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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・11

 獣道を越えたところにも、開けた空間があった。その中を、冒険者達は、雪を踏み、時には氷上をソリで渡り、先に進む。
 半時間ほど進んだ頃合いだろうか。
 冒険者達の行く手を遮るのは、石がごろごろと転がる平原であった。といっても、ほとんどがうっすらと雪に覆い隠されているので、雪原の凹凸を見ての推測に過ぎないのだが。
 容易に進めるものではない。足の踏み場によっては、雪の下に隠れた石に足を取られ、転倒を強いられるかもしれない。変な転び方をして足をひねったりする可能性もあるのだ。
 そんな無理を押しても進むべきものだろうか。
 せっかくここまで来たのだが、無謀は行わないに限る。領域として存在する以上、いずれは地図に起こさなくてはならないが、それは、対策を立ててからでもできることだ。そう思って引き返そうとしたのだが――何か、妙な気配を感じる。
 誰かがいるのか?
 気配の主を捜して視線をさまよわせた冒険者達だったが、その正体を知った時、あまりの奇妙さに言葉も出なかった。
 冒険者達から見て左手やや遠くで、何かが蠢いている。
 人に似ていると言えなくもないが、全体的には奇妙な形をした、黒くて小さな生き物だ。それが、列をなしている。もともと小さいものを遠目に見ていることもあり、アリの行列に見えなくもない。列をなして何をしているのかと思えば、それこそアリが角砂糖を運ぶかのように、平たい台座をいくつも運んでいるのだ。
「なにあれ……魔物?」
 ティレンが斧の柄に手をかけながら呟くが、生き物達は襲ってくる気配がない。というか、そもそも冒険者達を気にしているのかどうか。それ以前に気が付いているのかも怪しいところだ。
「あれ……もしかして……」
 パラスが前に出て、身を乗り出すように、奇妙な行列を遠望しつつ呟いた。
「知ってるんですか?」
「うん、遠いから、絶対って言い切れないけど……」
 言葉を濁しながらも、厚手の手袋をはめた手が首から下げた鐘鈴に掛かる。呪いを響かせる金色の鈴を構えた呪術師の少女は、その音を遠くの生き物に聞かせるように、ちりんと鳴らした。
 反応があった。雪原に鐘鈴の音が響き渡ると、ぞろぞろと列をなして奇妙な台座を運んでいた生き物達が、動きを止めたのだ。しばらく、人が何か相談事をするときのように、寄り集まっていたが――本当に相談していたのかもしれない――、やがて、数匹……いや、数十匹が列を離れ、冒険者の下にやってきた。その姿がはっきりするにつれ、パラスの顔が懐かしさに輝いた。
「やっぱりそうだ。コトダマだ! こんなところにいるなんて」
「コトダマ?」
 パラス以外の者には何が何だか理解できない。ただ、東方の古い言葉にも似た響きが印象的だ。
 ぽかんとする一同に気が付いて、パラスは苦笑いを浮かべた。
「うーん、なんて説明したらいいんだろ。生き物のはずだけど、そのあたりもはっきりしてないんだよね」
「結局の所、なんもわかってないってことですかえ?」
「まぁね」
 焔華に図星を指されて、パラスは肩をすくめた。
「全然、ってわけじゃないけど、判らないことが多すぎるんだよね、この子たちは」
「逆に、判ってることって何だよ?」
「ふたつだけ、あるよ」
 アベイの問いに頷き、パラスは答を返した。
「ひとつは、森の中、それもカースメーカーの集まって住んでるところの傍にたくさんいること。だから、こんなところにこんなにたくさんいるのは珍しいなって思って」
「そういや、歴史によれば」首を傾げながらフィプトが口を出す。「昔のハイ・ラガードは、よそで弾圧されていたカースメーカーやドクトルマグス達の隠れ里だったそうですけど。その名残って考えられたりしませんかね」
「確かに、アリかもね」
 パラスは何度も首を縦に振った。「樹海迷宮の中にいるってのが不思議だけど、ま、この子たちじゃ、虚穴通って迷宮の中に入り込んでてもおかしくないかも」
「もうひとつは、なに?」
 あどけなく疑問を口にするティレンだったが、対する答が返るには少しの時間が掛かった。パラスは何か思い詰めたような顔をしていたのだ。はばかっているというより、その答に関する苦い思い出を想起しているように見えた。
 やがて、首を軽く横に振ると、表情を戻して、やっと口を開いた。
「もうひとつはね、カースメーカーの呪言で使役できるの。お願い聞いてくれるの。できることなら何でも――何でも、ね」
「何でも、ですかいや?」
