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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・13

 探索班が持ち帰ってきた氷の花が四つ、応接室の卓の上に転がっている。
 正確に言うなら、雪を載せた盆の上にである。寒いところで咲く花なら、あまり暖かい所に置いておくのもよくないか、と思い、一緒に持ち帰ってきた雪の上に載せているのだった。
 『ウルスラグナ』一同が、その花を囲んで、それぞれ感嘆の念を示している。
「いやぁ、パねぇな大自然」
 というエルナクハの言葉は、雪の結晶の形をし、氷のように見える、花の造型に向けられた賞賛である。『パねぇな』とは『半端ねぇな』の意らしい。
「けど、すいません、義兄あにさん。この花、もしかしたら、大公宮の眼鏡に適わないかもしれません」
 フィプトは探索中のことを詳しく報告し始めた。コトダマのことについても報告され、探索に出なかった者達が興味を示したが、もちろん、それは本題ではない。重要なのは、花がモリヤンマに荒らされた後かもしれないという点である。期待される薬効が、花粉や蜜にあるのだったら、それらが虫に食われてしまった後の花は役に立たないということになる。
 しかし、エルナクハはあっけらかんと言ってのけたものである。
「ま、しゃーねぇさ」
 氷の花の蕾は、いくつか残っていた。それらが咲くのがいつになるかはわからないが、それほど遠い未来ではあるまい。少なくとも、大公の病が急変する前には咲くだろう。もしも目の前にある花が役に立たないとしたら、また摘んでくればいいことだ。
 褒美に頓着しないのなら、夜にしか咲かないという氷の花の秘密を大臣にぶちまけてしまって、花の取得は衛士に任せ、自分達は迷宮の封鎖を解いてもらって先に進んでしまってもいい。
 ハイ・ラガードにやってきた頃には、金に困ることも多かったが――それでも、私塾という拠点をほぼ無料で使える以上、宿を借りる必要がある者達よりは圧倒的に楽だったのだが――、今は、余程に高額な武具でも買わない限りは余裕があった。褒美は無視してもいい、と思えたのは、そんな背景あってこそだった。
 といっても、もらえるものならもらっておきたいのも本音だ。せっかく花が手に入ったのだから、大公宮に持っていくだけいけばいいだろう。
 不意にパラスが真面目な表情で皆に向き直った。しばらくは、心持ち下を向いて、どう切りだしたらいいものかと考えているようだったが、決心が付いたようで、顔を上げて口を開いた。
「エルにいさん、みんな、あのね――ありがとう。私に、氷の花を見せてくれて」
「少しは、慰めになりましたか?」
 優しく返すセンノルレの腹は、なだらかに膨れている。その様を見てパラスは思う。
 潰える生命があれば、新たに生まれる生命もある。世界はそうして廻っているのだ。はとこだって、無意味に死んだわけではない。そして自分には、気遣ってくれる仲間がいる。
 だから、もう、このことで嘆くのはやめよう。
 そう決心して、少し間が空いたけれど、「うん」と頷いたパラスだった。
 のだが――上げた頭が、思わず止まってしまった。
「どうしたのぉ、パラスちゃん?」
 問いかけるマルメリの声も、ほとんど聞こえていない。カースメーカーの少女の声は、壁際にある棚の上に飾られているものに注視してしまったのだ。
 先日、酒場の親父の依頼を果たした礼のひとつとして渡された、金でできた小さな彫像であった。パラスはそれに近付き、そっと取り上げると、ひっくり返して底を見る。彫りつけてある作者の署名を確認すると、静かに置き直し、自分が元いた席に戻ると、身を乗り出さんばかりに大声を出した。
「ちょっと、なんで『神手の彫刻師』の駒がここにあるのっ!?」
 先日のオルセルタとよく似た反応だった。とりあえず入手先を知ると、詳しい事情を仲間達が告げるより先に、やはりダークハンターと同じ反応を続けた。
