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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・1

 世界樹の枝葉の下、大公宮は、翼を広げて休む白鳥のような優美さでそこにある。
 陳情に訪れる国民や、布令の内容を確認するために訪れる冒険者や樹海に出向く衛士が出入りする以外は、大きな動きが垣間見えることはほとんどない。
 しかし、実際の白鳥が水面下で激しく水を掻き動かすように、大公宮もまた、外面から見えないような忙しさを抱えている。
 たとえば、このように平和な国でも、権力者同士の争いは存在する――が、この件に関しては、語れば語るほどに泥沼に嵌りかねない、ひとまず埒外に置くとしよう。
 世界樹の迷宮に直接関与する話に限るとしても、冒険者達の持ち寄った情報――有形無形を問わず――を元に、いかにしてそれらを国益に反映するか、その過程で問題が吹き出ないのか、識者達は研究に余念がない。
 目下の問題は、病に伏せる大公を癒す手段が、迷宮で発見されるか否か。
 古い書物の記述に頼った結果、第二階層で、サラマンドラの羽毛という希有な素材を発見することができた。研究の結果、それは生命力に富み、薬剤の材料としては最上級のものであることも明らかになっている。
 しかし、それだけでは大公は癒せない。
 書物に記述された薬品の調合法には、続きがあったのだ。もうひとつの素材、そして、特殊な方法が必要なのだという。
 大公宮の者達の与り知らぬことだったが、サラマンドラの羽毛を採取してきた『ウルスラグナ』のアルケミスト達の予想した通りであった。秘薬には『硫黄』と『水銀』(錬金術的な意味での)が必要なのである。
 硫黄――内なるエネルギー、膨張を図る力、男性要素、その象徴は炎。
 水銀――外からの光、変幻する力、女性要素、その象徴は水。
 そして、相反するそのふたつを繋ぎ止める特殊な手段――。
「奇しくも、何が何でも天空の城を見付けなければならぬ理由ができたわけじゃな……」
 古文書の翻訳を書き留めた書類の束を、ぱらぱらとめくりながら、大臣はひとりごちた。
 大公宮の中では、これまでの空飛ぶ城探索について、どちらかといえば、見つからなければそれはそれ、と思われていた節がある。もちろん、建国に関わる伝承である、到達できるに越したことはない。だが、実利に限って言えば、主軸は樹海探索。変な言い方をするなら、空飛ぶ城は冒険者を先へ先へと釣る『最大のエサ』といえた。
 しかし、空飛ぶ城の中に、大公の病を癒す手段の一つがあるとなれば、話は別になる。何が何でも空飛ぶ城に到達しなくてはならない。それも、大公の病が食い止められなくなる前に。
 だが、樹海探索の最前線にある冒険者ギルドですら、未だに天空の城の手がかりは掴めていないらしい。
「もっとも先に進んでいるギルドは……どこじゃったかな」
 巫医と銃士の二人組であるギルド『エスバット』のことが脳裏に浮かんだが、確か彼らではなかった。二人だけの旅路という厳しさは、彼らをしてもなかなか覆しにくいもののようだ。
 彼らをはじめとする、第三階層に踏み込んでいる者達には、そのまま天空の城を目指してもらうとして、もう一つの捜し物に協力してもらうべき冒険者は……。
「……いや、サラマンドラほどの危険もないのじゃ、冒険者に頼ってばかりというわけにもいかん」
 脳裏に浮かびかけた、黒い肌の聖騎士の顔を、按察大臣は振り払った。冒険者達は報酬目当てのみならず、好奇心を理由に探索に当たっている節がある。それを大公宮の用事で中断させるのも酷だろう。
