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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・6

 翌々、天牛ノ月十四日までの探索を経て、昼の探索班は、十一階の行ける範囲の地図を埋めた。
 上り階段へは、実は十二日のうちに至れたのだが、鍛錬を兼ねて、地図の作製を行ったのである。
 大概の敵とは渡り合えるようになったとはいえ、やはり『敵対者f.o.e.』だけは一筋縄ではいかない。十一階で出くわした『敵対者』は、自在に空を舞う翼竜『飛来する黒影』であった。その翼のひと叩きで前列をなぎ倒す程の強敵。這々の体で逃げ延びた後、冒険者達はその魔物を避けることを肝に銘じた。
「……あいつには、この迷宮はどう見えるのかしらね」
 悠然と滑空する黒影を遠目に眺めながら、オルセルタが疑問を呈したものだ。
「わたし達の目から見れば、迷宮って言っても、『外』とそんなに変わらなく見える。でも、飛べる者にとっては、『天井』の存在がはっきり判るんだと思うわ。高く飛ぼうとしても、天蓋に遮られて、あいつらは閉じ込められた気分にならないのかしら」
 どうなんだろうな、と、妹の言葉を聞いたエルナクハは思った。自分達が今存在している世界の陸地の多くは樹海に占められている。けれど、旧時代の世界はそうではなかったという。遺都シンジュクで生まれたアベイにとっては、石や金属で建てられた摩天楼が世界のすべてだったはずだ。そんな極端な例を出さなくても、幼い頃の自分達には、『御山』が世界のすべてだった。世界樹の中に住む生き物達にとっても同じこと。彼らは、世界樹の中に閉じ込められているのではない。それが『普通』、疑問を抱く余地などないのだろう。
 再び上り階段の前に辿り着き、『ウルスラグナ』はためらうことなく段に足を乗せた。
 上の階から吹き下りてきた雪がうっすらと積もる階段――しかし、薄雪の上には足跡がある。第三階層を探索している冒険者もいるから、それ自体は別段不思議なことではない。迷宮の中では、ちらほら降る雪に埋もれてしまうのだろうが、雪の入り込みにくい階段で顕著になっただけのことだ。
 しかし、『ウルスラグナ』は、そこにあるとは思いもしなかったものを見付けたのだった。
 尾をくわえない永遠の蛇ウロボロスをあしらった紋章。それは、ハイ・ラガードの紋章のはずだ。衛士の鎧にはめ込んである金属製の紋章だが、こんなところに落ちているのは何故だろう。
 否、この際、落ちている理由はどうでもいい。つまりは衛士が第三階層に踏み込んでいるということだ。先達の冒険者達の軌跡を辿り、すでにこの階層にも巡回の足を伸ばしていたのか。獣避けの鈴なども大量に携えているのだろうが、そういったものを使ってさえ、魔物を完全に避けられるわけではない。宮仕えの宿命とはいえ、ご苦労なことである。三階のような惨事に出くわさないよう、気を付けてもらいたいものだ。
 とりあえずその紋章を拾い上げ、冒険者達は歩を進めた。
 上った先は十一階とさほど変わらない光景。そのはずなのだが、視界の彼方に何か違和感を感じる。雪にまみれて白くなった草木と、『ローマ』とやらいう超古代の国の遺跡に似た石組みの間を縫って、冒険者はまっすぐ先に進んでみた。
 衛士のものらしい足跡が、降り積もる雪に半ば埋もれながらも、はっきりと残っていた。降雪があまり激しくないとはいえ、これだけはっきり判るということは、衛士達がこの階に踏み込んでからあまり時間が経っていないということだろう。
 唯一進める西の方角に、数分進んだ冒険者達は、違和感の正体を悟った。
 目の前に広がるのは、見事に凍り付いた水路であった。
 他に道はないのかと、周囲を見回してみたが、あいにく行き止まりらしい。衛士達の足跡も、そこで途切れている。
 では、この先にはどのように進めばいいのか。