「受け取っちゃったの!? そんなのあのオジサンの罠に決まってるじゃない! わざわざあんなの渡しておいて、私たちが、『こりゃー他の駒も探さなきゃねー』って言い出すのを待ってるのよー。あー、絶対的にはめられちゃったわ!」
 すっかりいつもの調子を取り戻した呪術師の少女に、仲間達は苦笑した。そして、これまた以前と同じように、マルメリが『要はそんな挑発に乗らなきゃいいんだ』と告げることで、事態はやっと終息したのだった。

 夜も遅いが、ひとまず大公宮を訪れることにした。
 今のうちに花を届けておけば、ひょっとしたら翌朝から封鎖が解除されるかもしれないからだ。
 花を丁寧に紗に包むと、センノルレを除いた冒険者達は私塾を後にした。
 昼間は騒がしかった露天も、すっかりと引き払って、街は静寂に包まれていた。街灯の中では火が踊り、市街を輪状に囲む建物の窓では、ほのかな光がちらちらとまたたいている。
 この時間にもかかわらず行き交う者のほとんどは冒険者だった。ときどき、すれ違うなり振り向いて、いつまでもこちらの動向を窺う者達もいた。どうやら『ウルスラグナ』の名と、よく目立つ黒肌の聖騎士の存在は、大分広がっているとみえる。
 しばらく歩いて中央市街まで出ると、様相はがらりと変わる。昼も夜も区別なく訪れる冒険者を相手する商店は眠らない。シトト交易所を始めとした物品売買店、鋼の棘魚亭のような酒場、果ては、市街の奥、色街として設定された区域に立ち並ぶ娼館までもが、冒険者の財布を軽くしようと待ちかまえている。
 極めて余談だが、中央市街付近にある娼館の類は合法だそうである。伝聞調になってしまうのは、『ウルスラグナ』の中でハイ・ラガードの色街に行ったことがある者は、一人しかいないからだ。
「建物内にある、その手のお店も、大抵は合法です」と、その一人であるフィプトは太鼓判を押したものだった。
「この手のものは規制するより、合法にして為政者の目が届いた方が健全だというのは、よくあることですからね。でも、当然、非合法の店もありますから、気をつけて下さい。いわゆる『ケツの毛までむしられる』ってことになりかねませんよ」
 当たり前だが、女性陣がいない時――具体的には、まだ『ウルスラグナ』一同がこの街に来て間もない頃、男性陣全員で私塾の風呂に浸かりながら、やり取りした話である。もっとも、男が寄り集まってこそこそ話す内容など、それほど多くはない。女性陣は勘付いていただろう。が、少なくとも口に出しては、何も言われなかった。
 ところで当時のフィプトが盛大に勘違いしていたことがある。『ウルスラグナ』男性陣は、春を買うということに興味がなかったのだ。信仰上の都合及び妻帯の身であるエルナクハはもちろんだが、『娼館』の意味が全く分かっていないティレン、己自身の失策で思考がいっぱいいっぱいなナジク、『時代違い』な自分の存在に対する悩みが実は尾を曳いていたアベイ、いずれもである。フィプトの情報に喜んだのは、後にやってきた、フリーランスのレンジャーであるゼグタントくらいのものだった。
「にしてもよ、アンタはお勉強ばかりしてて、そんなのに興味がないイメージがあったがなぁ」
 とエルナクハが茶化すと、フィプトは睨むような表情をしたものの、それは冗談の範疇だったらしく、すぐに相好を崩し、頭を掻いたものだった。
「勉学に行き詰まってた時に、友人に連れて行かれたんですよ。嫌だって言ったのに」
「で、どうだったんだ?」と聞き出そうとするのは、その手の興味自体はあるアベイ。
「言えますか、そんなこと!」と拒絶するフィプト。
 というわけで、『ウルスラグナ』の中には、積極的に色街に近付く者はいなかったのだが、今現在、氷の花を携えて大公宮に向かっている途上でも、そちらの方面に行くのだろう、と思われる冒険者達は幾人か見受けられた。互いが合意の上ならば、口出しする必要もそのつもりもないことではある。
 話が大分反れたが、程なくして一行は大公宮に辿り着いた
