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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・17

 一方、街で探索班の帰りを待っていた者達の一部は、気晴らしに酒場でくつろいでいた。
 そもそも磁軸計がギルドに一つしか支給されないのだから、探索班の帰りを待つしかない。その間にできることといえば、夜の探索に備えて仮眠を取るか、街をぶらつくか、鍛錬を積むか、大方はそのあたりになる。留守番組のうち、フィプトとセンノルレは私塾の新学期に備えているので、酒場にいるのはオルセルタ、ティレン、パラスである。ティレンの足下ではハディードがミルクをぴちゃぴちゃと舐めていたが、これは、彼らが酒場に来たのが、朝の犬(ではないが)の散歩の帰りがけだったからだ。酒場の親父も、店の迷惑にならない限りはうるさいことを言う気はなさそうであった。
 今現在、酒場にいるのは、気晴らしのためではあるが、単純にそれだけというわけではない。酒場の壁に貼り付けてある依頼を確認したかったのだ。
 この街で歓迎されるには、世界樹内部の探索さえ続けていればいい。実際、探索を始めたばかりの『ウルスラグナ』も、しばらくは世界樹の先ばかり見つめていた覚えがある。だが、酒場に寄せられる依頼に目を向けるのもいいものだ。解決すれば礼金なり役立つ道具なりをもらうことができる。ゼグタントが来てから金回りはよくなったが、金や道具はあって困るものではない。それになにより、人脈が広がるのが楽しい。広がった人脈に何かを期待するわけではない、言葉で説明すると陳腐になるが、平たく言えば『友達が多いことはいいことだ』ということになる。
 今までにも、ささやかな依頼をちょくちょくと承ってきた。樹海に関わる依頼なら、探索ないし実技鍛錬のついでに面倒を見ればいいことだから、さほど苦にはならない。
 そして今日もまた、オルセルタは酒場の壁の前に立つ。かすかな空気の流れを察して、壁に留められた依頼書が、千の葉のようにひらめいた。
 とある一枚の依頼書が目に付いたのは、その紙質が明らかに他のものとは違ったからだろう。依頼書の書式は厳密に定まっているわけではないから、自前の紙に書いて持ち込んでくる者もいれば、字が書けない依頼人の代わりに酒場の親父が代筆するものもある。いずれにしても、極端に低質なものは少ないが、普段使い程度の質の紙が使われることが多い。しかし、オルセルタが目にしたものは、真っ白に漂白された上質の漉紙であった。しかも、浮き彫り加工されているのは、尾をくわえない知識の蛇ウロボロス――どう考えても、大公宮、あるいはそのあたりに関わりある者からの依頼だ。
「おう、その依頼、引き受けてくれる気か?」
 両手にジョッキをたくさん持った親父が、オルセルタの後ろを通り過ぎざまに声を掛けた。親父はそのまま、よその冒険者の待つテーブルへと歩み去っていったが、オルセルタは依頼書を凝視したまま動かない。

