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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・14

「なぁ公女サンよ、オレらはこうして氷の花を手に入れたんだがな……」
「はい、お礼でしたら、すぐに――」
「礼はいいんだ、別に」と口にしてから、エルナクハは慌てて訂正する。「じゃなかった、褒美はもらえるならもらうから、いらないわけじゃねぇ。でも、その前に訊きたいことがあってな」
 なんでしょう? と小首を傾げる公女グラドリエルに、聖騎士が告げたのは、氷の花の採取にまつわる一部始終(もちろん関係ない所は除いて)であった。咲いた花の香に誘われてモリヤンマがやってきた由。香で虫を呼ぶからには、氷の花は虫媒花。己の生殖の手伝いの代償に、蜜を提供する。ひょっとしたら、薬として真に必要なのは、蜜や花粉ではないのか。だとしたら、冒険者達が守りきった一輪はいいとしても、他の花は役に立たない可能性がある。
「なるほど、確かに、頷ける話ですね」と公女は得心した表情を見せた。「先日、手に入れて頂いた羽毛にしても、今回の花にしても、具体的な使用方法は、まだ調べが付いておりません。しかし、今、あなたがお話ししてくださったことで、花の性質や入手方法ははっきりしました。もしも、みなさまがお持ちになった氷の花が使えなかったとしても、心配することはないでしょう」
 そこまで口にすると、グラドリエルはにっこりと微笑み、再びドレスのすそをつまんだ。腰を低く落とし、さらりと髪が伝い流れるほどに首を下げる。さすがにそこまでは、と言いかける大臣や冒険者達を一瞥で制し、朗々と響く声音で宣した。
「病に倒れる我が父、ハイ・ラガード大公に代わり、娘にして公女たるわたしが、みなさまに御礼申し上げます。樹海という危険な場所での、生命を賭しての働きは、金銭には変えられぬもの。けれど、今のわたしが感謝の気持ちを伝えるためには、失礼ながら、金銭でしか表すことができません。せめて、みなさまの働きの幾分かに報いるためにも、お受け取り下さい……」
 いつの間にか侍従長が戻ってきていて、その手に、報酬が入っているとおぼしき革袋を携えている。グラドリエルがそれを手に取り、自分達に差し出すのを、エルナクハは、少しだけうやうやしさを表して受け取った。
「ありがたき幸せ、だぜ、公女サマ」
 大公が快癒した後ならともかく、今の時点で公女御自らが礼を言いに出てきたというのは想定外だったが、とりあえず報告はした。さて帰ろう、と思った冒険者達だったが、公女の様子が少し変だ。何かを言いたそうにしていながら、戸惑っているようにも見える。やがて、決心したように、こっくりと頷くと、麗らかな声を謁見の間すべてに響けとばかりに張り上げた。
「衛士たち、人払いをお願いします」
 なんだなんだ、と冒険者が思う前で、謁見の間を警備していた衛士達が退出していく。侍従長も、大臣と顔を合わせ、その後、やはり退出した。残っているのは、公女グラドリエルと按察大臣、そして『ウルスラグナ』一同だけだった。
「なんのつもりだ」とナジクが不服そうにつぶやく。自分達の安全を脅かす不穏なものを感じたのだろう。他にも何人か、不安そうな顔をしている。
 しかし、少なくともエルナクハの見立ては正反対だった。公女が何か――例えば、大公の病のことを知る『ウルスラグナ』を拘束する――を企んでいるのだとしたら、普通はもっと衛士ひとを呼ぶ。
 とはいえ、ナジク以下数名の不安も、ある意味間違ってはいない。特定人物だけを残した人払い――それは、大概は他者には知られてはいけない密談だ。話を訊いたことで、何かしらの危険を背負うことにはなるだろう。
 自分だって不安がないとは言い切れない。それでも、ここまで来てうろたえるのも癪だ。エルナクハは腹をくくることにした。そんなギルドマスターの覚悟が伝播したのか、不安そうだった仲間達も落ち着いていった。
