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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・24

 その足で向かうのは、冒険者ギルドである。ひとつ、冒険者の暗黙の義務として、成さねばならぬことがある。
 キマイラの復活を確認しに行った際に見付けた、冒険者達の遺品の件だ。
 大公宮に赴く前に、鋼の棘魚亭に寄り、問題の冒険者達がどの宿を根城にしていたかを聞き出し、彼らがその宿に『遺書』を託していたかを確認しに行ったのだった。
 その宿、『ウルスラグナ』もよく世話になっているフロースの宿だったのだが。
「……そうかい、あの子達、逝っちまったかい……」
 ラガードの民は特定の冒険者に肩入れしないように言い含められているという。かといって、常連となった者に情が湧かないはずがない。フロースの宿の女将は、光るまなじりをそっと拭い、『ウルスラグナ』の頼み通り、彼らの遺書を出してきてくれたのだった。
 彼ら五人のうち、四人は、帰るところもないから遺品は適当に処分してくれ、と記してあった。残るひとり、かのギルドの紅一点であった赤毛のレンジャーだけは、自分の出身地と、願わくばその地に私のことを伝えてほしい、としたためていた。
「イースラント……って、随分北方だよな?」
 冒険者ギルドに向かう道すがら、エルナクハは、赤毛のレンジャーの遺書に出てきた地名に思いを馳せる。
 この時代、世界を巡る旅は年単位になる。前時代には『鳥よりも速く、鳥よりも高く、ものによっては御山よりも高く飛ぶ船』で、世界のほとんどの場所に一日掛からず赴くことができたらしいが、そんなものはもはや夢物語である。エトリアに集った冒険者達にも、数年をかけてやってきたという者達もいた。ハイ・ラガードの方は、なにしろ公開されたのが数ヶ月前なので、そこまで遠くから噂を聞いてやってきたという者はさすがにいないが、出身地自体が遠方だという者は数多い。
 イースラントとは、『共和国』の遥か北方にあるという地だったはずだ。
「そうですね」と『共和国』で学んだことのあるフィプトが感慨深げに応える。
「小生が九つの頃に錬金術師となることを志して、『共和国』に赴いたときは、馬車を乗り継いで一年近くかかりましたっけ。そこで知り合ったイースラント出身の学友が、徒歩で半年かけて来た、って言ってましたから、かなり遠いですね」
 ふと、思い出したように付け加える。
「その学友が、『世界樹』の伝説なら、自分の故郷が本場だ、とか言ってましたっけ。世界樹自体がイースラントにあると聞いた記憶はないんですが」
「俺も思い出した」
 と声を上げたのはアベイである。またなんぞか前時代の情報が得られるのかと、仲間達は彼に注目した。
「ああいや、すごいことじゃないんだけどさ。そこ、ヴィズルの故郷だよ」
「なんだと!?」
 現状とはなんの関わりもないものではあるが、驚く情報であることは確かだった。
「まぁ、昔の『イースラント』と今のが、同じ場所かどうかも判らないけどさ」
 そのような話を繰り広げるうちに、冒険者ギルドへ辿り着く。
 そろそろ日付が切り替わる時刻である。ギルド長はさすがに退出してしまっているかもしれない。そう思いつつ戸を叩いた冒険者達を出迎えたのは、相変わらず鎧を着込んだギルド長その人であった。
「……よく働くなぁ。どこぞの英雄みたいに三時間しか寝てないとか?」
 呆れ半分のエルナクハの軽口に応じるかのように、ギルド長は、からかうような口調で問いかけてきた。
「なに、お前たちのように、私が恋しくなって夜中に押しかけてくる輩を待ち受けていたのだよ。――フフ、冗談だ」
「はっは、その冗談に冗談で返せりゃよかったんだがよ。……真面目な話、ギルド壊滅の報告だ」
「む……そうか」
 ギルド長は心持ち沈んだ声と共に頷くと、『ウルスラグナ』一同を奥へと通した。
 冒険者ギルド統轄本部には、各ギルドが入国時に提出した書類が保管されている。メンバーの増減があれば申請し直す必要があるが、全滅してしまった場合、本人達が申請しに来るわけにもいかない。こういった場合は、樹海内でギルドが全滅したことを発見した者達が、代わりに知らせることになっていた。ついでに述べるなら、『ベオウルフ』の全滅も、『ウルスラグナ』が報告したのである。
 逆に言うならば、全滅しても遺体や遺品が見つからなかった場合は、死んだという事実そのものが確認されず、記録がいつまでも亡霊のように残り続けることになる。半年に一度、書類を整理する計画があるのだそうだが、今はまだその時期ではないらしい。
「そうか、キマイラが復活を……か」
 『ウルスラグナ』の話を聞きながら、ギルド長は全滅したギルドの登録書を持ち出してくる。黒檀の机の上にそれらを広げると、『登録抹消:死亡』の印を押していった。
