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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・9

 翌十七日からしばらくは、氷の花の開花の兆しを待つ日々になるはずだった。
 衛士達には悪いが、自分達が既に花を見付けていることを悟られてはいけない。花が見つからない理由に気付かれて、先に摘み取られてしまったら、計画の意味がないからだ。ついでに即物的なことを言わせてもらえば、せっかくの報酬ももらえなくなってしまう。
 ところが、朝から樹海に入った冒険者達は、待つ日々が始まった早々終わりを告げたことを知った。
「……今晩あたり、咲くかもしれない。今晩がだめだったとしても、近いうちには」
 あらかじめ発見してあった、氷の花の群生地のいくつか――どこも、傍目には、草むらの合間に鉱石が埋もれているようにしか見えない――を回った後、最後の群生地で『結晶』を調べながら、ナジクがそう口を開いた。
「ホントか?」
「どの群生地でも、一番大きな蕾の様子が変わっている。見ろ」
 示されて、大きな蕾を覗き込む一同。目の前の蕾は、不純物の多い鉱石のようだった透明度は格段に上がり、結晶の中に何かが封入してあるように見えた。これから咲くはずの花だろうか。ただ、あらかじめそう見当を付けていなければ、見たところで何が何だか理解できなかっただろう。爪先でごく軽く叩くと、キンキンと澄んだ音がした。
「ラッキーだったのね、わたし達」
「かもしれませんえー」
 オルセルタの言葉に応える焔華は、妙に弾んだ声をしていた。およ、と不審がったエルナクハだったが、すぐにその理由を推論する。
「ひょっとして、ほのか、オマエ、花を見に行く組か?」
「そうですえー」とブシドーの少女はにっこりと笑んだ。
「そういや、誰が見に行くヤツになったのか、聞いてなかったな。どうなったんだ?」
「わちと、ティレンどのと、フィプトどのですえ」
 言及されていないが、アベイとパラスは当然に確定枠である。
 聖騎士じぶんがいない以上、防御に不安がなくもないが、それは言っても始まらない。そのあたりを抜かして考えれば、さほどバランスが外れているわけでもない組み合わせだろう。
「念のため獣避けの鈴を鳴らしていきますえ」
「まあ、鍛錬でも狩猟かりでもねぇから、アリだな。ところで、面子ぁどうやって決めたんだ?」
「ジャンケンですし」
「おいおい」
 よくもまぁそれで、前後衛のバランスがそれなりに取れた組み合わせになったものだ。前衛が務まる者が枠を占めたならまだしも、フィプトとマルメリの両方が勝ち上がってしまっていたら、そのどちらかが前衛に出なくてはならないという『惨事』になってしまうところだったではないか。
 樹海探索に出られる者は、アリアドネの糸(というより磁軸計)の仕様上、五人が最大。その中で陣形を組むときに後衛四人というのは、極めて危険だ。残る前衛一人で、後衛に向かう攻撃を軽減しきれるはずがない。前衛四人ならまだ危険が少ないかもしれないが、なんにしても、いびつな陣形は不慮の乱戦につながる、事故の元だ。避けるに限る。
 ともあれ、そんな事態にならなくて幸いだった。もっとも、うっかりなりそうになったとしても、何とか融通を利かせる程度の配慮は、皆も持ち合わせていただろうが。
 話が逸れたが、これで計画の準備は整ったわけだ。あとは計画実行後、咲いた花を四つ採集して、大公宮に届けるのみ。そうすれば、湖周辺の封鎖も解かれて、改めて先へと進むことができる。
 冒険者達はひとまず安心して、その後昼頃までは、魔物を狩り、鍛錬することと素材を入手することに専念した。衛士達に不審がられないように、まだ花を探しているふりもしなくてはならなかったが。

 第三階層でありがたかったのは、寒いために生鮮物ナマモノの劣化が遅いことだった。