 出迎えた侍従長は、冒険者達が氷の花を手に入れたことを聞き、駄目押しで実物を見せられると、『ウルスラグナ』を、数名の衛士が見張る謁見の間に招き入れ、大慌てで按察大臣を呼びに走った。
 大臣も多忙のようだ。そういえば少し前に、公女の誕生式典が近いために準備に忙しいとか話していたか。一国の王女の誕生を祝うなら、近いといっても数ヶ月前から準備が必要だろうから、まだ先になるだろうが。
 待望の氷の花の発見の報が足を逸らせたのか、柱の影にある小さな扉から、侍従長と共に謁見の間に姿を現した大臣は、息を切らしていた。やや乱れていた服を整えながら『ウルスラグナ』に近付いてくる。
「よう、大臣サン」
「そなたらか……氷の花を入手したという知らせを聞いたのじゃが……」
 エルナクハが頷くと、紗を手にしていたナジクが包みを解き開いた。
 冷え冷えとした艶を宿す花が四輪、謁見の間の灯を受けて、その輝きを増した。
「……おぉ! 真であったか! 無事に手にいれてきてくれたようじゃな!」
 手を伸ばしそうになって、慌てて引っ込める。冒険者達もそうだったように、初めて見る者には、花は触れると崩れそうなほど繊細に見えるのだろう。が、いくら丁寧に扱ったとはいえ、ここまで持ってきても崩れていないのだ、少し触れた程度で壊れるものでもない。
 侍従長が花を受け取ると、大臣は、奇跡を目の当たりにした面持ちで深く溜息を吐き、しみじみと心境を言葉にしたのだった。
「これで……古き書物にあった材料が、またひとつ揃ったわけじゃな……大公陛下のご病気を癒すことができる日も近いわけじゃ……ううっ……」
 突然、袖口を目に当てる。どうやら感極まって涙がこぼれそうになったらしい。しかし涙するのはまだ早いと思ったか、軽く目元を擦ると、『ウルスラグナ』一同に向き直る。
「そなたら、しばし待たれよ。報償を持ってこようぞ」
 そう言い置き、大臣は侍従長と連れ立って、入室時に使った扉からいそいそと出ていった。
「……なんのつもりだ」
 ぼそり、とナジクが声を出した。
 大臣が何かよからぬことを自分達にするのではないかと懸念したのだろう。『氷の花入手』の連絡を受けているのだから、報酬をあらかじめ持参するなり侍従に持たせているなりすればよかろうに、というところだ。百歩譲って、報告に慌てて報酬を忘れた、とも考えられるが、だったら、衛士の一人に命じてもよいものを。侍従長に行かせてもよかったはずだ。だというのに、大臣は自ら『報酬を取りに行った』のである。
 その懸念を、エルナクハはといえば、
「気にすんなよ、大方、大公サマあたりに報告ってとこだろ」
 と解釈する。そもそも、大臣が『ウルスラグナ』に何かをする理由を思いつかないのである。
 ところが、そんな呑気なエルナクハですら、およ、と表情を改めた。
 何か様子が変だ。大臣が立ち去った扉の向こうから、かすかにやり取りが聞こえる。言い争い、とまではいかないが、何かを主張する者と、それをなだめる者と。なだめる方が大臣の声に聞こえるのだが……。
「……! 冒険者……花を手に入れ……!」
「……ですか!? ……まだ……間に? ぜひ……言葉を……」
「……ドリエルさ……それは……どうか……重くだされ……御自ら……!」
「……いのです、この……方々に……たいのです!」
 主張している方は女のようだった。それも、大臣の様子からすれば、彼よりも高位の。その正体をはっきりと断定できないでいるうちに、扉が再び開き、大臣が戻ってきた。侍従長はいなかったが、その代わりに別の誰かが共にいた。
 名乗られずともはっきりとした。豪奢ではないながらも上質なドレスを着るような人物など、そうそういない。否、襤褸ぼろを纏っていたとしても、その正体はわかっただろう。紫紺の瞳に得体の知れぬ強烈な力を宿した娘の前にあっては、エルナクハすら、いや、人の身分に頓着しないティレンでさえも、とっさに膝を屈した。
「お立ち下さい。あなた方が膝を付く必要はありません」
