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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・18

 おとなしく床に伏せていたハディードが、不意に耳を立て、ぴくぴくと動かした。首をもたげて大気の匂いを嗅ぎ、喜びにふらふらと揺れる尾で、『ウルスラグナ』の娘達に、何事があったのかを知らせる。
 すたすたと入口に駆け寄るハディードの前で、扉が開き、鈴が音を奏でた。
「……ハディード?」
 思わぬ出迎えに驚いたのか、四角く形作られた光の中に佇む影――帰ってきたティレンは、呆然と、獣の子を見つめていた。
「あら、ハディードはおりこうさんだねー」とパラスが微笑ましく見つめる。言葉にはしなかったがオルセルタも同じように思った。
 実を言えば、ティレンは、思わぬ出迎えに驚いていたのではなかった。
 ――こいつ、こんなに大きかったっけ?
 ハディードを引き取ってから二週間ほどが経っている。その間、毎日、ナジクに教えられた世話を欠かさなかったティレンは、当然ながら毎日ハディードをよく見ていたわけである。だから成長していたこと自体は判っていたのだが、いつも見ていたからか、却って、その実感に乏しかった。それが、今になって改めて事実を思い知ったのだ。
 そして、自らを振り返った。
 ――おれ、成長してるのかな。
 こちらは体格の話ではない。
 ティレンは生まれてから今まで、自分が成長しているかどうか考えることがなかった。いや、極端な表現をすれば、そんな概念はなかった、と言ってもいいだろう。ティレンは自分が思うように動き、気が付けば昔はできなかったことができるようになっている、そんな生き方をしてきたからだ。
 しかし、獣の子の肉体的な成長を見て、それを自らに当てはめてみるという行動を、彼は初めて行った。あるいはそれは、やや獣に近かった彼が、本物の獣の成長を目の当たりにすることで、自分の『人間』としての部分を強く意識するようになったということなのかもしれなかった。
「――で、一体全体、何をやらされてきたんだよ、坊主?」
 酒場の親父の問いかけに、ティレンは我に返った。エトリアにいた頃のティレンなら即答していただろう。もちろん、あらかじめ他言不要と言い含められていたなら、決して言わなかっただろうが。しかし、今のティレンは、自分ではなぜかは判らないが、一呼吸置くことが必要だと感じていた。果たしてあれは、言ってしまっていいものだろうか。
 わずかな思考の後、『問題ない』と判断し、ティレンは口を開いた。
「剣のせんせい、やらされた」
「せんせい、やらされた、だ?」
 想定外の答えに、酒場の親父は絶句する。
 しかし、『ウルスラグナ』の娘達には、心当たりがなくもなかった。
 オルセルタもパラスも、その場にいたわけではないが、探索班がサラマンドラの羽毛を携えて大公宮に赴いたとき、『衛士たちを鍛えてもらいたいくらいだ』という賞賛の言葉を頂いた、と聞いた記憶がある。
 単なる表現的なものかと思っていたが、まさか実践するとは。
「冒険者を、衛士の教育係に、ねぇ……」
 親父にしても、意外な話だったようだ。
 大公宮の衛士達は、自分達の力量が冒険者に敵わないことは、覆しようのない事実として、すでに受け入れているのだろう。が、その上、冒険者に教えを請え、と命じられるのは、プライドをさらに突き崩されるようで、あまり喜ばしくないことではあるまいか(総意としての話で、個々がどう思うかは別だ)。
