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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・8

「……なんだ、あれは?」
 ナジクが足を止めたので、他の者達もそれに倣った。
 湖を縦横に巡った末に辿り着いた、迷宮北西部の一角である。凍った湖を後にして少し北に進んだところで、東西に延びる道に合流したので、ひとまず西に足を向けた時のことだった。
 遠目にも、奇妙な物体が見える。他の面子に比べてナジクは視力がいいが、彼をしても現時点では、仲間達同様、『それ』が紫色をしていると判るのが精一杯だったようだ。
 なんだろう。好奇心に駆られて、もう少し近づいてみる。
 しかし、細部がはっきり見て取れてくるにつれ、冒険者達の足取りは鈍り、ついに止まった。この場合、止まって正解だったかもしれない。
 紫色の塊――その正体は、蜷局とぐろを巻いた竜だったのだ。三竜王に比べればさしたる力はないだろう。が、今の自分達には油断できないことは、今までも何度も心に刻みつけた通りだ。
 とはいえ不思議なことに、敵意のようなものは感じない。冒険者達は意を決して、もう少しだけ近づいてみることにした。その甲斐あって、理由は知れた。竜は眠っていたのだ。
 同時に、竜の姿がもう少し詳しく判った。長い蜷局だと思えたのは、実は複数の頭だったのだ。ざっと数えられるだけでも四本まで確認できる。胴体は、第二階層のサウロポセイドンのような、太く短い足で支えられた頑丈なものだが、長い尻尾が少なくとも三本ある。
「頭が八つあったら、ヤマタノオロチみたいですわいな……」
 焔華の感慨に登場したヤマタノ何とやらは、東方の伝説に出てくる多頭竜らしい。
「九つあったらヒドラね」とオルセルタ。
 ヒドラの首の数には諸説あるが、それは置いておく。
 目の前の紫竜の頭の数が八だか九だかそれ以外かは判らない――なにしろ、先達の冒険者達からもたらされた十二階の記録には、まだ目を通していなかったものだから。叩き起こして確認しようという気にもなれなかった。というのも、試しにもう一歩だけ、と近づいたところ、頭の一本が目を覚まし、睨み付けてきたのである。その時に急激に膨れあがった敵意たるや、それだけで気の弱い者を悶死させても不思議ではない。冒険者が下がると、目覚めた頭は、再び眠りに就いた。少なくとも今は、至近に踏み込みでもしない限りは見逃してくれる所存のようだ。冒険者達はそっと引き返すことにした。
 今度は三叉路を東へと進む。南から来たときに、扉があることを遠目に確認していたが、それに見間違いはなかった。
 扉を潜ると、その向こうは小部屋状になっており、北東の隅の方に行くにつれて盛り上がっているようだった。雪が掻き分けられ、少しながら地面が露出している。人の手で掘り起こされた跡は、そこが採集地である証拠だ。
 どうやら、鉱石が多く取れる場所のようである。角張った氷が固まったような氷長石や、淡い青ガラスにも見える天青石が掘り出される。ゼグタントのように採集技能に傾倒していない身では、どれだけたくさん掘り出しても、使い物になるものがわずかにあるかないかというところだろう。だから見本程度に少しだけ持っていくことにした後、採掘場から興味を引きはがした。
「……あれ?」
 その採掘場からそれほど離れていないところに、雪を浴びて白くなった草がまばらに生え、その中に埋もれるように不思議な鉱石の一群がある。一瞬、氷かと思ったのだが、どうも違うようだ。意を決して触れてみると、冷たいには冷たいのだが、氷とは違う感触が得られる。
 美しい形をした結晶だ。形は水晶に似ているが、不純物が入っているのか、透明度は低い。せっかくだから持ち帰ろうと思って手を伸ばすが、地面に根っこを生やしているかのように硬い。鉱石だから硬いのは当然かと思い直し、結晶の台座になっていると思われる石ごと掘り出そうとして地面に手を入れたら、本当に根が生えていた。なんじゃこりゃ、と脳内に疑問を溢れさせたのも束の間、あることに思い当たった。
 自分達が探している氷の花は、本当に氷で作られたような花だと。
 そう思うと、目の前の結晶が、閉ざされた花の蕾のようにも見えてくる。
 目の前にある結晶が植物なら、根――あるいは地下茎かもしれない――が生えているのは当然だろう。しかし、地上に出ている場所は、どう見ても植物に見えない。どうやら周囲の草も、この植物の一部のようだが、一見ではとてもそうは思えない。衛士達が見逃すのも当然か。
 なんにせよ、目的のものが見つかったのは確かだ。冒険者達は喜んで掘り起こそうとした。しかし、これが実に至難の業であった。根が硬い。硬い、というより、ぐにょぐにょしていて切れない。だったら、どうせ必要なのは花だから、と思って、つぼみの根元に衝撃を与えても、こちらは鉱石の硬さで衝撃を拒む。下手を打てば丸ごと粉々にしかねない。数え切れないくらいの試行錯誤を繰り返し、さしもの『ウルスラグナ』もついに降参した。
