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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・27

 鍛錬も兼ねて慎重に樹海地図を埋めていき、十階は南西部が残るのみとなった頃。
 探索の途中、目の前に現れた『それ』を見て、冒険者達は、ほっと安堵の息を吐いた。
 磁軸の柱である。
 エトリアにあったような、体力と気力を癒す泉がない、ハイ・ラガード迷宮では、迷宮内の足がかりとなるこの桂の存在が重要であった。
 それにしても、樹海磁軸にしろ、磁軸の桂にしろ、何のために用意されたものなのだろうか。エトリアでは、ウィズルが探索者の便宜を図るべく用意したという話たった。それは嘘ではあるまい。少なくとも『世界樹の王』ではなく『エトリアの長』ならは、用意する理由にも頷ける。
 では、ハイ・ラガードは? 自分達の思考の及ぶ範囲で考えるなら、ハイ・ラガードの祖先が用意したのだろう。だが、ここで疑問が生じる。『世界樹を伝って降りてきた』父祖は、そうやって『世界樹の中に戻れる手段』を講じておいて、なぜ、世界樹の正式な入口(と思われる箇所)を封じ、戻る手段を書き残さなかったのだろうか。エトリアのことも参考にして考えれば、樹海磁軸も、磁軸の柱も、さらに上の階にもあるだろう。いつか子孫が天空の城を目指すならば、そうしておけば楽だっただろうに。
 逆に言えば、自分達は世界樹の中や天空の城に戻る気もあったが、子孫達には世界樹も、天空の城も、触れさせたくなかったのか。
 とすると、封じたはずの入口が、今になって開いたのは何故だ? 『中』に触れさせたくないなら、後の世に開くような構造にする必要などないはずなのに。
 ――否、パラスのはとこ、エトリアの正聖騎士の仮説では、『ウルスラグナ』の樹海踏破がハイ・ラガード樹海に何かしらの影響を与えたのではないか、ということだったそうだ。つまり樹海自体が道を開いたというわけだ。エトリアに、フォレスト・セルという、人間とは異質ながら意志を持つ者がいたなら、ハイ・ラガードにも同じような存在がいる可能性が高い、とは、何度も考えたことだ。その存在は、人間が造った機構に少しだけ手を出して動かすことなど、やろうと思えば容易いだろう。だが、その説では、ハイ・ラガード樹海が人間に踏み込まれるのを恐れているとしたときの説明が付かない。わざわざ開ける必要はないわけだ。で、仮に樹海自身が開けたのだとすれば、その理由が不明だ。
 いや、話はもっと単純で、『世界樹計画』の目的たる『環境浄化』が成ったときに開くようになっていただけなのかもしれない。そのときには、天空の城に残り、環境の浄化を待っていた前時代人(の子孫)を、地に降りた者達(の子孫)が迎えに行く計画だったのかもしれない。そして、その計画書は長い年月の間に言語の変遷の関係で読めなくなり、大公宮が解読しようとしている書物に紛れているだけなのかもしれない。
 そんなことを考えていたフィプトだが、不意に『いいこと』を思いついた。
「アベイ君なら、大公宮の古文書も読めるんじゃないですかね?」
「あー、たぶんだめ」とアベイは首を振った。
「もし古文書の言葉が遺都の言葉と同じだったとしても、五十の表音文字とその異字体と、二千字以上の象形文字を読めなきゃ無理」
「……無理、っぽいですね」
「俺、表音文字はなんとか読めるけど、象形文字の方はちょっとしか無理。遺都に落ちてたメモだって、全部は読めなかったんだぜ」
 奇跡にすがるようなフィプトの望みを、アベイは苦笑いしつつ切り捨てた。
 ともあれ、樹海の真実は未だ謎のままであるところが多いということだ。が、謎のままであっても、便利に使う分には何の問題もない。冒険者達は、磁軸の柱を起動させて、一度街に戻った。
