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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・19

 日が傾き、天が朱の羅紗を纏う頃、夜組が鍛錬の為に樹海に入る。
 ただし、今回は鍛錬の他に、宿屋の娘への贈り物探しという目的もある。
 大公宮を辞し、私塾に戻った後、『ウルスラグナ』は手分けして、街の顔見知りに相談して回った。といっても、ただの街の人に聞いたところで、樹海に絡んだ物事はあまりわかるまい。有用な情報を得られる口は、やはり限られてしまう。
 パラスは、聞き込みの途中で薬泉院へ母を見舞いに行き、そこでメディックのアンジュから、迷宮二階に綺麗な花を摘める場所があるらしい、と聞いた。余談だがアンジュ自身は、百草辞典やら薬用の冬虫夏草やらがほしいと列挙した末、寄生虫の標本などというとんでもないものを挙げてきた。薬泉院近くの触媒屋で売っているということだが、錬金術師は何の術式に寄生虫などを使うのか、知りたいような知りたくないような気がする。
 シトト交易所に顔を出したナジクは、「世界樹様に入ったりするすごい人達が、まさか女の子への贈り物で困ってるなんて、何だか可愛くて」と笑われて辟易したが、長笛鳥という生き物の話を仕入れることに成功した。五色の羽と尻尾を持っていて、美しい声で鳴くそうだ。第二階層の探索中に、自分以外の誰も聞きつけられない程かすかに、名工の手による笛を吹き鳴らしたかのような音を聞くことがあったが、その正体はこれか、とナジクは納得した。衛士が見回り中に、十階に巣があるのを見つけたらしく、そこから、光るものを集めてくる習性のある鳥が蓄えている綺麗な石をもらってきたらどうか、とのことだった。
 オルセルタは冒険者ギルドを訪ね、ギルド長に問うてみた。「そんなことを私に訊くことが見当違いだとは思わないのか」と言われたが、それでも、七階に上質のベリーが実る場所があると教えてもらった。数年前の探索時に発見されたもので、その場所まで到達できた衛士には、春期にのみ採集を許していたという。それは半年以上前から――そう、もう半年も経っているのだ――世界樹の迷宮の探索を始めた冒険者も同様なのだが、春期のうちに第二階層に辿り着けた者はいなかったという。その採集を特別に許可してくれるそうだ。
 一方、なかなか収穫がなく、面倒になり(彼曰く、「みんなを信頼したんだよ」)、一休みのつもりで酒場を訪れたエルナクハは、意外な情報を得ることになった。
 二日前に、迷宮九階で隊商が魔物に襲われてつぶされたという。人間は逃げ延びたが、荷物は捨ててきてしまい、そのままらしい。
 しかし、なんでまた隊商などが樹海に入ったのか、理解に苦しむ。しかも、小型の荷運び用とはいえ馬車二台こみでだ。階段はどうやって上ったのかとか(幅は小型の荷馬車ならどうにか通れるだろうが)、よくそんなものが樹海に入る許可が得られたものだとか、突っ込みどころはいろいろあるが、一番突っ込みたいところは、樹海で取り引きが成り立つのか、というところだ。なにしろその馬車、酒場の親父が目の色を変える程にお宝満載という話なのだから。樹海の産物で満載にするために馬車を引き連れていった、なら、まだ判るのだが。
「ま、理由はともかく、自業自得だな」と親父が笑う。
「樹海にあるモノは見つけた者勝ちって話になってるからな、現場に行ってみて、なんかよさげなモノがあったら、失敬してきちまえばいいんじゃねえか。まだこのことを知っているヤツはほとんどいねぇ……っと、この件、内密に頼むぜ、ボウズ」
「なんでだよ?」
「なんでって……ヌフフフフ。こっちはこっちで動いてんだ、まぁ突っ込むなって」
 突っ込みたい、正直言って突っ込みたい。しかしエルナクハは衝動を辛うじて堪えた。あまりに不自然な状況の数々は、一介の冒険者が突っ込むには危険すぎるだろう。ひょっとしたら、貴族同士の何かしらの取り引きのために、大公宮の目が届きにくい樹海が選ばれ――という件かもしれない。それが魔物のためにご破算、事情が事情のために衛士に宝物の回収を頼むわけにはいかず、こっそりと依頼を、ということなのか。
 まあ、自分達が深く関わるべき話ではあるまい。ただ、せっかくだから、検討材料に入れよう、とエルナクハは思った。
 夕刻になってから、一同は私塾に戻ってきて、得た情報を検討した。
「シトトの娘が客から訊いた話によれば」相変わらずの仏頂面でナジクが情報を披露する。「ある冒険者達が、十階で長笛鳥の巣を見つけたそうだ。見つけたところで何かの益にはならないと判断して、シトトの娘の土産話程度に披露したという事情らしい」
「光る石かあ……」
