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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・19

 夏の盛りは追い立てられる鼠のように過ぎていき、秋の足音が、ゆっくりと、牛の歩みのように近付いてくるころになった。
 私塾の子供達も、長い夏休みを終えて、再び学舎に戻ってくるだろう――明日になれば。
 天牛ノ月、一日。
 子供達と違い、冒険者達は、月が変わったところで何かが切り替わるわけではない。八階と九階の間を行き来して道を捜したり、以前の階に戻って力を付けたり、これまでとはさして変わらない生活を送っていた。
 だから。
 この日に特筆すべき事柄があったのも、決して、月の初めだからというわけではない。
 ただ、追立ついたちという日と、その事柄が重なったことによって、何かを感じずにはいられないのも、人間というものだ。

 八階の樹海磁軸から、これまでの探索で見付けた近道を駆使しても、十階に辿り着くには二時間強が掛かる。
 緋色の木々をさらに紅く染める朝焼けが去っても、樹海の色は炎のように赤い。
 エトリアにしても、ハイ・ラガードにしても、どういうわけか、五の倍数階で事象が切り替わっていた。なぜそんなにきっちりとした法則があるのか、と問い質したところで、樹海にしてみれば、例えば桜の花びらが常に五枚であるとか、朝顔の蔓の巻き方がどれも同じとか、そういったものと変わらないのだろう。
 これまでに見かけないような魔物との遭遇を警戒しつつ進んだが、今のところは、見慣れたものとしか出会わない。八階と九階の面倒な行き来の間に鍛えられた冒険者達には、苦労はするが、余力の残らない相手ではなかった。
 冒険者は樹海地図を書き記しながら先へと進む。
 行き止まりで、奇妙な小動物に出くわした。樹海の生き物のくせして妙に馴れ馴れしい、リスのような生き物だ。
 実は一度、第一階層でも出会ったことがあった。その時は、これがフロースガルの言っていた、アリアドネの糸を狙うヤツか、と気が付き、相手にしなかった。しかし今回は妙に興がのってしまい、観察する気になった。そもそも糸はザックの中に大切にしまってあるものである。万が一にも落としてしまったら大事なのだ。見せびらかして歩いているならともかく、彼らはどうやって荷物の中から糸を奪っていくのだろう。
 結論からすれば、彼らの武器はただひとつ、その『すばしっこさ』であった。他者を直接的に害するような力を持たず、強い魔物達の贄に位置づけられているような彼らは、唯一の天性の才をもって樹海の中を生き延びているのだ。
 距離が詰まるが早いか、あっという間にエルナクハのザックの中に入り込み、あらかじめ入れておいた糸――普段エルナクハが糸を自分のザックに入れておくのは、めったにないので――を素早く探し出し、くわえて逃げていったのだった。
「……早ぇ!」
 いっそ笑って讃えたくなるような早業である。もっとも、離れたところで待機しているアベイの鞄の中に、予備の糸があるからこそ、笑って済まされることだった。しばらく笑った後、予備がなかったら、と考えて、あらためて悪寒を感じた。なるほどフロースガルがわざわざ忠告してくれたわけだ。
 亡き聖騎士に改めて感謝しつつ、一旦、階段前広場に戻って、先への道を探る。
 途中で、南北へ伸びる道に突き当たったが、一行は南へ進むことを選んだ。北には棘を持つ下草の繁茂地が広がっていたからだ。
 そうして、小腹が空いてきたので、適当なところを見付けて小休止しよう、と思った頃であった。
 ちょうど南下する道から西へ曲がったあたりだったのだが、視界の先の方に、扉が見えている。それだけならさして珍しくもないのだが、扉に添うように、人影らしきものが見えるのだった。生えている木がそう見えるだけだろうか。否、冒険者として培った第六感なにかが、あの影は人間だ、と囁くのだ。他のギルドの冒険者か、あるいは――エトリア樹海のモリビトのような先住の民だろうか。
 警戒しながら『ウルスラグナ』が近付くと、扉に寄り添っていた影は、あくまでも冒険者の行く手を遮ろうとでもいうのか、扉の前に移動し、立ちふさがった。
「……」
 その影は、『ウルスラグナ』が、自分よりおおよそ十歩ほどの距離まで詰めるまで、一切口を開かなかった。
 その男の羽織る厚手のコートは、ガンナー達が愛用するものに相違なかった。帽子も同じく、ガンナー達の多くが愛用する、縁を毛皮で補強し、頭頂部が若干盛り上がった、円筒形のつばのないものである。側頭部は、帽子から下がる耳あてで覆われていた。
