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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・25

 その後、炎の魔人と戦うまでの『ウルスラグナ』の行動は、後に語られる『ラガードの英雄譚』では、さほど重要視されはしない。
 しかし、その種々様々な事柄をくぐり抜けてきた当人達にとっては、命懸けであったり、心安らいだり、樹海の不思議を思い知ったり、と、いずれも大事な体験であった。

 例えば、鍛錬を兼ねて第二階層を探索していたときのことだ。
 炎の魔人に挑む面子は、次のように予定していた。
 パーティの守りを固めるためにエルナクハ。
 攻撃力を増すためにティレン。
 怪我の治療のためにアベイ。
 相手が『炎』なら逆属性の『氷』が有効ではないか、ということでフィプト。
 そして、腕力が強いと聞いたことから、呪詛で相手の腕を封じる役を期待された、パラスである。
 その五人が十階の方々を探索していたとき、とある行き止まりに突き当たった。
「……エル兄、なんか聞こえる」
 不意にティレンが立ち止まって耳をそばだてる。しかし、他の者達には何が何やら、微風が紅葉をかき回していくさざめきしか聞こえない。ナジクならあるいは、ティレンと同じものを聞くことができたかもしれないのだが。
「何が聞こえるの? 教えてティレンくん」
「ぴぃぴい言ってる」
 パラスの問いにティレンは素直に答えた。
 言われてみれば、さざめきの中にかすかに、ぴぃぴぃという音、というか声が聞こえる気がしなくもない。
「どこからだ?」
「こっち」
 ティレンの導きに従って、冒険者達は声の元を探し当てた。
 立ち並ぶ木々の一本、ちょうどエルナクハの目線と同じくらいの高さに、大きな虚穴が開いている。さすがにそこまで近付けば、全員がはっきりと、さざめきとは違う、かさかさという音と、声とを、感じることができた。
「鳥の巣、か?」
 中を覗くと、薄暗い中に、毛の生えそろっていない鳥の雛が一匹、うずくまって鳴いている。
「はっは、変な姿。コレがデカくなって鳥になるなんて信じらんねぇよな」
「ま、人間も生まれたては変な姿だけどな」
 ところで巣の中には雛以外にもひとつの『もの』が転がっていた。何かの種のような物体である。どこかで見た気がする、と小首を傾げた『ウルスラグナ』は、程なくそれが、『三色の木の実』と呼ばれる木の実の中心にある種だと気が付いた。
「コイツ、アレ食うのかな」
「あげてみる?」
 とパラスが懐に手をやり、ごそごそと探った挙げ句に何かを引き出してきた。驚くことに、三色の木の実であった。
「おい、よくそんなの持ってたな」
「ほらさっき、採取地ですこし採取したじゃない。そこで見付けたの」
「さっきは、取れたなんて一言も言ってなかったでしたよね?」
「てへ。干してアイツに送ってあげようかなーって」
「横領かい」
 とは言うが、深刻に責めるほどのことでもない。エルナクハは木の実を受け取ると、虚穴の中に、ごろん、と転がし入れてやった。
 ぴいぴい鳴いていた声が、ぴたりと止まる。文字通り降って湧いたものに雛は戸惑っているようだったが、やがて、ぴぃと鳴くと、木の実をがつがつとつつき始めた。思わぬご馳走を必死に腹に収めようとしているその姿は、どことなく、和むものを感じさせた。
「そういやこいつ、でかくなったら魔物になるのかな」
「どうかなぁ」
 アベイの疑問にエルナクハは首を傾げた。第二階層で自分たちを苦しめる鳥形の魔物は、ジァイアントモアか、サクランフクロウという、翼から人間を混乱させる粉を振りまく強敵ぐらいだ。鳥に似ているという意味ではもう一種いるのだが、あれは四つ足なので目の前の雛とは種が違うだろう。
 ジャイアントモアだとしたら、地面に巣を作る気がする。
 とすると、サクランフクロウの雛かもしれないし、他の無害な鳥類の雛かもしれない。
「魔物の雛だとしたら、将来、この雛も人間に牙を剥くのでしょうかね」
「かもね」
 複雑そうな表情でつぶやくフィプトにパラスが同調する。
「となると、ここでエサなんかくれてやんなきゃよかったか? むしろ殺しちまうとか?」
 からかうような口調でエルナクハは提起した。
 日常の場でもよくある問題だった。たとえば、大きくなったら里を襲うと思われる害獣の子が怪我をしているところに出くわしたら、どうするべきか。将来を考えれば、その場で殺してしまうべきなのだろう。畑を食い荒らす虫の成虫が卵を産まないうちに退治するのと、本質的に何が違う?