 その変化を待っていたかのように、公女は静かに口を開いた。
「氷の花の入手という危険を冒して頂いたばかりのみなさまに、申し訳ないとは思うのですが……さらにお願いしたいことが あるのです。聞いて頂けますか?」
「なんだ、公女サンよ」
 とりあえず聞く気はあることを表明すると、公女はほころぶ花に似た笑みを浮かべると、語り始めた。
「お聞きになったこともあるかもしれませんが、ハイ・ラガード王家には、わたしたちが空飛ぶ城の民の末裔であるという伝承があります。いくつもの古き文献がそれを裏付けており、わたしたちもそう信じています。そんな古き文献の一つにわたしたちは、あるひとつの至宝の存在を見つけ出したのです」
 わずかに間を空けて、公女グラドリエルは、宣言するかのように声を強めた。
「その名を――『諸王の聖杯』と言います」
「諸王の……聖杯?」
 その名は、聞く者に、遥か遠けき伝承にある、騎士団の神宝探索の下りを想起させた。伝説の王アーサーと円卓の騎士が総力を結集し、七人の魔術師がその所有権を争うという伝説の聖杯を探索する、という話である。――何か別々の話が混ざっているような違和感を感じなくもないが、前時代以前からあるという古い話、異なる伝承の混入はやむを得ないだろう。
 その聖杯がどうした、と思いかけ、冒険者達は気が付いた。
 かの伝説の王の話に出る聖杯には、不思議な力があるという話だった。曰く、病んだ王を癒し、国土を祝福する。もちろん、伝承の存在と、王国の至宝は、別のものだろう。が、似たような性質を持つものに、伝承にちなんだ名が与えられるのは、よくあること。だとしたら――。
 思わずグラドリエルを見つめると、公女も冒険者が何を考えたか察したのだろう、軽く頷いて話を続けた。
「古文書によれば、諸王の聖杯とは空飛ぶ城の中心にあり、その聖杯にはいかなる病をも癒す不思議の力備わっている……とのことです。さらに詳しく調査を進めた結果、判明したのが、病に苦しむ父と同じ症例と、諸王の聖杯の力で万能薬を調合し、その病が癒えた、という記録です――材料として挙げられていたのが、火トカゲの羽毛と氷の花。その二つを聖杯に入れて調合すれば、どんな病も治す薬ができるんです」
「それが、オレらが見つけてきたヤツってワケだな」
「はい。みなさまのお陰で二つの材料は無事に手に入れることができました。そこで……」
「……あとは諸王の聖杯を見つけ、材料を調合するだけ、というわけですね」
 フィプトの言葉にグラドリエルは強く首肯した。
「そうです。先に、先程みなさまが仰っていたように、氷の花で必要なものが、花なのか蜜なのか……そういったことをさらに調べる必要はあるでしょうが、今となっては、それは大きな問題ではありません」
 軽く息を吐いて、グラドリエルは上に視線を向けた。大公宮を抱いて枝を広げる世界樹を、そして、その上にあるという空飛ぶ城を見据えるように。
「……それ以上の問題は、聖杯を見つけること。諸王の聖杯は天の城の中心に、今も静かに安置してあるといわれています。ですから、みなさまにこのまま冒険を進めて頂いて、是非、天の城へと到達してもらいたいのです。ただ、みなさまの方がご存じでしょうが、数多のギルドが消息を断つ程の危険な迷宮です。生命を捨ててまで行け、と強要できるはずもありません」
 薔薇水売りの少年の言っていたことを、冒険者達は思い出した。最近は帰ってこない冒険者が多い、と。どれだけのギルドが消滅したかは、『ウルスラグナ』の知る術はないが、大公宮で『数多』と把握できるくらいには、多いのだ。それを聞いて、探索を辞めた者も、辞めるまでにはいかずとも、低層で稼ぐだけにしようと考えるようになった者も、おそらくはいるだろう。天空城を目指そうと、本気で思っている者は、今はどれだけいるだろうか。
「それでも、わたしは、みなさまに望みを託したいのです。天の城で諸王の聖杯を発見して頂ければ、父は……いえ、この公国も救われるでしょう。なにとぞ、よろしくお願いいたします!」
