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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・3

 山と積まれた木箱の中に混ざって、フィプトが何やら捜し物をしている。
 ひんやりとした室内は、さすがに第三階層ほどではないが、それでも肌寒さを感じさせた。
「……よくよく考えりゃさ」と、エルナクハは家主に問いかける。
「冬服探したところで、アンタの服が出てくるだけじゃねぇか?」
 がさごそと捜し物をしていたフィプトの動きが、ぴたりと止まった。ばつが悪そうに顔を上げ、がっくりとうなだれる。
「……考えてみれば、そうでした」
 私塾の地下を見るのは、エルナクハにとっては初めてだった。一階の上り階段の脇に下り階段があり、扉に行き当たっていることは、前々から知っていたが。フィプトの説明によれば、生徒達が地下室にもぐって遊んだら困るので、普段は封鎖しているのだとか。一年通して室温が低いので、季節ものをしまっておくには都合がいいらしい。
 第三階層のことを探索班から聞いたフィプトは、防寒具を探していたのだが――自分の分しかないのは火を見るより明らかだ。誰かが借りるとしても、サイズが合う者は多くないだろう。少なくともエルナクハには着られない。
「シトトで調達、かぁ……」
 エルナクハは後頭を掻きながら嘆息した。最低でも冬用の外套、鎧を身につける者としては、できれば綿入れキルトも厚いものにしたい。ダークハンターとして軽装であるオルセルタに、腹巻きの話をしたものだが、あながち冗談ではない。手袋も欲しい。マルメリは弦を爪弾くのに邪魔だからと手袋を嫌がるだろうが、指先が出るタイプのものでもいいから用意する必要があるだろう。欲望は限りないが、これは贅沢ではなく、なくてはならないものなのだ。
 資金については困らない。よほど高いものでなければ、たぶん足りるだろうし、足りなかったら樹海で素材を調達して当てればいい。
 問題は、シトト――でなくてもいいのだが――に、冬用装備の在庫があるか、だ。
 先に第三階層に挑んでいる冒険者がいることを考えれば、用意をしたことはあるだろう。だが、春から夏にかけての頃だったということを考えれば、特注に近かったと思われる。今は秋だから、そろそろ冬用の支度をしていてもいいだろうが、まだ商品として揃っているわけではあるまい。これから注文しても何日かはかかるだろう。
「それまでお預け、かぁ」
 ちょっと悲しい。樹海探索自体は、第二階層あたりをさらって鍛錬に当てればいいが、せっかくの新階層がお預けになってしまう。せめて先に先達の記録に目を通していれば、と思うも、今更の話である。
 毛皮を自分達で調達すれば、少しは早く手に入るかもしれない。
 そんなことを考えていた時である。
「フィプトどの」
 開け放していた地下室の扉の向こう、階段上に姿を現した者がいる。焔華であった。ブシドーの娘は身軽に段を踏みながら降りてきて、
「バイファーどのと、フロースの女将さんがお越しですし」
 ここまでは別にどうということのない取次だが、その後が妙だった。
「せやけど……『ウルスラグナ』全員、来いと言うんですし」