 だが同時に、何か違うだろそれは、という思いも浮かぶ。
 牙を剥かれるのが嫌なら、こちらが連中の縄張りに踏み込まなければいい。その原則をわざわざ崩している自分たちが、まだ何もしていない雛の生殺与奪について言い合うのは愚の骨頂だ。畑を食い荒らす虫の成虫を退治するときとて、わざわざ自分達の畑から離れたところ――自然の領分にまで出張ることはない。
 そもそもこいつが魔物の雛と決まったわけでもない。魔物の雛だとしても、必ずしも、大きくなった後に襲ってくるとは限らない。
 などと理論立てて考えるまでもなく、感情が「嫌だ」と声を上げる。それは、むしろ自分たちが魔物と生死をかけた戦いを繰り広げる立場だからこそなのかもしれない。まだ何もしていない相手の生命を奪うのは、余程の理由がない限り、ごめん被る、と。
「そういう理由で殺すの、なんか、やだ」
 言ってしまえば、ティレンのその一言に集約されるだろう。
「……ね、ね、見てみて。かわいいよ」
 なんだかどんよりと曇ってしまった一同の心を、パラスの声が揺さぶった。彼女が指差す方――虚の中を見ると、三色の木の実を腹に納めた雛は、目を閉じ、とろとろと眠りの園に落ち込もうとしているではないか。百考は一見に如かずとでもいうのか、その様を目にした冒険者達の心には、ふんわりと暖かい何かが宿った。
「いいんじゃねえのか、魔物だろうとなんだろうとよ。まぁそりゃ、ここでコイツを殺さなきゃ一万匹の人食いリャマがハイ・ラガードを襲う! ――とか決まってんなら別だがよ」
「……なんでリャマかはわかんないけど、ま、そうですね」
 一通りの結論が出たところで、冒険者達はけたたましい鳴き声を耳にした。天を仰ぐと、二羽の鳥が、冒険者達を警戒するように輪を描いて飛んでいるではないか。樹海でよく見かけるが、人間を襲ってくることはない鳥だった。どうやら、雛は魔物の子ではなかったようだ。
「ご両親が帰ってきたみたいねー」
「む、オレらは退散するべきだな」
 ギルドマスターの言葉に、全員が同意を示し、足早に巣を離れる。
 即座に舞い下り、我が子の無事を確認する、鳥の姿を目に焼き付けて、冒険者達は再び探索に戻ったのである。

 奇しくも当日の夜、夜組の探索班も、似たような状況に出くわした。
 しかし、彼らの方は、もう少しは深刻だったかもしれない。
 彼らの場合は九階を探索していたときのこと。地図を埋めるために未踏の区域に踏み込んだのである。小道の奥を訪れ、そこが行き止まりであることを確認し、メモを取ったその時であった。
「……何だ?」
 不意にナジクが耳をそばだてた。しかし、他の者達には何が何やら、微風が紅葉をかき回していくさざめきしか聞こえない。ティレンならあるいは、ナジクと同じものを聞くことができたかもしれないのだが。
「どうした、ジーク」
 と問うたアベイは、朝方の探索でも同じようなことがあったなぁ、と思い当たった。
 ナジクはしばし頭を廻らせて、何かを探していたようだが、やがて、一本の木の根元を注視した。そこには、苦しげにもがく雛がいるではないか。むくむくとした羽毛に覆われた雛は、必死に喉を上下させている。なにか変なものを飲み込んでしまい、それを吐き出そうとしているのだろうか。このままでは窒息して死んでしまうこと必至である。
 ところで雛とはいうが、羽毛がいかにもそのような形をしているところからの判断であり、大きさ自体はかなりのものである。人間の人差し指なら余裕でその口に入りそうだ。そのまま喉の異物を掻き出す助けぐらいはできるだろう。生命の窮状に、アベイは反射的に駆け寄ろうとした――が、目の前に突き出されて進路を塞ぐ腕の前に立ち止まった。
「何するんだ、ジーク?」
「……お前は魔物を助ける気なのか?」
 行く手を塞いだ相手――ナジクの言葉に、アベイは声を詰まらせる。
 ナジクの言うとおり、目の前にいるのは魔物の雛だった。成鳥とは程遠い愛らしさを感じさせる、繊細な羽毛は、既に親鳥を彷彿とさせる色合いを帯びていたのだ。そして、まだ未発達ではあるが、空を飛ぶ鳥とは思えない、頑健さを感じさせる足……それは、ジャイアントモアの雛に間違いなかった。
 親鳥の獰猛さを考えれば、雛とてどのような性質を持っているか、わかったものではない。最悪、助けようとして口に指を突っ込んだ途端に食いちぎられるかもしれない。そうでなくても、魔物の雛を助ける義理があるのだろうか。
 理論的に考えればそうなのかもしれない。しかしアベイの脳裏には、昼間経験したことが深く焼き付いていたのだ。
 魔物の雛なら、ここで殺す――見捨ててしまうべきか?