 公女御自ら頭を下げたとしても、生命には代えられない。そう思う者も多いはずだ。
 『ウルスラグナ』一同が応えようとして口を開きかけた時、折悪しく――あるいは『折良く』かもしれないが――謁見の間の外から呼びかける声がした。
「グラドリエル様、院長殿がお帰りになるそうですが」
「……わかりました、今すぐ、参ります」
 外の声に返答した後、改めて冒険者に向き直り、公女は退席の旨を告げる。
「一方的に申し上げることばかりで不躾かと思いますが、また機会がありましたら、お話しできればと思います。本日のところは、これで失礼させて頂きます」
 そして、いかにも貴人らしい、深々とした辞儀を行うと、早足で謁見の間を立ち去った。
 その様を見送り、しばらく無言でいた『ウルスラグナ』一同だったが、軽い咳払いで我に返る。
 大臣はまだ謁見の間に残っていたのであった。
「……と、いう訳じゃ、『ウルスラグナ』の者たちよ」
「ご先祖サマのルーツ探しが、それどころじゃなくなっちまったってワケだな」
「うむ、伝承の真偽を確かめるだけなら、手に余る危険が現れた時点で、探索を断念することもできるのじゃがな……」
 溜息を吐きながら、大臣は額に手を当ててうめいた。
「なにせ、かの『エスバット』とすら連絡が取れないのじゃ。まあ、彼らは以前も長いこと連絡がなかったことがあるゆえ、行方不明と決めつけるのは早いかもしれぬがな」
 小動物のような印象のある娘と、付き従う老人の二人組のことを想起する。以前に思い起こしたときもそうだったが、彼らが樹海に呑まれる様は想像しにくかった。けれど、この世界に絶対はあり得ない。連絡が取れないのなら、あるいは、そんな最悪の結末もあり得るのかもしれない。
「だから、無理に……とは言えぬ」軽く頭を振りながら、大臣は言葉を続けた。「樹海探索の中で何かわかれば、この老体まで知らせてくれぬか。できる限りの報酬は出そう。すまぬがよろしく頼んだぞ」
「……そうだな、努力はするぜ、大臣サン」
 さすがに、エルナクハの言葉も歯切れが悪かった。とはいえ、これは彼なりの思慮ゆえのことだった。ここで、「何が何でも天空の城を目指すぜ!」と言うことは簡単だっただろう。だが、そうした場合、大公宮の期待は自分達に集まる。少なくとも今の自分達に、その期待は負担でしかない――ギルドマスターはそう考えたのだ。
 そもそも、天空の城が実在する証拠は、古文書の記述にしかない。共に記されていたサラマンドラや氷の花が実在したから、余計に期待が高まっているのだろうが、城や聖杯の記述も確かとは証明できないのだった。もう少し、天空の城にまつわる何かしらの事実がはっきりしなければ、安請け合いはできないだろう。

 侍従長に送られ、大公宮を辞する。
 帰り道の途中に小さな公園がある。昼間だとラガードの住民が思い思いに休息を取っているのを見かけるが、夜ともなれば誰もいない、静かなものである。中央市街という眠らない街の中にあるからこそ、その静けさは際だっている。公園の中央に灯る街灯にたかる羽虫達だけが、今の利用者だ。
 いつもは歩きながら話を済ませてしまう『ウルスラグナ』だったが、今回ばかりは、なんとなく公園に寄って、腰を落ち着けた――とはいっても、文字通りベンチに落ち着いていたのは半数。パラスとオルセルタはブランコを一台ずつ占領して、ゆらゆらと揺らしていたし、ティレンは滑り台がわりに使われている奇妙なオブジェに上っては滑ることを繰り返している。エルナクハなぞは、大公宮に参内する際は『正装』として身につけている鎧を外し、鉄棒にぶら下がったりしている。ぐるぐる廻ってみたり、片手だけで身体を支えて逆立ちしてみたり、と、前時代にあったというスポーツの祭典(アベイ談)が現代にもあったとしたら、その選手として出場できてもおかしくない動きっぷりであった。そんな状態で話すものだから、見てる方としては、よくそんなことができるものだと感心することしきりである。
「なぁ、オマエら、どうするよ」
「どうするって、何がよ、兄様」