 ――まさか、この氷の上を歩けと?
 正直、気が進まない。氷が割れてしまったら、その下は冷たい水だ。最悪の場合、心臓麻痺を起こして、この世から去ることになるだろう。しかし、他に道がないのも事実だ。衛士達もこの氷の上を往ったに違いない。
 悩んでいたとき、視界の端に妙なものを見付けた。
 氷の上に穿たれた穴である。深さは一メートルほどだろうか。掘った後の雪の積もり具合から見ると、穴を掘られたのは今日というわけではなさそうだ。たぶん、氷の厚さを測ったのではなかろうか。掘られた深さまでは氷の厚さがあるようだ。
「……大丈夫そう、かな」
 測ったのが衛士か冒険者かは判らないが、先達が大丈夫だと判断したのなら問題あるまい。
 思い切って、氷の上を往くことに決めた。
 しかし、ここで誤算が生じた。氷の上は滑りやすく、短距離ならまだしも、長く歩くことは難しい。
 どうしたらいいものか、悩む冒険者だが、ふと気が付いた。
 氷の上には、何本かの真っ直ぐな跡が付いていたのだ。しばらく観察しているうちに、どうやらそれは、一対の線が何対か集まってできているらしいと分かってきた。どの線も、多少のぶれはあれど、ほぼ真っ直ぐに西へと向かっている。同じ線は、最初は気が付かなかったが、陸地側にも繋がっている――否、逆なのだろうか。陸地側の線が、氷の上に続いているのか。
 その正体が何か、間もなく知れた。少し離れたところに、五、六人乗れる程度のソリが数台準備されていたのだ。傍には、自由に使ってもよい旨が記してある。どうやら、先達の冒険者や、彼らの報告を聞いた衛士達が、用意して使っているようである。
 何をすればいいのかは言うまでもない。冒険者達は喜び勇んで、ソリを凍った水路の傍まで運んだ。ただし、すぐ傍ではなく、ある程度離して設置する。
「俺、あんまり自信ないよ」
「じゃあ、オマエは先に乗ってりゃいいさ」
 アベイがソリに乗ると、残りの四人はソリの周囲に取り付いて、押しながら走り始める。雪の上を滑るにつれて速度を増していくソリが、氷の上に差し掛かろうとしたその瞬間、冒険者達は一斉に飛び乗った。ソリは大きく揺れたが、与えられた慣性は衰えることなく、そのまま前方へ滑らかに滑っていく。その速度は冒険者達をしても予想外で、周囲の光景はあっという間に後ろへと流れていった。
「こりゃあいいや!」
 エルナクハはご機嫌だった。氷の上では、さすがに寒冷地仕様になった魔物達も、足を滑らせて襲撃してくるどころではない。空を飛ぶ輩も、仮にソリの速度に追いつくことができたとしても、捕まえることは至難の業だろう。つまりソリに乗っている間は魔物の襲撃を気にする必要がない。おまけに歩かなくていいので楽ちんだ。
「オマエらもそう思うだろ!?」
 あまりにご機嫌だったので仲間達に同意を求めた聖騎士は、およ、と顔をしかめた。他の面子は同じように喜んでいるのに、ナジクだけが不機嫌そうに見える。こんな時までそんなしかめっ面しなくても、と思ったが、何かが変なことに気が付いた。何となくだが、ナジクの雰囲気が違う。しばらく観察した末、その理由に思い当たる。
「帽子どうしたよ、ナジク?」
「……飛ばされた」
 レンジャーの青年は、ソリの滑行で生じた風に、むき出しになった長い金髪をなぶられながら、表情同様に不機嫌な声音で答えた。
 こうして、多少の不測の事態は生じたが、冒険者達は対岸へとたどり着いた。徒歩でなら、仮に普通に歩けたとしても、五分ほどは掛かったであろう距離だが、遙かに短時間で到着できたのである。
 ソリの跡は、雪の上にもかかわらず、まだ先に続いている。先達の冒険者達や衛士達は、ソリを持っていったらしい。つまりは、この先にもソリが必要な場面があるということが予想される。『ウルスラグナ』も、先輩達に倣うことにしたのであった。
 ……おかげで、魔物と戦うときには、自分達のみならずソリをも守らなくてはならない羽目になったのが、想定外だったが。

