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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・23

 その日、夜分遅くなってから、大臣は冒険者ギルド『ウルスラグナ』を謁見の間に迎え入れた。ちなみに大公宮に足を踏み入れたのは、キマイラの復活を見届けたメンバーからナジクを抜いてエルナクハを加えた一同である。 
 街の施設は一日二十四時間、冒険者に対して閉ざされることはない。が、一分一秒が生命に関わる薬泉院ですら、施設自体は開かれているものの、危篤の急患でもなければ、ツキモリ医師自らが常に出るわけではない。彼だって休まなければ自分自身の生命に関わる。まして他の施設であれば、ちょっとした合間だけ店を閉めて休憩をしたり、臨時の店員アルバイトを立てたりする。といっても、緊急の要請があれば店を開けたり店主が出てきたりすることに違いはない。それは大公宮にしても同じことだ。
 もっとも、今回の参内は、大臣が休息を取るほどに遅い時間だったわけではない。
 ただ、大臣も疲れていたのか、腰を曲げ、とんとんと叩いていたところであった。『ウルスラグナ』の姿を認めると、気恥ずかしげに苦笑いを浮かべ、言い訳めいたことを口にした。
「なにせ本日は忙しくてな。姫様の新しいお召し物が仕上がったのじゃよ。ご試着に同席してな」
「へえ、ドレスかよ?」
 とエルナクハは興味深げに返す。
 本来、統治者が贅沢をするのは単なる趣味ではない。統治者の振る舞いは国力の指針なのである。その衣装がボロボロだったり数が少なかったりしたら、他国に舐められること請け合い。だからエルナクハを含め『ウルスラグナ』は、ドレスの新調程度に眉根をひそめたりはしない。ただし、それはハイ・ラガードがある程度安定した国だからだ。例えば国民の大多数が貧困に喘いでいるのに、統治者が贅沢を追っていたら、さすがにどうかと思うだろう。
「なにしろ、じきに姫さまの誕生式典じゃ」
「あ、なんか街でそんな話聞いたな」
「うむ、そうじゃろうて」
 按察大臣は、孫娘の成長を見守る好々爺のような眼差しをもって語る。
「臣民もこの日ばかりは姫さまのお姿をお目にすることができる。姫さまはこの国の太陽と申しても過言ではないお方。皆を落胆させるようなものをお召しになっていただくわけにはいかぬ」
 先の話になるが、統治者の姿は国民の士気にも影響するのである。
 さて、冒険者は公女の姿を見たことがない。だから、どのような人物かも見当が付かない。ただ、大臣が滔々と語り続けるところによれば、『公明正大な父の血を引き、誰にでも優しく、賢く、素晴らしく、その美しさは遠く彼方の国にまで届き、求婚の申し出も既に数限りない』らしい。いやはや賞賛だらけである。どこの伝説の聖女か。
 とはいうものの、大臣が公女の欠点をあげつらうわけにもいくまい。それに、いささかの欠点があるとしても、公女はラガードの民に愛されているように思えた。というのも、 サラマンドラの羽毛を確保してからさほど日の経たない頃、街で、公女の誕生祝いに宝石を差し上げたい、という話が持ち上がっていることを知ったからだ。その話をしてくれた酒場の親父は、「うるわしの公女さまは、俺たちみてぇな庶民とは何の関係もない処で美しく過ごしていらっしゃるワケだがな」と、やっかみめいたコメントを口にしたものだが、そんな公女が庶民からの贈り物など受け取るわけがないだろう、などとは言わなかった。自分達の国を治める公族に一定の評価はしているようだ。「街で公女の誕生式典のことを聞いた」というのは、この時のことである。
「姫さまは大変おやさしい方じゃ。冒険者とて存分な功を上げれば、お目通り願えるやもしれぬぞ?」
 心持ち胸を張った様子で、大臣はようやく公女の賞賛話を終えた。自慢の姫さまの話をしているうちに腰痛は吹き飛んだらしい。
「この間のサラマンドラの羽毛だけじゃだめなのかしら?」
 やや意地悪くオルセルタが口を挟んだ。
