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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・20

「樹海の十階の奥にはね、ちょっと凶悪なヤツが住んでるの。今まで以上の化け物がね」
「化け物ぉ?」
「ええ、そうよ。だから、ここから先は大公宮で許可の出ている一流の冒険者以外、進めないようにしてるって訳。だからね、爺やも悪気があって君たちを止めたんじゃないの。あくまで身の安全のためなのよ」
「そんなにも、ヤバい相手か?」
 探りを入れるようにエルナクハは問うた。アーテリンデの態度からは、嘘とは思えないが、先のライシュッツ――老ガンナーとの応答を思えば、そう騙して後続の冒険者を牽制している、という可能性も捨てきれない。
「詳しくは、大公宮で大臣に訊いて」
 アーテリンデは肩をすくめた。あるいは、エルナクハが思っているように、彼女自身も、今の自分達が詳しい話をしても信じきってもらえない、と悟っているのかもしれない。
「とにかく、先に進みたいなら大公宮よ。君たちがこの先に進む資格があるって思ったら、大臣が許可をくれるはずだから。それから、もう一度来ることね」
 アーテリンデと名乗った少女は、そこまで話すと自分達の役目は終わったとばかりに手を振る。
「じゃ、ね。バイバーイ!」
 まるで街角で別れるかのように闊達な挨拶をする少女とは裏腹に、ライシュッツは、終始無言のままでいた。アーテリンデが来てからは静かにしているが、その瞳の奥から、『ウルスラグナ』を油断なく睨め付けているのがよく判った。押し通るならば一戦を覚悟しなくてはならないような、そんなまなざし。
「……行くぞ」
 エルナクハは踵を返し、仲間達の間を通って、これまで来た道を逆しまに辿り始めた。マルメリは静かに頷きながら、アベイは意思表示をすることすらせずに、ギルドマスターの後を追う。焔華は踵を返す前に、『エスバット』を確認するかのように一瞥した。ナジクは――ライシュッツを睨み付けたまま動かない。
「……ナジク、いいから帰るぞ」
 エルナクハが声を掛けると、ナジクは不承不承、身を翻した。
 ともかく、一度街まで戻って大公宮に行く必要があるようだ。『エスバット』が見えなくなったあたりで、『ウルスラグナ』はアリアドネの糸を起動して、磁軸の流れに身を委ねた。

「なぁ、ナジクどの」
 樹海入口に戻ってきて間もなく、エルナクハが口を開く前に、焔華がそうした。おそらく自分が言いたいことと同じことを言う気なのだろう。エルナクハのその推測は見事に当たっていた。
「あのガンナー、確かに、こう、いやぁな態度のご老体でしたけどなぁ、ぬしさんの行動も性急だと思うんし」
 ナジクは言葉では答えない。しかし態度は、「だから何だ」と明確に訴えている。
 焔華はわざとらしく溜息を吐いて、言葉を続けた。
「あれじゃ、『売り言葉に買い言葉』ですし。相手が挑発してきたのが先って思いますけど、それに乗る必要は、わちらにはありゃせんし」
 そう言いながらも、焔華は、やはりナジクはこれでは納得しないだろう、と思っていた。
 エトリアの冒険の顛末で変わってしまった、レンジャーの思考は、『何としてでも仲間を助ける』『そのためには他のなにものをも代償にして構わない』『もちろん、自分自身でさえも』という三原則を抱え、狂気に近いものに変貌していた。表面的には穏やかだったし、彼自身、余程のことがなければその思考を露わにすることはなかったから、エルナクハを除く他の仲間達は、せいぜい「エトリアでの顛末ことを気にして無茶するようになった」としか感じられてはいまい。
 だが、焔華の見立てでは、そんなものでは済まないのだ。例えば今回の場合、先の行動は、ライシュッツがぎりぎりにでも手を引くことを願った脅しではない。アーテリンデの介入がなければ、ナジクは確実にライシュッツを射っただろう。
 街で聞いた話から、ガンナー達は銃の機構上、どうしても行動が後手に回りがちということが判っている。おそらくはナジクは先手を取り、ライシュッツの首に鏃を突き立てる。その結果、ライシュッツが置きみやげとばかりに弾丸を撃ち放ち、自分がそれを受けることになっても。