 ソリを使った何度かの試行錯誤の末、『ウルスラグナ』はひとつの扉の前に行き当たった。
 ここまでに描きあがった地図を見ても、扉の向こうの他に行く道はないだろう。先達のソリの跡も扉の向こうへ続いているようだ。
 かすかな振動と共に開いていく扉を潜り、冒険者達は目を見張った。
 扉の向こう側は、ここまでの道程よりも少し低い位置にあるようだった。そのおかげでかなりの距離を見渡すことができたのだが――わずかな岸がある以外は、視界全域が氷の大地だった。凍っていなければ巨大な湖だったのだろう。
 冒険者達のいる位置からほど近い、湖のほとりでは、何十人かの人影が蠢いている。遠目で判断しづらいが、どうやら衛士達のようだ。中には、凍った湖をソリで滑り、対岸へと渡っていく者達もいる。
 先程見付けた紋章は、その中の誰かが落としたのかもしれない。
 それにしても、何をしているのか。大抵が五人一組の隊を作って見回りをしている衛士が、ひとつところにこれだけ集まっているのも珍しい。何かあったのか。冒険者達は、緩やかな坂を注意深く下り、湖に近づいた。
 と。
「待ちたまえ」
 見張りのように立っていた衛士に声をかけられ、冒険者達は立ち止まった。
「よう、お仕事ご苦労さん。何やってるかはわかんねぇけど」
「……お前達は『ウルスラグナ』か」
 手にした長斧で道を遮るように立ち塞がった衛士は、冒険者の姿を見て言い当てた。炎の魔人を突破した冒険者の一組ということで、随分と知名度も上がったらしい。黒い肌のギルドマスターという物珍しさもあるのかもしれないが。
「その『ウルスラグナ』が、天空の城を見付けるために先に進みたいんだがな」
「悪いが、ここから先には進ませる訳にはいかんのだ。『ウルスラグナ』といえどな」
「何故ですかえ?」
 当然ながら疑念をもつ一同を代表して、焔華が声を上げる。返答は冷たいものだった。
「機密事項だ」
 しかし、衛士個人としては、それだけでは悪いと思ったのか、話を続ける。
「この階のほぼ全域は、現在、大臣の指示により、我らが衛士隊のみが立ち入ることを許されている。すまないが、間が悪かったな」
「わたし達より前に探索していた冒険者達も?」
「十三階にある磁軸の柱を使えるようになっていた者達は、先に進んでいるが、そうでない者達は、ここで足止めということになっているな」
 どうやら本当に間が悪かったようだ。大公宮の何かしらの命令が完了しない限り、先に進んでいる者達との差は広がるばかりだろう。
「――エル」
 ひっそりとささやきかけてくるナジクに、
「強行突破とかはナシだぞ」
 エルナクハも小声で念を押す。
 その様子を、ただ、この先どうしようと相談しているのだと思ったのか、衛士はしばらく考え込んだ後に、再び声を上げた。
「……そうだな、お前達ほどの者なら、あるいは」
「ん?」
「お前達、大公宮に赴いて、按察大臣に目通りを申し出てみよ。あるいは、大臣のご采配で、我らの作業を手伝うという名目で立ち入りが許されるかもしれん。大臣にこう告げてみよ――『水銀の件で』とな」
「『水銀』?」
 何のことやら、冒険者達は判らなかった――と衛士は思っただろう。だが、その言葉を聞いた瞬間、『ウルスラグナ』一同の脳裏に浮かぶものがあった。
 かつてサラマンドラの羽毛を探すというミッションを達成した後、フィプトが口にした言葉。

 ――『水銀』に当たる何かを持ってきてくれ、というミッションが発令される可能性があります。心構えはしておくに越したことはないでしょう。

 錬金術師の見立てでは、万能薬を作成するのに必要な要素は『硫黄』と『水銀』。実物の硫黄と水銀ではなく、象徴的な呼称としてのそれだ。そして、サラマンドラの羽毛は『硫黄』にあたる素材だろうという話だった。
 アルケミスト達が当時に看破した通り、大公宮も、万能薬に更なる材料が必要なことを古文書から悟り、こうして衛士達に探索を命じているのだ。
 ともかくも、一度街に戻り、大臣の話を聞いたほうがよさそうだった。

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