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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・4

 私塾で昼食を摂ってから、探索班は再び樹海に赴いた。
 シトトに注文した冬用装備は、なるべく最優先で仕立ててくれるという話だが、それでも数日かかるはずである。それまでは、宿屋の女将から譲り受けた被服でしのぐしかあるまい。
 それでも、準備なく踏み込んだ前回よりは遙かにましだった。冷え切った大気は毛皮で緩和され、まだ寒いとは言えるものの、がたがた震えて探索に支障が出るほどの影響はなかった。
 足装備の上からは、ワカンというものらしい、曲げた木の枝を二つ縛り合わせて輪のようにし、両脇に爪のようなパーツを付けた器具が、装着してある。雪の上の歩行が格段に楽になった。一度来たときには『さほどの障害ではない』と思っていた雪だが、雪のない大地で戦うことと比すれば、やはり影響は出る。対策をしておくに越したことはない。
「なぁ、ソレどうやって見るんだ?」
 とエルナクハが声を掛けたのはアベイに対してである。極寒対策とは関係ないのだが、アベイは、とある器具を手にしていたのだ。宿屋の女将がフィプトに預けていったもので、目盛りの付いた試験管を逆さにしたようなものを何本も立てた、珍妙な形をしている。試験管(?)にはそれぞれ、位置こそ違うが大体は下部に近い場所に、赤い輪のようなものが通されていた。試験管の中には、ほのかに光る小さな球体のようなものが浮き沈みし、ほとんどが赤い輪の作るラインの上を漂っている。これで大気のなにがしかを計るらしい。
「とりあえず、難しいことは考えないで、光る球が全部赤い線の下に行けばいいって言ってた」
「んー、アルケミストの考えることはよくわかんね」
 その『よくわかんない』人種(?)を妻にしている男がよく言うものである。
 そんな彼らの前に現れたのは、大公宮での資料閲覧の際に話題になったモリヤンマであった。
 今さら何を、と言われるかもしれないが、奴らは飛ぶ。おまけに降る雪はわずかで、飛行に支障があるようには見えない。装備のおかげで緩和されているとはいえ、雪に足を取られがちな人間達とは、機動力が雲泥の差だ。
 そんな状況で力を発揮したのは、飛び道具を使うナジク。
 そして――予想もしなかったことにオルセルタ。
 意外だったが、後に理由が判れば得心できることであった。ダークハンター達にはスパイクの付いた靴を愛用する者もおり、オルセルタもその一人だったのだ。それが雪上で足を取られずにすむように働き、ダークハンターとしての戦い方の助けになったのである。
 相手が一体だったことも幸いして、どうにか倒したが、その後が、オルセルタにとっては大変だった。
「スパイクの間に雪が……」
 見事に詰まって外れなくなってしまったのだった。戦闘行動で走ったために、雪が圧縮され、固くなってしまったのである。雪の上ではしゃがんで手入れをするわけにもいかない。兄の肩を借りて、ダークハンターの少女は、剣の先で懸命に固まった雪をほじり出した。
 余談だが、焔華はワカンの扱いに慣れていたのか、比較的淀みなく動けていた方である。後の二人は――攻撃手ほど駆け回る必要がないとはいえ、もう少しは慣れねばならないようだった。
 一通りの後始末を済ませると、一同はモリヤンマの死体を改める。
 一見してエトリアの同種と変わりなさそうな魔物だったが、どうも様子がおかしい。外殻が硬くないのだ。柔らかいわけではないのだが、言ってみれば、普通の樹は硬くてもナイフで簡単に傷付く、そんな感じに似た硬さなのだ。
「ラガードのコイツらは、鋼鉄を含んでないってのか……?」
 仮に含んでいたとしても微量なのだろう。残念ながら素材にはならないらしい。巣材を持っている様子もないし、今回は(戦利品を獲るという意味では)くたびれもうけのようだった。
 ところで、一行は、樹海磁軸の傍から真っ直ぐ東へ向かっているところだった。途中、第二階層への階段へ続く道を横目に、なおも東へ向かっていたが、その道は次第に曲がりくねり、やがて北へ向かう道となった。右手には、光を反射する氷の塊が、岩のように連なっている様が見える。氷塊越しに、向こう側の景色が明らかになっていた。
「階段だ」
 早くも次の階へ進める手段を発見し、沸き立つ一行だったが、氷塊は越えられる高さではない。無理に越えようとすれば滑って怪我をするかもしれない。おとなしく別の道を捜すのが吉のようであった。
 進める道は前方に――つまり北へと延びている。その他にも、細い道が西へと続いている。大公宮で参考程度に見た地図では、少し行って行き止まりになっていた。少し考えて、それが確かか調べてみることにした。