 授業を行っているセンノルレは別だが、他の全員が、何ごとかと訝しみつつも、言われた通りに集まった。客人はすでに応接間に通してあったので、もちろん『ウルスラグナ』達もそこに集う。
 部屋に入って気が付いたのは、客人達が、なんだか大きな布包みを一つずつ持ってきたことだ。フィプトが、フロースの女将に頼まれごとをしていて、そのために必要なものを衛士バイファーが持ってくる手筈になっている、という話は聞いていた。が、『それ』はそんなに大きなものなのか。そもそも女将までまた来たのは何故なのか。
 と思ったら、バイファーが出してきたのは、構造こそアルケミストでしか判らないような面妖な機構だったが、大きさ自体は一般的なカンテラ程度のものだった。では布包みの正体は何なのか。
「第三階層は寒いんだってねぇ、この子からこっそり聞いたよ」
 と、バイファーを指しながら、女将は笑う。
「まぁ、冒険者用の防寒装備じゃ、いろいろ細かく考えなきゃいけないだろうけど、外衣コートだけでも、繋ぎには役立つでしょ」
 ばさりと布包みが広がると、中に押し込まれていたものが一気に膨らんで山となった。冒険者達は軽い驚きを息に込めた。それは冬用の外衣や手袋だったのだ。よくよく見ると、ほつれていたり、継ぎ接ぎが当てられていたりするけれど、まだまだ十分着られる代物だ。何ごとかと無言で疑問を呈する冒険者に、女将は朗らかに笑いながら説明するのだった。
「あたしやウチの人が使ってた古い防寒服さ。ホントはそろそろ、教会に寄付しようと思ってたんだけどね、調査のお礼にちょうどいいかって思ってさ」
「……いいのかよ、おばちゃん?」
「悪いと思うんなら、ちゃんとした装備を早く揃えて、これは洗濯して、教会に持ってっておくれ」
 そう言い置いて、女将は「仕事があるから」と去っていった。
 残された冒険者達は、呆気にとられつつ、辛うじてつぶやく。
「……洗濯して、っていってもなぁ」
 探索に使った装備の末路がどんなものか、多数の冒険者を迎え入れている宿の女将が知らぬはずがない。それでも女将は、役立ててくれと、防寒服を持ってきてくれたのだ。依頼の礼だとはいえ、なんとありがたいことだろう。
 できるだけ大事に使おう、どうしても汚損してしまうところは修復していければ、と冒険者達は思う。
 ひとまず、エルナクハは一番大きそうな外衣を広げた。普通に着るには少し大きそうだが、鎧を装備した上から羽織るにはちょうどいいだろう。表も裏も、ほつれてはいるが、ふかふかとした起毛処理が、北国の冬を過ごすには頼もしい。第三階層の寒さにも対応できるだろう。
 丈は中途半端に短い気がするが、この大きさ、宿屋の女将の旦那のものだろうか。
 そう思っていたエルナクハの耳に、フィプトに器具の説明をしていたバイファーの声が届いた。
「あ、それ、何年か前に女将さんが着てたものですね」
「……」

 というような一件を話すと、シトトの娘は明るく笑った。秋に向けて涼しくなっていく中、髪飾りのヒマワリが――本物ではないのだが――夏の残滓を感じさせる。
 ひとしきり笑った後、表情を改めたシトトの娘は、今度は申し訳なさそうにうなだれた。
「ごめんなさい、『ウルスラグナ』のみなさん。私、第三階層が冬みたいに寒いって知ってました」
 女アルケミストを除いてシトト交易所を訪れていた冒険者達は、驚かなかった。だろうな、と内心で頷く。
 すでに第三階層に踏み込んだ冒険者が存在する以上、その装備を整える立場の者が、装備が使われる場所の気候を推測できないはずがない。シトトだって彼らの装備を新調するのに協力したはずだ。それが『ウルスラグナ』に何も忠告しなかった――第三階層に踏み込む直前に交易所にも寄ったのに――のは、『特定の冒険者に肩入れしてはいけない』という布令を守っているからだろう。
 大公宮で、探索の手が入った階の情報が公開されるようになったが、自分達から申請しなければ閲覧できない。そもそも、実際に到達した階までの情報しか許可されないのだ。それを思えば、今朝方の探索に赴く前の『ウルスラグナ』が情報を求めても、与えられるはずがなかった――その時には彼らはまだ第三階層を踏んでいなかったからだ。
「腕伸ばしてくださいねー」
「あ、ああ、スマン」
 声を掛けられてエルナクハは我に返った。今、冒険者達は、交易所の女工達に取り囲まれている。寸法を測るためだ。第三階層の冒険に着用するための防寒着を作るのである。自分の腕に当てられる巻き尺の目盛りに何となく目をやりながら、エルナクハは問うた。
「随分細かく丈ぇ計るんだな?」
外衣コートだけってわけにはいきませんからね」毛皮を広げて吟味しながら、シトトの娘は答えた。「やっぱり、アンダーウェアも冬仕様にした方がいいでしょう? 何かの拍子に外衣が破けたりして役に立たなくなっても、他に何も対策してないよりマシだと思うんですよ。あ、そうだ、この機会ですから、ついでに街で着る冬服もご注文いかがですか?」
「あ、そうですね。確かに皆さんの分を頼まないといけません」
 フィプトが得心する。
「ありがとうございます!」
「商売うめぇなぁ」
 シトトの娘が元気に返すのを聞きながら、エルナクハは感心せざるを得なかった。

