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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・17

 さて、迷宮で通用する実力を付けるには、迷宮内の魔物と戦って経験を積むことが最もよい。
 前々から行っていたことであり、そのついでに酒場で何かしらの依頼を受けることも、よくあることだった。
 それにしても――と、十三階の磁軸の柱を起動させた後、街に戻って酒場を訪れた『ウルスラグナ』探索班一同は、思った。
 なんだって、しばらく見ないうちに、こんなに依頼が溜まっているのだ?
 街の上に広がる世界樹の枝葉のように、掲示板に掲示された依頼書の数々。
「お前らのせいだぞ、『ウルスラグナ』」
 時間帯のせいか、『ウルスラグナ』以外に客がいないというのに、えらく機嫌のいい親父が、冗談交じりにそう口にした。なんでも賭け事で大勝したそうで、『ウルスラグナ』一同が口にしている酒も、親父のおごりである。
「お前らがいい勢いで樹海を制覇していくからな、うちを贔屓にしてる連中は、お前らのケツばかり追いかけて、街の連中の依頼にゃ目もくれねぇのさ」
「俺たちに責任を押し付けるんじゃないよ、親父」
 こちらも冗談混じりで、親父の責任転嫁を批判するアベイ。
 それにしても、この依頼の量は、受領する冒険者が少ないから、というだけで溜まるものではない。人間というものは、ちゃっかりしているもので、街の人間の中にも、かつては冒険者が国内に増えることに不安があった者も多かっただろうに、いざ状況に慣れてきたら、自分達の手足のように冒険者を使おうとする。その結果がこれだ。もっとも、ただ働きさせようというわけではないし(ごくたまに、そのような輩もいるようだが)、街の人間の歓心は金で買えないものプライスレスだ。
 どうせ、これからしばらく鍛錬に入る。そのついでに依頼を果たすのも――というより、依頼を果たすついでに鍛錬を行うことになるだろうが――悪くない。
 エルナクハは依頼書の数々に目を通す。いくら『悪くない』といっても、これだけの数を『ウルスラグナ』だけではこなせない。そのあたりは、親父に他のギルドの尻を叩いてもらう必要がある。それに、一度にいくつもの依頼をまとめて抱え込むのは、依頼の目的となる品あるいは魔物が近い所にあるわけでもない限り、無理だ。
「――なんだ、こりゃ」
 一枚の依頼書が目を引いた。依頼主の名が引っかかったものである。
 フロースの宿の女将だ。その内容も変わっていた。なんでも、娘の誕生日のプレゼントになりそうなものを持ってきてほしいらしい。冒険者に頼むにしては筋違いのような気がする。
「あ、忘れてた」と、親父は、その依頼書を指し示されるなり、自分の額を叩いて迂闊を認めたものだった。「そいつぁご指名だ。『ウルスラグナ』、お前らに頼みたいんだとよ」
「ご指名をこんなところに貼っとくなよ。他のギルドが拾っていったらどうするつもりだったんだ」
 半ば呆れたように吐き出すと、エルナクハは女将の依頼書を剥がし、アベイや焔華と共に席に戻る。
「おいおい、お前ら、たったひとつしか受けてくれないのかよ、依頼ちゃんをよぉ」
 もう依頼を吟味するつもりがない冒険者の様子を見て、親父が渋い顔で、しかしその実は哀願するように声を上げた。
 エルナクハは、手にした依頼書を、ひらひらと振ると、言ってやった。
「オレらで依頼を独り占めするわけにゃいかんだろ。それに、いっぺんにたくさんできるもんでもないさ」
「おいぃ、さっき言っただろ、どいつもコイツもお前らのケツ追ってるって――」
「だいじょーぶ」とエルナクハは人好きのする笑みを浮かべた。「樹海もそろそろ厳しくなってきたからな、先には進めないけどカネは稼ぎたいってヤツらも出てくるだろう。街の連中の依頼は、うってつけだろ、そういう連中にはよ」
 ……冒険者は己の生命も顧みないバカばかりだが、かといって本当に生命を投げ捨てたい奴は、そうそういない。アーテリンデの警告を聞き、自分達が体験してきた危険と、先に進んでいる者達の行方が知れないという噂とを、己の好奇心と比べ、先に進むことを断念する者もいるだろう。