 ここまでの階層では、腐敗を遅らせるために血抜きを徹底し、笹の葉にくるんでさえも、あまり長くは保たない。探索優先で帰りまでに長丁場になりそうな際には、肉類は諦めて、樹海の生態系に返したものだった。
 それが、第三階層では心配にならない。雪と一緒に詰めれば、街に持ち帰るまで、さばいたばかりに近い新鮮さが保たれる。フィプトが開発した冷気の壷を持ち込めればなぁ、と幾度か思ったものだが、それに似た状況が手軽に再現できるのである。
 おまけに十二階ではソリがある。『ウルスラグナ』はソリに不要な荷物を載せて運ぶという『横着』を覚えたのだ。滑っているときはもちろん、雪の上を曳いて歩いているときも、背負って歩くよりは楽にたくさんの荷を持ち運べる。もっとも、アリアドネの糸で帰還するときには、全部自分達で持っていなくてはならず(ソリに乗せたままだとソリもろとも置いていってしまうのだ)、街まで運ぶのが地獄だ、と気が付いてからは、ほどほどにしていたのだが。
 そうやって集めたものを、いつものように、自分達が食べる分の食材を除いて、シトト交易所に卸しに行った際のことである。
「……およ?」
 先客がいた。しかも見覚えがある。いつだったか出会った薔薇水売りの少年だった。
「今度はシトトの嬢ちゃんに薔薇水の売り込みか?」
 と声をかけると、少年は振り返って、
「いや、今日は、白い花の方」
 と言いかけた後に、ふと気が付いたように話題を変えた。
「そういや兄ちゃんは、もう大丈夫そうだな、よかった」
「ん、何がだよ?」
「何日か前に見かけたとき、すごい顔してたからさ、何かあったのかと心配しててよ」
「……あ、ああ、やっぱあの声、オマエだったか」
 もう大丈夫だ、とエルナクハは答えた。まだ心の奥底にくすぶるものがないとは言い切れない。しかし、それを言っても詮ないことだ。
「よかった」と薔薇水売りの少年は破顔した。「あっちこっちで売り込みしてるとさ、噂聞くんだよ。調子よく探索していた冒険者達で、帰ってこないヤツが多いって。兄ちゃんの仲間にも何かあったのかなって心配してたんだ」
「そか、ありがとよ」
 笑みを浮かべて返礼をしかけたエルナクハだったが、
「昨日も、十四階とか十五階とかに行った奴らが戻らないなんていう話を、宿屋で聞いたしよ」
 そんな言葉を聞いて、仲間共々表情を引き締めた。
 フロースの宿を使っている者達で、一番先に進んでいるのは、『ウルスラグナ』だったはずだから、少年の言う『宿』は別の場所のことだろう。ではどこの宿のことか、というのはこの際問題ではない。話の骨子は、先達の誰かが脱落したということだ。しかも複数のギルドが。
「迷宮の中で夜を明かしてるとかじゃなくてか?」
 とアベイが問うのは、そのような事態もあり得るからである。迷宮の危機に危なげなく対応できるようになると、準備をしっかりと整えて、長丁場覚悟で樹海に潜る者達もいた。最近はそれだけの準備に対応できる品揃えを交易所は誇っている。しかし少年は、シトトの娘ともども首を振った。
「まぁ、そんな理由ならいいんだけどさ、少なくとも一組は違うみたいなんだ。そいつらは夕飯のリクエストまでしていったっていうんだぜ。夕方には帰ってくるつもりだったってことだろ?」
 何ともいえない空気がシトト交易所に漂った。買い物に来た者がいたなら、入店をためらった挙げ句に引き返したかもしれない。その不穏な空気に急かされる気分で、冒険者達は手早く素材を換金すると、交易所を後にした。背後から「ちょっと『ウルスラグナ』さん! 防寒具できたんですよ!」と声がかけられたので、慌てて引き返したが、それでも長居することはなかった。
 私塾に帰り着くまで、誰も口を開かなかった。パラスのはとこの死を知ったときに比べれば、まだ気持ちに余裕はあるが、それでも、暗鬱な思いが心の奥底に湧き上がる。
 これまでにも、知っている者知らない者問わず、数多の冒険者達が樹海に沈んだ。『ウルスラグナ』より先行していた手練れすら、樹海の闇から伸びる魔手に掛かっていく――まだ、確実にそうなったと決まったわけではないが。
