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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・7

 交易所でナジクの飛ばされた帽子の代わりを買い求めた後、大公宮に赴き、大臣への謁見を申し出る。
 応対に出た侍従長は、『水銀の件』との言葉を聞いた途端に表情を改め、『ウルスラグナ』を謁見の間に招き入れた。
「やはり、また、そなたらの力を借りることになりそうじゃな」
 苦笑いに似た表情を浮かべ、按察大臣は口を開いた。
「いいんじゃねぇの? オレらは褒賞もらえるし、大臣サンは目的を果たせるし」
「当方にもいろいろ都合というものがあるのじゃ」
 大臣は、たしなめるように言葉を吐く。まぁそうだろうな、と冒険者達は内心で納得した。自身の管理下の埒外にある冒険者達――確かに大公宮の号令下で樹海探索に勤しんでいるが、基本的に命令系統に組み込まれているわけではない――に国家存亡にも関わりかねないことを依頼するのは、極力避けたいところだろう。予算的な都合もあると見える。『命令』で冒険者の探索行を妨げたくないということも違いあるまい。
 それでも『ウルスラグナ』なら、と、現場の衛士や大臣が思ったのは、以前、サラマンドラの件を通じて問題に関わった実績がある故だろう。他にもいろいろと理由があるかもしれないが、ともかくそれらを総合して、『ウルスラグナ』に白羽の矢が立ったというわけだ。今回こうして冒険者達が大公宮を訪れるより前に、「万が一の時は」という認識ができていたのだろうことは、大臣が漏らした『やはり』という言葉からも明白だ。
 大臣は表情を改めて言葉を続けた。
「以前、大公さまの為の薬を作る材料を探しにいってもらったことを覚えておるかな?」
「サラマンドラの羽毛だろ、覚えてるさ」
「うむ。せっかく入手してもらった羽毛……じゃが、どうやらそれだけでは、大公さまの病を癒すには足らぬらしいとわかったのじゃ」
「何だって……?」
 予想していたことだが、『ウルスラグナ』は敢えて驚いたフリをした。実は予想していました、などと言っても誰も得しないだろうからだ。
「で、今度は何が必要になるのですか、閣下」
 オルセルタが先を促した。ところで今さらな話だが、大臣に敬語を使わないのは基本的にエルナクハとティレンくらいのもので、他の面々は最低限の敬語は使う。
「話が早くて助かる」
 大臣は何度も頷くと、続きを話し始めた。
「では、早速だが詳細を説明するとしよう。今度必要とされておる素材は、樹海の第三階層、我らが『六花氷樹海』と呼ぶ領域に咲くという氷の花じゃ。そなたらより先を行く冒険者達が、それらしきものを十三階でいくつか入手してきたが……それらにも確かに類を見ない薬効はあるのだが、記録にあるものとはどうも違うように思えてならぬ」
「何故、そう思われるのですか?」
 と口を出したのはアベイであった。『類を見ない薬効』と聞いて黙っていられなくなったらしい。
「うむ」と大臣は首肯した。「先に入手した物は、確かに書物どおりの姿をしておった――雪の結晶に似ているという、形だけはの。ところが、記録に残るものは、文字通り、氷でできたように見える花だという話じゃ。書物にも『大きな湖のある階にて入手』とあるものでの、形もわかるものじゃし、サラマンドラのように強力な魔物と相対する必要もない。ゆえに簡単なものだろうと考え、十二階に衛士隊を送り込んだ……じゃが」
「成果なし、ってか」
「さよう。その衛士隊は戻らず、氷の花も入手できぬ」
「ヤツらの心配はいらねぇぜ、大臣サン」エルナクハはケタケタ笑いながら告げた。「オレらが会ったときも一生懸命氷の上を滑ってた。大方、任務達成まではおめおめ戻れぬ、とか、カタいこと考えてるんだろうぜ」
「ならば、まだよいのじゃが」
 大臣は少しばかり安堵したようであった。
「そのような忠義はもっと別の形で発揮してほしいものじゃ。『ウルスラグナ』の者たちよ、そなたらならば、我らには果たせぬ目的も達せるであろう。十二階の衛士たちに力を貸してくれぬか」
「承りましたぜ、大臣サンよ」
 エルナクハはギルドマスターとして、不敵な笑みを浮かべながら了承の意を返した。
 その後、氷の花の図案――古文書からの写し――を見せてもらう。残念ながら、花の形以外の、例えば草花なのか木花なのかがわかる資料は、見つかっていないらしい。しかし花の形は見ればすぐに判るほど特徴的で、大臣が口にした通り、雪の結晶のような形をしていた。
 雪の結晶は、条件次第では肉眼で見える程度の大きさで降ってくることがある。冒険者達も、着ているコートの上に降ってきた雪の結晶を見たことがあった。自然にできたとは信じがたい、しかし人間の手で容易に造り出すこともできそうにない、繊細な形。
