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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・32(完)

 すっかりと日が落ちた街の中を、『ウルスラグナ』討伐班一同は進んでいた。
 街の中央部を取り囲むように立ち並ぶ建造物の窓のいくつかから、光が漏れ出ている。大抵の冒険者達の生活は中央市街で完結するので、建造物の中に入ったことはないが、私塾の生徒達から聞いた話では、中に住んでいる者のほとんどの生活もまた建造部内で完結するため、冬の寒い時などは助かるそうだ。「冬になったら、冒険者の兄ちゃん達は、ま、頑張れよ」と励ましてきた生徒は、逆に「つまりオマエらが私塾に来るのも冬は大変だな」とのエルナクハの返しに、ぐうの音も出せずにへこんでいたものだ。
 市街に立ち並ぶ灯火の光に、羽虫がたかっている。
 それを見て、パラスはふと、世界樹に群がる人間のようだ、と考えてしまった。伝説の光か金の輝きに魅せられた、二本足の者達。それを軽蔑する気は毛頭ない。自分だって同類で、高尚ぶる資格はない。けれど思うのだ。もしも世界樹の迷宮の生物が、そこらの人間でも対処できる程度のものだったら、果たして樹海はどうなっていただろう。
 ハイ・ラガードにはガスコインという貴族がいた。毛皮の収集が趣味の男で、ときどき、樹海で狩りをしている姿を見かける。屈強な供がいるとはいえ、いい度胸である。ガスコインひとりならまだいい。が、ガスコインのような者が何百人といたら、いくら豊かな樹海でも、その富は尽きてしまわないだろうか?
「……やっぱり、エトリアみたいに、樹海が閉じちゃった方がいいのかなぁ」
 冒険者らしくないことを考える。
 パラスの住んでいた『王国』は、世界的に主流となっている一神教を国教としていた。異教徒には若干の異教税が課せられていたが、パラス達ナギの里の者に対しては、一神教を信じずとも、とある理由から免除されていた――というのは完全に余談である。ともかくも、その一神教曰く、『神は人間のために諸物を作られた』。つまり、この世の全ては人間のためにある、と言い切っているのだ。
 ハイ・ラガードでは、一神教は国教ではなく、立場としては他の異教と等しい。が、かつて大公家の先祖に、今はなき一神教の宗教国家『教国』の姫が降嫁したという歴史があるため、大公宮主導で行う慶弔儀式は一神教の神官が司る。もっとも、聖歌や聖句で露骨に特定の神を讃えたり祈ったりする箇所は変更されているのだが。そのようなわけでハイ・ラガードも若干は一神教寄りと言えよう。そんな環境で暮らす大公達は、やはり『樹海は人間のためのもの』と思っているのだろうか。
 エトリアの前長ヴィズルも、パラスのはとこである聖騎士の前で、「樹海は人間のものだ!」と言い放ったそうだ。モリビトという存在を知っていたにもかかわらず。もっとも、ヴィズルに関しては、事情を加味すれば、そう言い放つ理由もわからなくもない、と思ってしまうのだが。
 自分達は人間だ。だから人間の目線でしか世界を見ることができない。だが、そのために盲目的に『樹海は人間のもの』と捉えていいのか?