 そのときもいろいろ考えた。答のない問題なのかもしれない。しかし、人間に当てはめて考えるなら、極端な話、大きくなったら連続殺人犯になるであろう子供が大怪我しているところに出くわしたら、助けるか否か、ということになるのか。この例題の場合は、是、だ。将来がどうであろうと、今その場で傷ついている者を見捨てられないのがメディックだ。
 けれど、今の相手は人間ではない。こういう件で、人間か否かで考えを変えるのはどうかと思わなくもないが、言葉を尽くして将来の憂いを払底する、という手段が一切取れないのだ。ゆえに、ここで将来の禍を取り除く選択も、正しいのだろう。だが、
「そういう理由で殺すの、なんか、やだ」
 朝方の探索で、ティレンがつぶやいた、そんな言葉を思い出す。
 冒険者に、実現するかも判らない将来の不安に乗じて、無体を働く資格があるのだろうか?
「どけよ、ジーク」
 アベイは自分の行く手の邪魔をするナジクの腕に手をかけ、退かそうとした。
 その手から力が抜けたのは、男性ふたりが膠着している間に、そそくさと雛の下に駆け寄り、飲み込んだ異物を吐き出す手伝いを始めている、女性三人の姿を目の当たりにしたからである。
 アベイは無論だが、ナジクも、すぐには状況を飲み込めず、きょとんとしていた。
 娘達に代わる代わる指を突っ込まれた雛は、数度喉をしゃくり上げた。そして、ぐえ、という、なんともいえない鳴き声と共に、勢いよく何かを吐き出したではないか。詰まっていた何かは硬いものだったらしく、オルセルタのブーツの先端にぶつかって、こつん、と音を立てた。
 雛はというと、しばらくは、ぜいぜいと呼吸を整えていたが、自分の身から生命の危険が去ったことは理解したのだろう――そして驚くことに、危機を脱するのを助けてくれた者に感謝するという心も持ち合わせているようだった。つぶらな瞳を冒険者達に向け、礼を言うかのように、高い声でクェ、と鳴いたのだ。やがて、拙い足取りで歩きだすと、森の奥へと消えていった。
 目の前で勝手に展開した成り行きに呆然とする男性陣に、女性陣を代表するかのようにオルセルタが言葉を浴びせた。
「何、言い争ってるのよ。目の前で苦しんでるなら、魔物だろうと助ける。それでいいんじゃないの?」
「だが、あの魔物、大きくなったら人間を――」
「なるかどうかも判らない未来を勝手に決めつけないで!」
「ぐ……」
 ナジクは言葉を詰まらせた。確かに未来は判らない。今助けた魔物の雛は、長じても人間を襲わないかもしれない。なにしろ『魔物』と呼ばれる種類の生物は人間に命懸けの戦いを強いてくるが、その種類の全ての個体が人間を襲うと証明されているわけではないのだ。
「はい、今回もぬしさんの負けですし、ナジクどの」
 ぽむ、とナジクの肩に手を置いて、焔華がにっこりと笑んだ。
「身勝手な『未来予測』で他者の生命を握りつぶす愚は、ぬしさんが一番知っているはずでしょうえ?」
 ナジクは唇を噛みしめた。焔華の言うとおりであった。彼の一族は、戦の当事者である二つの国の、「あの少数民族は敵国に通じるに違いない」という思いこみによって、苦難に晒されたのだ。
 レンジャーの青年は首を軽く振って、現状の多数意見を受け容れることにした。口にしたのは別の疑問である。
「……『今回も』というのは、なんだ?」
「そりゃあ、ハディードの件ですし」
 うぐ、とナジクは声を詰まらせた。今は私塾の居候である獣の子に出会ったとき、ナジクは今回同様、殺すことを選択したのだった。その選択の理由は今回の件とは違うし、賛同者もいた、という意味では、単純に比べられるものではないが、『殺したくない』という思いに負けたのは同じだ。
「そういやあいつ、何飲み込んでたんだ?」
「硬いもの、だったわね」
 アベイの疑問を受けて、オルセルタが自分の足下に転がっている何かを拾い上げた。もしも毒物だったら、吐き出したはいいが、その影響が雛の中にも残っていやしないか、と思ったのだが、オルセルタが差し出してきたものを見て、その心配は払底された。
 代わりに、驚愕が一同を支配した。
「これって……」
 オルセルタの掌に載る程度の、スリングの弾にするのにちょうどよさそうな大きさの石は、白っぽい石を土台にして、やや角張った印象の別の石が乗っているようなものであった。角張った印象の石は、周囲の光景を吸い取ったような紅の色をまとっていたのである。