 予算という切実な問題もある。冒険者に依頼すれば礼金が必要だ。もちろん、衛士に探索させるにしても、特別報償を計上する必要はあるだろうが、冒険者への礼金はその比ではない。大公からは、必要だと思ったなら予算を気にすることなく下賜せよ、との仰せではあるが、それはすなわち、按察大臣が『必要』の何たるかを判断せよということであり、無限に報償を出していいというわけではない。倹約できるところはするべきなのだ。
 それでもなお、冒険者に依頼するという事態が起きたなら……。
 大臣は、先ほど振り払った、黒肌の聖騎士の顔をまた思い浮かべた。
 サラマンドラの羽毛採取を依頼し、公国の秘事、公王の病臥を知らせた者達。天空の城を視野に入れてもらわねばならないほどに先を行っている訳ではないが、これから第三階層に挑むであろう実力者。
 何かあったら――頼る相手は彼らになるだろう。

 天牛ノ月十二日。
 癒し切れぬ心の痛みを抱えながらも、『ウルスラグナ』は先へと進む。
 彼らの目の前にあるのは第三階層。既に数多の冒険者の足跡の付いた地ではある。けれど、その事実は『ウルスラグナ』の好奇心を損なうものではない。先達のもたらした記録にも、敢えて目を通さずに、己自身でその地を見る時を待ち望んだ。あるいは、未知に目を向けることで、少しでも悲しみを和らげようとしたのかもしれない。
 だが、探索に赴く者達のことは、後に回すとしよう。
 探索班が朝方からの探索に出てからしばらくして、子供達が私塾に集まってきた。昨日の突然の休みを堪能したかと思えば、必ずしもそうではなく、「母ちゃんに仕事手伝わされた」という声もちらほら聞こえる。
 もうじき収穫の時期に差し掛かる。その頃になると、子供達の中には、家の仕事――つまりは農作業やその他関連職――に駆り出され、私塾を長く休むようになる者も出てくる。どうせなら『収穫休み』とでも称して皆休ませてしまってもいいのだが、夏休みの直後に大型休暇が続いてしまえば、仕事をする子はともかく、そうでない子はきっとだれる。フィプト自身にも――いかに錬金術師に憧れ、遠きギルドに足を運んだ身としても――覚えがあることであった。
 だったら夏休みを廃止して秋にずらせばいいのでは、と考えたこともあるが、結局放棄した。ハイ・ラガードとて、自治都市群ほどではないとはいえ、やはり夏は暑いのだ。子供達は勉強どころではなく、だれる。
 かといって、普通に授業を進めれば、休んだ子供達が復帰後に追いつけなくなる。というわけで、秋頃の授業は、勉強と言うより、復習を兼ねた少々軽めの謎解きクイズめいたものになるのが常であった。そこで問題になるのが、臨時講師センノルレである。あの硬い女性――昔より驚くほど柔らかくなっているように、フィプトには思えるが――に、肩肘張らない問題を、作るまではまだしも、肩肘張らないままの状態で出題することができるのだろうか。
 そのセンノルレの凛とした声が、階下の教室から流れ始めた。授業の始まりである。
 本来なら、フィプトが私塾にいる時に授業があるのなら、冒険者となる以前のようにフィプト自身が教鞭を執っているところだ。しかし、この日ばかりは違った。
「すいません、こんな朝早くから来てもらえるとは、恐縮です」
 フィプトが頭を下げる相手は、作業服に身を包んだ壮年の男である。広い肩幅と、服の上からでもわかる筋肉の盛り上がりが、力仕事に従事する者であることを声高に語る。
「いやいや、これも仕事だ。それに、先生の頼みだしな」
 私塾の管理者と作業員、二人がいるのは、パラスの部屋の前。破損してしまった扉を交換しているのだ。
 古い扉を外したところで、壮年の男は作業の手を止め、なつかしそうに周囲を見渡した。
「いやしかし、昔を思い出すなぁ」
 壮年の男は、かつてはハイ・ラガード拡張工事に従事した工夫であった。近隣の小国から職を求めて来たが、作業が終わった後に永住手続きを取った。仕事の間にラガードの女性と愛し合ったのである。そうして家庭を持った後、かつての技能を生かして工務店を構えている。かつての宿泊場をフィプトの私塾に変えたのも、彼とその部下の仕事であった。