「……あ」
「どうしましたえ?」
 アベイが短く叫ぶのに、一同は思わず立ち止まる。何ごとかと思えば、メディックの青年は、大気測定器を凝視しているではないか。皆が注目しているのに気が付くと、アベイは測定器の試験管(?)の一本を指し、鬼の首を獲ったかの勢いでまくし立てた。
「見ろよ! ほら、ここの球が、ぐーんと下がった!」
「あら、本当だわ」
「けったいやと思うてましたけど、確かに下がりますのんね」
「ほー、仕組みはさっぱりわかんねぇけど、一応動くんだなコレ」
 赤い線よりも下へと動いた球を見つめながら、純粋な感嘆から、装置を作った錬金術師に土下座しろと言いたくなるような微妙なコメントまで、めいめいに好きなことを口にする一同。
 しかし、唯一加わっていなかったナジクが、冷ややかに宣うた。
「全部の球が赤線の下まで下がらないと、意味がないのだろう」
「う……」
 冷水を浴びせかけられた――というより、雪玉を背中に放り込まれたように、一気に盛り下がる一同。
 フロースの女将の娘は、もともとは第一階層で療養を行っていた。一方、第三階層にその場を求めた理由は、樹海に赴く回数を減らしたいからである。装置の赤線は、そこまで空気の汚染度が下がらなければ、療養の回数が減ることもないだろう、という予測。第一階層の時と同じ間隔で行かなければならないのなら、わざわざ危険の増える第三階層に来る意味があるだろうか。
「しやけど、第三階層の方が空気きれいやてことは、確かみたいですわいな」
 その理由を推測できる者は、探索班にはいない。街に戻ってからアルケミスト達に問うたところ、ただでさえ『外』より少ない汚染物質が、雪に混ざって地に降っているからではないか、という推測を得ることになる。が、それは後の話である。
 大気汚染についてはさておいて、一行は細い道をさらに進んだ。
 大公宮で見た地図が正しければ、数分ほど歩いたところで、行き止まりになるはずだ。もしも突き当たりに獣道があるとするなら、その先は、これまでに辿ってきた道の中途だ。ささやかな近道ができることになる。
 しかし、冒険者達は行き止まりに突き当たりきれなかった。
 袋小路となったその場所で、奇妙な光景が繰り広げられていたからだ。
「なんだ、ありゃあ」
 雪原がもぞもぞ動いているように見える。錯覚かと思いつつも目を凝らした冒険者達は、世にも不思議なものを目の当たりにすることとなったのであった。
 何か変なものがいる。白い塊を上下に重ねたような姿のものが、雪積もる大地の上をうごめいているのだ。同じ色に同化して、よく判らないが、どうも十体以上はいるように思われる。
「あれは……」
 忘れもしない、大公宮の記録で見た、妙な生物だ。いや、本当に生物なのだろうか。記録どおりに雪の塊だとしたら、生きているはずもないだろう。それなのに、奴らはさも生物であるかのように動いている。同じ無機物の塊でも、ゴーレムのようなものなら、錬金術で動かせそうな気がしなくもない。けれど雪である。何をどうしたら動くというのか。
 スノーゴーストと呼ばれているらしいその魔物達は、冒険者に気が付いた様子はない。
 ここは彼らの巣なのだろうか。蹴散らす選択もあるのだが、十体を超える数は脅威である。相手も気が付いていないことだし、ここは退くべきだろう。行き止まりについては、またあとで調べればいい。いくら巣だといっても、四六時中ここにいるわけではあるまい。
 そう思って引き返そうとした冒険者だったが、その時である。
「うわ!」
 アベイが雪に足を取られて悲鳴を上げた。たまたま、そこだけ深いという場所に足を突っ込んでしまったらしい。ナジクが助け上げるのを確認してから、エルナクハは、雪の魔物達の方を振り返る。
「やべぇ」
 案の定、気付かれていた。アベイを責めるつもりはないが、あまりいい状況ではなくなったのは確かだ。
 ざわざわと音がすることに気が付いてみれば、周囲に積もる雪の方々が盛り上がり、その下から、スノーゴーストが沸いて出てくるではないか。冒険者達が狼狽している間に、スノーゴーストの大群は、冒険者を取り囲んでいた。
「これは……ちょっとまずいわね……」
 もはや逃げ場はない。暑くもないのに汗が噴き出る。自分達はここで朽ちて果てることになるのだろうか。
「わちが血路を拓きますえ」
 焔華が刀を抜き放ちながら口を開いた。彼女が得意とするのは『上段の構え』、攻撃力主体の鬼炎の相だ。その構えから派生する技は、時に炎を纏う。相手が雪の魔物だとしたら、効果は高いだろう。
