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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・21

 採集専門のフリーランス・レンジャー、ゼグタント・アヴェスターは、この日は依頼を受けていなかったようで、借りた自室でのんびりとしていた。とはいえ心底のんびりしていたわけではない。エルナクハ達が戻ってきたときには、彼は机の上に装備を並べ、異常がないか点検していたところだった。爪先が開きかけたブーツを、太い針と丈夫な糸で縫い合わせている。ちなみに、針は針ネズミの長い針を加工したもの、糸はキューブゼラチンから狩り取った繊維状の薄皮を細く削いで撚ったものらしい。
「……キマイラ?」
 作業の手を止めたゼグタントは、エルナクハの問いかけに首を傾げた。
「少なくとも先月、あーと……二十五日か、そン時までは、見かけなかったな」
「それ以降は?」
「んー、あの広場を経由するような場所での採集依頼がなかったからなァ」
 つまり二十六日以降にどうだかは確認していないということだ。
 ゼグタントはブーツと針を机の上に置くと、んー、と伸びをして、エルナクハの目をじっと見つめた。常日頃の軽々しさからはとても想像のできない、真剣な眼差しをしている。
「まさか、エトリアみたいに復活してるとかいうンじゃないだろうな?」
「そういうこった。まだ、『可能性』だけどよ」
 聖騎士は扉の方に足を向けて、頭だけ振り返り、ゼグタントに声を投げかけた。
「これからみんなで、今後のことについて話し合うんだ。アンタも出てくれねぇか?」
「オレも、か?」
「アンタもエトリアのことについちゃ知ってるんだからよ、なら、いろいろ考えるのに頭数が多いに越したこたぁねぇ」
「アルケミストの姉ちゃんあたりなら、『船頭多くして船山に上る』というものですよ、まったく、とか言いそうだけどなァ」
「かもしんねぇ」
 ゼグタントの口まねがあまりにも似ていたので、エルナクハは大口開けて笑った。だが、すぐに笑みを収め、真剣みを取り戻す。
「ま、今は情報が必要だからな。エトリアの深みも知ってるアンタにもいてほしい」
 エトリア樹海の最下層、『真朱ノ窟』。その階層に足を踏み入れて、生きて帰ってこられた者は極めて少ない。採集専門フリーランスであるゼグタントは、かの階層でも生きて戻ってこられそうな確率の高いギルドの依頼のみを選んで受け、さらに敵の気配を敏感に察知し遭遇を極力避けることで、辛うじて生き残ってきた。そうして、あの悪夢の階層のことを知る、数少ない者の一人となっている。
 それどころか、彼は樹海の真の王であるフォレスト・セルを直に見た、わずかな者のひとりでもあった。『ウルスラグナ』が、フォレスト・セルに魅入られたナジクを救出するときに、協力を仰いだのだ。
 その時のことを思い出したのだろう、ゼグタントは苦笑いを浮かべた。
「二度とあんなバケモノとは遭いたくねえもンだ、自分だけの身を守ってりゃいい、って言われてもな」
 それに、と、ゼグタントの唇が動いたような気がしたが、結局、その件については、レンジャーはそれ以上何も言わなかった。代わりにブーツを取り上げて軽く振る。
「とにかく、話し合いには出るぜ。ただ、こいつを仕上げさせてくンないかねェ」
「どのくらい掛かる?」
「一時間もありゃあな」
「了解」
 エルナクハは軽く手を振って、申し出を受け入れた旨を示した。
 そうして約束通り、一時間後に食堂に下りてきたゼグタントを、『ウルスラグナ』一同が迎えることとなった。ちなみに、『ウルスラグナ』一同も時間まで律儀に食堂で待っていたわけではなく、銘々が適度に時間をつぶしていたのである。
 円卓に席を占める十一人。以前ゼグタントの歓迎会をしたときに、「あらぁ、あと二人いれば伝説の王アーサーと円卓の騎士っぽくなるわねぇ」と、マルメリが喜んだ。もう一人増えたら円卓に全員の名前を彫ろうか、とか、王様役はユースケな(理由:エトリアの『王冠』を使っているから)とかいう話も飛び交ったものだ。残念ながら今は欠員が埋まる予定はない。フロースガルが加わってくれていたなら、野望(?)まであと一歩だったのだが。