 世界は驚異に満ちている。神のごとき力を得た前時代とて、そのすべてを手中にすることは、永遠にできなかっただろう。たとえ、現代までその技術が無事に長らえていたとしても。

 一度、私塾に戻ってから、樹海に向けて再出発した。
 戻ったのは単純に休憩のためだが、ついでに仲間達に、新たに承ったミッションについての報告もしようと思ったのだ。ある意味で一番知らせたかったフィプトは不在だった――例の鉱石についての実験をしに行ったのだ――が、話を訊いたセンノルレは、さもありなん、とばかりに頷いたものである。
「それにしても、あの羽毛と、それに釣り合うだけの対なる素材……それらを調合するために、どういった手段を使うのでしょうね……」
「ただ混ぜるだけじゃダメなのかよ?」
「そうもいかないさ」
 アルケミストの代わりに答えたのはメディックであった。「ほら、ノル姉が、パンケーキにたとえたことがあっただろ。少なくとも、今の俺たちの技術じゃ、そのとおり、この世界の海洋を埋め尽くすケーキだねを、現実に存在する器具と材料だけで、三日でパンケーキにしようとしてるみたいなもんだ」
「そのたとえで言うなら、一日にたくさんのパンケーキを作れる手段がないと、とても無理ってことよねぇ」
「そういうことだ、マル姉」とアベイは頷いた。「つまりは、今の人類の力じゃとても無理だろう」
「前時代の技術ならどうですかえ?」
 と問うたのは焔華であったが、その場にいた誰もが、返答なくとも答を容易に予測できた。逆なのだ。前時代の技術ならできるだろうかという疑問ではなく、前時代の技術で無理なら手立てはないという窮地なのである。
 当時幼子だったアベイにその手段を求めるのは、考えるまでもなく無茶だった。生きていればその手段を知っていたかもしれないヴィズルは、『ウルスラグナ』が自ら滅してしまった。ならば、もう手段はないのだろうか。
 ――否、大公宮が抱える古文書には、方法が記してあるだろう。それが発見されているか否かは『ウルスラグナ』には判断できないが、少なくとも今はまだ絶望を予測する時ではないのだ。

 こうして、大公宮からの勅命を受けた『ウルスラグナ』ではあったが、目的の氷の花を見付けるまでは二日ほどの時間がかかった。十二階に野営地を設えて探索している衛士達から、求められている花の数は四つだと聞いたが、数の問題が探索の遅さの理由ではない。
 湖を渡る手段ゆえであった。
 ソリに乗って渡る時、簡単に行けるのは直進のみであり、途中で方向を自在に変えられるわけではない。運動の方向を変えようとする行為は、摩擦力の急激な増大を招き、簡単に言えば氷の上で立ち往生することになるのだ。
 そうなると、その時点からの再出発は難しい。実際に、立ち往生した衛士達が、アリアドネの糸を使って脱出するしかない状況に陥ったところを見た。だが、糸で運べる大きさを超えたソリは置き去りになり、そのソリにぶつかることで起きる二次災害を防ぐために、回収しなくてはならない。そのためには、片端を陸地側に固定したロープを積んだ別のソリに乗って、現場でわざと止まり、置き去りのソリと乗ってきたソリにロープを結わえた上で、人間は糸で脱出、改めて陸側からロープを引いて二台を回収する――という、見ているだけでも面倒くさい手順を踏まなくてはならないのであった。
 『ウルスラグナ』は改めて心に誓った――余計なことはしないに限る。
 というわけで、直進のみという制限を課せられた滑行では、思い通りの場所に進めず、どこからどう進めばどこに行けるのかを把握するまでに時間がかかったのである。
 おまけに、滑ることができる時間も限られている。
 そもそも衛士達が氷湖周辺を冒険者達の立入禁止にしていたのは、ソリの衝突事故を避けるためであった。冒険者が勝手にソリを滑らせて衛士との衝突事故を起こしたら目も当てられない。衛士同士なら事故にならないように滑る時間や場所をあらかじめ定めておけるのだが。したがって、衛士達が滑る時間と、『ウルスラグナ』だけにソリを出すことが許された時間とが、厳密に定められた。そのことも時間がかかった理由のひとつといえる。
 試行錯誤を昼の探索で行う一方、夜の探索組は、いつ第三階層の探索に採用されてもいいように、第二階層で鍛錬を行っていた。幸いにも大きな問題が発生することなく順調で、皆が着実に力を付けていった。
 ついでの話であるが、この頃、酒場の親父から入手を頼まれた素材がいくつかあり、ちょうど採集専門レンジャーであるゼグタントがいたこともあって、軽く採集した後に酒場に持ち込んだものだった。その報酬として与えられたのが、第三階層に生える水仙人掌という植物の体液を加工して作られたという、耐熱ミスト――これ自体はエトリアでも同種のものが作られており、当時からの冒険者にとっては馴染み深いものだ――と、もう一つ、金でできた小さな彫像であった。