「エルにいさん」
「なんだ?」
 パラスの呼びかけに、先頭を歩いていたエルナクハは、振り返らずに歩いたままで返事をする。
 もちろんパラスや他の仲間達も足を止めない。
「エルにいさんの神様は、人間のために世界を作ったの?」
「何だよいきなり、ムズカシイこと訊きやがる」
 一応は異教の神官であるはずの聖騎士は、神官らしからぬ不真面目さに歪んだ表情で振り返った。そして、あっさりと肩をすくめる。
「わからんなぁ。オレは大地母神バルテムじゃねぇからよ」
「それでもお前、神官かよ、ナック」
 アベイが、パラスの内心でのツッコミと同じことを、言葉にして発した。
「しゃあねぇだろ」
 黒い聖騎士は屈託なく笑う。まったくこの人は、と、古くからの仲間のみならず、新参者の(という表現はもはや相応しくないが)フィプトすら呆れたものだ。
 しかし、そんな仲間達の前で、黒い聖騎士は生真面目に眉根をしかめた。後頭部をこりこりと掻きつつ、憂いを溜め込んだような声を出す。
「ただよ、ヴィズルの話とかユースケの話とかを考えるに、人間のためだけに世界がある、って思いこみが、前時代を酷くしたんじゃねぇかな」
「……ああ、そう思うよ」
 話題に出されたメディックが同調して頷く。
 その後に続くかもしれなかった話は、道の先に大公宮が見えたことで打ち切られた。もとより簡単に答の出ない問いだ。話が続いても堂々巡りになる可能性は高かった。ただ、この疑問を常に頭の隅に置いておこう、と、パラスは灯火に集う羽虫の群を眺めつつ思うのだった。

 いつものように衛士に迎えられ、侍従長に導かれ、謁見の間に足を踏み入れる。
 待ち受けていた大臣の表情を見るに、『ウルスラグナ』が魔人を倒したことは、すでに伝わっていたようだった。果たして誰が、と思ったが、それは大臣の口から、あっさりと明かされたのであった。
「『エスバット』の報告じゃよ。そなたらの戦いぶり、見事であった、と申しておった」
「あいつら……」
 苦笑いが浮かぶ。つまり『エスバット』は、『ウルスラグナ』の魔人との戦いの一部始終を見ていたわけだ。やはり、自分達の後より追い上げてくる者達の動向は気になったと見える。果たして、『見事』という言葉は、ただの世辞か、あるいは――確かに自分達は、彼らの眼鏡に適った、ということだろうか。
「ともかくも、これでそなたらも樹海の第三階層に挑むだけの実力を持つ冒険者となったわけじゃ。そこまでの力を持つ者はこの公国でもほんの一握りじゃ」
 少なくとも、大公宮の者達の『ウルスラグナ』の評価を決定づけたのは、間違いないようであった。
「自らの力を信じ、そして過信することなくこれからも冒険を続けてくれたまえ。……そうそう、魔人退治はミッションでもあったからの、報酬が用意されておる。受け取るがよい」
 以前の報酬よりも重い革袋を手渡され、エルナクハは顔を曇らせた。もちろん、報酬に不満があったわけではない。
「……どうか、なされたか?」
 不審げに声を掛けてくる大臣に、「何でもない」と答えようとした。しかし、それだけでは、報酬に不満があるのでは、という懸念を持たせたままになりかねない。結局、エルナクハは正直に心情を吐露することにした。
「何でも屋さん大臣サンよぉ、あの魔人って、何者なんだろうな」
「何者、とは?」
「よくわかんねぇ。よくわかんねぇんだが、何かが違う。説明すんのはムズカシイけどよ、アレは本当に生き物なのか、って感じがするんだ」
 脈絡のない説明である。言っている本人からして説明のしようがなさを感じているのだから、大臣にその詳細が正確に伝わるはずもなかろう。しかし意外にも大臣は頷いた。その表情には、エルナクハを始めとする冒険者と同じような、困惑の表情が見て取れた。
「『エスバット』も同じように言うておったよ。魔人の体組織を持ってきて、調べてみてくれと頼んできおった。ヤツとの戦いは、まるで――」
「――まるで、怪しい石像の類と戦っているみたいだった、てか?」
「うむ」
 結論としては、『エスバット』が持ってきたという体組織の調査については、今のところ何の進展もないという。
 大公宮から外に出た直後に、アベイがこっそりと、「この時代の技術で判るのかも怪しいけどな」とささやいた通り、目に見えて判る以外の結果は出ないのではないかと思われる。結局、魔人の正体については謎のまま終わるだろう。
 それより、気になることがあった。
 謁見を終了して退室しようとした『ウルスラグナ』を呼び止め、大臣がこんな話をしたからだった。
「そういえば、ギルド長が、そなたらが魔人を倒したなら来てほしいと申しておったぞ」