 もう一方の銃が仲間を傷つける可能性については――考えてはいたが、守り手であるエルナクハを全面的に信頼したのだろう。そこがまた厄介なことだ。つまりナジクは、自分が動かなくてもライシュッツの弾丸が仲間に危害を及ぼす危険性が少ない、と判断していながら、あのような暴挙に出た。自分の命を無駄に捨てるような真似を……。
「ナジク」
 ふう、と息を吐いて、エルナクハが割り込んだ。
「その、なんだ。気持ちは分かるがよ。だけど――困る」
「困る?」
「ああ。オレだってギルマスとしていろいろ考えてるんだ。そこで勝手に動かれたら、考えてることが台無しになっちまって、困る」
「……困る、か」
「ああ」
「……すまない」
 意外にもナジクは素直に頭を下げた。しかし彼の行動原理を考えれば、意外でも何でもない。彼は仲間のためにならどんな泥をもかぶるつもりで動いている。が、逆に言えば仲間には泥をかぶせたくないわけだ。「今の行動で泥をかぶって困る」と言われたら、ナジクとしては行動を改めざるを得まい。うまいな、と焔華は思った。
「そんなわけでだ、今後、勝手にゃ、ああいうことをしねぇように」
「……む、わかった」
 やや不承不承、と言った感があるが、ナジクは再び素直に頷いた。
「話は付いたか?」
 と口を出したのはアベイである。彼とマルメリは、他の三人の話に決着が付くまで、待っていたのだ。
「まあ、俺も、あの爺さんの態度にはむかついたけどさ、こっちがその真似する必要はないと思うんだ、なあジーク」
 ナジクの深淵にほとんど気が付いていないアベイ(やマルメリ)としては、認識はその程度だろう。が、エルナクハや焔華としても、彼らと同じような気持ちも、ある。あのガンナーの脅しに引きずられて、自分達が他の冒険者に『同族殺し』と思われるような行動を取る理由はない。もちろん彼が本当に襲ってきたら、その時は自分達の身を守ることが最優先になるが。
 もっとも、巫医アーテリンデの言葉が事実なら、自分達が『エスバット』に刃を向けられる可能性は、もうないだろう。
 となれば、今考えるべきは、『エスバット』の脅威ではなく、彼らに道を塞がせた『何か』についてだ。
 そのはずなのだが、焔華の頭の中には、『エスバット』の二人が、敵として現れている。
 別段、敵意を抱いているわけではない(ライシュッツの態度には業腹なのは確かだが)。ブシドーとして、腕の立ちそうな相手を前にすると、つい、彼ら相手の戦闘の思考実験をしてしまうだけだ。エトリアで『ウルスラグナ』に初めて出会ったときもそうだった。だが、『ウルスラグナ』を始めとした他の者相手には一度で満足したのに、『エスバット』相手には、何度も執拗に、弱点や死角を何としてでも見つけ出すと言わんばかりに、思考が模擬戦を繰り返す。
「……とっとと帰りましょうえ」
 焔華は熱を孕んだ息を吐き出して、仲間達に提案した。
「とにかく、大臣さんに話を聞かなきゃなりませんわ。でしょう?」
 それは確かだが、焔華は街に帰って己の荒ぶる心を落ち着かせたかった。やはり自分は、心の奥底では老ガンナーの態度に我慢ならなかったのだろう、と考えて。ナジクのことをとやかく言えないな、とは、自嘲気味に思うことであった。

 街に戻った『ウルスラグナ』一同は、フロースの宿で身体の汚れを簡単に落とすと、大公宮へ向かった。
 『エスバット』の言い分が本当なら、十階の奥深くには凶悪な魔物が鎮座しているらしい。『一流』といえる冒険者でなければ対面する許可が出ないほどにだ。
 エルナクハは、現在のハイ・ラガードで『一流』と言えそうな冒険者を上げようとしてみた。
 おそらく『ウルスラグナ』より先を行っているだろう者達は、身近なところではいない。ゆえに、漠然としか知らないのだが、五、六組ほど、自分達より先行していた者達の噂があった気がする。『エスバット』は第三階層に到達しているという話があったが、彼らはどうだろうか。真実を知っているのは、冒険者を統括するギルドか大公宮だろうが、訊いても明確には答えてくれまい。
 いつも通り、侍従長に導かれ、謁見の間に通される。
 大臣はいつも通り、そこにいた。
「おや、冒険者どの」
「よう、大臣サン」
 いつもの不遜な挨拶を返すと、エルナクハは単刀直入に事実を口にした。
「『エスバット』に会ったぜ」
「……!」
 大臣の表情が明らかに変わった。
 どうやら、『エスバット』の言い分は嘘ではない。彼らの主張通り、何かが、先にいるのだ。
「……なら、話は聞かれたとおりじゃ」
 眉根をしかめながら、大臣は話を続ける。