 しかし、彼女一人を突っ込ませるわけにはいかない。血路を拓いて、仲間達が逃げおおせたとしても、多数いる魔物を前に、焔華は助からない可能性が高い。その事を指摘しようとしたエルナクハに、オルセルタが顔を寄せてささやいた。
「……兄様、様子が変だわ」
 何があったかと問い返さずとも判った。スノーゴースト達は、何を企んでか、冒険者達が来た道を塞ぐように集結しつつあったのだ。包囲という優位な立場を捨てて何をするのかと、固唾を呑んで見守る人間達の目前で、スノーゴーストは互いにぶつかり合い、積み重なり合っていく。
 ついには、巨大な――炎の魔人よりも大きな、一体の魔物に変化したのだった。
 冒険者達はぐうの音も出せずに固唾を呑んだ。(小さな)スノーゴースト自体の強さは未知数だったが、巨大になった魔物はかなり手強そうだ。しかし、却って助かった点もひとつある。一体になったということは、つまり包囲網も解かれたということなのだ。逃げる好期は今しかないだろう。道は塞がれているが、なんとか隙を突いて突破できそうだ。
 しかし、『ウルスラグナ』は逃げなかった。ひょっとしたら、なんとなく妙な予感があったからかもしれない。その予感に、自力では明確なイメージは与えられなかったが、その正体はすぐに知れた。
 動こうとしていた魔物が、ふと動きを止めたのだ。何ごとかと思う人間達の前に、ぼとり、と何かが落ちてきて、砕けて雪を撒き散らした。続いて、二度、三度、四度五度六度……。
 雪の巨人から、合体したスノーゴーストが剥がれているのだ。
「……崩れてやがる……重すぎたんだ……」
 ようやく予感の正体が分かった。逃げようとすれば、つまり巨人に近づくことになり――なにしろ巨人は逃げ道の方向にいたのだから――、自重で崩れる魔物の下敷きになる羽目になったかもしれない。
 雪の巨人は、もはや巨人とは言いがたかった。加速度的に崩壊を激しくしていき、だんだんと縮んでいる。呆然とする冒険者達の前には、ついに、スノーゴーストがただ一体だけ取り残された。
 なんだか哀れっぽく見える。このまま逃げるのだったら、見逃してやっていいか、と、誰もが――ナジクでさえも――思ったものだった。しかし、残ったスノーゴーストは、まったくためらいなく、冒険者達に襲いかかってきた。
 モリヤンマとの戦闘にて第三階層の洗礼を受けた冒険者達には、ただ一体のスノーゴーストは敵ではなかった。
 魔物は、どさりと倒れ込み、既に崩れ去った仲間達と共に、雪の塊に戻る。
 しばらく様子を窺い、スノーゴースト達が再び立ち上がってこないことを確認すると、『ウルスラグナ』は、魔物の成れの果てである雪の塊に、おそるおそる近づいた。
「……ただの、雪だよな?」
 さしものエルナクハも、常日頃の勇猛さはどこへやら、伸ばした手の震えがためらいをよく表していた。ようやく雪の上に付いた指先が、幾ばくかの白い氷粉をすくい上げる。擦り合わされた指の間から、はらはらとこぼれ落ちるそれは、どう見てもただの雪だった。溶けたものが指先を濡らし、光を反射して輝いた。
 その指先が、つまんだ雪ごと、ぱくりと口の中に吸い込まれたので、仲間達は仰天した。
「やっぱ……ただの雪だな」
 再び伸ばした手が、ごっそりと雪をかき集め、再び口へと運ぶ。
「……ん、『御山』の雪とそんなに変わんない味だ」
「アベイの調査も待たないで……お腹壊しても知らないわよ、兄様」
 呆れ果てて肩をすくめたオルセルタだったが、ふと、崩れた雪の塊に目を留めた。兄と同じように黒い指がつまみ上げたのは、雪ではなく、白い石だった。
「それは何ですし?」
「さぁ……?」
 周囲を探ってみると、同じような石がいくつもあった。どれも、スノーゴーストが崩れた後の雪の塊の中から発見されたものだ。断言はできないが、これがスノーゴーストの核なのか。この石の周りに雪が集まって、あの魔物を形作っていたのだろうか。
「パラスの呪術みたいだな……」
 とナジクがつぶやいたのは、自分の髪を使って紙人形その他を動かしていたパラスの力と比較してのことだろう。彼女のような力が実在しているのだから、石を媒介に雪を集めて動かす力があっても変ではない。問題は、それが『誰』または『何』の力か、だ。それが判らないうちは、不気味な存在であることに変わりはないのである。
 いろいろと腑に落ちないところはあるが、冒険者達は、とにかく『襲ってくるなら他の魔物同様に対抗するしかない』と結論づけた。詳しいことは学者達に――あるいは、近しい力の持ち主であるパラスに聞けばいい、と思ったのだった。

 余談だが、エルナクハはその日の夜に腹を壊した。
 別にスノーゴーストの呪いではなく、冷たい雪を胃に入れたためのものらしい。

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