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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・28

「ところでセンセイ、さっきのはなんだ?」
 方針が固まったところで、エルナクハは気になったことを義弟に問いかける。
 もちろん、フィプトがアルケミスト・ギルドから受け取ったという包みのことである。といっても、単なる好奇心以上の何物でもない。アルケミストだけの秘事だというなら、話を打ち切るつもりだった。
 が、フィプトは拒否する気配もなく、何かを卓上に出す。もともと話すつもりでいたらしい。
「ちょうどいいところでした。仲間であるみなさんにも話しておかなくてはならないことでして」
「そうなのか?」
 エルナクハは目線を妻に向けた。センノルレがこくりと頷くその表情をしかと見て、話の内容が、仲間に語ってもいいこと、しかし案外と真剣な内容であることを感じる。
 卓上に置かれたものは、問題の小包だった。迂闊に開けたら燃えるという包み紙が取り去られていたため、すぐにはそれと判らなかったのである。
 金髪のアルケミストは包みを開けて、中から何かを取り出した。
 封をされたガラス管の中に、石のようなものが収まっている。見た限りでは何の変哲もなさそうな石だったが、フィプトはそれを一同にかざして見せつつ、口を開いた。
「……一月前、キマイラの住処に向かう時にした話、覚えてますか?」
 フィプト自身とセンノルレを除き、覚えがない、という顔を一同はした。樹海の中では様々な無駄話をするものだから。そして、キマイラの住処に向かった時の話であるなら、その時にいた五人――フィプトを除けば四人にしか判りようがない。エルナクハはそのひとりだったはずだが、どうにも思い出せなかった。
「アルケミスト・ギルドの毒使い達が、凄まじい力を秘めた『毒石』を発見した、って話ですよ」
 今度こそ、その時に話を聞いた四人は思い出した。詳細を思い出そうとするより早く、アベイが勢いよく身を乗り出し、その話をしたときのような険しい表情で声を震わせる。
「その石、まさか……」
「安心してください。違います」
 フィプトは頭を振った。その時になってやっと、他の三人――エルナクハ、オルセルタ、ティレン――も話の内容を思い出した。アルケミスト・ギルドに発見された『毒石』は、前時代の技術が再現されれば、一瞬で数十万の人間と無数の生命を滅ぼす魔王に化けるものだという。そのような技術のない現代でさえ、石は近づいた者を無惨な死に至らしめたらしい。未知を探るためなら生命すら上に載せるアルケミストすら、この事実には鼻白み、毒石は封印されたはずだったのだが。
「この石は毒石じゃなくて、別の鉱石です」
 だとすれば、毒石の話を掘り返したのは、何故なのか。
 訳がわからない、といった表情の、残りの面子にも、毒石の件を簡単に説明し、彼らが鼻白んだところで、話を続けた。
「ここにある鉱石は、毒石の件が片付いた後に発見されたものだという話です」
 以下は、フィプトが、鉱石と共に送られてきた手紙の内容を、かいつまんで説明したものである。
 件の毒石に関しては、関わった者の多くが死に、関係者を運び出し治療しただけのメディック達でさえも、毒に侵され今なお苦しんでいるというが、その間に行われたわずかな研究の末に結論づけられたことは、『リスクが大きすぎる』ということであった。
 毒石の採掘場はギルド監視下で永遠に封じられ、大幅に数を減じた毒の研究家、黒化ニグレド達は、以前よりウェストアカデメイア――大陸西方の医療研究機関――に譲渡するつもりでいた毒研究の資料を、予定より早く引き渡し、解散して他の属性研究室に組み込まれた――その予定だった。
