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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・30

 ――パラディンは守護に特化した騎士である。その特技も護りに主眼が置かれる。反面、攻撃のための特技に乏しく、過去の戦でも、積極的な侵略より、要所での防衛戦に力を発揮したという。
 それでも人界で活躍することに限れば、そこらのソードマンよりも剣の腕を磨いたパラディンは五万といる。しかし、世界樹の迷宮という異境ではそうもいかない。相手は人間ではなく獣、それも『外』のものとは比べものにならないほど凶暴だ。
 本来不得手な剣技に頼るパラディンは、腕を上げる前にほとんどが淘汰される。なんとか生き残るのは、得意分野を伸ばすことが近道だと悟った者だ。故に、迷宮に挑むパラディンは守護の技を磨いて伸ばし、攻撃面を任せた仲間達の盾となっている。
 しかし、数少ない例外といえる技が、ここにある。
 シールドスマイト。
 パラディン達が味方を護るために携える盾を、武器として転用する技である。本来は、遮りきれない敵に対して緊急避難的に用いられたものなのだが、ただの緊急避難というには恐るべき威力を誇る。常に重い鎧と盾を携えるパラディン達の膂力は、馬鹿にならないのだ。力と重量が揃って盾に乗り、そのまま叩きつけられたら、どれほどのものかは、多少なりとも戦いに造詣のある者なら想像も容易いだろう。
 もちろん、パラディン自身の負担も大きく、多用はできない。それでも、一刻でも早く相手を倒すには、有用な手段だ。
 自身がパラディンだからとて、『攻撃は最大の防御』という思想を完全否定するつもりはない。
「おい、いつの間にスマイトの鍛錬してたんだよ」
 後方に戻るアベイが、ついでとばかりにエルナクハの近くに寄って問いかける。パラディンの青年は、魔人から目を離さないまま、歯が輝いて見えるほどにいい笑顔で言ってのけた。
「なに、白鳥は優雅に見えても水面下ではなんとやらってヤツだ」
「お前が白鳥ってガラか! いや、聞きたかったのはそこじゃなくてだな」
 いつしていた、というのなら、探索に出ていない時間に決まっているだろう。シールドスマイトの鍛錬をしているように見えなくても、他の鍛錬によるさまざまな動きが、別の技の完成に繋がっているということは、よくあることだ。
 アベイの問いは別の意味を含んでいた。シールドスマイトをハイ・ラガードでの実戦で使うのは、もう少し先だと思っていたから。
 しかし今は戦闘中。答を聞くには時間切れ、と判断したメディックは、急いで後衛に戻る。防御の薄いメディックは、敵の傍に居続けることが命取りになりかねないのだ。しかもアベイは体が弱い。かつて自身を蝕んでいた病とは無関係な話で、つまり前時代人というものは種族的に現代人より脆弱にできているものらしい。メディックだからこそ冒険者としてなんとかついていけているが、アベイがソードマンやパラディンなどになるのは無理だろう。
 その間に、炎の魔人の呻きは止まる。痛みが耐えられる程度に収まってきたらしい。しかし、どういうわけか、そのまま動かず、前髪の下から見え隠れする瞳で冒険者達を睨み付けるだけだ。
 今のうちに攻撃を仕掛ける、と口で言えば簡単なことだが、魔人の動きが掴みきれないうちは、性急な行動は取れない。脇目もふらず攻撃を仕掛けてくる輩の方が、却って与しやすいのだが。
 パラスの呪詛と、フィプトの錬金籠手の稼働音だけが、あたりに響き渡る。
 双方が膠着している。
 エルナクハは、じりじりとティレンに近づき、ひそひそと囁いた。
「……ヤツ、何企んでると思う?」
 ソードマンの少年は頭を振った。「わかんない。でも、まだ、敵意が感じられない」
「む、そうか?」
 パラディンは小首を傾げた。確かに、ティレンの言うとおり、魔人が放つ敵意らしきものは未だに感知できない。あれだけ、こちら側が手ひどく攻撃を仕掛けたにもかかわらず、だ。かといって、安易に警戒を解いて交流を図ってみる気になれないのも確かだ。ティレンを襲った炎の腕の威力は、平和的解決が通じると考えるには、酷すぎた。
 ただ、戦闘前から感じていた、魔人を敵に回すことへの疑問は、未だに止まない。
 だから、相手の出方を見守ることにした。
 ちらりとフィプトに目を向けると、アルケミストも意図を了解したのだろう、錬金籠手の反応を中断する。完全に止めたわけではないのは、もちろん、状況の変化に備えてだ。一方、パラスには呪詛を唱えさせたままにしておく。腕縛りは相手に痛手を強いるものではないし(痛い、と錯覚させるものかもしれないが)、効けば、何かあったときに対処しやすいからである。
 さて、どう出る?