 ある程度の探索を終えた後、街に戻る。
 さほど深刻な疲れはないので、酒場で一杯分の休憩をしてから宿に憩いに行こう、ということになった。
「……お前ら、バカか?」
 退屈しのぎにと、夜の探索班一同の話を聞いていた酒場の店主は、やってられないと言いたげに吐き捨てた。表情を加味すれば、本気で馬鹿にしているのではなく、からかいの要素が大半を占めているのが判る。
「魔物っていやぁ、お前らの探索を邪魔する奴らなんだろ? その雛がそのまま死んで、一匹でも邪魔が減れば万々歳だろ。助けたところで見返りがあるわけでもねぇし、デカくなったら恩を忘れて襲ってくるかもしれないんだぜ」
「確かに、そうかもしれないんだけれどね」
 オルセルタは琥珀色の麦酒が入ったガラスの杯を手に、やんわりと返した。樹海の中でナジクに対しては怒鳴りつけた彼女だったが、店主を前にそうする気にはなれなかった。冒険者ならぬ者の認識として、もっともなのだし、喧嘩を売るような真似はしたくない。
 ただひとつ、反駁するべき点はある。
「まぁ、見返りは、あったわよ。びっくりしたけどね」
 ほら、とオルセルタは鉱石を卓の上に転がした。
「その雛が詰まらせてたのが、これなのよ。紅玉の原石みたいだけど、どのくらいの値が付くかは、シトトに持ってってからのお楽しみ、ってところよね」
 紅玉とは一般的にルビーのことを指すが、実は必ずしもルビーであるとは限らない。スピネルやガーネットである可能性もあるのだ。どれもよく似た石なので、冒険者達が見分けるのは不可能に近い。採集レンジャーであるゼグタントは、『モース硬度』なる見分け方で、ルビーとそれ以外をより分けることができるのだが、生憎、現在は別のギルドに雇われて樹海の中である。同じくレンジャーであるナジクは、あまり採集作業に明るくないので、宝石の見分けもあまり得意ではなかった。
 だが、酒場の親父は、原石を目にして、唖然としているではないか。
「……どうしたの?」
「ち、ちょっと見せてみろ」
 親父は『ウルスラグナ』の返事を待たずして紅玉を掴み上げ、いつも携行しているのか、ズボンのポケットから拡大鏡を引き出してくる。それを使って原石を矯めつ眇めつ観察していたが、やがて、感嘆の溜息が漏れた。
「っほぉ……こりゃスゲェ! どの紅玉かはわかんねぇが、目立つ傷もない立派な原石じゃねぇか! 魔物の雛サマサマだな!」
 満面の笑みを浮かべ、原石を突き出しながら続ける。
「おい、コイツを俺に任す気はねぇか? 千エン……いや、千五百エン出そう」
「ええっ?」
 冒険者達は唖然として親父に注目した。値段自体に不満はない。樹海の紅玉の価値(交易所買取価格)は平均して七十五エン。大きさを加味するにしても、千五百エンは破格である。逆に言えば、大きいとはいえ紅玉にその値段というのが不審なのだ。
「前に話しただろ。公女の誕生祝いに宝石を差し上げたい、って話をさ」
「ええ、ありましたわいね」と焔華が口を挟んだ。
「しやけど、公女様に相応しい宝石なんぞ、こんな正体もわからないもんに頼らなくても、いくらでもあるんじゃないのですかえ?」
 なるほど焔華の看破したとおり、公女様に贈る宝石にする魂胆なのだろうが、彼女の言うとおり、出所の確かな宝石はいくらでもあるだろう。しかし親父は首を振る。
「そうもいかないもんでよ。どうせなら景気よく、すげぇ宝石を差し上げたいもんだ、って話なんだが、そうそうあるもんじゃねぇ。樹海なら、ってことで、冒険者に頼って、樹海の中の鉱脈からいいモノを探してもらおうと思ったんだが、芳しくなくてなぁ。もう、普通の――っていうか、もちろん質は最上のモノだがな、それで行くしかないか、って諦めてたとこなんだよ」
 ところが、と繋ぎながら、原石を軽く振る。
「ここにどでかい原石がある。俺の見立てじゃ、磨けば光るだろ。ルビーなら御の字なんだが、この大きさで傷がなきゃ、スピネルやガーネットでもすげぇもんだ。職人連中もよろこぶだろうぜ!」
 そういうことなら、と冒険者達は原石の譲渡に同意した。もとより千五百エンで買い取ってもらえるなら、ありがたくないはずがない。しかも、それが公女の身を飾るのかもしれないと考えると、なんだか楽しくなってくるではないか。

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