 冒険者達はこぞって考え込む。子供の時分は、光る石でも宝物だ。樹海で調達してきた、というなら、なおさら、喜んでもらえるかもしれない。だが、必ずしも、鳥が石を溜め込んでいるとは限らない。運任せになるだろう。
 なお、光る石を贈る前提になっているようだが、正確に言えば、そうではない。夜に探索に出る者達が、第三階層の樹海磁軸から入り、その近辺で鍛錬していることが多いため、そこから行きやすい場所ということで選ばれたものである。もしも鳥の巣の中にめぼしいものがなければ、別の場所で贈り物を探すことになるだろう。
「隊商の荷物ってのも気にはなるんだがな」とエルナクハが肩をすくめるが、
「あまり手を出さない方がよさそうよ、兄様。そりゃ、樹海の落とし物は見つけた人のものってことになってるけど」
 妹にそう釘を刺されて、やめることにした。ひとつふたつくすねたところで、樹海の中でのこと、落とし主は諦めるだろうが、やはり、あんまり変な話は抱え込みたくない。
 もしも鳥の巣で成果が上げられなければ、ギルド長が特別許可をくれたベリー摘みに行くか、花を摘みに行くかだろう。
 そんな話し合いの結果、夜組は鳥の巣を探すこととなったのである。
 シトトの娘に鳥の巣のことを教えた情報主は、あくまでも土産話として話したものだから、巣の場所はせいぜい『十階の南東』程度としか判らない。冒険者達は、襲い来る魔物達と戦い、いなし、倒しながら、南東を目指した。
 樹海の赤の色は、隙間から差し込む夕焼けの色を受けて、いつもよりますます赤く燃え上がるようだった。ティレンの代わりに探索班入りしていたナジクが、かすかに眉根をひそめたが、第二階層に踏み込んだばかりの頃のように倒れたりはしない。アベイが心配げに視線を向けたが、心配するな、と言いたげにレンジャーが首を振ると、小さく頷いて探索に意識を向けた。
 やがて、日が落ちるにつれ、鮮やかな紅の樹海も明度を落としていく。
「……出直した方がいいかしら」とオルセルタが心配げにつぶやいた。
 少なくとも長笛鳥が夜行性だとは聞いていない。夜になれば普通にねぐらに戻って眠るだろう。そんなところを荒らして起こしてしまうのは気が引ける。明日の昼に出直すか、素直に花かベリーにするべきか、と考え始めた、その時である。
 高い笛の音のような音が、あたりに響き渡った。
 誰かが笛を吹いているのだろうか、と誰もが思った。情報を聞いていたナジクを除いて。
「これが、おそらく長笛鳥の声だ」
 そうなのか、と納得しているうちにも、高い笛の音のようなその声は、断続的に数回響き、やがて止まる。
「しかし、これほどはっきりと聞こえたのは初めてだ。この近くに巣があるのかもしれない」
「そうなのか?」
「そろそろねぐらに帰る時間ならば、この近辺にある巣に戻ってきたからこそ、声がはっきり聞こえると考えられないか?」
 言われてみれば、現在地は、『十階の南東』という条件には合っている。
「とりあえず、探してみましょうかぁ」
 マルメリの声を合図としたかのように、一同は声を殺し、足音を殺し、声が聞こえてきた方へと歩を進めた。
 行き当たった茂みを覗き込む。そこには、枝を組み合わせ、職人芸のように作ってある巣があった。その中に、色とりどりに光る石を見付けて、冒険者達は満足した。赤い光を受けて輝く石は、ただの石なのだろうが、まるで宝石のようにも感じられる。
 産卵期ではなかったことが幸いだ。もしそうだとしたら、巣の中には昼夜問わず親鳥がいて、決して退かなかっただろう。
「ごめんねぇ、少しもらうわよぉ」
 どこにいるか正確には判らない、巣の主に、通じないであろう謝罪を行いながら、マルメリが巣に手を伸ばした。
 と、その時である。
 頭上でかすかな羽音がした。何事か、と思わず視線を上に向ける冒険者達の視界を占領するものがある。それは、瞬く間に占領区域を大きくし、やがて、視界外に逸れて消えた。
 ――マルメリを除けば。
 吟遊詩人の娘は、まぶたの上に落ちてきた何かを振り払おうとして慌てていた。両目を覆い隠す程の見た目の割には相当に軽いらしく、それはマルメリの顔を滑って、前にある鳥の巣の中に落ちた。
「あああ、びっくりしたわぁ」
 心臓の上を抑えて軽く息を吐くマルメリの隣に歩み寄って、パラスが、落ちてきた何かを拾い上げる。
「あれ? これは……」
 美しい羽だった。形は、エトリア迷宮に存在した火喰い鳥やその類型の一族の尾羽に似ている。というか、この場合は、東方と西方の狭間の地域に生息するというクジャクのそれに似ていると言うべきか。それが、華やかな極彩色に色分けされ、光を受けてきらきらと輝いている。傾けたり軸を持って回したりすると、不思議な色の転移を見せた。
「……石は持ってかないで、これで勘弁して、っていうことかしら?」