 なにより、目の前の影をガンナーと断定する決め手は、その両手に構える銃であった。
 右手に構えるは黄金の銃。まばゆい銃身に、精緻な彫刻を施してある。
 左手に構えるは黒き銃。見た目は銃の基本というべき簡素なものだったが、ちらりと見えた銃口は三眼。
 ガンナー本人は老齢の男性であった。鼻下と顎にひげを蓄えている。顎ひげは一本に編み込んでいるようだが、途中からコートの中に消えているので、どれだけ長いのかは判らない。
 老齢のガンナーは、銃を構えた腕を交差させ、何があっても通さない、と言わんばかりの威圧を放っている。『ウルスラグナ』一行が言葉を掛ける前に、その口が開いた。態度に酷似した、低く冷たい声が流れ出た。
「『ウルスラグナ』の噂は聞いておる。ここまで来るとは少しは腕をあげたようだ……だが」
 ガンナーの言葉は続く。その言葉には棘がある。ただ傷つけようというだけではなく、返答いかんでは伸びて身体を貫き、死に至らしめよう、と宣するかのような敵意が巻き付いている。
「まだまだ我らには及ばぬ。……世界樹の迷宮の探索は我に任せ、大人しく引退でもすればどうだ?」
 樹海探索にライバルは多い。が、『冒険者』という括りに限れば、ここまで敵意を持つ相手は、これまでいなかった。上から目線であることは気にしないとしても、邪魔者全て消す、と言わんばかりの殺意は、これが初めてだ。
 鼻白むことこの上ないが、黙ってはいられない。
「じいさん、何者だ? てより、じいさんこそ、耄碌する前に引退して悠々自適生活送りゃいいんじゃねぇか?」
 エルナクハも老人に負けず劣らず、傲岸不遜な態度で言葉を放つ。
 老人は冷たい眼差しで聖騎士を睨み付けると、ふ、と不気味な笑みを浮かべた。
「……過去に何人がそう言って、我が銃弾に倒れたことか。ヌシらも樹海の糧と化すのが望みか?」
 黄金の銃の銃口が、冒険者に向く。暗き穴のその奥に、虚無が潜んでいるように、『ウルスラグナ』は感じた。身体の奥底から悪寒がせり上がってくる。銃の真価は、未だ噂でしか知らないのだ。未知への恐れが本能の根底から戦略的撤退を訴えてくるが、ここで身を翻すわけにはいかないのが冒険者の意地だ。
「せめて、ヌシらが最後に出会った者の名を教えておいてやる」
 老人は楽しそうに笑いながら口を開いた。
「心して聞け! 我はライシュッツ。人は我を魔弾の銃士と呼ぶ! ヌシら若造相手に遅れをとるほど耄碌はしておらんぞ!」
 言葉が終わると共に、三眼の銃までもが、冒険者達に照準を定める。
「上等だオラァ!」
 エルナクハは激昂して盾を構えた。
 正確には、激昂した『フリ』だ。その内心では、見た目からは大概の者には信じてもらえない程に冷静な思考が渦巻いている。
 目の前のガンナーは、まるで何人もの同業者を葬ってきたような物言いをした。殺気も、それを裏付けている――ように感じられる。だが、それが真実なら、とっくに総スカンを食っているはずだ。
 冒険者が単に魔物に殺されたのなら、事故のようなものである。ところが、その死がライバルを蹴落とそうという冒険者の仕業となれば、当然ながら、他のどのギルドもいつ襲われるか堪ったものではない。ゆえに、他のギルドの抹殺を謀るような馬鹿は、侮蔑の対象なのである。
 それに、冒険者達は名目上はハイ・ラガードの国民。国民は国法に従う義務と守られる権利がある。『冒険者殺し』は殺人者として法で裁かれるはずだ。
 いくら人目に付かない樹海とはいえ、他の冒険者や衛士に見つかる可能性は、ゼロではない。
 仮にも、『百獣の王殺し』をここまで上から目線で見下ろす者が、そんなリスクを負ってまで『まだまだ自分達に及ばないライバル』を排する必要があろうか。
 以上のことから、ガンナーの態度は、十中八九、ただの脅し。
 残り一割の可能性――兎を狩るのに全力を尽くす獅子。めぼしいライバルを潰し、しかも誰かに悟られるような証拠を残したりはしない、とんでもない曲者。だとしたら、そんな腕の持ち主に自分たちの勝ち目は端からない。つまり、挑むのは得策ではない。
 いずれにしても、『ウルスラグナ』が喧嘩を買う理はない。エルナクハが構えているのも、万が一に相手が襲ってきた場合に、仲間を守るためである。喧嘩を買って敵わなくても、攻撃をしのいで生き延びることは、できるかもしれない。
 しかし、エルナクハの計算に反する行動を行う者がいた。しかも、身内なかまに。