 麗珠を打ち合わせたような凛とした声が告げる。さらなる促しが発せられるにあたって、冒険者達はようやく立ち上がった。
 改めて、目の前に立つ者の姿を見る。
 瞳と同じ色の、癖ひとつない髪は短く切られ、すっきりした印象を見る者に与える。頭上に抱かれ、その髪を飾っているのは、その立場の証である宝冠ティアラだ。片側の端に、尾をくわえない永遠の蛇ウロボロスを象ったハイ・ラガードの紋章が飾られていた。被服は先程見た通りの、豪奢ではないが上質なドレスだが、よく見ると、無骨な籠手ガントレット鉄靴グリーブを装備していた。まるで、部下を鼓舞する為に戦場に立つような装い。戦乙女を彷彿とさせる姿とは裏腹に、その人物は、花のように笑み、ドレスの両裾をつまんで辞儀をする。
「お初にお目に掛かります。ハイ・ラガード公女、グラドリエル・ド・ラガーディアと申します」
「……おひめさまなのに、ごつごつなんだ」
 立ってよいと言われたことで、いつもの調子を取り戻してしまったティレンが、ぼそりとつぶやいた。彼自身には悪気は全くないのだが、今回ばかりは相手が悪かった。公女が何かを言うより前に、大臣が制した。老臣としてもソードマンの少年が無邪気なだけなのは判っているが、制しなくては示しが付かないのだ。
「無礼であるぞ、冒険者どの。口を謹まれよ」
「よいのです、爺や」
 公女グラドリエルは軽く手を上げることで大臣を黙させると、静かに言葉を返した。
「わたしはそんなにごつごつですか?」
「うん……は、はい」
 再び空気を読み直したか、ティレンは慣れない敬語を懸命に口にする。
「おかあさんに話してもらった、むかしばなしだと、おひめさまは、よろいなんか付けないもんだか……ですから」
「そうですね、わたしも、幼い頃は、大きくなったら綺麗なドレスだけ着ていればいいと思ったものですよ」
 くすくすと笑いながら発せられた言葉は優しかったが、同時に、確固たる決意に充ち満ちていた。
「ですが、今、家来たちや冒険者のみなさまが樹海で戦っているのです。わたしも、本来ならば、父の病を治すため自ら樹海に赴くつもりでしたが……公女であり、一人娘であるという立場上、それもかないません。ですから、せめて家来と共に戦いの時にあるということを忘れないように、鎧を纏っているのです――一部分だけですけれどね」
「そうなのかー」
 ティレンは納得したようだった。もちろん、他の冒険者達もである。
 グラドリエルは軽く頷くと、改めて冒険者達に向き直った。わずかに雰囲気が変わる。
「……さて、本題に入りましょう。大臣から話は聞きました。高名なる冒険者、『ウルスラグナ』のみなさまが、氷の花を入手してきてくださったとのこと」
「おうよ!」
 ついにエルナクハは傲慢不羈な声音で返事をした。初めてハイ・ラガード大公宮に参内した時と同様、ティレンの失言を庇ったのだ。大臣もそれは察したのだろうが、さすがに眉根をしかめて、「冒険者どの」と言いかけたところを、再び公女が制した。
「よい。わたしに対しては、冒険者のみなさまが敬語を使う必要はありません。これは命令です」
「しかし、姫さま――」
「爺やも、冒険者のみなさまと、いつも楽しげに、ざっくばらんに話しているではないですか」
「そ……それは……」
 もどかしさを全面に表した表情で大臣はうなるが、ついに根負けした。
「ぎ……ギルドマスターどの!」と、エルナクハに向かって声を張り上げる。
「姫さまの命令ですから、今は敬語を使う必要はないが……どうか、空気は読んでくだされよ……」
「はっはっは、承知したぜ、大臣サンよ!」
 ことさら不遜な返事をしたものの、内心でエルナクハは思うのだった――ティレンに『空気の読み方』を教えるにはどうしたらいいものか。
 それはひとまずおいといて、エルナクハは改めて公女に声をかけた。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-13
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