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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・16

 翌、天牛ノ月十八日。
 これまで昼の探索に出ていたメンバーに変更が加えられた。以前にエルナクハが依頼した通りに、フィプトが入り、代わりにオルセルタが抜けることになったのである。ついでに述べるなら、パラスは夜の探索に回り、力を付けることとなった。本人は残念がったが、しばらく探索に出ていなかった以上、最前線に立たせるのは酷だろう。
 というわけで、エルナクハ、焔華、アベイ、ナジク、フィプトの五人は、第三階層に踏み込んだ。
 『ウルスラグナ』が氷の花を回収した、という連絡は、十二階で野営中だった衛士に無事に届いたようで、凍った湖は見事に閑散としていた。今は誰の姿も見あたらない氷の上を、冒険者はソリを滑らせて進んだ。降りかかってくる魔物ひのこを払い、途中で見つけた宝箱の中身を回収しながら先を急ぐ『ウルスラグナ』は、迷宮南東部、細い水路が凍ったような道の先に、少し開けた場所に出る。
 そこで足を止めたのは、人影がひとつ、佇んでいたからである。
「ぬしさんは……」
 焔華が声を上げた。その声音に、若干の警戒色が混ざっていたことに、エルナクハは勘付いた。同時に、なぜそんなに警戒するのかと疑問を抱く。
 人影の正体は、黒を基調とした巫医服に身を包んだ少女――ギルド『エスバット』のドクトルマグス・アーテリンデだった。
 手練れの冒険者達の多くが行方知れずと聞いていただけに、彼らはやはり無事だったかと安堵を抱く。どうやらフィプトも、エルナクハと同じように思っているようだ。が、アベイは若干緊張した面持ちを浮かべ、ナジクは焔華と同様に、むしろ彼女よりもあからさまに、警戒している。
 そういえば、『エスバット』の銃士ライシュッツに銃口を突きつけられた時、フィプト以外は、今ここにいるのと同じメンバーだった。当時のことを考えれば、警戒するのも当然か。ということは、あまり警戒していなかった自分がおかしいのだろうか。いや、問題のライシュッツもいないことだし、別に変ではないだろうな――そこまで考えたエルナクハは、ふと思い当たった。
 アーテリンデはひとりでいる。ライシュッツはどうしたというのだ。
 なにより奇妙なのは、少女の表情が暗く、どことなく物悲しげな雰囲気だということだ。さすがに、焔華やアベイはもちろん、ナジクさえも、毒気を抜かれたような面持ちで警戒を解く。
 アーテリンデは、その時やっと、『ウルスラグナ』に気が付いたようだった。
「……そうか、衛士がいなくなってたのは、大公宮のミッションを、あなたたちが果たしたからだったのね」
 それは本当に、第二階層で出会った少女だったのか。仮に、『エスバット』のメンバーが実は三名で、目の前にいるのが最後の一人、アーテリンデとは性格が真逆な双子なのだ、と説明されたら、納得してしまうだろう。その真偽を確認するために、というわけではないのだが、誰かがアーテリンデの名を呼んだ。それが自分だったのか、他の誰かだったのかも、エルナクハには判らなかった。
 名に反応して向けられた視線が、彼女が真にアーテリンデだということを語る。
「ね、『ウルスラグナ』のみんな、聞くだけ無駄かもしれない。……けど」
 黒衣の巫医が口を開いたのに、一同は耳を澄ませた。
 その言葉が、さらに自分達を驚愕させるものだとは、予想できないままに。
「一応聞いておくわ。世界中の迷宮の探索……。ここで諦めて、帰ってくれない?」
 初めは、自分達を蹴落とす気かと思った。なにしろ『エスバット』には(本気だったか否かはともかく)前科がある。行動したのは目の前の少女ではなく、今は姿の見えない老銃士だったが。その経験が、アーテリンデの言葉に対する『ウルスラグナ』の警戒を再び呼び起こした。
「……ふざけるな」
 抑えた言葉ではあったが、はっきりと言い切ったのは、ナジクだった。
