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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・20

 その日の夜の出来事は、『鋼の棘魚』亭開店以来の珍事だったかもしれない。
 あまりにもひどい者は淘汰されているとはいえ、冒険者は荒事を担う連中である。そのような輩を多く迎え入れる酒場は、そこはかとなく、日常とは羅紗一枚で隔てられた雰囲気を醸し出しているのが常であった。
 それが、この夜に限っては完全に払底されている。というか、もっと強力な雰囲気のせいで、荒い気配は抑えられている、と言った方がいいだろうか。
「……まあ、これじゃ、荒事起こそうって気にもならないよなぁ」
 飾り立てられた店内をぐるりと見回し、アベイが苦笑しつつ感慨を口にした。
 普段は冒険者達の憩いの場である酒場は、おそらく宿屋の娘の友人である子供達が手がけたのだろう、薄紙細工の花々に、すっかり寄生されていた。重ねた紙を細い蛇腹状に折り、中心部分を縛って、紙を起こすという、ごく簡単な方法で作られるものである。その合間を、やはり紙で作られた鎖状の飾りが這っている。マルメリが思わず「第零階層・かみ飾リノ酒場」とつぶやいた程であった。
 すっかりと毒気を押さえ込まれてしまった酒場で、同じく普段の毒気を抜かれた様相の親父が、「まぁ今日ばかりはしょうがねぇよ」とばかりに肩をすくめた。
「普段もこれくらい大入りなら、収支計算に頭を抱えることもねぇだろうによ」
「うるせぇ」
 エルナクハのからかいに渋い顔でそう返すと、親父は相好を崩した。
「それにしても、よく来てくれたぜ『ウルスラグナ』、さあ、奥まで入るがいいさ!」
 誕生パーティの時間は、夕方から、という漠然とした指定でしかなかったが、それには理由がある。宿屋の娘の誕生日を祝う者が多すぎて、いっぺんには酒場に入りきらないからだ。また、それぞれが割ける時間帯にも幅がある。故にその指定の真意は『会場は夕方から開けるから、適当な時間に来て適当な時間に帰ってくれ』ということになる。現に『ウルスラグナ』一同(今日ばかりはセンノルレも含む)と入れ替わりに、「夜勤に備えて仮眠取らなきゃいけないから、これで失礼するよ」と帰っていく衛士の姿もあった。
 中の様子は、ざっくばらんに表現すれば立食形式である。客が入れ替わり立ち替わりする状況では、それが最も理に適った形式だろう。誕生パーティ前から店内にいたらしい冒険者達が、開き直って参加している様子が、妙に微笑ましい。
 それにしても、実に奇妙な空間だった。中央に座する娘と、背後から見守るように位置する宿屋の女将を中心に、幼い子供達から、妙齢の女性、恰幅のいい奥方、子供達なら一見して逃げ出してしまいそうに厳つい男、腰の曲がった老人――様々な人間達が入れ替わり立ち替わりする様は、この街の縮図そのものといっても過言ではない。宿屋の娘は街中の人間と友達だと聞いたことを思い起こした。
 教会の牧師までいる。この国自体は世界宗教を国教としているわけではないが、国家行事に世界宗教の形式を借りているところもあるらしいし、教会も存在する。宿屋の女将からもらった防寒具を、自分達用のものができあがった後に、洗って寄付しに行った縁もあり、全くの初対面というわけではない。
「よぉ、父たる神の羊飼い。これだけ『羊』がいると、まとめるのも大変そうだなァ」
 と、エルナクハが軽口で呼びかけたのも、初対面の時に『シャレが分かる相手』と見抜いたからこそであった。事実、壮年の、髪に白いものが混じり始めた牧師は、豊かな髭を蓄えた口元を歪め、同じような洒落で返した。
「なに、たまには『放牧』も必要ではないかね、大地母神の悪戯坊主殿」
「違ぇねぇ。がっちがちに檻に押し込めてたら、ストレスでバタバタ倒れるわな……酒どうだ? 今なら神サマも寝てるだろ」
「少しだけ頂こう。神はお目こぼしくださるだろうが、女房やまのかみがおかんむりになるからな」
「おう、ソイツはコワイコワイ。山の神サマはサイキョウだからな!」
 酌のやり取りを始める神職二人の後ろから、
「貴方こそ、自重するべきです」
と、エルナクハの山の神にょうぼうたる者からの神託が密やかに下る。
 さしあたって『ウルスラグナ』一同は、銘々にくつろぎ始めた。ちょうど、宿屋の娘は友人達に囲まれ、贈り物とお返しのやり取りをしているところである。そこに割り込んで贈り物をする程、急いでいるわけでもなかったのだ。