 ともかく今は、ハイ・ラガード樹海の『守護者』かもしれない、二体の魔物の話に移らねばなるまい。
 ここで言う『守護者』とは、単に樹海の要所を守る存在という意味ではなく、エトリアの『守護者』と同質の存在、という意味を示す。それはすなわち、世界樹そのものの意志を受け、侵入者に牙を剥くもの達だ。
 そして、『守護者』となり得た者が、果たしてどうやって『力』を受け取ったのか――。
「ナジク」
 立ち上がったエルナクハは、卓に片手を突いて若干身を乗り出し、レンジャーの青年に問うた。
「オマエが、フォレスト・セルの誘いに乗ったときのことだがよ――」
 かすかにだが、ナジクは眉根をひそめた。彼としては、あまり口にしたくないことなのだ。それは、自分の焦燥と増長が仲間の危機を招いたという、過ちでしかないのだから。
 だが、だからといって口をつむぐのも無責任な話。
 一時的に『守護者』となったナジクは、フォレスト・セルと意識を共有した。相手の思考は人外のものだったから、全てを理解することは不可能だったが、それでも、エトリアで救出された後、自分が覚えていて理解できるところは、仲間に全て説明した。それをもう一度ここで言えというのは、当時いなかったフィプトに――概要は、この地で仲間にしたときに説明したが――詳しく話せ、ということだろう。
「――オマエとセルヤツの橋渡しをして、オマエに『力』を持たせたのは……『芽』だったな」
「ああ、そうだ」
 ナジクは素直に頷いた。

 エトリア樹海で時折見かけられた、奇妙な存在がある。『世界樹の芽』と呼ばれる不思議な若芽だ。
 正確には、『芽』と『双葉』と『四つ葉』の三種が確認されている。敵対する力は持たない存在で、あるギルドが刃を向けてみたところ、動かなくなるまで、何もしなかったという。
 だが――限られた者しか知らないことだが、この芽は、自らの依り代を欲していた。
 たとえば『エリクシール』のパラディン――パラスのはとこは、『枯レ森』で死にかけたときに、『双葉』の『声』を聞いたという。
 ――死にたくない。君も死にたくないよね。君に死なない力をあげるから、その力で、僕が死なないように守ってよ。
 そして、ナジクもまた、『世界樹の王』を打倒した直後、ひょっこりと現れた『四つ葉』の『声』を聞いたという。
 『エリクシール』の少年騎士が、モリビトの巫女から聞いたという話――世界樹に聖別され、世界樹を護るためにあるもの達は、本来属する種を凌駕する力と、死んでもいずれ蘇る生命を持つ――を加味すれば、それが、世界樹が『守護者』としてふさわしいと思った者を誘う『声』であることに、間違いはないだろう。
 樹海は――フォレスト・セルは、自らの『死』を恐れていたのだ。
 『世界樹の王』ヴィズルが仲間と共に打ち立てた『世界樹計画』。その終焉は、同時に、計画の礎となった樹海細胞が不要になることでもあった。生物には寿命がある。あのフォレスト・セルにもあったらしい。不要になった暁には、速やかに処分されるための寿命――自死機能が。しかし、死を恐れたセルは、自らの構成を組み替えて、寿命を無効化した。そして、『父』たる旧世界の科学者が自分を処分しようとすることを恐れたのだ。
 だから、自分を守るために、自分の意志と力を受けてくれる、自分を守ってくれる者を探した。
 それが『守護者』、得られる力と樹海からの強制力に幾ばくかの差はあれど、等しく、侵入者の前を塞ぐ者達である。

 そのような話を、ところどころ、ゼグタントを含む仲間達の補足に助けられながら、ナジクは語った。
「何度聞いても、信じらンねぇ話だよなァ」
 かー、と息を吐いて、ゼグタントが天井を仰いだ。樹海の深淵よりナジクを救い出す助力をした縁で、エトリアでもわずかな者しか知らない『エトリアの長と旧時代の秘密』を知ることになったが、とてもとても正気とは思えない話だったのだ。
 余談だが、そんなゼグタントに、『ウルスラグナ』はアベイの来歴は話していない。信用できずに語っていないわけではない。フォレスト・セルがらみのことを口外していない時点で、信用はできる。ただ、正式なギルドメンバーではないこともあって、語る必要がないことだったからだ。