 私塾に戻ったのは昼近くである。年少の子供達に教えを示しているセンノルレの澄んだ声が、窓越しに聞こえてきていた。入口の方に視線を向けると、鎖に繋がれたハディードに、ティレンがブラッシングをしてやっているところが目に入った。今回は、炎の魔人に対抗するメンバーのうち、ティレンをナジクと入れ替えていたのである。
 声をかけると、ティレンはいつも通り、「ん」と短く応える。ハディードは嬉しげに振っていた尾を一瞬ぴたりと止め、警戒しているような雰囲気を漂わせたが、やがて、ほんの少しだけ尾を振り、うぉん、と鳴く。
「ちったぁ慣れてきたってことかな?」
 ちょっとは、というが、一月前からは大きな進歩である。満足げにつぶやくエルナクハは、パラスが身を翻したのに気が付いて、その姿を目線で追った。ここ数日、カースメーカーの少女は、樹海から帰還するたびに、同じような行動をしている。彼女が向かったのは、私塾の外門に取り付けてある郵便受けであった。中を見たパラスは、目に見えて肩を落とす。これも、ここ数日、同じであった。
「まだ無理だろ?」と、からかうようにアベイが口を出した。
 言うまでもなく、彼女はエトリアにいるはとこからの返事を待っているのだ。
 アベイの言いように、パラスは、ぷんすか、という擬態語が非常に似合うような表情を浮かべて反駁した。
「速達だったら、今日当たり届いててもおかしくないよっ!」
「アイツは速達で出さなかったんだろ」とは、けたけた笑いながらエルナクハが割り込んだ言葉である。
 それに、エトリアの聖騎士から来た最後の手紙には、こう記してあった――執政院の若長オレルスに呪詛がかけられた、と。対策そのものは、パラスの母親でもあるカースメーカーを招聘することで、どうにかしようとしていたようだが、対策の実行、あるいは後始末で、時間を取られて、手紙を書くどころではないのかもしれない。
 そう思っていたのだが、私塾の中に足を踏み入れると、出迎えたオルセルタが、こんなことを言ったりする。
「おかえりなさい、みんな。郵便来てるわよ」
 ぱっとパラスの顔が輝いたのを見て、オルセルタは、しまった、というような苦笑いを浮かべる。
「ああ、パラスちゃん宛じゃないの。フィー兄さん宛に、えーと、『アルケミスト・ギルド』ってところからの郵便」
「ギルドから!?」
 今度はフィプトの顔が、ぱっと輝いた。
 フィプト(とセンノルレ)が学んでいたアルケミスト・ギルドは『共和国』にあり、ハイ・ラガードから赴くとすれば、馬車で一年近く掛かる。郵便に関しても、人間が行くよりは短縮されるかもしれないが、おおむね同じ程度。速達であればもっと速いが、最速でも半年以上掛かることはざらである。
 人間達は、この距離をどうにか縮めようと躍起になっているが、形のない『情報』ならともかく、実体のある荷を運ぶ必要があるとなれば、どうしても郵便以外に頼れるものはない。
 オルセルタが差し出したのは、機密の印がある小包だったのである。『取り扱い注意』と刻印された封蝋が表面に目立つ。そういったものを扱うには、やはり人間の手が一番だろう。
「郵便屋さんを疑うわけじゃありゃしませんけど」と焔華が疑問を呈したものだ。「もしも、郵便屋さんが手紙を開けて機密を知ってしまったら、どうするんですえ?」
「大丈夫ですよ」とフィプトは心配のかけらすら見られない表情で返した。「仕掛けがしてありましてね、迂闊に封を開けたり破ったりしたら……」
 掌側を上にした、閉じた片手を、わずかに上げながら開く。「ぼん」
「爆発っ!?」
「冗談です。爆発はしませんよ。でも、燃えるのは確かです。無事に開けるには、所定の手順が必要でしてね」