 樹海に沈むよりは、余程お利口さんな決断だ。
「ま、そんなわけで、コイツだけもらってくぜ」
 エルナクハは再び依頼書を振った。親父は顔をしかめたが、言葉にしては何も言わなかった。

 フロースの宿に向かう道すがら、焔華が、そういえば、と声を上げた。
「娘さんの誕生日、って話でしたわいね。まぁ、そろそろなんでしょうけど、具体的にいつなんでしょうかいね」
「さぁなぁ」
 訊いていないからわかるはずもない。ほとんど山勘でわいわいと推測していた冒険者達だったが、やがて、妙なことに気が付いた。
 フィプトの様子が変だ。何と説明したらいいのか――重要なことを知っているのだが、それを言ったら怒られる、と思っている子供のような表情だ。
 なんとなく、何を知ってるのか判った気がしたが、敢えてエルナクハは問いかけた。
「ん? 何言いてぇんだよ、センセイ?」
 その声には若干の脅しドスが入っていた。もちろん、言葉を発した当人としては本気ではなく、長らく共に冒険をしてきた仲間達にもそれがわかるのだが、フィプトがそう気が付くには少しだけ共にあった時間が短かった。錬金術師の青年は、初めて魔物の死骸を手に載せた時のような、微妙に怯えた顔を見せた。黙ってはいられないと観念したらしい。
「すいません、すいません義兄あにさん、宿の女将さんが言うだろうから、小生が言う必要はないと思ってたんですが……」
「思ってたけど、何だ?」
「フロースの娘さんの誕生日って、天牛ノ十九日――明日、です」
「何だって――!?」
 その場にいた全員が異口同音に嘆き、天を仰いだ。もっとも、フィプトに罪はない。敢えて責めるなら、依頼が名指しだったにも関わらず、とっとと『ウルスラグナ』に振ってこなかった、酒場の親父ということになるのだろうが――実際に責められるかといえば、それもまた微妙なところだった。この調子で罪人を捜していったら、街の人間達からの依頼に目を通さなかった『ウルスラグナ』が悪い、そういうことに目を向けられなくなるほどに重大なミッションを冒険者に課した大公宮が悪い――と、際限がなくなる。そんな罪人探しをするような案件でもない。
「――とりあえず、さっさと宿に行って詳細を聞こうぜ」
 アベイの言葉を歯止めとして、一同は不毛な思考を切り上げ、宿へと向いた足を早めるのだった。
 ちなみに、何故フィプトがフロースの宿の娘の誕生日を知っているのかといえば、私塾の教師として彼女を迎え入れていたことがあるからだ。担任として必要な程度の個人情報は知っていてしかるべきであろう。
「おやおや、アンタたち、今日は、酒場に行ってからの、お越しかい?」
 宿に到着すると、いつものように女将が出迎えてくれた――ということはなかった。女将は踏み台に乗って、高い所にある何かを取ろうとしているのだ。『ウルスラグナ』の中では最も背の高い(エルナクハが同じくらいだろうか)ナジクが近寄って、若干背伸びをしながらも、取ろうとしていたらしい箱状のものを危なげなく取り上げると、女将は破顔した。
「そうそう、ソレが届かなかったんだ。ありがとうね、助かったよ!」
「なんのことはない」
 ナジクはぶっきらぼうな調子で応じると、仲間達の方へ戻ってくる。
「おばちゃん、何だよソレ?」
 興味津々の体で問うエルナクハに、女将は笑いながら答えた。
「これかい? 良い食器が入ってるんだよ。使わないと思って片付けたんだケドね。急にお客さんがいらっしゃる事になってね。慌てて出したって話さ――ところでアンタたち、そこで娘に会わなかったかい? パン屋に行かせてるんだけど、まだ帰ってこなくて」
「いや、見てないケドよ」
 女将が心配そうに顔を曇らせる。
 ナジクが早くも身を翻そうとしていた。いつも難しい表情をしているが、殊に小さな子供達には情深い彼のことである、探しに行こうとしたのだろう。その様子に気が付いた女将は慌てて引き留めた。
「あぁ、大丈夫大丈夫、心配なのは娘じゃなくてパン! お客さんがお待ちでねぇ。あの娘は街中の人間と友達だからね、危ない目になんか合いようがないのさ!」
 そして、いつものように、ウフフフフ! と笑って曰く。