「――武器を捨てろ、銃士」
「――ぅおい!?」
 エルナクハは面食らって変な叫び声を上げてしまった。
 いつどうやってそうできたのかは判らないが、レンジャーにはお手の物なのだろう。ナジクがいつの間にか老ガンナーの背後にあり、極限まで振り絞った弓矢をその頭に向けていた。しかしガンナーも只物ではない、右手の黄金銃をゆっくりとナジクの方に向けながら、冒険者達に向いた目と三眼は揺るぐことがない。年老いて白濁しかけているのか、ほとんど白目にしか見えないような目を剥いて、ガンナーは楽しげに声を上げた。
「ヌシこそ武器を捨てよ、狩人。これより三を数える間にそうしなくば、ヌシの仲間の生命は保証せぬ」
「ならば望み通り」
「三」
「その首に我が鏃を」
「二」
 それ以上はナジクは言葉を続けず、弓をさらに引き絞った。
「一」
「おい!」
 エルナクハはナジクを止めようとした。しかし、その言葉すら届かないほどに、ナジクの頭には血が上っているのだろうか。
 ここで殺し合うことが益とは思えない。仮に老ガンナーが本当にこちらを殺す気だったとしてもだ。まして、ただの脅しである可能性の方が高いならば、本気の殺意をぶつけてしまった『ウルスラグナ』の方が、『冒険者殺し』だ。よくて過剰防衛扱い、後味の悪さは拭えない。
「いい加減に……」
 こうなったら身体を張ってでも止めなければ、と、聖騎士が前傾の体勢を取ろうとした、その時だった。
「はいはい、そこ! 何やってんの!?」
 『ウルスラグナ』の後ろから唐突に響いたのは、明らかに若い女のそれだった。
 他のギルドが来たのか? 『ウルスラグナ』は慌てて振り向いたが、その予想に反して、乱入者はただの一人であった。
「冒険者同士で喧嘩したって、何のメリットもないでしょ!」
 呆れたように肩をすくめるその女――いや、まだ少女とも言えるその姿は、豊かな黒髪をなびかせた冒険者であった。くるりとした大きな目は、つい先ほどちょっかいを出した、糸好きの小動物を思わせる。その瞳で、少女は一同が戸惑う姿を眺めていた。
 頭の上には大きなとんがり帽子、肩にはケープ、身にまとうカートルワンピース、木と剣と輝石を組み合わせた、螺旋状にねじれた杖――その姿は、ガンナー同様にハイ・ラガード近辺を発端とする異能者、巫医ドクトルマグスのものだった。
 以前に迷宮で知己を得たドクトルマグスの二人組、イクティニケとその弟子ウェストリから聞いた話によれば、ドクトルマグスはハイ・ラガードでは珍しくないが、他の国で見ることは稀だという。古代から伝えられた秘術を継承し、または失われた術を追い求める者達であり、その装いは、男と女でがらりと違う――男性の守護霊はワタリガラスであると信じられているために、それを祀るための装いを、女性はその守護霊であるといわれる精霊ヤガーの姿を模しているのだという。目の前にいる黒髪の少女は、確かに、女性であるウェストリによく似た様相をしていた。
 それにしても、ひとりとは。少人数で探索をする冒険者がいないわけではないが、ひとりだけで、という例は極めて稀なものだ。よくこんなところまで……と考えたところで、『ウルスラグナ』はもうひとつの点に気が付いた。そういえば老ガンナーもひとりだ――が、それらの感嘆に対する答は程なくして明らかになった。
「あぁ、ごめんね。ウチの爺やが君たちに無茶言ったんでしょ?」
「じ……爺や?」
 爺やなどと呼ばれそうな相手は、この場に一人しかいない。呆気にとられる『ウルスラグナ』の前で、少女は老ガンナーの目前まで歩み寄り、睨み付ける。
「まったく、もう……爺やはやり過ぎなのよ。銃、下ろして!」
 少女に詰め寄られたガンナーは、躊躇うことなく銃口を下ろした。エルナクハ達に向けられた三眼も、ナジクに向けられた黄金銃も、その虚無の銃口は地に向いた。同時に、老人が放っていた殺気も、嘘のように消え失せた。
 少女は、次にレンジャーに視線を向けた。
「こちらにはもう、害意はないわ。君も武器を下ろしてくれない?」
 ナジクは少女を探るような目をしていたが、弓矢を下ろす気配はない。
 エルナクハは軽く溜息を吐くと、声を上げた。
「ナジク、もういい。武器を下ろしてこっちに来いよ」
 レンジャーの青年は、ちらりとエルナクハに視線を向けると、静かに弓を下ろし、軽く地を蹴って戻ってきた。
 少女はその様を見届けると、軽く溜息を吐いて、再び口を開くのであった。
「……えっと、で、何から話せばいいかしらね?」
「何から、って言われましてもなぁ……」