 別の場所から、謎の鉱石が発見されなければ。
 まさかまた毒石か、と騒然となったが、発見当初から周辺に鳥の声ひとつしなかった、毒石の採掘場とは違い(思えばその異様さに対する不安感を無視しなければ、被害者は出なかっただろうが)、今回は獣達も平然と草を食んでいる場所での発見であった。少なくとも、すぐにどうにかなる類の害はなさそうだった。そして、事実、新たに見つかった鉱石には毒性はなかったのであった。
 今現在手すきである毒使いニグレド達が携わった研究から、その鉱石が、毒石に期待されていたものと同程度の力を秘めている可能性が呈示され、証明された。ある特定の性質を持った触媒と反応させると、莫大なエネルギーを放出するらしい。
「現段階では『破壊』にしか使えないものですが」とフィプトは鉱石の入ったガラス管をかざしながら話を締めた。「『敵』と戦うにはおあつらえ向きだろうから、近隣のアルケミスト達にも協力を仰いで、少し実戦で使ってみてもらえないか、と、いう話です」
「せんせいが冒険で使え、っていうんじゃないの?」
「ああ、小生はついこの間冒険者になったばかりですからね」
 ティレンの問いに、フィプトは、そういえば、と言わんばかりに苦笑いをした。
「まだ、向こうには、小生が冒険者をしているなどとは伝わっていないはずです」
「それで、ソイツを、炎の魔人との戦いで使いたいってのか?」
 エルナクハは慎重に言葉を選んで発した。アルケミストが実験を兼ねて戦いを行うことを全否定するつもりはない。しかし、鉱石に対して、不信感がある――心情を正直にさらけ出せば、『怖い』のだ。毒はないかもしれないが、力そのものは、下手をすれば破壊の魔王に化けそうな毒石と、同等程度にあるという話ではないか。フィプトとて、個人としてはそれを危惧しているから、始めに毒石の話を蒸し返したりしたのだろう。
 他の皆も同じように思っていたのか、心なしか顔色が悪い。
 だが、フィプトは皆の予想に反して、首を横に振ったのである。
「いえ、小生は、まだ、この力を使いたくないと思っています」
「なに……?」
 不審げな声音とは裏腹に、心の奥底で安堵した。周囲からも、かすかに溜息を吐く音が聞こえる。
「どうしてだ?」
「皆だって、うすうすは感じているでしょう?」
 薄ら寒げに笑い、フィプトは話を続けた。
「毒の心配はないにしても、威力は絶大、手紙にも、反応量には気を付けるようにと、しつこいくらいに書かれてました。……うっかりした研究員が、ギルドの西塔を全壊させる程の爆発を起こした、とか」
 もはや笑うしかない。引きつった表情の仲間達を見回して、しかし、フィプトは首を振った。
「ただ、逆に言えば、きちんと制御できればいいということです。いつも使っている氷や雷、もちろん炎だって、制御できなければ大破壊を起こすのは同じですから」
 フイプトはガラス管を卓上に立て、上端を人差し指で支えてもてあそぶ。専門家がそんな扱いをしているのだから、現段階では不活性なのだろうが、頭では判っていても心は気が気でならない。冒険者達ははらはらしながらガラス管の動きを追った。
「だから、炎の魔人を倒したら――北に馬で半日ほど行ったところに、この街のアルケミスト達が共同管理する実験場があるんですけど、しばらくはそこで研究しようかと思ってます――あ」
 最後の短い叫びは、ガラス管をうっかり倒してしまったからである。誰かが、ひ、と短く叫んだような気がしたが、ガラス管は卓上に転がっただけで、割れてもいない。もちろん爆発を起こす気配もなかった。
 フィプトはガラス管を回収して握り込むと、皆を安心させるように笑んだ。
「まさかここで実験して、万が一にも皆さんや子供達を巻き込むわけにはいきませんしね」
「そ、そっか」
