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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・15

「あれ? 『ウルスラグナ』の皆さんじゃないですか?」
 不意に声をかけられ、冒険者達は声の主を注視した。
 公園の外から話しかけてきたのは、白衣に身を包んだ、薬泉院の院長、ツキモリ医師だった。
 なんでこんなところにいるのかと訝しく思ったのも束の間、ふと思い出した。――そういえば、公女との謁見時に、『院長殿がお帰りになる』という言葉を聞いた。
「アンタは、大公サマの往診か? ご苦労サマなこったな」
 エルナクハが近付き、周囲に人気がないながらも、ほとんど聞こえないような小声で応じると、ツキモリ医師は一瞬、ぎょっとして身を強ばらせた。が、相手ウルスラグナがそういうことを知っていても不思議ではないことを思い出したか、力を抜いて頷く。
「その通りですけれど……よくわかりましたね」
 今度は冒険者達が事情を話す番であった。
「そうですか、『万能薬』の材料が揃った、と公女殿下が仰せでしたが、やはり、あなたたちが……」
「まぁな。後は、調合するだけだっていうがな……」
「ええ。ただ、その調合方法は見つかっていないという話です。古文書に記されていればいいのですが」
 おや、と冒険者達は内心で首を傾げた。ツキモリ医師は、諸王の聖杯のことを知らされていないらしい。大公宮も、情報の取り扱いには慎重を期していると見える。もちろん、ツキモリ医師が秘事を口外するはずもなかろうが、事は真偽の定まらぬこと、医師には現時点で知らせておくべきではない、と、大公宮は判断したのだろう。
「僕らの力のなさが悲しいですが、今は、時が来るまで大公陛下の病状を安定させておくのが、僕の使命です」
「悔しいですけれど仕方ないですね、こればかりは先人の知恵に期待するしか」
 慰めるようにフィプトが口を挟んだ。似たような形で未知に挑む者同士、共感できるところが大きいのだろう。
 ふと、ツキモリ医師が表情を改めた。
「話は変わりますけど……うちのメディックを私塾にお使いに行かせたんですよ。お会いしましたか?」
「会ってないよ、コウ兄」とアベイが首を振る。「入れ違いになっちゃったかな。なにか伝言なら、ノル姉が留守番してくれてるから、聞いといてくれると思うけど」
「なら安心ですね。でも、せっかくだから、ここでお教えしておいてもいいかもしれません」
 ツキモリは微笑んだ。その笑顔は、これから告げる話が、少なくとも凶事ではないことを如実に示している。肩の力を抜いた冒険者達を前にして、薬泉院院長は続けた。
「薬泉院でお預かりしている、パラスさんのお母さんですけど――先程、意識を取り戻しましてね」
「ほ……ほんと!?」
「ええ、まだ安静が必要ですけど、もう大丈夫ですよ」
 かぶりつかんばかりに詰め寄るパラスに、ツキモリ医師は頷いた。
 カースメーカーの少女は仲間達を振り返り、何か問いかけたさそうな顔をしている。
 言いたいことを把握して、エルナクハは答えてやった。
「行ってこいよ。話したいこととか、いろいろあるんだろ」
「……うん!」
 パラスは喜色を顕わにし、大きく頷くと、若鹿が駆け出す勢いで走り出した。普段着ならまだしも、大公宮へ行くために着ていたカースメーカーの装束では、走りにくいのではないかと思われたが、少々危ういながらも転ぶことなく去っていく。夜に一人で行動というのは心配にも見えるが、なにしろカースメーカーである、ことさら手を出そうという者はいないだろう――もっとも、ハイ・ラガードの夜は、裏道にでも行かない限り、女子供の一人歩きでも大抵は安全なのだが。フィプトに聞いた話によると、冒険者の流入で治安悪化が心配されていたものの、やってきた冒険者のおかげで、ガラの悪い輩が却って鳴りをひそめたらしい。
 さておき、少女を見送ると、冒険者達はツキモリ医師に向き直った。
「ま、これで、一件落着ってワケだな――オレらに関わる範囲では、だがよ」
「ですね。……座礁船に乗っていた方の中には、容態が急変して助からなかった方もおいででしたからね」
「そいつぁ、ご愁傷様なこったな……」
 パラスの母親もそうなっていたかもしれないのだ、考えるだにぞっとしない話である。
 ツキモリ医師は、そんな暗鬱を振り払うように、再び笑みを浮かべた。
「まぁ、それは、あなた方が気に病むような話ではありませんよ」
 では、そろそろ行かなくては、と手を振り、背を向ける院長を、『ウルスラグナ』一同は見送った。
 見送りながら、先程交わしていた話を思い出す。
 ――探索してても普通に暮らしてても、危ない時は危ない。