 空でも歩いてしまいそうに気分が高揚したフィプトは、オルセルタから手紙を受け取って、いそいそと自室に戻っていった。
 がっかりと肩を落とすパラスの肩を、アペイが慰めるように叩く。
「ま、落ち込むなって。『便りがないのがいい便り』って言うしさ」
「……そだね」
 パラスは気を取り直すと、にっこりと笑んだ。
 本当なら、樹海での疲れを癒すために、フロースの宿にお邪魔する予定だったのだが、そろそろ昼時なので、先に軽く腹を満たすことにする。
 フィプトを除く探索班一同が『応接室』でだらだらと時を過ごしていると、やがて、階下の教室から「本日はここまで」という、センノルレの授業の締めの言葉が聞こえてきた。続いて、子供達の、わっ、という喜びの声が大気を満たす。勉強好きか否かにかかわらず、長い授業から解放された喜びに違いはないだろう。
 かすかに漂ってくる、昼ご飯の匂いが、鼻腔をくすぐる。今日の昼ご飯担当はオルセルタとマルメリだったはずだ。『ウルスラグナ』には、食べれないような料理を作る者はいないが(驚くかもしれないが、ティレンですら、簡単な料理を作れるのである)、男性陣はよくも悪くも大雑把になりがちなのに比べ、女性陣のメニューは多彩であった。不満といえば、焔華が作るとちょっと薄味でもの足りないか、という程度である。
 そうして、食事の用意が終わり、毎度のごとく他のギルドからの依頼で出掛けているゼグタントを除いた皆で、昼食が始まった。
 話題は、当然ながら、行く先に待ちかまえているはずの炎の魔人のことになる。
「また夜に戦うことになっちゃったな」
 とアベイが苦笑気味にぼやくが、夜だからとて、照明の準備があれば、さほどの問題にならない。
 である以上、戦いを翌日に延ばすのもどうかと思われた。今のところ、『ウルスラグナ』のすぐ後方に続くようなギルドはないようだから、手柄を取られる云々という話ではない。何となく、先延ばしすると気持ちがだれるように思ったのである。
 今にして思えば、磁軸の柱を発見してすぐに帰ってくるのではなく、相手の姿を一目でも見てからにした方がよかったのかもしれない。ある程度の情報は大公宮や冒険者ギルドから与えられているが、それ以外の情報もまた、姿を見ることで把握でき、それを昼食中の話題として上に乗せて論議できたかもしれない。しかし、そこまで相手の姿をはっきりと見られる距離は、すなわち相手の攻撃圏内ということもまた多い。戦闘になれば、長い探索で消耗していた探索班が生きて戻ってこられる可能性は低かっただろう。あれもこれも今すぐと欲張れば、全てを失いかねないのである。その時の判断が最善だったと思うしかない。
 ところで、第一階層のキマイラに挑む前には、待ち受ける戦に対する緊張感から、却って日常の話ばかりが飛び交ったものだが、ハイ・ラガードの探索にも慣れ、エトリア樹海で培った勘も徐々に戻りつつある今、わずかなりとも心に余裕ができてきているのだろう。
「とにかく、相手が炎を操るなら、氷属性で攻めるのがいいと思ったんだけど……」
 そう切り出したオルセルタの表情は暗い。どうした、と、エルナクハは妹に目線で問う。
 ダークハンターの少女は、言いにくそうにしていたが、覚悟を決めたように口を開いた。
「シトトのお店で売ってた、オイルとか起動符とか、あるでしょ? 午前中のうちに買っておこうって思ったんだけど……氷の、売り切れてたのよ」
「なに!?」
 エルナクハは思わず身を乗り出した。
 オイルとは、武器に塗布することで属性を纏わせる油、起動符とは、三色の木の実を利用して作成した紙状の道具である。
 オイルはエトリアでもお馴染みだったのだが、材料から精製できる量がかなり少ないらしく、冒険者の間でひっぱりだこであった。起動符はハイ・ラガードで初めて見るものだったが、錬金術の触媒を、三色の木の実をすりつぶしたものに混ぜて紙に漉きこんだものらしい。こちらも、一枚完成させるのに多大な材料と労力がいるらしく、出回る数は極めて少なかった。