「……それで、十階の奥にいるという魔物が、エトリアの『守護者』と同じ存在だというんですか?」
 フィプトの声は少し震えていた。恐怖というより、さらなる未知を覗いてしまった歓喜と後ろめたさかもしれない。
「かもしれねぇ」とエルナクハは答える。
「んで、ひょっとしたらキマイラもな。ただよ……そう決めつけられる段階でもねぇ。だけどまぁ、今のオレらが知ってることで、ぴったり合いそうなのは、その話なのも違ぇねぇってとこだ」
「樹海は――ラガードの樹海も、人間に侵入されることをよく思っていないんでしょうかね……」
「そりゃよ、言うまでもねぇだろうねぇ、アルケミストの旦那。『生物』なら自分の身を守ンのは当然だ」
 フィプトの憂言に、ゼグタントが肩をすくめて答えた。
 生物には縄張りがある。それに足を踏み入れた余所者を拒むのは当然だ。かといって、縄張りを侵す側が「はいそうですか」と引き返すわけにもいかないことが多々ある。侵す側も必死なのだ。そうしなければ自分の生存に関わるゆえに。
 弱肉強食、それは地神の教えだ。いと偉大なる大地母神バルテムも、皆が無条件で手を取り合える世界を造りはしなかった。否、願いはしたかもしれないが、神であっても手出しできない世界の土台が『そうなって』いるのだ。知恵を付けた者達だけが、せめて考え方の似通った存在とは奪い合いをしないようにしよう、としても、考え方の違うものから奪い奪われることは変わらない。植物の葉や実や根だけで生きようとしたところで、その植物から見た自分達は立派な簒奪者。もっとも、植物とて大地から養分を奪っていると言える。
 ハイ・ラガードだって、今更迷宮探索をなしにすることはできない。乏しい北国が豊かになる手段を、目の前で閉ざせ、と言えるのか。
「オレらは樹海全体を『殺そう』ってワケじゃないさ。でも、樹海からどう見えているかは、な」
 ハイ・ラガード樹海のフォレスト・セルが――いるとすれば、だが――、人間に踏み込まれていることをどう思っているのかは、まったくわからないのだった。
「じゃ、とりあえず、わたし達は、キマイラが蘇ってるか、見に行ってみればいいのね、兄様?」
「ああ、頼む、オルタ」
 反対する者もいないようであった。これで本日の『夜組』の探索先は決まった。
「話はもうひとつあるのよねぇ」
 マルメリの言うとおり、もうひとつの懸念がある。
「大臣さんは、奥にいるっていうそいつのこと、『魔人』って言ったのよねぇ。『ヒト』だって言ったのよぉ」
 大臣の言葉から、全てを決めつけることはできない。大臣が直に見たわけではないからだ。情報の出所が『エスバット』で、彼らが正確に情報を伝えているとしても、大臣の早とちりが混ざることがある。
 そして『エスバット』の情報が正確かも定かではない。例えば第二階層のあちこちにいる巨大な猿のような、あの類の魔物であることを、手っ取り早く『ヒト型』と伝えただけかもしれない。
 それでも、『ヒト』という言葉に『ウルスラグナ』は聞き逃せないものを感じる。
 樹海の先住者、意志を交わせる可能性のある異種。そんな存在をめぐる騒動に、自分達に先んじていたライバルギルドが巻き込まれ、悲しい思いをしたことを、知っているが故に。
「樹海の先住者――エトリアのモリビトみたいなヤツかねぇ」
 ゼグタントも、どことなく憂いげに、言葉を吐き出した。
 相手がヒトだとしたら、自分達はどうしたらいいのか。エトリアでの顛末を知る身としては、穏便に済ませたいと願う。だが、勝手にずかずかと踏み込んで、資源をばかすか奪っていって、その上で手を差し伸べても、相手は納得しないだろう。それまで知らなかったことは仕方ないとしても、それを精算できるだけの誠意が必要だ。そして、誠意が必ずしも通じるとは限らない……。
 結局、この件に関しては、茶のお代わりが全て消費される程の時間をかけても、なにひとついい案は出なかった。そも、相手が何者かを知ることが、まず必要となる。
 さしあたって、今の自分達にできることは、キマイラがエトリアの『守護者』同様に蘇っているかを知ることと、大公宮に魔人討伐の意志を伝えること、それくらいしかないのだ。

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