 もちろん、船旅は、普通の生活に比べれば危険である。開拓されている湾岸航路にしても、不慮の天候不順や、思いがけない凶悪生物の襲来に見舞われる。その危険は、ある意味では樹海探索にも匹敵するだろう。
 ……なんだか、樹海の恐怖に怯えるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。もちろん、危険を軽んじる気は毛頭ないが。
「で、結局のトコ」とエルナクハはツキモリ医師が来る前の話に戻った。「怖いから探索やめてぇってヤツは、いたりすんのか?」
「まさか。なんだかんだ言って、みんな樹海の真実を見たがってるってわけですえ」
 焔華の言葉は皆の内心を代弁しているようにも聞こえた。
「けっきょく、みんなバカってことなんだ」
「バカたぁひでぇ言い方だな」
 訥々としながら正鵠を突くティレンの言い分に、エルナクハは苦笑した。その前の焔華の言葉も的を射ている。自分達は樹海の危険を恐れ、生命の危険を感じながらも、それでも未知に焦がれて止まない冒険者バカなのだ。アベイの願いに乗った、というのは、間違いではないが、ある意味口実に過ぎない。冒険者を辞める時が来るとしたら、体力や気力や情熱の限界が来た時を別とすれば、心の天秤に載せた『好奇心』と『危険』の釣り合いが大きく傾き、『危険』の側が勢いよく地に付いた反動で『好奇心』が明後日の方向に飛んでいった時くらいだろう。
 そう気が付くと、『好奇心』が恐怖を抑えてくれた。今はまだ、怯える時ではない。
 エルナクハはいつも通り、にんまりと笑って、公園の片隅で行われた臨時会議を締めた。
「ま、そんじゃ、これからも、命に別状がない範囲で、ぼちぼち、なるべく早く、探索しようか」

 出迎えたメディックは妙にのんびりとしていた。なんでそんなに呑気なのよ、とパラスは腹を立てそうになったが、自分の不注意に気が付いて、慌てて負の感情を抑え込んだ。
 焦るあまりに、薬泉院の扉をノックしてしまっていたのだ。『急患ではない』という合図を受けたメディックが落ち着いているのも無理はない。それに、母が回復した以上、自分も苛立つ必要はなかった。
 メディックの方はというと、ここ最近、母の世話をしていたカースメーカーの少女の姿を見ると、おめでとう、よかったですね、と声をかけてきた。その調子が本当に心底から喜んでくれているのが判るだけに、パラスも心が落ち着いてくる。
 ともかくも、病室にまっすぐ足を向けた。
 閉ざされた病室の扉を叩く時、震えていたのは何故だろう。やはり返事がない、という事態が怖かったのだ、と気が付いたのは、翌朝に私塾に帰る途中の話である。その時には、時間帯的に眠っている可能性だってあっただろうに、と、今現在を振り返って苦笑することになるのだが。
 心配に反して、病室内からはいらえがあった。
「あら、また回診?」
 母の声だ。間違いない!
「お母さん!」
 パラスはすぐさま扉を開け、部屋に飛び込んだ。まさに『飛び込む』という表現がふさわしい勢いで。そのまま母に抱きついて、何度も何度もその名を呼んだ。母は、しばらく「ちょっと、苦しいわよ」とぼやいていたが、やがて、肩をすくめ、抱きつく娘の背を、とん、と軽く叩いた。
「……いろいろ、心配かけちゃったみたいね」
「うん、うん、お母さんも、あいつみたいに死んじゃうんじゃないかって、ずっと不安だった……」
「……そうか、あなたにも、もう連絡行ったのね。さすが速達は早いわねー」
「……やっぱり、ほんと、だったんだね」
「……ええ。お母さんは、その場にいたわけじゃないけど、本当よ」
「お母さんは、そのことを知らせるために、ハイ・ラガードに来てくれたの?」
 てっきり、そうだと思っていた。他に、母がわざわざ北方まで来てくれる理由を思いつかなかったから。
 しかし、パラスの推測とは裏腹に、母は首を横に振った。
「それもあるっていえばあるけど、別の用事もあったの。でも、別の用事のことは、もう少し落ち着いてから話すわ。それより……」
「それより?」
「あなた、エトリアでもこっちでも、ずいぶん冒険してるらしいわね。いろいろと聞いたけど、せっかくだから、あなたから直に、話を聞きたいわー。それとも、もう帰らなきゃいけない用事とか、あるの?」
「……大丈夫! 今晩一晩くらい徹夜しても平気!」
 パラスは元気よく両手を広げ、はしゃぐ子供のように宣する。事実、母の無事をしかと確認した彼女は、ここ最近の精神状態を挽回するかのごとく高揚していた。それこそ本当に徹夜しても疲れないだろうほどに。