 というような一件を話すと、大公宮の按察大臣は「ほっほっほ、それは難儀でしたの」と笑った。
「じゃが、フィプトどの以外の皆様は、この国の冬を知らないでしょうて。交易所の娘ごの物言いは、無論、商売の気もあったでしょうが、冬の寒さを考えればまっこと正しいものですぞ」
「そんなに寒いの? 何でも屋さん大臣さん?」
 ティレンのあどけない物言いに、相変わらず『何でも屋』扱いされている大臣は、しかし気を悪くした様子もなく、幼子に――人間の常識に疎いところは、ティレンも幼子のようなものだが――言い聞かせるように、滔々と話し始めた。
「この老骨は、ほれ、『何でも屋』じゃからの、毎年今ぐらいになると、それはそれは大変なのじゃよ。公王様、公女様、衛士、文官、大公宮におる数多の者が寒さに耐えるために、暖かい服をたくさん用意せねばならぬ。去年着た服は、しまってあったからの、干して埃を叩き出さねばならぬ。街の者達も冬の準備をするが、自分では準備できない者たちもおるからの、ささやかなれど、その手助けも必要じゃ。で、そういった物事に対して、『許可のサイン下さい』と、いろいろな者たちがやってくるのじゃよ。ハイ・ラガードで冬に備えるのは、かほど大変なこと――ほら、またじゃ」
 文章に起こすと、すらすらと話しているようだが、その実、折良く(?)「閣下、書類にサインをお願いいたします」と謁見の間にやってきた者達のために、途中何度か中断している。その様を見たティレンは、心底理解したのだろう、
「そーなのかー」と、何度も頷いた。
「納得してもらえたようじゃが、もしまた疑問に思ったら、本当に寒いのか、フィプトどのに聞くとよい」
「……せんせい、ハイ・ラガードの冬はほんとに寒いの?」
「とっても寒いです」
「やっぱそうなんだ」
 自分が滔々と話したことを、一言で納得され、大臣は苦笑いした。
 ところで、『ウルスラグナ』は、ほんの短時間とはいえ十一階に足を踏み入れたのだから、先達の寄せた情報を閲覧する権利がある。地図については、間違っている可能性もあるので、参考程度にとどめたが、魔物の情報が得られるのは素直にありがたい。
「……あ、ここにもモリヤンマ出るのね」
 情報の一片に目を留めて、オルセルタが思わず口を開いた。
 エトリア樹海でも登場した虫である。『ヤンマ』と呼称され、『大トンボ』とも呼ばれるが、『外』のトンボとは似ても似つかない、もっとおぞましい何かである。
 そんな魔物でも人間にかかれば『有用な素材』扱いされてしまう。その外殻は鋼を含んで硬く、武具の材料として有用だったが、それよりも驚くべきことは別にある。モリヤンマは巣を作るらしく、ときどき巣材となる植物を運んでいる最中であることもよくあった。この巣材も、普通は武具の材料にするのだが、実は食える。エトリアにいた料理人が、この巣材を使って料理を作ったのだが、その後「あの店は食えないものを出す」という噂が流れたわけでもない。ということは、味はともかく食えたと考えるしかあるまい。なんとも恐ろしいことである。いや、真に恐ろしいのは人間の順応性か。
 十一階には、他にも、陸に上がってあまつさえ直立二足歩行している魚やら、タコでもないのに足が八本もある馬やらが生息しているらしいが、最も冒険者達の目を引いたのは、なんだかよく判らない魔物であった。
 スノーゴーストというらしい。マシュマロを二個ほど重ねて手足を付け、目と口を付けたような姿をしているらしいが、その実体は雪の塊だという。雪の塊がどうやって動くのか、常識で考えると如何とも判断しがたい。だが、こんなことで先達が嘘を報告するとも考えづらい(勘違いはあり得るが)。
「興味深いですね。是非、実物を見てみたいものです」
 フィプトが心底からの期待を顕わにつぶやく。
 他の者にしても、実物を見てみたい気持ちは大きい。けれど、それはフィプトのそれとは若干ずれているだろう。すなわち――こんな冗談みたいな生物(とは思えないが)、何をどうしたらこの世に生まれてくるのだろうか?

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