 オルセルタが見上げるが、鳥の姿は枝葉に隠されて見あたらない。仮に見えたとしても、その真意がオルセルタが冗談半分に口にしたことと同じかどうかは、確かめようがないだろう。ただ、はっきりしているのは、美しい羽は誕生日の贈り物にするのにいいだろう、ということだ。
「……わかったわ。石は持っていかない」
 結局、オルセルタは肩をすくめて巣を離れた。ところが、入れ替わりにナジクが巣に近付いたので、慌てて引き留める。
「ちょ、ナジク、もういいじゃない!?」
 しかし、レンジャーの青年は意に介さず巣に近付き、その中に手を突っ込んでいる。
「ちょっと!」
 この上、石まで持っていこうというのか。憤慨したオルセルタは足早にナジクの背を追い、その肩を掴もうとした。
 ……石は、ひとつたりとも減っていなかった。
 むしろ、増えたものがある。きらきらと輝く五十エン金貨が二枚。
 伸ばしかけた手の遣り所に困っているオルセルタを振り返り、レンジャーの青年は静かに口を開く。
「……礼だ」
「……ああ、そうなの。気が利くのね、ナジクは」
 憤慨するべきは自分自身にだった、とオルセルタは自省した。ナジクは、巣の主の習性に則って、自分でできる礼を果たしただけだったのだというのに。
 少なくとも表面上は取り繕ったつもりだったが、見抜かれていたのか、気にするな、とばかりにナジクに軽く背を叩かれる。
 ともかく、宿屋の娘への贈り物になりそうなものは入手した。あとは、それを渡す時を待つだけである。

 待つだけである、とはいうものの、それはあくまでも、宿屋の娘の誕生祝いに関わることだけで、探索と鍛錬はそうではない。
 探索の方は、『エスバット』を戦慄せしめた存在を警戒して、やや速度を落とさざるを得なかったが、現状では、まったく止めるというわけにもいかなかった。
 その理由もまた、宿屋の娘に関することである。
 女将に頼まれていたことがある。病気の娘の療養のために、空気のきれいな場所を探すことだ。借りた調査具の反応は、今のところ芳しくない。もっと未知の場所に踏み込まなくてはならないだろう。どこまで行く必要があるのかは、まったく見当が付かない。場合によっては、女将には相当待ってもらわなくてはいけないかもしれない。
 宿屋の娘への贈り物を入手した翌日。
 昼の探索班は、せっかくだからと、ついでに請け負えそうな依頼を探しに酒場に足を向けたのだが、そんな『ウルスラグナ』を、親父は驚きの表情で迎えた。
「驚いたぜ、お前らの言う通りだ。第三階層の先を目指していた連中が、依頼を捜しに来たぜ」
 どうやら、他の冒険者も、アーテリンデの脅しを聞いたらしい。
 親父の感嘆が嘘ではないと示すように、昨日は山ほどあった依頼書は、半分くらいに減っていた。掲示板の下地があちこちに目立ち、どことなく物寂しさを感じられる。
 まさか一日でこれほど状況が変わるとは思っていなかった。だが、よく考えれば、大公宮の氷の花探しによって、冒険者達の多くは道を塞がれていたのだ。封鎖が解かれれば、一斉に先を目指し、アーテリンデの警告を聞くのも、大体同じ頃になるだろう。さて、冒険者達は、彼女の警告通りに、小銭稼ぎに転向するのか、それとも――『ウルスラグナ』と同じように、今は力を蓄えよう、と考えているだけなのか。
「お、そうだ。お前らには伝えておかないとな」
 何かを思い出したのか、親父がそう切り出す。
「どうしたよ、また七面倒な依頼でもあんのかよ」
「バカ、宿屋の嬢ちゃんの誕生祝いの話だよ」
 この日、天牛ノ十九日の、夕方から、フロースの娘の誕生祝いが行われるのだが、その会場はこの酒場らしい。フロースの酒場と棘魚亭、意外と交流があるのかな、と冒険者は思った。
「そんなわけでだ、今日の夜の探索はすっぱり諦めて、『ウルスラグナ』全員、雁首揃えて、ここに来やがれ。こいつは命令だ――贈り物はしっかり用意しただろうな? 何、用意した?」
「内緒ですえ」
 探りを入れるように問い重ねる親父を、焔華が、たおやかな言葉でさらりといなす。
 昨日手に入れた羽は、留守番組が包装して贈り物らしくする予定である。少し前に私塾通いの子供達との雑談の中で聞いたことがある、紙屋に足を運んで、小鳥の羽を漉き込んだ厚紙で作られた細長い箱を買ってこよう、などという話をしていた。
 それにしても、もらう方ではなく、あげる方なのに、何故、こんなにわくわくするのだろう。冒険者達は、それぞれの心の奥底にある、弾むような思いに戸惑いながらも、ふと、考えた。
 自分達の親や、誕生日を祝ってくれた人達も、こんな気分を抱いていたのだろうか?

High Lagaard "Verethraghna" 3a-19
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