 しばらくは、じりじりとにらみ合うだけの時間が過ぎていった。
 燃えるような夕暮れの光が樹海をさらに紅く染め、パラスの呪詛の声が朗々と響き渡る中、大きな動きは何もない。
 生温い大気と、極限の緊張が、滝のように汗を生み出し、服を濡らしている。街に帰ったら鎧をしっかり磨かないと、汗に含まれた塩分で錆びちまうな、と、益体もない事を考えた。
 魔人に動きがあったのは、その時であった。
 のそり、と魔人が身動きをするのに、エルナクハとティレンは武具を構え直す。背後でも、錬金籠手を再始動させる音が聞こえた。これで迎撃の準備は完璧だ、と思った聖騎士は、しかし、次の瞬間、自らの油断を思い知った。
 魔人は、ほとんど一瞬と思える短時間で、エルナクハとティレンの目の前に移動してきたのである。
「な……っ!?」
 ただ絶句。背後でも息を呑む気配がして、パラスの呪詛さえ途切れる。
 目に見えて判ったのは、魔人の背中の翼が動いた、ということだけだった。
 後に街に戻ってから検証した末、どうやら短距離間なら、背中の翼を動かすことで高速で移動できるのではないか、という仮説が立ったのだが、今はまだ訳がわからないまま、冒険者達は魔人のなすがままに甘んじることとなったのである。
 魔人が両手を広げたときも、エルナクハやティレンは身体が思考に付いていかず、硬直してその様を見つめることしかできなかった。
「義兄さん! ティレン君!」
 フィプトが警告の声を発するが、それに応えることはできなかった。ぴくりとも動けない前衛ふたりの目の前にやってきた魔人は、ぐわっと両手を広げる。まずい、と思考だけが光の速さで脳裏を廻るが、それが行動に繋がるには遅かった。エルナクハとティエンは魔人の腕の中に抱えこまれてしまった。
 一瞬、あ、宿屋の女将に抱きかかえられたらこんな感じなのかな、と、益体もない事を考えてしまったが、もちろんそれを継続する余裕はなかった。
 魔人の腕は圧倒的な膂力――否、暴力で、抱えたエルナクハとティレンを締め付ける。筋肉がぎちぎちと軋み、前衛の戦士達は耐えきれずに悲鳴を上げた。骨がたわんで激痛を訴えてくる。このままでは、脊椎さえもがぽっきり逝ってしまうのも時間の問題だろう。さすがにそんな目に遭うのはごめん被る。ふたりは比較的自由な足を振り上げ、魔人を容赦なく蹴りつけるが、敵は全く動じない。
 パラスが慌てて再開した呪詛の声が流れる中、フィプトが反応させた化合物が飛来して魔人の頬に張り付いた。剥がれ落ちたものがエルナクハ達にも降りかかり、反応して冷気――というより火傷しそうな痛みを訴えかけるが、これで魔人の呪縛から逃れられるなら御の字、甘んじて受け入れるところだ。しかし残念ながら、魔人は冷気の激痛に叫びながらも、それでもふたりを離そうとしない。
「し……ぶてぇなぁ! コンチクショウ!」
 痛みに顔を歪めつつ、エルナクハは足裏をがんがんと魔人の腹に叩きつけた。ティレンは身をよじり、なんとか拘束を脱しようとしている。片方が抜ければ、もう片方も比較的楽に脱出できるだろう。だが、目論見は全く達せず、圧迫感に気が遠くなっていくばかり。アベイが逃走補助用の煙幕卵をスリングで魔人に打ち出すのが見えたが、コントロールがなっていなく、魔人の顔に当たることなく飛んでいくだけであった。
 いっそこの際、噛み付いてやろうか――魔人の皮膚に通じるかは判らないけど。
 朦朧とした頭でそんなことを考えた、その時である。
「…………、…………、……!」
 今のエルナクハ達には、ほとんど雑音としてしか届かないが、何かの音が、はっきりと耳朶を打った。
 途端、前衛のふたりを締め付けていた魔人の腕が、ぴくりと引きつり、動きを止める。
 何が起きたか判らないが、チャンスだ。
 エルナクハは右腕を――左腕は盾を持ったまま締め付けられていたので、動かすのが困難だった――拘束から引き抜き、曲げた肘を思い切り振り下ろした。痺れるような衝撃が骨を伝ってきたが、それも、続いて全身を襲った衝撃に比べれば、まだ可愛いものだった。そしてそのどちらも、魔人に締め付けられたまま絶命するという想像に比べれば、はるかにましなのだ。