「うむ……大公さまが全快された暁には、あるいはお目通り叶うやもしれぬがな」
 そうそう簡単にはいかないらしい。オレもサラマンドラの羽毛を取ってくるのに結構苦労したんだけどな、とエルナクハは内心でひとりごちた。その時に同行していた仲間達が心の声を聞きつけていたら、苦労したというところには同意するも、オレエルナクハが、というところには突っ込んだかもしれない。死に一番近かったのもパラディンの青年なのだが、阿呆な『秘策』のイメージがあまりにも大きすぎた。
「ま、それはそれとして、だ」
 聖騎士は話題の転換を図った。そもそも、これから語る話が本題である。
「魔人とやらをぶっ倒しに行くからよ、許可をくれ」
「そうか、やはりあの魔人に挑むというか」
 大臣は驚いたような顔はしなかった。あらかたは予想していたらしい。
「では、早速だが詳細を説明するとしよう」
「頼む」
 大臣は頷くと、説明を始めた。
 『魔人』と呼ばれる、謎の生物は、樹海の十階の一番奥に居座っているらしい。一番奥とは、すなわち、次の階層への階段の前の広間である――そう、はっきり『階層』と言った。やはり、エトリア樹海同様の『五の倍数階ごとに季候ががらりと変わる』という特長は健在のようである。
 その『魔人』の特長は、先にも明かされたとおり、滅したはずなのに蘇っているという生命力。そしていまひとつ、炎を自在に操る力。それを踏まえて、公国側が『魔人』に付与した呼称は――。
「『炎の魔人』?」
 まんまだな、と思わなくもない。だが、凝った名前に拘泥する意味があるだろうか。むしろ、相手がいかなる存在か、わかりやすくていいのかもしれない。
 魔人の存在が明らかになったのは、笛鼠ノ月に入って間もない頃だったという。
 かのギルド『エスバット』は、かつて一度、第三階層に踏み込んだものの、魔物の強さに敗走し、療養後、第二階層付近で鍛錬を行っていた。そして、ついに第三階層へ再挑戦したのだという。ところが、そんな彼らの前に現れたのが、問題の魔人であった。『エスバット』が知る限り、以前に第三階層に踏み込んだときには、その直前に魔人など存在しなかった。
 彼らは辛くも魔人を撃破し、第三階層に踏み込んだが、問題は、それから十日ほど経った後にも起きた。
 素材を得るために、第三階層経由で久しぶりに第二階層に降り立った『エスバット』。彼らの前に姿を見せているのは、以前に倒したはずの魔人だったのだ。
 一度は倒したとはいえ、苦戦は必至。そもそも、第三階層に自由に行ける『エスバット』にとって、魔人は邪魔ではない。しかし、後続の冒険者の障害になると考えた『エスバット』は、冒険者ギルド統轄本部に、魔人退治を提案した。その当時に最強と思われたギルド数組の協力を取り付け、再び魔人の打倒に成功したのであった。
 そのはずだったのだが、魔人は三度、現れた。
 第三階層に到達寸前だった、いくつかのギルドが、魔人との戦いを強いられ、散っていった。魔人復活を知って挑んだ、かつて『エスバット』に協力した実力派ギルドも、何組も返り討ちにあった。現時点では、自分達だけで魔人を倒せる可能性が高いのは、『エスバット』くらいだろう。しかしその『エスバット』も、魔人が復活するたびに倒しに行くわけにもいかない。冒険者の使命は、天を目指すこと。現状でその成功率が最も高い者達を、下層の魔物退治に毎度動員するのは、もったいない話である。
 かといって、自らの実力を勘違いした冒険者達が突撃し、全滅するというのを、放っておくわけにはいかない。そこで『エスバット』は、自分達が道を塞ぎ、冒険者達に警告する役を引き受けることにしたというのだ。
 ……何か矛盾するものを感じなくもないが、具体的に何がおかしいのか、『ウルスラグナ』の誰も指摘できなかった。
「そなたらも、十分に注意して、準備を整えてから挑むのじゃぞ!」
 大臣が、警告の言葉をもって説明を終わらせた。
 言われるまでもない。準備不足が祟って全滅の憂き目に遭うのは、まっぴらごめんだ。
「……あのさ、何でも屋さん大臣さん」