 それも、随分と深刻さを感じさせる声だったという。
 呼び出される心当たりはないが、無視する理由もないだろう。
 そのようなわけで、今、『ウルスラグナ』は冒険者ギルドに向かっている。
 道すがら無駄話が展開されるかと思いきや、意外にも誰も口を開かなかった。後に思えば、冒険者ギルドで待っているものがどういう類の話なのか、漠然と悟っていたのかもしれない。
 ギルドが見えてくると、自然と足早になる。
 門を潜り、扉を前にすると、ノックすら惜しいと言わんばかりに――もともとギルドの扉をノックして入る冒険者は少ないが――押し開けた。
 ギルド内の空気は、厳格なギルド長の影響を受けて張り詰めていながら、しかし適度な緩やかさも保っていた。しかし、ギルド長や衛士達が『ウルスラグナ』の姿を認めた途端、急激に冷却され、氷の結晶をも生じさせそうな緊張に支配された。
 衛士達が自分達の一挙一動を気にしているのを感じつつ、冒険者達は、黒檀の机の前に歩み寄った。
 机の上に肘を立て、手を組んでいたギルド長は、『ウルスラグナ』の姿を認めても、しばらくは無言でいた。やがて、冒険者にとって耐えがたい冷えた空気を、静かに払うかのように、声を発した。
「炎の魔人を、倒したのだな?」
「……ああ」
「そうか」
 わずかな間が空いた。かすかに聞こえた息の音は、ギルド長が鎧の下で溜息を吐いたからなのかもしれない。
「ならば、私はお前たちに知らせなくてはならないことがある」
 ギルド長の手が、机の引き出しに掛かり、何かを探り始めた。やがて机の上に戻ってきた手の内には、一通の封筒がある。何の変哲もない茶封筒で、差出人の名こそよく見えなかったが、はっきりと速達印が押されていた。
「これは、エトリア執政院の長オレルス殿から、一昨々日さきおとといに届いたものだ」
 一昨々日といえば、天牛ノ月七日のことだ。
「オレルスから?」
 エルナクハは首を傾げた。
「ああ」
 青黒い兜が、縦に揺れる。
「お前たちに連絡したいことがある、とのことでな」
 嫌な予感がますます増大した。エトリアは『ウルスラグナ』の逗留地である私塾の住所を知っているはずなのに。もちろん、オレルス自身は知らなかったのかもしれないが、パラスのはとこに訊けば問題ない。にもかかわらず、オレルスは住所を訊かず、冒険者ギルド気付で連絡を寄越してきた。
 ――いや、住所は『訊けなかった』のではないか。
 あるいは、住所は知っていたが、敢えて直接送るのを避けたのではないか。
 そして、ギルド長が、一昨々日に届いた手紙を、今日になるまで知らせなかったのは――。
「どんな話だ」
 かすれそうになる声を辛うじて整え、聖騎士は続きを促した。
 ギルド長は無言のまま、封筒に手をかけた。やはり、一度は開封したようで、封筒は何の抵抗もなくその中身を顕わにする。入っているのは折られた紙が二枚――いや、片方は未開封の封筒だった。その封筒を取り出すと、ギルド長は『ウルスラグナ』一同にそれを差し出した。
「受け取るがいい――ナギ・クード・パラサテナ」
「――っ」
 ほとんど息の音にしかなっていない声を、パラスは上げた。
 強ばる手を伸ばして、封筒を受け取る。
 指がフラップに掛かるが、開けたら中から呪いが吹き出てくることを恐れているかのように、かたかたと震えている。
 それでも、埒があかないと思ったか、思い切って封を切る。
 中から現れた、折りたたまれた手紙を引き出し、一度息を吐いて覚悟を固めると、開いた。
 仲間達が固唾を呑んで見守る中、パラスは手紙の文字を追う。はとこの手紙は手書きなのだが、今回の手紙は打鍵作文機タイプライターで記してあるようだ。全て直文字で記されたその文を、震えながら読んでいたパラスは、突然、手紙を持つ手に力を込め、くしゃりとしわを寄せさせた。
「あ……あ……」
 吐息と共にうめき声を発し、ついには、くたりとへたり込む。
 手から離れた手紙が、ひらひらと床に舞い落ちた。
「パラスさん!?」
「パラス!」
 仲間達はカースメーカーの少女に駆け寄った。
 しかしエルナクハは、パラスのことは仲間達に任せ、まずは落ちた手紙を拾い上げた。その文面に目を通していくにつれ、エルナクハの手にも力が入り、手紙をさらにくしゃくしゃにしてしまう。パラスのように膝を折ってしまわないように耐えるのが、精一杯であった。

 手紙に記してあったのは。
 パラスのはとこ――元ライバルギルド『エリクシール』の聖騎士が死んだ、という知らせだった。

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