「どうするよ」
 エルナクハは皆の心境を代弁するようにぼやいた。
 花を採集して薬の材料にした記録があるのだから、何かしらの手段で取れないはずはない。前時代にしかなかったような手段が必要だとかいうならお手上げだが、そこまで考慮していたら際限がない。とりあえず、今とは違う状況で試行錯誤できる手はないものか。
「花が咲いた後なら、普通に摘めるのではないか?」
 ぼそり、とナジクが口にした。
 そういえば、そうだ。蕾が硬いのは、これから咲く花を保護するためと考えられなくもない。逆に言えば、花は相応に柔らかいはずだ。
「ナイスだぜ、ナジク」
 エルナクハはレンジャーの青年を褒めそやしたものの、すぐに別の問題に至った。
 その花は、いつ咲くのだろう。
 夜行性かもしれない、とは、すぐに思いついたことである。あの特徴的な花が、ただのひとつすらも、衛士達の総力を費やしても見つからない。それも、彼らが探索を行う昼の間に、このような鉱石状の形をしているなら、頷ける話だ。
 ただ、目の前にある蕾が、成長度的な問題でいつ開花するのかは、氷の花の生態を知らぬ身には見当が付かない。ナジクの見立てでは、一番大きな蕾もぴったりと閉ざされていて、まだ咲きそうにないとのことだが。
 それに、別の難題が頭を出す。しかも最低四つの頭を。つまり、つい先程見た紫竜のことだ。今の時間帯に眠っているということは、あの魔物も夜に活動する可能性が高い。かの魔物の縄張りの範囲は判らないが、最悪の場合、かなり危ない橋を渡らないと、今いる場所にたどり着くことはできないだろう。
 他の場所に花か蕾がないか探さなくてはならない。別の場所で必要数が揃えばいいが、そうでなければ、またここに戻る必要がある。ひとまず『ウルスラグナ』はその場所を後にした。

 『ウルスラグナ』最新参のアルケミスト・フィプトは、灰紋羽病のサンプル採取の護衛として樹海に潜った翌日からは、予定どおり、『共和国』アルケミスト・ギルドから託された鉱石の研究を行っていた。ハイ・ラガードの街で共同研究をしてくれる錬金術師を数名募り、北方にあるという共同実験場で作業を行っていた彼は、この日、天牛ノ月十六日の夕方に、研究者達を引きつれて一旦私塾に戻ってきたところだった。
 ところが、そんな彼に、妻と共に現れたギルドマスターが告げた言葉は。
「悪いけどよ、センセイ、やっぱり樹海に入ってくれないか」
 数の多い敵には、やはり術式が大きな戦力になると思ったのだった。
 フィプトは困り果てた。樹海に興味があるのは確かである。だからこそ『ウルスラグナ』に加入を願ったのだ。が、例の鉱石に関する研究をしてみたい欲求も高い。どちらか片方だけ選べ、というのは、酷な話である。
「行ってきなよ、フィプト師。例の石は、ありがたく私達のものにさせてもらうから」
 そんな殺生な言葉をもって、樹海の方へフィプトの背を押したのは、彼と共に例の鉱石の共同研究をしていたアルケミストの一人だった。もちろん、鉱石を横取りする旨は冗談だろうが。なんにせよフィプトはその言葉に素直に背を押されることにした。ただ、彼が樹海に舞い戻ることを決めた理由自体は、別のものだったのだが。
 ところで、フィプト(とパラス)がいなかった間は、アベイの他にもう一人――ゼグタントがいないときはさらにもう一人――が、昼と夜の両方に樹海探索を行っていた。その順番は極めて円滑に決められていたのだが、氷の花の話を聞くと、それが咲きそうな時に誰が入るか、『ウルスラグナ』としては珍しく紛糾した。ただし、安全性確保のために必ず探索班入りするアベイは加わらず、余裕綽々の顔をしている。
 しかしエルナクハは首を横に振った。
「一人はもう決まってる。異論は許さねぇ」
「はい?」
 仲間達は思わず言葉を止め、何を言い出すのかとばかりに、ギルドマスターに視線を向けた。
 しかし、エルナクハが理由を口にしてみれば、それは、『ウルスラグナ』の誰もが同意し、納得し、我も我もと争っていた樹海入りの主張を控えるほどのものだった。
「せっかくだから、氷の花が樹海の中で咲いているところをパラスに見せてやりてぇ」
「……あら、貴方がそんな気を回すことができるとは、予想外でした」
「そんなはっきり言ってくれるなよ、ノル」
 澄ましたセンノルレの混ぜ返しはともかく。
 はとこの死と母の受難で打ちひしがれた少女を慰めるのに、氷でできたようだと言われる美しい花は、きっと功を奏するだろう。もちろん、摘んできたものでもそれなりに慰めになるかもしれないが、エルナクハはもっと別のことを考えていた。誰が探索班になるかという争いも、エルナクハが考えたことを誰もが見たかったからだ。花を見るだけなら順番に行けばいいことだし、極論を言えば探索班が摘んできたものを見られればいい話なのである。