 全身から欠乏しかけていた空気を急いで取り込み、意識を立て直すと、エルナクハは魔人の現状をしかと見た。
 魔人は広げかけた腕をぷるぷると震わせ、自分の身体が思うように動かない苦悶に、短く呻いていた。ティレンの姿も既にない。自分と同様、腕から逃れて地面に落下したのだ。そして、何故そんなことになったのかといえば、思考能力が戻ってきて、やっと理解できた。呪詛だ。パラスが唱え続けていた呪詛が、ようやく魔人の精神に引っかかり、その腕の自由を奪ったのだ。
「遅ぇぞ、パラス!」
 この叱咤、前にもした記憶がある。本気でそう思っているわけではないのも、その時と同じ。返事も、同じ時に聞いたことがあるようなものだった。
「なかなか効かないんだもん!」
「ははッ、だが助かったぜ、よくやった!」
 当時同様に少女を褒めそやすと、エルナクハはティレンを促し、共に魔人から距離を取った。
 アベイとフィプトが駆け寄ってくる。メディックは無言で治療の準備を始め、アルケミストは軽く頭を下げて謝意を示す。
「すいません、義兄あにさん、ティレン君。巻き込んでしまった」
 ふたりは何のことか一瞬戸惑ったが、やがて合点がいった。そういえば術式に巻き込まれたのだったか。ただ、あれは『巻き込まれた』というほどではないと思った。
「気にすんな。あの程度」
「だいじょぶ」
 ふたりの返答を聞くと、フィプトは再び頭を下げ、改めて錬金籠手を魔神に向ける。その機構からは新たな反応を促す動作音がした。
 以降の戦闘の展開は、比較的楽に推移したと言ってもいい。腕の自由を奪われた魔人は、威力の高い抱擁や、炎を纏う腕の攻撃を行うことはできず、体当たりや蹴りで冒険者達を攻撃せざるを得なかった。しかし、慣れない攻撃法では実力を十分に発揮できるはずもなく、パラスに掛けられた力祓いの呪言の影響下にあることも手伝って、その威力は決して耐えきれないものではなくなっていたのである。もちろん、呪言の影響もいつまでも続くものではなかったが、来ると覚悟していた攻撃なら喰らっても落ち着いて対処できるようになっていた。そうしているうちに再びパラスの呪言が魔人の腕を縛り、力を削ぐのだ。
 それでも長い戦いになった。シールドスマイトと術式とで精神を摩耗したエルナクハとフィプトが、現在の荷の中にあるなけなしの精神回復薬アムリタ二本を分け合って飲み、さらに攻撃を仕掛けるも、魔人はなかなか倒れない。体力を削っているのは確実なのだが。
 朱の空は次第に暗さを増していき、樹海の中もみるみるうちに闇に落ちていく。
 あまり暗くなるようだったら明かりを付けなければ格段に不利になる。できればそうなる前に倒したいところだ。
 その願いが神――天空の城にいる者か、大地母神バルテムかは、判断できないが――に通じたのだろうか、執拗に攻撃を続けた結果、魔人の動作に明らかに鈍りが見えてきた。もう少し押せば、倒せるかもしれない。
 しかし、冒険者達の精神も限界を迎えていた。フィプトの錬金籠手を操る動作もおぼつかなくなり、アベイも薬品を調合する際に変なモノを加えそうになった。パラスの呪言は呂律ろれつが回っていない。ティレンやエルナクハも、重い武具を振るう気力を失っていた。大技を繰り出すのはもう無理だ。
 もう少しだと、いうのに。
 そこでエルナクハは思い出した。荷物の中に一枚だけ、樹海で拾った氷術の起動符があったはずだ。誰が持っていたか――そうだ、直接的な攻撃手段に乏しく、かつ、治癒役よりは余裕がありそうなパラスに持たせていたのだった。
「おいパラス、この際だから起動符を――」
 使っちまおうぜ、という言葉が相手に届くことは、なかった。
 その瞬間、大編成の女声合唱団が大音響フォルティッシシモで叫んだかのような悲鳴が、周囲の全てを乱打したからである。

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