 しばらくは、料理をつまんだり、飲み物を嗜んだりしつつ、時を待つ。
 程なくして、子供達は、保護者であろう大人達にそれぞれ連れられて、別れの言葉と共に、ぞろぞろと酒場を去っていく。主賓である宿屋の娘は例外として、子供があまり遅くまで酒場にいるのはあまりよろしくない。妥当なことだ。
 宿屋の娘の周囲に空隙が生じる。贈り物を手渡すなら今だろう。
 だが、重要なことを決めておくのを忘れていたことを思い出した。
 ……渡すって、誰が渡すというのか。
「……センセイ?」
 面子の中では最も宿屋の娘に近いところにいるはずの、元教師。
 彼に役目を委ねようと決め、問題の贈り物の箱を取り上げ、手渡そうとしたところで、
「阿呆か」
 背後から喝を入れられる。振り向くと、呆れ顔の酒場の親父が立っていた。
「なにしてやがるんだよ、ギルドマスター様とあろうものがよ。なぁに、エンリョする事ぁねぇ、ほれ、こっち来て直接贈り物を渡してやんな!」
「わ、こら、何しやがるんだ、親父!」
 襟足を掴まれ、為す術もなく引きずられていくギルドマスターを、一同は、苦笑と憐憫を込めた眼差しで見送った。
 誰が贈り物を渡すかという中で、エルナクハという選択は、渡される相手との取り合わせ的に、奇妙さを感じるところがあったのだ。かといって――他の誰がいいのか、と問われると、それぞれが頭を抱えることになっただろう。妥当な線では、エルナクハが選ぼうとしたフィプトなのだろうが。
 どうであれ、ここまで来たらぐだぐだとごねていても意味はない。エルナクハは腹をくくって、宿屋の娘の前に進み出た。
「……ぁ」
「よ、よお」
 傲慢不羈な黒肌の聖騎士の辞書にも、緊張という言葉はあったらしい。エルナクハは、普段の様相からはとても信じられない程にぎこちない動きで、手にした贈り物の箱を前に回し、
「ほ、ほらよ、コイツは、オレら『ウルスラグナ』からの、プレゼントだぜ」
 押し付けるように、宿屋の娘に手渡す。
「ぇ……?」
 まさか冒険者から贈り物をもらえるとは想像だにしていなかったのだろう、宿屋の娘は、あどけない瞳をぱちくりとまばたきしながら、黒い聖騎士を見上げた。
 エルナクハは詳しいことを知らなかったが、実は、贈り物の箱からして大層高級なものであった。遥か南方の国アーモロードに生息するという色鮮やかな小鳥の羽を漉き込んだ紙箱なのである。ただ、『アーモロード』というのは十中八九眉唾だろうな、と皆が思っている。かの南方の国は百年程前に大災害によって沈んだという噂を耳にしているからだ。
「と、とにかく、開けてみろや」
 聖騎士は箱の開封を促した。宿屋の娘は、こっくりと頷くと、箱に掛かったリボンに手をかける。
 蓋を開けたその手が、しばし止まった。
「ぇ……? わぁ、キレイ……!」
 感嘆の言葉を紡ぐ娘の、ふたつの瞳は、すっかりと箱の中身に釘付けになっていた。酒場のやや薄暗い照明の中でさえ、鮮やかな色を失わない、虹色の美しい尾羽。震える細い指が羽軸をつまんで、そっと取り出すと、羽は動きにつれて色を目まぐるしく変化させた。
 その様は、娘だけではなく、母親である女将も、他の大人達をも、惚とさせるものだった。
「……も、もらっていいの……?」
 我に返った娘は、このようなものを自分がもらってしまっていいのか不安になったのだろう、問いかける言葉を口にする。が、その言葉を受け取るべき聖騎士は、すでにいない。そそくさと席に戻って酒をあおっていたのである。
「なに、がらにもなく照れているのですか」
 半ば呆れた顔で、妻たる錬金術師が溜息を吐く。
 やれやれ、と苦笑いしつつ肩をすくめたマルメリが、逃げてきた従弟の代わりに、宿屋の娘に声を掛けた。
「いいのよぅ、『フロースの宿』にはいつもお世話になってるしねぇ」
 さすがに『母親に依頼されたから』とは言えない。それに、きっかけは依頼だったとしても、いつも世話になっている宿の娘のために、何を喜んでもらえるだろう、とギルド総出で考えたことも確かだ。そして、そのどちらも、今この場で娘に告げても意味のないことである。
「へへ……やったぁ」
 大人達の思惑はさておき、娘は、頬を上気させて目元を緩めた。しばらく、羽をくるくると回して色の転移を楽しんでいたが、ふと、その動きが止まる。どうしたのかと思う『ウルスラグナ』一同に、娘は真っ直ぐに顔を向けた。
「あの、あ、ありがとう。凄く嬉しい……」
「どういたしまして」
 代表してオルセルタが返礼を口にする。彼女の兄であるギルドマスターはというと、まさに「礼なんか言われる筋合いじゃねぇよ」と嘯く頑固親父のような様相で、酒に口を付けている。何、こんなところで照れているのやら、と、先程の義姉の言葉のような感慨を抱く妹であった。