 オルセルタかパラスがその場にいたら、彫像は受け取らなかったかもしれない。しかし、二人ともいなかったので、夜組一同は何も考えずに持ち帰ってきてしまった。皆(パラスとフィプトを除く)が集まる報告の席でそれを見せられたオルセルタは、「なんてことテムジェグィ」と呟いて天を仰いだ。
「はめられた。あのオヤジにはめられたわ……」
 そういえば以前、酒場で、神手の彫刻師とかいう者の遺作を探してほしいという依頼があると聞いたとか言っていたか。とても見つかるあてがないので、受けることはなかったのだが。結局他の冒険者でも依頼を受ける者はいなかったとみえる。
 今回の報酬としてもらったものは『衛士』の駒、親父がさりげなく『ウルスラグナ』に押し付けてきたのは、彫刻師の作品を渡すことで、こうなったら別の駒も――この世にひとつしか残っていないという『公女』をも――探さねば、という気にさせたいからかもしれない。
 ちなみに『衛士』の駒は、見知らぬ旅人から飲食代金代わりに受け取ったもので、入手できたこと自体は偶然だったらしい。
「そこが問題なのよっ!」とオルセルタは卓を叩き、傍にあった駒が小さく跳ねて倒れた。
「旅人が持ってたってことは、他の駒も国外流出してる可能性もあるってことじゃない! 『公女』の駒がそうなってたら探しきれないわよ。乗せられて、どうやっても達成できそうにない依頼を押し付けられるのは困るわ!」
「……じゃあ受けなきゃいいのよぉ」
 くすくす笑いながらマルメリが割り込んだ。
これは、あくまでも、ただの報酬でしょお?」
「……あ、そうか」
 オルセルタは我に返った。従姉が言う通り、駒はただ報酬として与えられたものであり、それをどうにかしろという話は一言も受けていない。親父の思惑がどうであれ、頼まれもしていないことに乗る必要はないのだ。
 というわけで、しばらくの間、『衛士』の駒は応接室の飾りとして活躍(?)した。
 高名な彫刻師の作品だけあって、美術品としてのすばらしさは掛け値なし、そういうものに疎いティレンさえ魅入らせるものだったのである。
 余談が長くなったが、氷の花の件に戻ろう。
 衛士達の探索の時間中、暇になった『ウルスラグナ』探索班一同は、自分達の時間が来るまでを衛士の野営地で過ごしていた。あちらこちらに張り巡らされた獣避けの鈴が、ちりちりと音を立てる中、非番の衛士達が八足馬スレイプニルの肉を七輪で焼いているところでたむろしている。ちなみに肉は『ウルスラグナ』が倒して持ち込んだものである。
「アンタら、ずっとこの階にいるんだろ。ご苦労サマなこったな」
 とパラディンが話を振ると、非番の衛士の一人が防寒具をかき抱きながら頷いて答えた。
「ええ、隊長が、『氷の花を見付けるまではおめおめ戻れぬ!』と仰るもので……」
「やっぱりなぁ」
 思った通りである。立場の高い者に引きずられ、立場の低い者がそれに反する行動を取れないことは、よくあることだ。が、それが悪しき慣習と言い切ることはできない。組織の中で上の者に無闇に逆らうような者がいれば、統率が取れないのも事実だからである。少なくとも『ウルスラグナ』が賢しげに何かを言える問題ではない。
「ま、大公サマの、ひいては国の、国民のためだ。ガンバレや公僕」
 だからエルナクハはそう茶化して励ますに留める。衛士達は苦笑いを浮かべた。
 七輪の前にいた衛士が肉をひっくり返す。じゅう、と心地よい音といい匂いが立ち上る中、煙の向こうで肉をひっくり返した衛士は深い溜息を吐いた。
「こんな弱音を吐くのもなんですが、早く帰りたいですよ。我々も、冒険者の皆様ほどではないですが、樹海の危機をくぐり抜けてきた精鋭――そう自負してきたのですが」
 言葉を切った衛士は、少し気弱げにうつむきながら言葉を続ける。
「第三階層は予想以上に手ごわい場所でした。滑る氷の床が行く手を邪魔して、それをなんとか解決しても、肝心の花はまったく見つからない。花を探す方に集中したくて、比較的危険の少ない昼の間だけ探索しているのですが……」
 はあ、と再び溜息。衛士は顔を上げ、冒険者達を見据えた。煙越しに期待の色がはっきりと見える。
「……それでも、どうやら我々だけでは荷が重いようです。あなた達の力に期待してもいいですか?」
 寒さと恐怖を思い出してか、衛士は身をすくめながらそう口にした。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-7
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