「雷のも売り切れ。炎のは残ってるんだけどね……」
「オレらへのイヤガラセだったりなぁ」
 けたけたと笑いながらエルナクハは言い放つが、無論冗談で言っている。
 事実としては、ここ最近、他の冒険者達が、例の『カボチャおばけ』――『三頭飛南瓜』という正式名称が付いた――に対抗するために買っていくためだ。
 『ウルスラグナ』が、飛南瓜に少しだけちょっかいを出したとき、ただの武器の攻撃は通用せず、氷か雷の属性を帯びた一撃でないと、ほとんど傷つけられない、という特長を知った。それを大公宮の記録から知った、何組ものギルドが、かの魔物に挑もうとしているらしい。結果、買い占めたオイルや起動符を抱えたまま樹海の土になる者がほとんどらしいが。
 ちょっとした弱点を知って勝算を感じ取ったのかもしれないが、飛南瓜達のそれは『弱点』ではなく『それしか効かない』と言った方が正しい。まったく机上の情報だけで先走るなよ、と言いたいところだが、現時点でそうなってしまったものは仕方がない。現実問題として、炎の魔人に対抗する際に有利になりそうな道具はない。樹海の宝箱から回収した、氷術の起動符が、一枚手元にあるが、それだけである。
「おれ、追撃チェイス、勉強すればよかったかな」
 しゅんとした表情でティレンがつぶやいた。
 仲間が放つ属性攻撃の余波を自らの武具に纏わせ増幅し、敵を殲滅する、『追撃チェイス』と呼ばれる剣技がある。ただし、あくまでも『剣技』だ。ライバルギルド『エリクシール』のソードマンが得意としていたが、斧使いであるティレンの技ではない。なにしろ、
「斧で追撃チェイスは辛くないのぉ?」
 マルメリが心配げに問いかけるとおり、ティレンの戦い方は、『斧の重みで叩き切る』ものだ。大気に満ちるエネルギーの余波の中を身軽に舞い、武器に巻き取って敵に叩きつけるような戦法が合うようには見えない。
「がんばる」と、真剣な目でティレンは皆を見渡した。
 無茶な、と言いたいところだが、剣使いも斧使いも同じソードマンである以上、努力次第で何とかなりそうな気もする。しかし、現実的に、一朝一夕で習得できるとも思えない。
「いや、オマエはオマエの得意な道を行けや」
 エルナクハはそう言い切ることで、追撃チェイスに頼る道を断った。
 では、やはり、フリーズオイルや氷術の起動符が再び店に並ぶのを待つか?
 ゼグタントがこの場にいればなぁ、と考えた。彼が素材を揃えれば、大量にとはいかずとも、炎の魔人との一戦で必要な程度の数は用意できるだろう。
 フリーランスのレンジャーがいつ戻るかは判らない。もちろん今日中には戻るだろうが、それを待ってから決戦に望むべきだろうか。
 ――否。
 エルナクハは心の中で頭を振った。何かが足りない、というのは、今までもあり、これからもあるだろうことだ。『今』ならば待つこともできるが、いつも『待つ』選択肢があるとは限らない。なれば今は打って出るべきだろう。もちろん、この選択は、『足りない』のが氷属性の攻撃手段――戦いを有利にする手段にすぎないからこそだ。決戦に挑む仲間達の実力(もちろん自分も含めて)が足りないと思えば、容赦なく延期しただろう。実力自体がなければ、氷属性のなにがしかを用意したところで、敗北の可能性も高いのだから。
 そういったことを簡単に説明し、ギルドマスターは声を張り上げ、宣する。
「今晩行こうぜ。角、黒髪、オカッパの魔人さんのツラぁ拝みによ」
 応、と、討伐班も、留守番になる者達も、気炎を上げた。

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