 夜の九時を回ったあたりで、誕生会はお開きになった。
 普段は眠っている頃合いなのだろう、うとうととして、まぶたを開けていることですら重労働といった塩梅になっている娘を、女将が連れて帰っていく。「今日は本当にありがとうね」という挨拶を残していった女将を、『ウルスラグナ』は見送った。
 料理や酒には若干の残りがあるので、残って消費したい輩はそのまま酒宴に突入するのだが、その代償は、宴が終わった後の片付けの手伝いである。といっても、『ウルスラグナ』が酒宴を続けずに去ることを決めたのは、別に片付けがいやだったからではない。
「明日からも頑張って樹海の探索をしないとな」
とは、全員の意志を代表したアベイの言うところである。自分の好奇心のためだけではない、大公の病を癒すために『諸王の聖杯』を求めるためだけでもない。宴の主役であった宿屋の娘のために、できるだけ早く、空気のきれいな場所を探してやりたい、と改めて思ったのだった。特に、幼い頃は似たような病を抱えていたというアベイにとっては、他人事ではないだろう。
「おっと……お前ら、帰る前にコッチ来い」
 酒場の外に踏み出そうとする一同を、酒場の親父が引き留めた。何事かと思いつつ親父の招きに応じた『ウルスラグナ』だったが、続く言葉に、自分達がどういう立場だったのかを思い出す。
「さてと、んじゃ依頼は完了ってことだ。仕事は仕事だからな、ホレ、報酬だ」
「む……」
 そうだった。自分達は純粋に娘の誕生日を祝ったわけではない。いつも世話になっている宿の娘のために、何を喜んでもらえるだろう、とギルド総出で考えたことも確かだ。けれど、依頼として持ち込まれていなかったら、はたして今宵のパーティに顔を出しただろうか。
「ああ、なんて顔してやがるんだ、お前らよ」
 ひょっとしたら、そんな『ウルスラグナ』の内心を察してしまったのだろうか、親父も、渋い顔をしつつ髪を掻きむしった。
「お嬢ちゃんも喜んだみてぇだし、いい事づくめじゃねぇか、めでてぇだろう、オイ! ……あーと、言い間違えたんだよ。こいつは報酬じゃねぇ、お返しだ。誕生祝いをくれた人に、ささやかなお返しをするのくらい、お前らにだって、覚えがあるだろ?」
 ただの言葉遊びと言ってしまえば、そこまでかもしれない。だが、その親父の言葉で、少しだけ心が軽くなったのも確かだった。こんなことにいちいち一喜一憂するのは、冒険者としてどうなのだろう、と自分達でも思わなくもない。誕生日の贈り物を持ってきてほしいと依頼されたから、それらしいものを適当に調達し、誕生会の席で渡し、対価としての報酬を手にする――ただそれだけの話だと割り切れば、何の問題もないはずなのだが。
「だから、変な風に考えんなよ、な?」
「……ああ」
 再三の励ましに、こっくりと頷いた。
 報酬が、金ではなく、品物だったのも幸いした。ようやく市場に出回り始めて間もない、一度にパーティ全員の『封じ』を回復する薬だったのである。親父の言う『報酬ではなくお返し』という言葉が、すとんと道理に収まる。それがただの言い訳だとしても。
 ……きっかけはともかく、自分達は宿屋の娘の誕生日を祝ったのだ。最終的に、冒険者達はそう考えることにした。それが一番、自分達の気持ちも安定する気がしたのだ。

「……ところでよ」
 酒場から帰還後、応接室でくつろぎながら、エルナクハはぼやいた。
「今にして思えば、プレゼント、『アレ』でよかったんじゃねぇか?」
 黒い指先が指し示すものを、全員が目の当たりにする。
 それは、金色の小さな駒だった。精緻な彫刻で『衛士』を表現した代物である。
「ああ、あれね……」
 一同、納得すると共に、それはどうか、とも思ってしまう。
 かつて、酒場の親父から受けた依頼の報酬として授けられた、金の駒。込められた思惑を考えれば、宿屋の娘の誕生日の席で、駒が贈り物とされる様を見た親父は、さぞかし肩を落としたことだろう――それはそれで、その様を見てみたかった気もする。しかし、もらったものをたらい回しにするような行為はどうか。
 それに、今さらの話である。『衛士』の駒が応接室の飾りとして活躍する期間は、まだ当分ありそうだった。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-20
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