 焔華が戸惑いを露骨に声に表して答えた。彼女の思いは『ウルスラグナ』共通のものでもある。なにしろ、老人の殺気は、脅しの可能性が高かったとはいえ、あまりにも強すぎたのだ。それと現状の落差が激しすぎて、どうにも付いていけない。
 少女は立ち尽くす『ウルスラグナ』一同を見つめた後、視線を天に向けて考える表情をとる。
「そう、ね、やっぱり……とりあえず自己紹介、かな」
 うん、と頷くと、少女は顔を『ウルスラグナ』に向け直した。
「あたしたちはギルド、『エスバット』。……聞いたことくらいあるでしょ?」
「『エスバット』……だと……?」
 聞いたことぐらいある、などという問題ではない。超有名ギルドではないか。
 在りし日の『ベオウルフ』と並んで、ハイ・ラガード樹海探索の急先鋒と讃えられる者達だ。『ベオウルフ』は全滅してしまったから過去形になったのだが、『エスバット』は健在である。とはいえ、聞いた話では、彼らは冒険者ギルドや大公宮に姿を見せなくなって久しいとのことだった。冒険は続けていて、一説には第三階層にまで足を踏み入れているともいうが、『ウルスラグナ』が直に巡り会うことは一度もなかった。ハイ・ラガードは小さきとはいえそれなりの国、冒険者なるものが利用する施設もたくさんある。馴染みの施設でよく顔を合わせる相手でもなければ、余程有名なギルドであっても、あやふやな噂でしか行動を知ることができないものだ。
 それが今、目の前に、確固たる実像を伴って姿を見せている。
 もっとも、いきなり脅しをかけてくる銃士と、小動物のような闊達な少女――そんな二人組だとは思ってもいなかったが。
「あたしが呪医者アーテリンデ。で、そっちが銃士の爺や。二人で樹海探索をしてるのよ」
「ふたりでとは、危なくないか? メディックもなしで」
 アベイが心底心配げに口を挟んだ。
 少人数のギルドがまったくいないとは言わないが、回復役が存在しないギルドは探索に苦戦を強いられるはずだ。
 ちなみに『ベオウルフ』にもその問題があった。大抵のパラディンが嗜みとして覚えているはずの応急処置の技術は、ハイ・ラガードの樹海では、生命を預けられるほど有効なものではなく、しかもフロースガル以外のメンバーは全員が獣なのだ。
 だが、ごく最近、『ウルスラグナ』は、樹海の獣には人間が想像もできなかった回復技術を持つ者がいることを知った。彼らがなめた傷はとてつもない早さで治癒することがあるのだ。人間もちょっとした怪我をしたときに傷口を舐めることがあり、なめた傷の方がそうしなかった傷よりも治りが早いという。そんな効力が顕著に表れているのだろうか。ハディードがそんな能力を持っていたことを知ったとき、初めて出会ったときの獣の子の怪我が、第一発見者の証言――大怪我をしている――とは裏腹に治りかけていたことに納得がいったのだった。
 話がそれたが、『ベオウルフ』に回復役がいた可能性を、『ウルスラグナ』は知っている。
 だが、目の前の『エスバット』は?
「言ったじゃない、あたしは呪医者、ドクトルマグスだって」
 アーテリンデと名乗った少女は、肩をすくめて答えた。
「そりゃ、腕利きのメディックみたいに瀕死の人間を治すのは難しいけど、あたしたちにだって、あたしたちなりの治療技術があるのよ」
 そういえば、『ウルスラグナ』はドクトルマグスに、花や実をその場で簡単に薬品とする技術を教えてもらったことがある。彼らにはそうやって、研究を重ねるメディックから見れば想像も付かない、別系統の薬草学が身についているのだろう。
「で、その『エスバット』さんらが、わちらを足止めするのは、何が目的なんし?」
 先の銃士の態度から考えれば、どう見てもライバルギルド潰しにしか思えない。が、目の前の少女の態度からは、それもまた違うような気がする。問われた少女の方はといえば、『ウルスラグナ』の戸惑いも織り込み済みなのだろう、どう答えるか少し悩んでいたようだが、
「……ま、親切心?」
 結局、直球で答えた。
「親切心だぁ?」
 あまりにも現状とはかけ離れた答だった。『親切心』であんな殺気をぶつけられるのは、いわば『真竜の剣』を抜き身で持ったソードマンに、真顔で「これで凝った肩を叩いてあげるから」と言われているようなものだ。普通なら、肩を叩くふりをしてソニックレイド、と考えてしまう。
 だが、アーテリンデが続きを話す気らしいと悟り、とりあえずは言い分を聞いてみることにした。

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