 その返事を聞いて、アーテリンデは寂しげに笑う。偏見なしで遭遇したのなら、見た通りに受けとれる表情だったが、今は、何か企んでいるのではないかという疑念が先立つ。『ウルスラグナ』が先に進めそうなことを知って、今度こそ排除に掛かる気なのではないか。
 それでも、エルナクハは疑念を抑えた。噛み付かんばかりにアーテリンデを睨め付けるナジクを制するように、片腕を横に伸ばす。
「はい、そうですかって答えるって思うのか? 理由は何だよ?」
 そう口にしながら、ナジクがひっそりと視線を左右に動かすのを見た。見あたらないライシュッツがどこぞに隠れているのではないか、と気配を探しているのだ。しかし、探査は徒労に終わったらしく、レンジャーの青年は長い金髪を揺らして否定の意を示すと、ついには直接恫喝に出た。
「隠れているのなら出てこい銃士。さもなくば――」
「やめろナジク!」
「無駄よ、爺やはいないわ」
 エルナクハとアーテリンデの言葉が同時に雪原に響き、雪に吸われて消えた。ナジクはギルドマスターの制止に従って言葉を止めると、次には仲間達と共に、アーテリンデの言葉の内容に驚愕した。
 ここにはいない、というのは本当らしい。ということは、まさか――。
 冒険者達の疑問には応えがない。アーテリンデが語ったのは、別の話の続きであった。
「……当たり前か。ライバルからいきなり、冒険をやめろって言われて、それに従うような冒険者はいないわよね。じゃあ、ひとつだけ教えてあげる。あたしが知ったことの、片鱗に過ぎないけど」
 冒険者達は無言で先を急かす。ライシュッツの行方も気になるところだが、アーテリンデが語る気がない以上、彼女の語りたいことを聞いた方が、実りがあるかもしれない。
 雪降り積もる白い世界で、少女は天を見上げ、言葉を続けた。
「フィプト・オルロード師。あなたはこの国の出身だから、知っているでしょう? この公国の民に伝わる話。世界樹の上に空飛ぶ城がある、というおとぎ話。そして……その城には天の支配者とその眷属が住み、地上で死した魂を集めているという、言い伝え……」
「……はい」
 錬金術師の青年は、しかと頷いた。仲間達も思い出す。第一階層で衛士達が虐殺された惨劇の後、ふとしたことで上った話題のことを。
 ハイ・ラガードの天空の城に御座おわすという神の性質は、黒肌の民バルシリットが崇める戦女神に似通っている。それが、死した魂を集めること。理由までが共通かは判らない。だが、戦女神エルナクハとハイ・ラガードの『神』は共に、前時代より古い神話の神を根元として生まれたのではないか。そんな話をしたことがある。
 それがどうしたのか、と問うような冒険者の前で、アーテリンデは、風に揺られ降り注ぐ粉雪を手の平にとらえ、見つめた。そのまなざしが、人間を塵芥としか見ていない神が浮かべるようなものに見え、冒険者は一瞬だが背筋に怖気が走ったのを感じた。しかし、ふと気が付けば、アーテリンデの容貌かんばせには、負に由来するものとはいえ、確固とした表情が戻ってきていた。
「だけど、余程に神を信じる者でもなければ、ただの噂話と思ってるでしょう。君たちはどう? ……けど、それは噂なんかじゃないのよ」
「……『神』とやらが、本当にいるってか?」
 エルナクハの言葉は、代理とはいえ神官の言葉としては奇妙なものだった。『自分達が崇める存在以外の神を認めない』という輩なら不思議ではないのだが、黒肌の一族はそうではないのだ。もっとも、天空の城の『神』が本当に神なのか、という疑念がある以上、当然の疑問とも言えるだろう。
 だが、少なくともアーテリンデは信じているようだった。今まさに『それ』に遭遇しているかのように、杖と短剣を組み合わせたような巫杖を握る手が、かたかたと震えている。その震えを無理に抑えようとしてか、腕に力が入った。
 巫医の少女は、軽く息を吐くと、言葉を続ける。
「……ここから先には、人の力が及ばぬ恐ろしいモノがいる……それをよく覚えておくのね」
「……そんなモノには、とうに会いましたわ」
 反駁の声を上げたのは焔華である。