「そんなわけで、パラスと、万が一のためにユースケ。あと三人は適当に決めろ」
 そう言い置いて私塾内に戻ろうとするギルドマスターに、皆は疑問の声を投げかけた。
「兄様は?」
「言い出しっぺはおとなしく身を退くぜ」
 と言いながらエルナクハはひらひらと手を振った。ギルマス権限で割り込んでも遺恨を残すだけだ。もっとも、『ウルスラグナ』内で、遺恨を残すほどの争いになることはないだろうが。
 夫の後を追ったセンノルレは、エルナクハがふと呟いた言葉を聞いた。
「今のノルはどうやっても見に行けないんだからよ、オレばっかいい目を見るわけにゃいかねぇだろうよ」
 当人は後ろに妻がいると思わず呟いてしまったのだろう。実は聞かれていたと知ったらどう思うか。センノルレは足を止めて、エルナクハが気付かないままどんどん進んでいくのを見送った後、
「そんなに気を使わなくてもよろしいですのに」
 くすくすと笑いを上げた。
 結局、ギルマスのいない中で話し合いは進み、円満に決定がなされたようだった。夕食の席で、決定について言い争いがなされることはなかったのである。
 カースメーカーの少女に話を持ち込んだのは、夕食後、普通に第二階層での鍛錬に行く夜組を見送ってからであった。
「……エルにいさん?」
「よぅ」
 母が眠るベッドの傍に付き添っていたパラスは、軽快な挨拶の声と共に病室に入ってきたギルドマスターの姿を認め、何事かと目を丸くした。樹海探索に戻ってほしいと告げられると、腹を立てこそしなかったが、不審げに目を細める。
「今、それどころじゃないって、判ってないはずないよね?」
「それどころじゃないからこそ、さ」
 氷の花の件を説明すると、パラスも心を揺り動かされたようだった。だが、「でも……」とつぶやき、心配げに母の姿を見やる。
 眠る女性の顔立ちは、思いの外に若く見える。パラスの母であるからには、三十路は越えているだろうが。落ち着いた寝顔からは、いつ目を覚ましてもおかしくないように思えるのだが、実際に目覚めるまでは予断を許さないのだろう。
 少女を慰めようと思って企画したことだが、これ以上勧めたらただの押し付けだろう。エルナクハは軽く首を振って諦めようとした。
 そんな時である。
「お母さんの事は、僕らに任せていただけませんかね」
 軽いノックの後、そんな言葉と共に入室してきたのは、院長ツキモリ医師であった。
「いいタイミングできやがるな」
 今まで扉越しに話を聞いていたんだろ、の意を込めて、エルナクハは苦笑気味に声を漏らした。ちなみに薬泉院(やエトリアの施薬院)の一般病室の扉は、話し声を完全に遮るほど厚くはない。患者が急変したときに上げる呻き声を聞き逃さないためである。
「いえ、大公宮の秘密の話が出ていたもので」
「アンタも知ってるんだっけ……てか、知ってるなら別に気ィ使う理由もねぇだろうよ」
 大公の病の事を知っているツキモリ医師なら、『氷の花』のことを伝えられていてもおかしくはないだろう。
「ああいえ、他のメディック達が話を聞いたら困るでしょう?」
「あ、そか。つまりアンタは見張っててくれたわけか」
「そういうことですよ」
 大きく頷くと、ツキモリ医師はパラスの傍にゆっくりと歩み寄って、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「母君が心配なのはよくわかります。でも、たまには気を緩めないと、あなたの方が倒れてしまいますよ。ここは僕らに任せていただけませんか? ――それとも、やはり母君を預けるのに僕らでは頼りになりませんか?」
「ううん、そんなことない、そんなことないよ」
 パラスは、ぶんぶん、と、首がもげそうな勢いで首を横に振った。
「今すぐってわけじゃねぇんだ」とエルナクハも横から補足した。「まぁ、明日になるかもしれねぇし、もう少し後かもしれねぇし、それはわかんねぇけど。ツキモリセンセイの言う通り、あんまり気を張り詰めねぇでほしいのさ」
「……うん」
 カースメーカーの少女は、おずおずと、しかし拒否の意志を含まずにはっきりと、頷いたのであった。
 ということでパラスの言質は取った。しかし、彼女にも告げたように、実行の日がいつになるかは判らない。明日かもしれない、もっと後かもしれない、ひょっとしたら、花が『ウルスラグナ』が気が付かないうちに咲いて枯れて、パラスを慰めるどころではなくなってしまうかもしれない。
 冒険者としては、数日の遅れは仕方がないとして、近いうちに花開いてほしいものである。計画のためにも、冒険者本来の仕事である探索を再開するためにも。
 が、その心配は早速と払底されたのであった。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-8
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