 エルナクハは気を取り直した。というより、誰よりも早く気を取り直さざるを得なかった。恐ろしい力だが、怯えてばかりでは恐怖に飲み込まれるだけだ。少なくとも自分は毅然としていないと仲間達に合わせる顔がない。エトリアで竜に相対峙した頃のような勇気を奮い起こし、聖騎士の青年は鷹揚に笑みを浮かべた。
「まあ、強力な戦力が増えるのはありがてぇとこだな。オレらが巻き込まれなきゃ、だけど」
「もちろん、そんなことにならないよう、最善を尽くしますよ」
「ノルは、手伝うのか?」
 そんなことを聞いてしまったのは、やはり妻たる女性のことが心配だったからかもしれない。
「いいえ、わたくしには生徒への講義がありますから」
「ああ、そうだったな」
 その答に安堵を抱いていない、とは言いきれなかった。

 例の『けろいん』と記された桶をはじめとする『お風呂セット』を手に、魔人討伐班となる一同は、フロースの宿に向かう。
 出迎えた女将が、おや、と声を上げた。
「アンタたち、大丈夫なのかい?」
「何が?」
「何って、探索の話に決まってるじゃないかい。今、十階にいるんだろ?」
 自分達がどの階を探索している、程度は、よく世間話に織り込んでいるから、女将が知っているのは不思議ではない。しかし『大丈夫なのか』とは何事だろうか。樹海の危険は言うまでもないことだし。
 怪訝そうな表情を返す冒険者達に、女将は真剣そうに言葉を重ねた。
「他の子たちから聞いたんだけどさ、奥に、山のように大きい魔物が待ちかまえてるっていうじゃないか」
 炎の魔人のことに間違いないだろう。『ウルスラグナ』一同は真摯に頷く。何かしらの忠告なら神妙に受け入れようと思ったのだ。
 しかし、それも女将が次の言葉を発するまでのことだった。
「その子ったらあたしのこと見て、『よく似てるって』言うんだよ。全く失礼な話だよねえ!」
 なんだか全てが吹き飛んだ。あらかじめ聞いていた魔人の特長のうち、『オカッパ』『黒髪』はきれいに吹き飛んで、女将に角を付けただけのものが巨大化したような姿が、脳裏に焼き付きそうになる。いくらなんでもそりゃ失礼だ、と、冒険者達は幻影を振り払おうとするのだが、
「アンタたち、ちょっと確かめてきておくれよ、どんないい女かさ。ウフフフフフ!」
 女将のその言葉が駄目押しになった。
 この場で大声で叫びたいところだったが、それではただの迷惑な人だ。それぞれの心の中だけで思う存分叫んで気合いを入れることで、どうにか幻影が心に焼き付くことは避けられた。それでも、街角からちらちらと恥ずかしげに覗く内気な少女のように、問題の幻影が時折浮かんでくるようになってしまったことは、阻止できなかった。
 早いところ炎の魔人の実物を見なければ、この幻影を完全に振り落とすことはできないだろう。
「まぁとにかく、風呂貸してくれや、女将」
「ああそうだね、あいよ!」
 奥に通されたところで、ひとり女湯に行くパラスと別れ、残り四人は男湯の広い湯船に身を沈める。じんわりとした湯熱が疲れた身体に染み渡っていった。ところで街の水源は、街の土台のあちこちから湧いている泉からのものらしい。そしてこの風呂の水源はというと、その中でも最下部に位置する広い泉からのものだそうだ。つまりは世界樹の根に近いところから湧いている水なのだが、特別な力があるのかもしれない。
 ティレンとフィプトが湯船から上がって身体を洗っている間に、エルナクハは、自分と共に湯船に残っていたアベイに近づき、小声で問うた。
「……どう思う?」
「どうって、何が?」
「センセイの言ってた、鉱石の力の話だよ」
「あ、ああ」
 アベイは顔を曇らせた。前時代で引き起こされたという、問題の『毒石』による甚大な被害を思い起こしてだろうか。
「そんなに酷かったのか、その毒石の力は?」
