
「ええ、人を捜してるの」
「せっかくですし、協力できませんかえ?」
 そう焔華が申し出るのには、カースメーカーの女性は、首を静かに横に振った。
「ありがたいけど、ちょっと、無理かしら」
 いくら娘の仲間とはいえ、実質的には今日出会ったばかりの人間に、協力を願うようなことではないか――と思ったが、無理だという理由自体は、そうではないようだった。ドゥアトは軽く小首を傾げて少し考え込むと、決心したように頷き、再び話し始める。
「ひとりは、名前しか知らないの。で、名前だけ知ってても、捜しようがないみたい。もうひとりは……上手く説明できないわね。捜すつもりでここまで来たけど、見つけてどうするんだ、って思ったりもするの。だから、無理に捜したくないというか……何だかよく判らないでしょ?」
 ドゥアトの言わんとすることはよく判らない。判らないが、しかし、なんとなく理解できるような気がする。なんであれ、はっきりしているのは、『ウルスラグナ』の手助けは人捜しの役に立たなさそうだということだ。……否、人捜しに直接関与できなくても、手助けできることは、ある。
「ドゥアトさんは、泊まる場所決まってるんですのぉ?」
「これから探そうと思ってたんだけどね」
 マルメリの問いかけにドゥアトは肩をすくめた。その横から口を出してきたのはフィプトである。
「せっかくですから、ここに泊まりませんか? 部屋は余ってますし、人捜しも随分時間がかかりそうですから、宿泊料金も馬鹿にならない。さしたるおもてなしはできませんが、いかがですか?」
「あら……あらあらあら、いいのかしら? そんなご親切に」
 ドゥアトにとっては思いもしない申し出のようだった。
 一旦そうと決まれば、難しい話は必要ない。あれよあれよという間に、二階の空き部屋のひとつである、パラスの部屋の正面に手が加えられ、人が生活する室内としての体裁が整えられた。
 こうして、『ウルスラグナ』の構成員が一人増えることになるが、当のドゥアトはこの時点では探索に出る予定はなかった。そも、『王国』に本籍を持ち、エトリア執政院の署名付きの旅券を持つ彼女は、冒険者ギルドの一員とならずとも、入国審査を容易に済ますことができるのである。そのようなわけで、冒険者ギルド統轄本部に保管されている『ウルスラグナ』の書類に、ドゥアトの名が載るまでには、いま少しの時間が必要であった。
 それでも世間から見れば『ウルスラグナ』の一員であることに変わりはなく、私塾に通う子供達は、自分達が休みの間に冒険者がひとり増えていることに気が付き、一体何があったのか、増えた人のクラスは何なのか、という疑問が彼らの間に飛び交うこととなったのである。
 少なくとも、初見でドゥアトがカースメーカーであることを当てた者は、皆無であった。さもありなん、中庭で軽快な歌を口ずさみながら洗濯桶を泡だらけにしている女を見て、誰が呪術師だと思えるものか。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-21
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