 ゆらゆらとブランコを漕ぎながら、オルセルタが返す。
 その時ちょうど前転を繰り返していたエルナクハだったが、それをぴたりと止め、鉄棒を掴んで突っ張った両腕に支えられた身体を揺らしながら、呆れたように声を上げた。
「何がってバカか。探索だよ探索。めっちゃ危険ってわかってて、それでも探索を続けるのかってこったよ」
「バカは兄様でしょ。何忘れてるのよ」
 オルセルタは細い肩をすくめて続けた。「そもそも、アベイが、前時代人が何をしようとしたのか見届けたい、って言ったのに、乗っちゃったんだから」
「はっは、悪い悪い、半分忘れてたぜ」
「うわぁ、薄情者がここにいるわぁ」とマルメリが混ぜ返す。
「無理にとは言わないよ。言えないさ、生命の方が大事だ」
 苦笑を浮かべながらも、今回の探索の言い出しっぺであるアベイが口を挟んだ。
「大臣さんの言葉じゃないけどな、無理にとは言えない。これは俺のわがままで……もう手の届かない過去の話なんだから、生命と引き替えてまで突き詰めるものじゃないと思うんだ」
「……それは、本音ではあるまい」
 静かに割り込んだのは、ナジクだった。「ここまで来て、では止めようか、と割り切れるものではないだろう、本当は。割り切れるのなら、呪詛に捕らわれた時に、父母の幻など見なかった。違うか?」
「ジーク、それはお前が過去に囚われてるだけ――」
 そう言いかけたアベイだったが、軽く首を振って言い直した。
「……いや、ジークの事情は関係ないよな。確かに言う通りだ。結局、ここでやめちゃうしかないのかって思うと、悔しくてたまらないさ。でも、生命あっての物種っていうのも本当だぜ。俺のわがままにみんなを付き合わせるわけには――」
「ね、話、していいかな」
 パラスの声がアベイの言葉を遮った。あるいは、軽い呪詛を使っていたのかもしれない。話をしていたアベイは黙り込み、聞いていた者達はパラスを注視する。それだけではない、無邪気に滑り台に上っては滑ることを繰り返していたティレンも、滑り降りた後は動かず、エルナクハも鉄棒から下りて支柱に身体を預け、言葉を待った。
 カースメーカーの少女は話し始める。
「危険、って、どこにでもあるよね。樹海探索をしなくなったとしても、安全な場所にいると思いこんでたとしても、何かの拍子に降りかかってくるよね――あいつや、お母さんみたいに」
「パラスちゃん」
「大丈夫だよ、マルねえさん。もう変なことにならないから」
 心配げに声をかけてくるマルメリに笑いかけると、話を続けた。
「探索してても普通に暮らしてても、危ない時は危ない。だったら、危ないからって探索を辞める意味ってないんじゃないかなって、私は思うんだ。探索は、確かに普通に暮らしている時より、危ない目に遭うことは多いんだけど、わたし達は、注意して、そういうのを躱してきたじゃん。これからも同じだと思うよ――って、こういうのはエルにいさんが言いそうなことなのに、今日はどうしたの?」
「……かも、しれねぇな」
 エルナクハはうなって頭を掻いた。パラスの言い分は、確かに、普段なら自分が口に出しそうな言葉だった。自分は一体どうしたんだろう。今回に限っては、殊の外に危険を避けようとしている。
 ちらりと脳裏にひらめくのは、妻の顔。
 あるいは、妻を置いて逝ってしまう可能性を強く予感し、恐れているのかもしれない。パラスの呪詛に影響された時に気が付いた、自分の本当の恐れが、まだ尾を曳いているのだろうか。、
 ――こんなことでどうするエルナクハ。ここまでやってきたのは、自分達が着実に力を付け、十分すぎる程注意を払ってきた賜物。これからも同じようにすればいいだけのことなのに、何をそんなに怯えるのか。
 パラディンの青年が内心の葛藤にケリを付ようとしていた、その時のことである。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-14
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