「樹海の十階、あそこには恐ろしい化け物が棲んでおる。その強さもさることながら、一番恐ろしいのは生命力じゃ! 『エスバット』やその他……一流といってよい冒険者にその退治を依頼したこともある。そして何組もの冒険者がヤツに挑み……そして討ち果たした!」
「……なんだと?」
 聞き逃せない発言であった。
 『エスバット』の言う『化け物』は、討ち果たされたという。だったらもう脅威はないはず。だというのに彼らは何故、まだ、あの場を塞いでいるのか。
 ……いや、まさか。
 エルナクハのみならず、その場にいる『ウルスラグナ』全員が、等しくエトリア樹海のことを思い出した。
 かの地には『守護者』がいた。黒く禍々しいオーラをまとう強敵達。人間に侵入されたことを恐れた樹海が、樹海の生物に力を与え、その代償に自分を守ることを強いた、そんな存在だ。冒険者達は、当然ながら彼ら『守護者』を打ち倒しながら奥へと進んだのだが、彼らは――。
「じゃが……、ヤツは数日後には何事もなかったかのように再び蘇ったのじゃよ」
 ――同じだ。
 エトリアの『守護者』達も、そうだった。彼らは樹海に与えられた力により、冒険者に倒されても、時を置けば蘇ったのだ。『ウルスラグナ』が実際に相対したのは、第一階層と第二階層の『守護者』だけだが、ライバルギルドが倒したはずの、第三階層や第四階層の『守護者』が、確かに生きていることを、はっきりと見てきた。
 ハイ・ラガード樹海も、やはり同じなのか? 現在、人間に侵入されていることを不快に思って、『守護者』を立てているのか?
 キマイラと戦ったときも、あの魔物が、かねてよりの噂を聞いて思ったとおり、『守護者』と同じだとは感じていた。が、あくまでも強さに関する話で、蘇るか否かという件は想定外だった。フロースガルがらみで血がたぎっていて、そこまで考えていなかったということもある。後で確認した方がいいかな、とエルナクハは思った。
「わかってくださるかな、この老体の苦悩が。その魔人がいる限り、半端な腕の冒険者を奥へは行かせ難いのじゃ」
 まして、『守護者』を知らないハイ・ラガードの大臣が、対処に苦労するのも当然だろう。
 あくまでもエトリアの『守護者』を参考しての話だが、彼らの復活を止める手だてはない。仮にエトリアと同じならば、『力の源』が何かについては知っているから、それを除去すれば、理論的には蘇らなくなるはずだ。が、それは人間にとっては、『樹海の中に落とした一枚の木の葉を見付ける』に等しい、否、それ以上に困難、はっきり言って不可能なことであった。
 『ウルスラグナ』の知る例外はただふたつ。
 ナジクに取り付いた『力の源』が、樹海の主の力を継いだ『新たなる世界樹の王』の手で除去された例がひとつ。
 いまひとつ、ライバルギルド『エリクシール』の聖騎士――パラスのはとこが、「もう蘇らない」と太鼓判を押した『守護者』が一体いる。復活が確認されなかったのは事実だが、その理由、そして少年騎士がその事実を言い切れた根拠は、完全に不明だった。
「……だから、『エスバット』に足止めさせてるってわけか」
 あの足止めの仕方はどうか、と思うが、大臣に言っても詮なきことだろう。
 大臣は深く頷いた。
「さよう。危険を承知で試練を受ける者だけを先に行かせるようにしておる」
 大臣の目の中に、探るような光が灯った。疑念、というには少し違う。これは、期待だ。
「そなたらも、あの恐ろしい魔人を討伐する気があるのか?」
 エルナクハは即答しなかった。
 あるなしで答えるなら、ある。樹海探索を進めるならば、その魔物を乗り越えなくてはいけない。そもそも、はいと答えなければ先には行けまい。ただ、その前に、キマイラもその類なのか確認しておきたかった。それに、ひとつ気になる。大臣は今、魔物のことを『魔人』と呼んだ。今回の魔物は、少なくとも人間型生物に見える形をしているらしい。それは本当に魔物なのか、それとも――。
「……少し考えさせてくれや」
「……ふむ、相判った」
 大臣は特に何も尋ねてこなかった。冒険者にとっては命懸けの試練である、断ることもあり、まして考えるのは当然だと思っているのだろう。が、ほんの一瞬、失望とまではいかないが、残念そうな眼差しが浮かんだ。
 『ウルスラグナ』は退出の挨拶をすると、大公宮を辞し、私塾への帰路を辿った。

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