 問うべきではなかったかもしれない。否、問うべきだったかもしれないが、その役目は、本来はアルケミスト・ギルドのお歴々が成すべきものだったのかもしれない。しかしこの場にはエルナクハしかいないので、黒肌の聖騎士は、己の好奇心に負けてしまった。
 俺にその答を言わせるのか。アベイがそんな表情をした気がした。だが、メディックは、結局は答を口にしたのであった。
「……あのさ、太陽が地上に落ちてきたら、って考えたこと、あるか」
「まぁ、あるっちゃあるけどな……そんなことになったら地上のモノ全部燃えてなくなっちまいそうだ」
 余談だが、黒肌の民バルシリットの言葉には、燃えつきないで落ちてきて甚大な被害を及ぼす流星を表す言葉として、『戦女神エルナクハの怒りの赤羽』というものがある。直に見たことのない被害だが、伝説を紐解く限り、小国なら簡単に壊滅しそうだった。流れ星ですらそれだ、太陽が落ちてきたと仮定したときの被害は想像にあまりある。
「毒石の力が引き起こしたのは、規模は都市ひとつくらいだけど、それだよ。人間なんか一瞬で燃えつきたらしい」
「げ……」
 さすがのエルナクハも絶句するしかなかった。数十万の人間を一瞬で殺戮したというのも誇張には思えない。
「毒石の場合、大変だったのはその後だったらしいけど。爆発と一緒に毒をまき散らしてさ、俺の爺さんが子供くらいのころに、毒の被害にあった人が、俺が子供の頃にまだ苦しんでたくらいだ」
「……今更だがよ、前時代って夢の時代じゃねぇんだな」
「どうだろうなー。何を『夢』とするか次第だし、そもそも俺、前時代には五年しか生きてなかったんだぜ?」
「あ、そうだったな」
 少なくとも『夢』だけの時代だったら、あのヴィズルが今まで孤軍奮闘することもなかったに違いない。
「とにかく、フィー兄がちゃんと制御するのを祈るしかないな」
「やめろ、じゃないんだ?」
「アルケミストが『やめろ』って言われて簡単にやめると思うか? 毒石は半端じゃないから別格としてさ」
 違いない、と、パラディンとメディックは肩をすくめ合った。
「とにかく、毒がなきゃ、規模のデカい破壊の力ってだけだ。……『だけ』ってのも、変な言い方だけどさ。実際、都市ひとつの破壊が西塔ひとつで済むくらいまでには制御できてたわけだし」
「探索で使えるところまで落とし込めなかったら、使うわけにいかねぇな」
「そりゃそうさ、迷宮ごと破壊しかねない」
 ふたりは声を上げて笑った。発作のような、空虚な笑いと言うべきものだったが。
「なに、話してる?」
 その時、体を洗い終わったティレンが湯船に入ってきて、小首を傾げながらそう問うてきた。
「魔人を倒した後からも大変だよな、って話だぜ」
 そう答えたが、嘘ではない。
 ティレンは、そっか、とつぶやいて、言葉をつづけた。話題ががらりと変わることになり、暗鬱なものを抱えていた身としてはありがたいことこの上ない。
「炎の魔人っての、倒したら、上に上がれるんだよね。たぶん、第三階層? 今度はどんな風景かな」
「どうだろうなあ」
 エトリア樹海では、普通の森、熱帯雨林、と続いた先は、地下水脈であった。ハイ・ラガード樹海とは、第一階層の『普通の森』としか共通点はない。そこから推測するのは難しそうだった。が、
「第一階層が夏みたいに暑くて、第二階層が秋の紅葉だろ? てことは、さ……」
「冬じゃねぇか、ってことかよ?」
 アベイの推測を不正解と切り捨てるつもりにはなれない。
「寒くてからからでよ、そこら中枯レ森みたいに枯れてんのかな」
 だとすると、見た目つまらない探索行になりそうだ。
 もちろん、これらは推測に過ぎない。冒険者達の想像を超える光景が広がっているのかもしれないのだ。いや、むしろそうであってほしい。どうせ未知を探索するなら、わくわくする方がいいに決まっている。

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