 間違いではない。エトリアで、『ウルスラグナ』は人知を越えたものに出会い、それを下してきた。アーテリンデの言うモノを軽く見るつもりはないが、心情として『だからどうした』という感がある。そもそも、ハイ・ラガードにも既にサラマンドラという例がいるではないか。
 それに気が付いたのだろうか、しかしアーテリンデは、悲しそうに笑うと、小さく首を振る。
「身の危険に関わる『力』だけが、恐怖じゃないわ。でも、説明するのは難しいでしょうね」
 そして、雪の上で踵を返した。巫医のケープがひるがえり、明色ばかりの樹海に、闇の色を広げる。その背を見つめる『ウルスラグナ』に、さらなる声が掛けられた。
「危険を承知で、なお先に進みたいなら、止めやしないわ。……今、はね」
 それは小さなつぶやきだったが、それまでの会話の中では最もはっきりした言葉の剣となって、『ウルスラグナ』一同の心を貫いた。
 今は止めない、すなわち、いつかは止めるということだ。
 大公宮に名の知れたギルド『エスバット』をもってしてさえ、先に行くことを恐れ、他の者さえ止めたいと思う程に、待つモノは強大なのか。第二階層で出会った時は自信に満ちあふれていたように見えた彼らが――。
 いや、ライシュッツがいない以上、複数形にはできまい。あの銃士は、アーテリンデが恐れたモノに斃されたのだろうか。だからこその、巫医の態度なのかもしれない。
 事実を問い詰めたくとも、「ひとつだけ教える」と宣言したアーテリンデが口を開くことはなかっただろう。無理に口を割らせたくても、すでにアーテリンデは立ち去っていた。
「……なぁ、ユースケ」と、エルナクハは背後のメディックに問うた。
「昔々の『オーディン』とかいう神サマは、勇者欲しさに死の運命を与える、とか言ってたよな」
「あ、ああ」
「ち、気にくわねぇ」
 エルナクハは頭をがりがりと掻きながら、天に目を向け、そのまま唾するような勢いで声を吐き出した。
「勇者欲しさに人間ぽんぽん殺す神サマと一緒にゃされたくないだろ、と思ってたが……天空の城の神サマは根元の神ごせんぞサマとご同類らしい。オレらの戦女神サマには親戚付き合いを自粛してほしいな」
 神の系譜を人間の親戚付き合いのレベルで考えていいんだろうか、という疑問を、仲間達は抱いたのだが、それはともかく。
「ナックは、アーテリンデが言った『何か』が、天の城の神様のしもべだって考えてるのか?」
「さぁな。アイツの話だけじゃ情報が足りねぇ」
 アベイの問いに対するエルナクハの答は簡単なものである。
「くだらん、そもそもこの世に神などいるものか」とナジクが鼻を鳴らしたが、
「おいおい、神官サマを前にしてその言葉はねぇだろ」
 とエルナクハが笑声混じりに突っ込むと、ナジクは失言に気が付いたらしく、あわてて「すまん」と頭を下げる。
「――少なくとも、あのおん方は、そう思ってるみたいですえ」と焔華がアーテリンデがいた場所を見つめながら続けた。「本当に神かどうか、そもそもいるのかどうかも判んない、天空の城の主人が、言い伝え通りに、自分たちに死の運命を差し向けてきた――とね」
 結局のところ、アーテリンデが話したモノの正体ははっきりしない。だが、樹海探索の最先を行っていた冒険者の一人を倒した――というわけではなかったとしても、相対峙した者に恐怖を抱かせ、神の手先であると思わせる存在であることは間違いなさそうだ。
 ……やっと、迷宮の封鎖が解けたと思ったのに、これか。
 ギルドマスターとしてエルナクハは考える。道を塞ぐ強敵の存在を知ったのなら、無策で先に進むのは無謀の極みだろう。これから足を踏み入れる十三階で、十分に力を付ける必要がある。
 そうしなくては、もしかしたら樹海の闇に呑まれたのかもしれない、ライシュッツの二の舞になるだろう。足踏み状態になるのは口惜しいが、自分達の誰ひとりとして、そんな末路を辿る気はないのだから。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-16
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