 そういえば、彼らはどうだろう、と思った。
 第二階層、紅の樹海の中で出会った、二人組の冒険者。『エスバット』という名を持つ、小動物のような愛嬌を持つ巫医と、彼女に忠実な老銃士。
 あれ以来見かけていないが、まさか彼らも、樹海に敗北したのだろうか。
 そんな疑念を抱きつつも、しかし、『エスバット』はしぶとく生き延びて、自分達より遥か先を行っているのではないか、という気もする。なんとなく、彼らが斃れる様を想像しにくいのだ。
「……ま、考えるのは、まず自分達てめえらがぶっ倒れないようにすることだよな」
 エルナクハが口にしたようなことを、それぞれが改めて自覚し、この件についての思考はひとまず終わった。
 この時、『ウルスラグナ』は誰も思わなかったのだ。
 今し方思考の表層に浮かんだ『エスバット』と、ごく近い未来に再び顔を突き合わせることになるとは。

 私塾に戻ったときに十分日が高ければ、まず行うのは、樹海で仕入れた食材のほとんどを加工することである。
 冷気の壷をもってさえ、生鮮物は長く保つものではない。ゆえに屋上で広げて干したり、塩やハチミツに漬けたりする。肉なら薫蒸したり、果物の類なら絞って果汁を壷に入れて酒造を試みたりする。ちなみに酒造はフィプトやセンノルレの大好きな(?)実験を兼ねていたりもするのだった。
 作業が終わると、昼食か軽食を摂ることになる。加工しないで取り分けておいた果物が添えられることも多い。この日、朝から出掛けていたゼグタントも、昼頃に戻ってきて、しれっと昼食の席に混ざっていたが、しっかり果物まで平らげてから、「午後からも採集頼まれてンから」と出掛けていった。
 フリーランスのレンジャーを見送った後、上がった話題は、当然ながら、夕方から行う『計画』のことだった。
「少し早いのですけど、もう少ししたら出発しようと思いますえ」
「おう、そか」
 計画は、ごく限られた時間内にしか実行できない。うっかり間に合わないという事態を防ぐにも、余裕をもって出立するのは当然のことだ。しかし、よくよく考えれば、あまりにも早すぎないか? 訝しげな顔をする仲間達に、焔華はその理由を述べた。
「ちょっと気になる所があるんですえ」
 焔華の気を引いたというものは、一番始めに見付けた氷の花の蕾の近く、紫色の魔竜が惰眠をむさぼっている傍らしい。
「なんとなくですけど、獣道っぽかったんし。調べてみたいと思いましたんえ」
「なんだよ水臭ぇ。探索の時に言ってくれりゃよかったのに」
「確証持てませんでしたんし、言い出せなかったんですえ」
 もっとも、焔華とて、無茶はしないだろう。そう思ってエルナクハは、謎の獣道とやらの調査は任せることにした。
 ブシドーの少女と共に氷の花を見に行くティレンは、果物を頬張りながらも嬉しそうにしていた。なにしろ彼は、まだ第三階層の光景をその目で見ていない。
 同じく第三階層に踏み込むのか始めてになるフィプトも、果物を口に運びながら、しかしこちらは冷静さを装っている。にも関わらず、仲間達からすれば、ティレン同様に心を弾ませているのがまる分かりだ。なにしろ、頻繁に視線を焔華やアベイに向け、まだ出立しないのか、と無言で訴えかけているのだから。
 彼らの期待に応えてというわけではないが、結局、焔華を始めとする探索班一行が出立したのは、午後一時半を少しだけ過ぎた頃だった。その足で薬泉院にパラスを迎えにいく時間を考えれば、氷の花が生息している中でも一番行きやすい、最初に発見した場所に到着するのは、おそらく三時頃になるだろう。獣道の奥の探索に熱中しすぎて、計画に必要な時間帯を忘れたりしなければ、十分に余裕があるはずだった。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-9
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