 彼らの感情を大臣が悟れなかったはずはないだろう。それでもなお、大臣は冒険者に教えを請うことを選択し、命令とはいえ衛士達はそれに応えたのである。理由はもちろん、衛士にも探索を行わせるつもりだろう。冒険者の領分を邪魔しようというわけではなく、大公の病を治療せしめるための特効薬に必要な材料が、『ウルスラグナ』のアルケミスト達の予想通りに足りず、更なる探索を行わせる必要が生じたからではないか。あのような重要事、可能なら『一般人』である冒険者を介したくないだろう。サラマンドラの場合は緊急事態だったのだ。
「それで、坊主はちゃんとセンセイできたのかよ?」
 揶揄するように親父は言う。ティレンは優秀なソードマンだが、自分が優秀であることと、他者を優秀に育てられることは、まったく別の才能である。
「わかんない」
 ティレン自身は、そう答えるしかなかった。
「おれがどうやって戦ってるか……っていうか、剣を使うときだったらどう戦うか、いっしょうけんめい教えたけど、せんせいがみんなにお勉強教えるみたいにうまくいったか、わかんない」
 『せんせい』とは、もちろんフィプトのことであろう。
 ここまで言ったところで、ティレンは何かを思い出したような表情をして、懐から紙のようなものを引き出す。
「そういえば、おしごとおわったあとに、何でも屋さん大臣さんが、これくれたんだ。おやじにわたせって」
「俺に、か?」
 訝しげに紙を受け取った親父は得心を表情に浮かべた。それはウロボロスの紋章で封緘された手紙だったのである。何事かと問う顔をする『ウルスラグナ』酒場滞在組一同の前で、中の手紙に目を通す。にんまりと、『ウルスラグナ』ギルドマスターを何十年か年取らせたような笑みを浮かべると、大きく太くごつい手でティレンの赤毛をぐしゃぐしゃとかき回した。
「よくやったみてぇだな、坊」
「え?」
 きょとんとするティレンの前から離れ、親父はカウンターに行くと、金庫――財産や、依頼者から預かった報酬をしまっているのだろう――から何かを出して戻ってきた。出させたティレンの手に乗せられるのは、小さな薬瓶と、じゃらじゃらと音を立てる袋だ。
「ほらよ、報酬だ」
 そう言われて冒険者達は首を傾げた。薬はわかる。明記されていたアムリタだ。しかし、袋の方は何だろう。
「大臣さんがよ、坊主はよくやってくれたから報酬にイロ付けてやりたい、って手紙に書いてきたんだよ」
 ティレンが持ってきた手紙は、いわゆる依頼遂行証明書だったようだ。それも、ティレンの働きは先方の満足のいくものだったらしい。ちなみに今回のように、追加の報酬が金銭で発生する場合は、酒場で一度立て替えておいて、後から依頼主より支払ってもらうことが多いそうである。
「いいの?」
「いいんだよ。坊がよく働いたからなんだからよ」
「ほんと?」
 だからいいんだよ、と親父が口にする前に、ティレンは歓声を上げながら仲間達の下に駆け寄った。「よかったね」と褒め称える仲間達――だが、彼女達はティレンが何を喜んでいるのか、おそらくは正確に掴むことはできなかっただろう。追加の報酬をもらえたことを喜んでいるように見えるソードマンの少年は、その実、自分が『一人で』誰かから誉められるようなことを成せたことをこそ喜んでいたのだった。