 唐突に、ティレンが口を挟んだ。大臣はもちろん、『ウルスラグナ』一同も、何事かとソードマンの少年を見る。そんな周囲の雰囲気を感じて、ティレンは、「き」と発音した直後に思わず口元を手で隠した。ためらいがちにエルナクハに視線を向ける。人に言っていいものか判断しがたい何かを、言おうとしていたようである。
 およ、と聖騎士の青年は思った。彼の知っているティレンなら、あらかじめ口止めしていない事柄であれば、まず言ってしまうところである。途中で言葉を飲み込むとは彼らしくない。
 それはそれとして、ティレンが何を言いたいかは見当が付いた。「言っちまえ」とエルナクハが促すと、ティレンは頷いて、続きを口にしたのだった。
「キマイラ、いたよね。あいつが、魔人みたいに復活してたの、知ってる?」
「……何じゃと……?」
 さすがの大臣も初耳だったようだ。魔人だけでも厄介だというに、とつぶやきながら、首を振る。やがて大きく溜息を吐くと、心が落ち着いたのか、再び真っ直ぐに冒険者達を見据えた。その口が開く前に、先手を取ってエルナクハは説明する。
「ああ、ここに来る前に、倒してきた。でも、知ってるギルドがひとつ、全滅しちまったよ」
「何ということじゃ……まったく、キマイラまでもか」
「ああ、『エスバット』じゃねぇけど、オレらも、毎度毎度キマイラが復活するたびに倒しに行くわけにもいかねぇ。運悪くご対面しちまったヤツらに頑張ってもらわねぇとな」
 そのためには、やはり情報のある程度の共有が必要だろう、と『ウルスラグナ』の皆は思っている。現在は、冒険者の先入観をなくし、多角からの情報を得るために、事前情報は極力伏せてある。そのために、集まった情報は多彩だが、代償として、「それを知っていれば助かったかもしれない」という犠牲者も多い。たとえば、『ウルスラグナ』が、キマイラが再び出現している可能性を示唆していれば、先だっての犠牲は出なかったかもしれないのだ。
「そう、だの」
 しばらく悩んでいたが、大臣はようやく頷いた。
「確かに、そなた達の言う通りかもしれぬ」
 結局の所、大公宮から、魔人の存在と、キマイラの再出現の可能性が布令されることになった。同時に、先達から情報提供された魔物の記録の閲覧が許可されることになった。ただし、自ら到達した階までの記録に限られるが。
 早速、十階に現れるという魔物達の記録を紐解いてみる。
「わお」
 男性陣が歓喜の声を上げた。
 開いたページに記してあるのは、『サウロポセイドン』という魔物である。
 ひとり精神的に取り残されたオルセルタは、溜息を吐いた――どうしてこう、『男の子』という人種は、巨大爬虫類が好きなのか。
 相手が恐るべき魔物である、というのとは別件で、男児の多くは『竜』またはそれに酷似した生き物に妙に惹かれるものだ。第一階層攻略の時に、『襲撃者』を目にしたときもそうだった。サラマンドラや『炎王』に対しても然り。エトリアの三竜を始めとした類にも、言うまでもなく。
 世界樹の『中』にしか存在しない生き物達――幾千万を超える星辰の彼方には『外』にも存在したらしい、その種の生き物に惹かれる者は、前時代ですら多かったそうだ。彼ら『竜』が人を引きつけるのは何故か。オルセルタにはその答は見いだせない。おそらく男性陣とて、自分達の気持ちを明確には説明できないだろう。あるいはそれは、神威に打たれた者のそれに近いのかもしれない。
「……で、よ。問題の『魔人』の記録は?」
 記録をぱらぱらとめくりながら、エルナクハは首を傾げた。
 炎の魔人は、二度倒された。一度目は『エスバット』に、二度目には連合した複数のギルドに。であれば、魔物図鑑に記されていても不思議ではない。そのはずなのだが、記録がないのだ。
「おお、そうであったわ」
 大臣はすっかり忘れていたようだ。
「炎の魔人の記録は、今、学者どもが取りまとめておってな。まだ、こちらには届いておらぬ」
「なんだ、残念だな」
 ないものは仕方がない。十階の魔物の記録を簡単に写すと、『ウルスラグナ』は大公宮を後にした。

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