 何から話そうか。やっぱり、エトリアに辿り着いたところから順番に話すべきだろうか。本来の目的である、かつて一族伝来の呪鎖を持ち去った――といっても奪っていったわけではなく、里長に力を認められて授けられたのだが――ツスクルから呪鎖を取り返した、という話は、その呪鎖を持ち帰ったはとこ(カースメーカーの方)から伝わっていると思うが、その経緯までは判るはずもないだろう。どうやって話そうか。自分がいろいろ活躍したのを、どう話したら伝えられるだろう。なにより、仲間達がいろいろ助けてくれて、自分も仲間達を助けたことを、どうやったら上手く話せるだろう。
 夜が更けていく中、薬泉院のその個室の窓からは、ずっと灯が絶えることはなかった。

 翌日、またも別のギルドから採集作業を頼まれ、早出をしようとしていたゼグタントは、私塾を出た所で、門から入ってくる人影に気が付いた。
「……なんだ、カースメーカーの嬢ちゃんじゃねェか。おはようさん」
「あ、おはよう、ゼグにいさん。お仕事?」
「おう。……にしても、久々にいい顔してンな。憑き物落ちましたーって感じな」
「そうかな?」
 パラスの母が無事に意識を取り戻したことは、ゼグタントも、昨晩遅く帰ってきた時に聞いている。心底、よかったと思うばかりである。身内を一度にふたりも亡くしてしまっては、救われない。
 が、表立っては、ゼグタントはその件には深く触れなかった。
「パラディンの旦那とソードマンの坊やがメシの支度してるぜ。早く行って、自分の分も忘れずに作れ、って突っついてこいよ」
「エルにいさんとティレンくんなら大丈夫だと思うけど……そうするよ」
 フリーランスのレンジャーは、軽く手を振って、門を出て行く。
 それを見送ると、パラスは私塾の扉を潜り、まっすぐ厨房に向かった。
 思った通りだった。というのは、エルナクハとティレンが組んで料理を作っているのなら、『全部大皿に盛っておくから各自適当によそって食え』的なものになると踏んでいたからである。そんなものなら、自分の分を主張しなくても問題ないだろう。ともかくも、パラスはふたりに声をかけた。
「ただいま、エルにいさん、ティレンくん」
「……およ、パラスか」
「おかえりー」
「ん、オマエ、なんか、憑き物落としてきました、って感じな顔してるな」
 エルナクハにも言われて、パラスは思わず苦笑した。最近の自分はそんなにも険しい顔をしていたのだと、改めて思う。
 詳しい話は朝食の席で、ということになり、パラスも、できあがった料理を運ぶのを手伝った。
 食堂にはすでに全員が揃っていて、パラスの姿を認めると、労いの言葉を掛けてきた。
 外にいるハディードの食事を出しに行ったティレンが戻ってくると、「いただきます」の言葉が終わるが早いか、箸や匙が一斉に料理に伸びる。
「それにしても、相変わらず大味な料理ですこと」
「イヤなら食うなよ」
「わたくしが食べたくなくても、お腹の子供がせがむのですよ。母としては仕方ないことです」
 そんな会話を交わしているのは、料理人とその妻であるが、文章から感じる険悪さとは裏腹に、実際は和やかな会話だった。センノルレが料理にユズ――南方からの輸入品――を絞っているのは、そうしないと食えたものではない、というわけではなく、妊婦特有の『酸っぱいものが食べたくなる』という理由からの行動である。
 そんなやり取りを苦笑しつつ見ていたオルセルタが、ふと、視線をパラスに向けて問うた。
「母――っていえば、パラスちゃんのお母さん、どうだったの?」
 とはいえ、表情から判断するのは簡単だっただろう。パラスはことさら答えなかったが、オルセルタも返答を催促したりはしなかった。ただし、食事が終わろうとした頃合いで、ひとつだけ、パラスが思い出したように付け加えたことがある。
「エルにいさんがいいって言ったから、お母さんにもちゃんと言っておいたからね」
「ん? 何をだ?」
 首を傾げるエルナクハ。パラスは、よくぞ聞いたとばかりに破顔した。
「私がいたから炎の魔人を倒せたってこと」
「それかよ!」
「あと、一番格好よかったのはエルにいさんだって」
「だからオマエ混乱してて見てなかっただろ!」
 仲間達の笑い声が食卓に響く。
 この時、炎の魔人討伐の直後から『ウルスラグナ』の間に滞留していた、よどんだ気配は、完全に払底されたのかもしれなかった。起きてしまった不幸を逆しまに戻すことはできないが、それでも、全員が、樹海の先という目標に目を向けられるようになったのである。
 樹海の先といえば、たぶん樹海の封鎖も解かれただろうから、『ウルスラグナ』も十三階に到達できるわけだ。まだ階段は見つかっていないとはいえ、十二階の地図は大分埋まっているから、到達に数日かかるということはないだろう――とんでもない強敵に道を塞がれていたら別だが。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-15
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