『腕の立つ剣士を求む』

 幾ばくかの装飾語も使用されているが、要約すればその程度の話だ。何のために剣士が必要なのか、肝心なところが書かれていない。
 剣士、すなわちソードマンである。『ウルスラグナ』のティレンのように斧を主に扱う者も多いが、そんな者達も、剣も最低限には嗜んでいる。
「ティレン、ティレン」
「なに?」
 ダークハンターの少女が招く言葉に、何のためらいもなく、席を立って呼ばれてくる約一名。やってきたソードマンの少年に、オルセルタは依頼書を指し示した。
「大臣さんが、おれがいるって?」
「うん、そうみたいね」
 正確に言うと、大臣が依頼を出したかどうかは判らない。だが、彼の者は『何でも屋さん大臣』である、なんとなく、こんなことにも関わっていそうな気がした。
「何をやってほしいか、とか、全然判らないけど」
「やる」
 即答であった。きらきらと輝くその目は、自分が求められていると知って嬉しがる者のそれだ。短すぎる依頼の言葉に躊躇うことすらない。
 オルセルタは軽く溜息を吐いた。出自その他の事情から、年齢より若干幼いところのあるソードマンの少年に、不利益がないよう、計らうのは、年上の自分達の役目だろう。もっとも、大公宮ゆかりの依頼なら、変なことにはならないとは思うが。
 ジョッキを注文者のところに置いてきた親父が戻ってきて、後ろから覗き込んでくる。
「やってくれるんなら助かるぜ。大公宮からの依頼は酒場の信用にも関わるんでな」
「酒場の信用?」
 とパラスが席を立って割り込んでくる。
 酒場に、国家上層部からの依頼が舞い込むこともあるのは、周知の事実だ。もっとも、何の実績もない酒場に、おいそれと依頼を託す上層部はありえない。とはいえ、今のところ、ハイ・ラガード全土で、冒険者の集う場として知られる酒場の実績は、五十歩百歩、辛うじて、かつて『ベオウルフ』の懇意だった酒場が若干頭抜けしているくらいか。
 そして、『百獣の王殺し』ギルド『ウルスラグナ』が懇意にしている、この酒場、鋼の棘魚亭も、ひけはとらないはず。そのあたりを『武器』として、酒場管理人としての更なる優位を確保するべく、依頼を取ってきたわけだ。それが、誰も依頼を受けてくれないとなれば、信用もなくしかねない。
 数多の依頼書の中でも目立つ紙、報酬も気力回復薬アムリタ――現状では極めて手に入りにくい――だというのに、他の冒険者達はどうやら腰が引けているようである。依頼内容が明らかではない、という理由もあるだろう。
 興味津々の一同に、酒場の親父は、嬉しそうに笑みながら話を続けた。
「内容はさっぱりだが、とにかく腕の立つ剣士が必要ってことでな、あちこちの酒場に依頼が来てるんだ。少しでも樹海に慣れてなきゃだめってことだが……まぁそのあたりは、お前らなら問題ねぇだろうよ。何をやるかっていうのは……まぁ、お上が話さない以上、深く突っ込まない方が身のためだろうな。で、どうする?」
「いく」
 いっそ気持ちいいほどの即答であった。
「いいの? ティレンくん?」
 パラスが姉目線で確認するところにも、揺るぎない表情で頷き返す。
「いや、いいツラしやがる。助かるぜ」
 親父は破顔して頷いた。
「何させられるかはわかんねぇけど、お前なら期待できそうだな。……ガキだけど」
「うん、おれ、ガキだ」
 てっきり『ガキ扱いするな』と反駁されると思っていたのだろう、精神的な足場を外されて、親父はがっくりと転けた。
 己の頭を軽く叩いて気を取り直すと、ティレンを手招く。
「じゃ、付いてこいや。先方の指定場所に行くからよ」
「ねぇちょっと、酒場はどうするの!?」
 オルセルタの狼狽も当然であろう。鋼の棘魚亭は親父一人で切り盛りしているのだ。大抵は酒を注いで出せばいいわけで、出すのに時間が掛かるようなメニューはないから、一人でもどうにか店を維持できるのだろうが(手の込んだ料理ができないわけではない。実際、『ウルスラグナ』はしばしば宴の時に世話になっている)、当然ながら店を空けたら誰もいなくなってしまう。時々『所用につき閉店中』の札が入口に掛かっているのを見かけるから、買い出しなどの用事は客のいない時間に済ませるのだろうが、今は客もそこそこにいる時間だ。どうするんだ、と思っていると、
「お前ら、ちっと頼んだぜ、すぐ戻って来るからよ!」
 そんな声が遠ざかりながら聞こえてくる。
 オルセルタとパラスは顔を見合わせ、計ったように声を揃えて叫んだ。
「ええーっ!?」
 結論を述べるなら、親父が店を離れていた時間は二十分ほどである。しかし、その二十分は、『ウルスラグナ』のダークハンターとカースメーカーにとっては、随分と長く感じられた。さしあたってカウンターに入り込んで、注文が来ないかと緊張して待っているあたり、彼女達は真面目だった。そして、カウンター奥の小さな容器の中に入っていた、つまみ用のナッツ類をちゃっかり拝借しているあたりは、不真面目である。
 親父が戻ってきたのは、折しも、他の冒険者が(半ばおもしろがって)注文した酒のお代わり五人分のジョッキを、オルセルタが両手で支えて運び、パラスが食料保管庫から取り出してきた豚肉の燻製を切っているときであった。
「よぉ、お疲れさん……ってこら、ナッツ食いやがっただろ!」
「てへ」
「てへ、じゃねぇ!」
 親父は頭を抱えたが、二人が、留守番中に食べたナッツの代金をきちんと払ったため、不問にすることにした。改めて、留守番のささやかな礼のつもりか、燻製を切り分けて二人の前に差し出す。
「ハディ、ハディ」と、パラスが燻製肉を振って、獣の子を呼ぶのを尻目に、オルセルタは問うてみた。
「で、結局、向こうの依頼が何だったのか、判ったりしたの?」
「いいや、全然」と親父は逞しい両肩をすくめる。
「だがな、ただごとじゃねぇな。ほら、さっき、『あちこちの酒場に依頼が来てる』って言っただろ。だから、あちこちの酒場から依頼を受けたソードマンが集まってたんだ。あれだけソードマンだけが集まってると、結構壮観なもんだ。……何かの魔物退治かね?」
「魔物退治? それだったら、ソードマンだけ集めなくても、普通の依頼みたいにすればいいんじゃないかしら?」
「だよなぁ。だがまぁ、とにかく、これだけは言えるぜ」
 びし、と、親指だけを立てた拳をかざし、親父は満面の笑みを浮かべる。
「見たとこ、お前らのティレン坊が一番じゃねぇか? 俺もハナが高いぜ!」
 オルセルタには若干のリップサービスが混ざって聞こえたが、自分の仲間を誉められて悪い気はしなかった。
「あはは、やっぱりそうでしょ、うちのティレンくんだもん!」
 ハディードに燻製肉を与えたパラスは、リップサービスだとは想像すらしていないのだろう、親父に親指を立てた拳を突き出して答える。
 その様を見た親父は、パラスの胸に揺れる呪術師の鐘鈴を見つめながら、しみじみとこぼすのであった。
「……前々から思ってたんだが、お前、ホントにカースメーカーか? ヤツらっぽい雰囲気ゼロなんだがよ」
「放っといてよ!」

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