「うん、だから、ちょっとお願いしてみようかなーって思っちゃったりなんかして」
 自分の前にやってきたコトダマに対して、パラスは呪鈴を鳴らし、何事かをつぶやいた。未知の言葉というわけではないようだが、あまりに小声だったので、仲間達にはよく聞き取れなかった。ただ、コトダマにはきちんと通じていたようで、声を揃えて何かを答えた――こちらは本当に何を言っているのか理解できなかった――後、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てながら、仲間達の下に戻っていった。
「なに、おねがいしたの?」
「うん、あの子たち、このでこぼこのところで、詰まったりしないで動けてるじゃない。だから――」
 と話しているうちに、コトダマ達は戻ってきた。それも、最初にやってきた数十匹だけではなく、ほぼ全員だ。小さな黒い生き物がひしめいている様は、昆虫嫌いなら軽く卒倒できる光景だっただろう(コトダマは昆虫ではないのだが)。彼らが御輿のように担ぐ台座が数台、波間に浮かぶ木版のように揺れていた。
 彼らの頭領が部下達を胸張って紹介するかのごとき様相で、パラスはコトダマ達を指し示し、目論見を明かしたのである。
「この子たちに、でこぼこしてないところまで運んでもらおうかなー、って」

 ソリは一旦その場に置いて、台座に乗り換える。
 乗り心地は、最高とまでは言えないが、それほど悪いものではなかった。
 人間の足では、石を踏んでしまう可能性を考えて躊躇する道も、彼らの小さな身体では、石の間を抜けて歩いていけるので、何の問題もなかったようである。力を合わせて運んでいるとはいえ、人間(と台座)は重くないのか、と心配したが、少なくとも彼らは意に介していないようだった。
「パラスさん」
 フィプトは、コトダマの列の先頭にいるカースメーカーの少女に声をかけた。人間達は一台の台座に一人ずつ、分かれて乗っていたが、離れていたわけではないので、会話程度なら問題なく交わせる。
 ときどき鈴を鳴らしながら、台座の上よりコトダマに方向指示を出していた、カースメーカーの少女は、呼びかけられて振り向いた。
「酔った? フィーにいさん?」
「ああいえ、それは平気です。ちょっと興味本位で聞きたいことがあって」
「カースメーカーはコトダマとよく付き合ってたのか、って?」
「え、あ、はい」
 返答を先んじられて、フィプトは少したじろいだ。ひとつには、先ほどパラスがコトダマのことを教えてくれた時の、ちょっとした表情が気になっていたからでもある。
 フィプトの懸念通り、パラスは顔を曇らせた。それでも、答だけは律儀に返す。
「他の一族はよく知らないけど、私たちは、コトダマ相手に呪術の初歩の勉強をしたよ。この子たちに言うことを聞かせられなきゃ、カースメーカーとしてはまだまだだって」
 言葉を切って、パラスは天を仰いだ。あるはずの天井が青に溶け込んで果てなく見える空の彼方に、見知った者を探すかのように。
「でもね、いくら呪術の修行をしても、どうしても命令できないことは、あるんだよ」
 その手がそっと呪鈴に触れ、ちりん、とかすかに音を鳴らした。
「……今すぐ、死んだあいつのお墓の前に行って、『生き返れ』って命令しても、そんな命令は聞かせられないの。だって、死んじゃった人は、命令を聞くこともできないんだもん。……あはは、そういえば、これも、ずっとちっちゃい頃にあいつがやったから、身に染みたことだったんだ」
「あいつが、って?」
 それはフィプトにとっては、『あいつ』が誰を指すのかピンと来なかったからこその、何気ない問い直しだった。しかしパラスは、それを詳しい説明の要求と取ったようであった。拒否することもできただろうが、彼女自身、つらつらと話しているうちに心が溢れていたのだろうか、そのまま、話を続けた。
「あいつはね、コトダマに命令したの。『死ね』って」
 フィプトも愕然としたが、他の三人も息を呑んだ。話の主体である『あいつ』――パラスのはとこが、そのようなことを言うとは信じられなかったのだ。どれほどの聖人であっても、その幼少期、分別の付かない頃には、虫の羽をもいで遊んでいたこともありうるだろう。そう頭では判っていても、記憶の中にある穏やかな表情と、あどけないコトダマ達に対して『死ね』と告げる苛烈さが、結びつかない。
「やだなぁ、私たちは『そういうもの』だよ?」
 仲間が驚く様を見て、パラスは笑声を上げながら断じた。「コトダマにはやらなかったけど、ご飯にする鶏とか相手に呪殺の訓練くらいはしたもん。ただね――」
 一転、悲しげに顔を歪め、うつむく。
「それまで簡単な命令をかけて遊んでた相手が、あいつのコトダマでばたばた倒れていくのを見た時は、すごく怖かった。悲しかった。いくらあいつが『生き返れ』って呪言を掛けても、冷たくなっていくだけだった……」