「大公宮が情報の開示を決めたのなら、私も、ここを訪れる者達に忠告をしておこう」
「よろしく頼むぜ」
「時に、お前たちは結局、魔人に挑むことに決めたのか?」
「ああ」
「では、私も知る限りのことを教えておかねばな」
 といっても、ギルド長が知ることは、さほど多くはないらしい。実際に戦った者から、魔人の武器は、自在に操る炎と、強力な腕力である、と聞いただけだそうだ。それでも、何も知らないまま挑むよりはいい。
「ああ、そうそう、魔人の見た目だが、先の戦いから帰ってきた者たちの話によれば……」
 ギルド長は意味深に言葉を区切る。ごくり、と喉を鳴らす音が大きく響きかねない緊張が、あたりを支配した。
 しかし、ギルド長からの情報は、その緊張を盛大に打ち壊すものだったのだ。
「総合すると……なんとも言いがたいが、黒髪、オカッパ、角、だそうだ」
「黒髪、オカッパ、角?」
 思わず復唱してしまう。
 各々、その三点セットから好き勝手な想像を繰り広げる。互いの頭の中の映像を見せあえるわけではないのだが、きれいに共通しているのは、とても『恐るべき魔物』とは思えない姿。どちらかというなら「魔物というより樹海の先住民族かもしれない」という先入観に寄ってしまっているところがある。
「なんだか、戦う気が失せる感じね」
 オルセルタが肩をすくめると、「まったくだ」とギルド長も笑う。しかし、ギルド長は、おそらく、あくまでも倒すべき魔物として、相手を考えているだろう。その頭の中でどのような姿の魔物が組み上がっているのか、見てみたいぐらいだ。
「なんにせよ、気を付けることだ。あの『エスバット』が警戒する輩が、楽に勝てる相手であるはずがないのだからな」
 そんなギルド長の言葉で、炎の魔人に関する話はひとまず締めくくられた。
 その後、冒険者ギルドを辞するまで時間がかかったのは、件の赤毛のレンジャーの遺品をイースラントに送る手続きのためだった。
 世界の各地にある冒険者ギルドの役割の一つに、在住の冒険者の下に送られてきた郵便物の統括業務がある。冒険者は住所不定のため、滞在先(だった)宿に郵便が届いたときには既に出立しているということもままある。郵便を受け取った宿が送り返す手間も馬鹿にならない。そのような理由で、冒険者への郵便物は、滞在している可能性が高い拠点の冒険者ギルド統轄本部に送られることが常であった。その拠点にいればよし、いなければ、旅立った冒険者達の次の目的地と思われる場所の冒険者ギルドに送られるか、差出人に送り返されるかだ。冒険者ギルドのない場所では、とりあえず、その場所の長に、事情を記した手紙と共に託されるが、嫌がられることも多い。
 ハイ・ラガードに集う冒険者達は、長期滞在前提の者が多いのだが、郵便に関しては慣習的に冒険者ギルドに任されることとなっていた。
 以上は、冒険者が受け取る場合の話だ。冒険者が一般の住所に出す場合は当てはまらない。だが、冒険者ギルドでは、どうせ受け取っているのだからついでに、ということなのか、出す方についても代行することがままあった。特に宛先が遠方、かつ、小さな街や村の場合、一通だけで普通に送ると紛失の確率もそこそこあるので、宛先に最も近いギルドにまとめて送付し、そこから地元の一般の郵便制度に任せることで、事故を極力防ぐ狙いがあった。
 なお、『ウルスラグナ』のように確固たる拠点を得ている場合は、そちらに直に送ってもらうことも多い。例えばパラスは、手紙をやり取りしているはとこに、私塾の住所を教えている。この場合はギルド経由の郵便ではなく、一般の郵便を使用している。エトリア−ハイ・ラガードという、比較的近距離、かつ、ある程度の規模がある拠点同士を行き来するものなので、事故の確率は低い。
「イースラントに冒険者ギルドがあるか、私は聞き及んでおらんのだが」
 遺品である小さなピアスを布でくるみ、それを包んだ羊皮紙に宛先を記しながら、ギルド長は口を開いた。
「どっちにしろイースラントへの手紙など、ここらでは見ないからな。『共和国』の冒険者ギルドに一旦託した方が確実だろう」
「確実にしても、一年以上掛かるのね」
 たはー、と嘆息しつつオルセルタが天を仰いだ。ちなみに、郵便がもっと速かったであろう前時代と比較して嘆息していそうなアベイは、平然としている。後で聞いた話では、キタザキ医師が各地とやり取りする手紙の遅さを充分すぎるほど知っていたので、今更嘆いても仕方がない、とのことであった。
「別料金で速達にすれば、もう少しは早いぞ。高いがな」
「うーん」
 少し悩んだが、そこまでするものでもないだろう。