 しばらく酒場でだらだらとしたあと、お暇することにした三人と一匹は、親父に挨拶をして出ていこうとした。しかし、ふと、オルセルタは依頼掲示板に目を向ける。何か意図があってそうしたわけではなかったのだが、彼女の視線は、そのまま釘付けにされてしまった。
 新しい依頼がある。単に依頼が増えていただけだったら、別段気にしなかっただろうが、一枚、やけに白い漉紙があったのだ。近付いて見ると、ウロボロスの紋章こそないが、真っ白に漂白された上質の漉紙。依頼人の身分も知れようものだ。
「ああ、そいつぁ、さっき坊を送った帰りにもらってきたんだよ」
 たまたま、酒場に依頼を持ち込もうとしている者と行き会って、そのまま依頼書をもらってきたらしい。
「今回の依頼は貴族街のおえらいさんからでな、受けてくれるならありがたいが、ソイツぁちっと骨が折れるぜ?」
「……遊戯用の駒が欲しい?」
 冒険者達は依頼書の文面に目を通した。

 『神手の彫金師』が作成した戦駒を収集している。
 所望するものは『公女』の駒。特に期限は問わない。
 報酬は『獣寄せの鈴』である。よろしく頼む。

「『神手の彫金師』?」
「ああ、当然知らねぇよな」
 親父は、判っている、と言いたげに頷いた。
「昔、この街にいた彫金師だ。半端じゃねぇ腕の持ち主でな、大公宮の王座なんかもヤツの作品さ」
 残念ながら『ウルスラグナ』は王座を見たことがない。いつも大臣と面会する謁見の間には王座がないからだ。正面奥にある金箔貼りの扉の向こうに、あるのかもしれない。
「で、そいつは、いろいろな作品を残したが、その最後の作が、一揃いの戦駒ってわけさ!」
「せんく、って、なに?」
 自らの功績を歌い上げるかのように声を張り上げていた親父だったが、ティレンの疑問に話の腰骨を砕かれてうなだれた。
「おいおいおいおい、そこから説明しなきゃいけねぇのかよ! ……って坊じゃしょうがねぇか」
 はぁ、と溜息を吐きながら、律儀にも説明を続ける親父。
「盤の上で駒を取り合うアレだよ。見たことねぇか? 白と黒の駒を使ってやるヤツだ」
「ああ」ぽん、と、納得した表情でティレンは手を叩く。「エル兄がいつもみんなに負けてる、あれか」
「あいつぁそんなに弱ぇのか、勝負事?」呆れたように親父が声を上げた。
「兄様はチェスもカードゲームも負け続けよ」溜息を吐きながら首を振ってオルセルタが答える。
 親父は肩をすくめた。幾分芝居めいたわざとらしさがあったが。
「おいおい、チェスは一応、戦術やら戦略やらがいるだろ。遊びたぁ言ってもそれにボロ負けで、それでよく、名高い『百華騎士団』の正騎士しょうごうつきになれたもんだ……まぁ、んなことぁどうでもいい」
 気を取り直して親父は話を続ける。
 戦駒チェスの駒は六種三十二個で構成される。内訳は、『キング』、『女王クイーン』がひとつずつ、『騎士ナイト』、『城壁ルーク』、『僧正ビショップ』がふたつずつ、『兵士ポーン』が八個。それらが先手後手に一セットずつである。先手の駒が白、後手の駒が黒で塗装されることが多い。
 ただし、『神手の彫金師』が作成した駒は若干違った。金細工で作られ、木製の台座の色で先手後手の区別をされた。『王』は『公王』に、『女王』は『公女』に、『城壁』は『城兵』に、『僧正』は『学者』に、『兵士』は『衛士』に呼び換えられている。当時のハイ・ラガード公王――今生の公王と同じく、公妃は亡くし、家族は公女のみだった――への献上品として作られたため、ラガードに馴染みやすいような呼称になっているのだ。
 ところが、この戦駒の駒は完成しなかった。『公女』をあとひとつ作れば、というところで、彫金師はこの世を去ったのである。そして、こうした芸術家のお決まりのように、彼は名声高く、多額の報奨金を得てはいたのだが、それ以上の借金を抱えていた。あるいは戦駒を献上した報奨金を返済のあてにしていたのかもしれない。ともかくも、完成していれば公王の宝物庫行きだったであろう、戦駒の駒は、葬式のどさくさと、その後に押しかけた借金取り達の争奪の末に、散り散りになったのだった。
「駒には美術品としての価値もあって、飾って楽しむ奴もごまんといる。それが『神手の彫金師』の作品となりゃ……この先は言わんでも分かるだろ?」
 確かに、貴族はしばしば戦駒の駒を美術品として収集する。だが、大抵は、全ての駒(できれば専用の盤も)が揃ってこそ認められる価値だ。だというのに、問題の駒は、話を聞く限り、駒ひとつ単体で通用するほどの値打ちものらしい。
「なんでも、一番人気の高い、『公女』の駒が欲しいんだと!」
「ええっ!?」
 『ウルスラグナ』の娘達は思わず声を上げた。
 今の話を聞く限りは、とてもとても『報酬:獣避けの鈴』では割が合わない。そもそも『公女』が足りなかったために、『神手の彫金師』最後の作品は献上されなかった。つまり――『公女』はこの世にひとつしかないのだ!
「まったくだな」
 と親父は頭を掻きながら同意を示した。
「そこらにあるモンでもねぇし、まぁ自分の足で探し出すか、収集家からモノが出るのを待つか……だな」
「ねぇ親父さん、今誰が『公女』を持ってるとか、そういうのもわからないのかな?」
「わりぃな、さっぱりだぜ。まぁもちろん、俺も手は尽くしてみるがよ……」
 そもそも平民に貴族が自分のコレクションを明かす義務はない。その上、数年前に、この戦駒の駒をめぐった強盗殺人事件――その時奪われたのは『騎士』と『衛士』だったらしい――が発生したため、持ち主はますます自分が駒を持っていることを公言しなくなったらしい。他言しないと信用できる身内を招いて観賞する(あるいは自慢する)に留まっているのだろう。
「どっちにしろ、『他の駒を全種類』でも差し出さなきゃ、『公女』の駒を手放す馬鹿はいねぇだろうな」
「……それって、つまり、『他の駒も全種類』探すところまで、依頼に入ってるのかしら?」
「……じゃ、宜しくたのんだぜ!」
「じゃ、じゃない!」
 まったくまったくもって、『獣避けの鈴』だけでは割に合わない依頼だ!
 事情が飲み込めていないティレンとハディードが、叫ぶ二人の娘をきょとんと見つめていた。

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