 しばらく、無言の時が続いた。
 遠くから響いてくる鳥か何かの鳴き声が、更に寂寞せきばくを煽る。
 はふ、とパラスが吐いた息が、周辺の冷気の影響を受けて白く立ち上った。息と共に、何かを吐き出したのだろうか、カースメーカーの少女は、手袋に覆われた両手で自分の頬をはたく。手袋の下から再び現れた顔は、いつものパラスの顔だった。
「……ごめんごめん、変な話、しちゃったね」
「……いえ」
 きっかけを作ってしまったフィプトが、ばつが悪そうに応えた。他の仲間達も、言葉こそ発しなかったが、浮かない様子でいる。その様に、パラスもばつが悪かったのか、少し肩をすくめた。それでも、先程話していたときのような陰鬱な表情には戻らず、再び空の彼方に目を移した。
「でもね、今なら、思うんだ。あんな辛い経験でも、それがあったから、あいつは、ああいうあいつになったんだって」
 空にも、地にも、もうこの世のどこにもいないと判っていても、その視線は親しい姿を探してさまよう。
「コトダマを殺しちゃったことは、あいつの経験になった。――あいつが死んだことは、私や、他の誰かの経験に、なるのかな」
 紡がれた言葉は、未だ癒えていない、けれど、もう悪化することはない傷痕から滲み出たかのようだった。

 コトダマ達の力を借りて進んだ雪原の果てには、特に何もなかった。宝箱があり、その中から蒼い羽根でできた飾りを見つけたという意味では、無駄足ではなかったが。その入手物がなかったらと考えても、どういうわけか、虚しい行程だったという気は起きなかった。
 再びコトダマ達に運んでもらい、彼らに別れを告げると、罠を解除した獣道を戻り、邪竜の傍に抜ける。
 どこからか差し込んでくる光には朱の色が混ざり、太陽が傾いてきていることを示している。竜が夜行性なら、そろそろ微睡みから目覚めても不思議ではない。それに、『計画』の予定時間も近いはずだ。一行は無駄な寄り道はせずに、氷の花の蕾が生える地へ足を向けた。
 氷の花の、もっとも大きな蕾は、異物の混ざった水晶の結晶にも似たその姿を、天へ向けていた。その頭頂部分は、数枚の板を合わせて作られたドームが開きかけているように、微細な隙間が見えた。
 ソリを椅子代わりにして、一同は蕾の前に陣取る。
 近場に棒を立て、獣避けの鈴をぶら下げ、魔物が寄ってこないようにする。
 フィプトが簡易的なかまどを組み立て、火をおこす――錬金籠手ではなく火口で――と、その上で茶を沸かし始めた。
 カップを差し出す仲間達に饗された茶が、暖かそうな湯気を立ち上らせた。
 後は、『計画』の実行時刻まで待つだけだ。
 現在の時刻は、午後五時。実行時刻までは、恐らく、一時間弱。
「始まったら教えますから、何か暇つぶししてても大丈夫ですよ」
 とフィプトがメモ帳を手に言うので、仲間達はその言葉に甘えることにする。
「丁度ええわ。暇つぶし用具持ってきましたえ」
 自分の荷物をごそごそと漁った焔華が、カード一式らしきものを取り出してきた。
「お、トランプか」
 とアベイが看破する――かに見えたが小首を傾げた。トランプというには小さく、紙がやや厚い気がする。
「残念ですし。これは花札。『皇国』ではトランプより広まってるカードゲームですわ」
「花札?」
 暇つぶし相手の三人は一斉に疑問を顕わにした。アベイもか、と思われるかもしれないが、さすがの彼も、前時代で花札までもを知るには至らなかったのだ。
「花ばっか描いてある。『はなふだ』だから?」
「そうですし」
「でもこれ、お月様だよ、ホノカちゃん」
「『すすき』が一緒に描いてありますえ。そのカードは点の高いカードですわ」
「お、これ面白いな、人に飛びつこうとしてるカエルが描いてある」
「ああもう、後ろで興味深い話をしてないでください! 気が散ります!」
「フィプトどのはおとなしく氷の花の観察日記を続けなさんし」
 わいのわいのと騒いでいるうちに、周囲の光景は、ほの赤く染まり、やがて暗さを増していく。余談だが、花札はどうなったかというなら、勝負以前の問題で、参加者全員がルールを覚え込む前に時間切れになってしまった。「素直にトランプにしておきゃよかったんだ」とは、アベイのぼやきである。
「そろそろ始まりそうですよ」
 フィプトの言葉に、皆は、花札を囲んでわいのわいのと騒いでいたのをやめて、氷の花の蕾を注視した。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-11
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