 ところで世界は丸い。この時代でも、それは常識であった。それを考えると、大陸東方に広がる海から、船旅で東へと向かった方が、『共和国』に辿り着くのが早いのではないか、という議論もある。しかし海は激しく荒れることもあり、現在の技術では沿岸部を行くのがせいぜい。強大な『王国』ですら東方ルート開拓に成功していない。
「ひょっとしたら、東ルートで『共和国』に向かったら、未知の大陸が見つかるかもな」とアベイは言う。
「根拠は……まぁ、あるんだろうな」
「まぁな。昔はそうだった、ってくらいだけどな」
 いつか海を渡り、あるかもしれない未知の大陸を発見する者はいるのだろうか。
 それはまさに、神のみぞ知ることだろう。

 翌日、天牛ノ二日。
 『ウルスラグナ』探索班は、再び十階に足を踏み入れた。
 二時間強の時間をかけて、前日に『エスバット』と邂逅した地点に赴くと、果たしてそこには、アーテリンデがひとりで佇んでいた。赤の光景の中に、黒・赤・金を基調とした巫医服をまとった黒髪の少女の姿は、異物であるように見えながら、同時に妙に樹海と調和しているようにも見えた。
「……あら、『ウルスラグナ』のみんなじゃない」
 やってきた冒険者達に気が付くと、アーテリンデは小動物のような瞳を輝かせて手を振った。
「アンタひとりか? 爺さんは?」
「爺やは朝ご飯探しに行ってるわ。ちょうどよかった、昨日みたいなことになったら目も当てられないもの」
 悪戯っぽい眼差しが、ちらりとレンジャーの青年に向く。しかしナジクは何の感情も表すことはなかった。やれやれ、と言いたげに肩をすくめ、『エスバット』の女性巫医は改めて聖騎士に向き直った。
「その様子だと、大公宮で許可をもらってきたみたいね」
「まぁな。一応、許可証も持ってきたけど、見るか?」
「ああ、いいわいいわ、君たち、そんなつまらない嘘を吐くような人間には見えないもの」
 やっと肩の荷が下りたわ、とつぶやきながら、アーテリンデは伸びをした。すらりとした肢体が巫医服の上からでもはっきりとわかる。
「これで当分は、自分たちの探索に専念できるわ」
「あらぁ、あたし達以外の冒険者は素通しなのぉ?」
「まっさか」
 マルメリの不満げな言葉――口調と表情はからかい半分に突っ込むようなものだったが――を聞き止めて、アーテリンデは笑いながら手を否定の形に振った。
「君たち、自分たちが結構有能だってわかってる?」
「無能とは、さすがに思っとりゃしませんけどなぁ」
 苦笑気味に焔華が返すと、案外に真面目な表情でアーテリンデは口を開いた。
「君たち、他のギルドより群を抜いて速いペースで樹海を踏破してるのよ」
「……そうなのかよ?」
 そういえば、とエルナクハは思い出した。四階に足を踏み入れた頃、シトト交易所の娘が、ずいぶん早い、と褒めそやしてくれたのを。他の冒険者達も『ウルスラグナ』をすごいと言っている、という話だったが、お世辞だろ、と、気にも留めていなかった。そもそも自分達は、できる限り慎重に進んでいるつもりだったから。
「まあ、速いだけなら他にもいたんだけど、力量以上に急いじゃって、ね」
 例えば昨日キマイラに殺された者達のような。彼らは探索速度を言うなら『ウルスラグナ』と同等、否、もっと速かったかもしれない。けれど結局、その歩みは潰えてしまった。本当に力量不足か、単に運が悪かっただけなのかは、わからないが。
「君たちを通したら、しばらくは、十階に到達できるギルドはなさそうなのよね。だからそれまでは、第三階層の探索に専念するわ」
 アーテリンデは天を仰ぐ。紅朱は上空へと伸びるにつれて薄まり、蒼を帯びた白の中に消えていく。その彼方にはどのような階層が広がっているのか、今の『ウルスラグナ』にはわからない。しかし『エスバット』の巫医はすでにその光景を見ているのだ。
 彼女の口が、不敵な笑みを浮かべ、宣言を紡いだ。
「空飛ぶ城を見付けて最後に微笑むのが誰か、あたしたちに並ぶ同業者ご一同様に、きっちり教えてあげないとね」
 改めて自分たちに向けられた、アーテリンデの、小動物――というより、猛禽の鋭さすら垣間見える表情を見て、『ウルスラグナ』は気が付いた。魔人に挑む許可をもらったとき、大臣の話に矛盾を感じていた。別に大臣が嘘を吐いていると考えたわけではない。ただ、よりによって何故『エスバット』が、後続の冒険者に行く先の危機を告げるという『瑣事』を担当しているのか、と、無意識ながら疑問に思ったのだ、と判った。
 最も天に近い冒険者を、大臣が進んでこんな『瑣事』に関わらせるはずがなかろう。おそらく『エスバット』自身が押し通したのだ。
 そんなことをした理由は、推測に過ぎないが――ライバルとなりうる輩、つまり今なら『ウルスラグナ』の品定め。
 そして『エスバット』は、そんな寄り道をしたところで、現在第三階層で競っているライバルには負けやしない、と思っているのだ。

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