「でも心配してくれてありがとうね。アンタたちが心配してくれたって知ったら、娘も喜ぶよ!」
 ともかくも大事はないようで安心するところだ。一段落付いたところで、フィプトが切り出した。
「女将さん、小生どもは、酒場からの依頼を請けてきたんですよ。その、娘さんの件なんですが……」
「ああ! やっと来てくれたんだね!」
 その瞬間の女将の顔は、大袈裟に表現すれば、長い曇の後に顔を出した太陽を見たものだっただろう。
「もう、アンタたちがずっと無視してたわけじゃないだろうから、酒場の人が忘れてたんだろうね! まあ間に合ったからいいさね。よく来てくれたねぇ、嬉しいねぇ、もう撫でくり回したくなっちまうよ!」
「撫でなくてもいいから、用事の詳しいトコを教えてくれや」
 エルナクハが苦笑気味に返すと、女将は少し落ち着いて、話の続きを口にした。
「実はね、お馴染みのうちの娘が――」
「ちょっと待ってくれ」とアベイが話の腰の骨を折った。「お馴染みって言われても、フィー兄はともかく、俺たちは娘さんに会ったことないぜ?」
「あら嫌だ、アンタたちは会ったことなかったっけ?」
 女将は意外そうな表情を浮かべる。
「そりゃすまなかったねぇ、コッチが知ってるモンだから、すっかり知ってる気でいたよ! ありゃ、困ったねぇ……」
 困るのは冒険者じぶん達のほうだ。いつも世話になっている女将の頼みを聞くくらいなら造作もない。が、娘の誕生日を祝うなら、その相手の顔ぐらいは知っておきたいものだ。フィプトの知り合いである以上、他の者達は『フィプトを手伝う』という名目で動けばいいのだが……それはどうも、味気ない。
 そんな時であった。背後にある入口から、かすかな物音を聞いたのは。
 身の危険を感じたわけではないので、冒険者達は、ゆっくりと振り向こうとする。
 物音の正体をはっきりと見定める前に、声がした。
「ただいま、おかあさ……きゃ」
 ばたばたばた、と足音が遠ざかる。
 声は少女のものだった。言葉からすれば、彼女こそが女将の娘だろう。
 しかし、一体どうしたというのか。冒険者達が考えをめぐらせるより早く、
「こら、何隠れてるのさ」
 厳しい口調、しかし声音には慈愛が籠もった、女将の叱咤が飛ぶ。
「お客様にはご挨拶、だろ?」
 開け放された入り口を見つめる冒険者達の前で、動きがあった。入口の脇から、ひょっこり覗いた、淡い赤毛の束が、穏やかな秋の風に揺れていた。続いて現れたのは、幼い少女の顔。緑色の瞳を見開いて、冒険者達を不安げに見つめている――いや、『不安』とは違う、もっと別の感情が、少女の顔に浮かぶものだった。
「あ……」
 少女の口が小さく開き、かすかな声を発する。
 それが、意味のある言葉となるまでには、さほどの時間はかからなかった。
「その……こ、こんにちは……」
「はい、よくできました。いいよ、向こうに行って遊んでおいで!」
 女将が笑みを浮かべて褒めると、少女はぱたぱたと宿に駆け込んできた。両手で抱えている袋の中身は、買い物を頼まれたというパンなのだろう。その袋を女将に預けると、少女は宿の奥に駆け込んでいった。その間、少女は、挨拶をした時を除いて、『ウルスラグナ』に視線を向けようとはしなかったのだった。
 そんな逃げたくなるほど怖く見えたのか、とエルナクハが思いかけた矢先、女将は朗らかに笑って話を続けた。
「ウフフフフ! どうだい、可愛いだろ? ちょっと控えめなところまで、あたしにソックリだよ」
 どこがそっくりだって!? 危うく吹き出すところだった。そんな女将の言い分は脇に置くとしても、娘の控えめさは、『控えめ』で収まるものではないように思える。むしろ、度の過ぎた『人見知り』だ。
 前々からそうだったのか、という疑問を込めて視線を投げかけた仲間達に、フィプトは肩をすくめ、こっくりと頷いた。聞き分け自体はいい子なのだろうが、やはり、人見知りをするところで苦労があったと見える。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-17
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