「おかげさまで、快適に過ごさせてもらってます。この私塾でも、街でもね」
「そいつは光栄。だが、ここんとこ冒険者が随分増えたからなぁ。スペースはまだ余裕あるけど、修復が大変でなあ」
 形あるものは壊れゆく。それは街も例外ではない。人の営みや自然現象によって、次第に崩壊していくものだ。まして冒険者の流入が激しくなり、多くの人が行き来するようになったハイ・ラガードでは、街の中と外とに関わらず、特に道の悪化が進んでいた。『ウルスラグナ』も、少しばかり前に、主要な街道の飾りが破損したということで、修理用の天河石を樹海から採集してくるように依頼されたことがある。樹海探索が本格化する前は、天河石はほとんど輸入に頼っていたとか。
「前は、山間部から岩石を買い集めるのに大変だったが、樹海の中でちょうどいいのが見つかるなら、ちったぁ楽になるかな」
「その分、冒険者としては苦労することになりますね」
「それも仕事だろう、はっはっは」
 ひとしきり笑うと、男は改めて、古い扉を眺めた。半ば呆れたような声が漏れる。
「……にしても、この扉を殴り壊すかね。どんな馬鹿力だい、先生んとこの黒い坊主は」
「ははは、すみませんね。でも、ひょっとしたら、もう古いのかもしれませんね」
 扉であるからには、少なくとも薄っぺらい柔板で作られているわけではない。それを、エルナクハは掌底で破損せしめたのである。重い盾で魔物を撃破する彼とはいえ、素手でそれをやってのけたのは、やはり年月を経て若干弱まっていたことが原因だろう(それでも並みの人間にできることではないだろうが)。というのは、拡張工事時の宿舎から私塾に変えるとき、資金の関係もあって、内装を総取り替えしたわけではないからだ。扉も、修復したり、塗装をし直したりして、引き続き使用していた。そもそも、宿舎の時でさえ再利用リユース品を使っていたというから、この扉も実体は相当古いものだったのかもしれない。それは作業員の男も考えていたことであった。
「だなぁ、店に持って帰ってから調べてみるけど、こいつはひょっとしたらもうダメかもな」
 仮にもう扉として使えないとしても、最後の使用方法がある。ラガードの寒い冬に備え、焚き付けとなって売られるのである。
「ま、とにかくここの扉は新しいのに取り替えるぜ、先生」
「お願いします」
 頭を下げて頼んだそのとき、フィプトは外から自分を呼ぶ声を聞いた。
「せんせいー、せんせいー!」
「……ティレン君?」
 現役冒険者という括りに限れば、現在私塾にいるのは、フィプト本人とマルメリ、ティレンである。そのティレンはいつものように中庭にいた。ハディードの世話と、自身の特訓のためだ。そのソードマンが、声を張り上げて自分を呼んでいる。追随する獣の吠え声は、ハディードのものである。
 なにがあったのか。フィプトは作業員に断りを入れて、首を傾げながら隣の応接室に向かった。
 下に降りなかったのは、応接室の窓から様子を窺おうと思ったからだ。パラスの部屋から見た方が早いのかもしれないが、女性の部屋にむやみに踏み込むことには、やはりためらいがある。
 応接室では、マルメリが窓から外を見ていた。フィプトに気が付くと振り向いて笑いながら曰く。
「あ、やっぱこっちに来たぁ。フィプトさんにお客さんよぉ」
「お客……ですか?」
 バードの娘の招きに応じて、フィプトは彼女と一緒に中庭を見下ろし、軽い驚きを覚えた。
 ソードマンの少年や樹海の子獣と共に佇んでいるのは、フロースの宿の女将だったからである。

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